さくら、ひとひら。
今年も桜が咲いた。
河川敷にある桜の並木道は、淡い光をまとって春の空へとつながっている。
そこを歩いていると、風が吹くたびに花びらがひらひらと舞って、足元へ落ちてきた。
毎年、この時期になると君と話していたね。
「今日は暖かいね」とか「咲くのが早かったね」とか。
桜を見て話す言葉は、決まって他愛もないものばかりだった。
だけど今年は、一人で桜に向かって話している。
相槌を打つ君は、もういない。
それでも僕は、君がそこにいるような気がして、つい横を見てしまうんだ。
君がいなくなってから、一年。
がんだと告げられてからも、治療が始まってからも、痛みが増していくはずの時間の中でも、君は一度も「つらい」とは言わなかった。
「ごめんね、心配かけて」
そう言って、逆に僕のほうを気遣った。
泣き言も、弱音も、未来への不安も、君は胸の奥にそっとしまったまま、僕に見せなかった。
だからこそ君の旅立ちは、覚悟をしていた割に、あまりにも静かだった。
君がいなくなったあと、世界は驚くほど変わらなかった。
朝は来るし、季節は巡る。
僕も、案外平気な顔をして過ごしていた日があった。
でも、夜空に白く輝く月を見たとき。
夏の日差しを反射して揺れるプールを見たとき。
なぜか急に足が止まって、しばらく何もできなくなった。
ああ、そうか。
こういう光景を、もう一緒には見られないんだ。
そんな想いが、目の前の風景の色をほんの少しにじませる。
さびしさは、今も消えない。
でも、いつまでも立ち止まっていたら、君はきっと笑って言うだろう。
「何してんのよ」って。
君は、最後まで前を向いていた。
苦しさを抱えたまま、誰かの心を軽くすることを選ぶ人だった。
だから僕は、君を忘れない。
そして、少しずつでも、歩き出す。
少し強い風が駆け足で
僕の横を通り過ぎる。
辺り一面に花吹雪が舞い上がり
天色の空と薄紅色が混ざり合う。
思わず開いた手のひらの中に
一枚の花びらが吸い込まれるように落ちてきた。
ほんの僅かな重み
それがまるで
君の人生のように感じる。
咲き誇る時は 短く
それでも やさしく
吹けば飛ぶような儚い重さだけど
確かな存在をこの手に感じる。
春の天色の空の下で
君はもう痛みのない場所にいる。
それだけが ほんの少しだけ救いだと自分に言い聞かせ
そっとその花びらをにぎり 風に流す。
さくら、ひとひら。
てのひらのなかに。
いのち、ひとひら。
今も、心のなかに。
お読みいただき、ありがとうございました。
連載版の「いのち、ひとひら」をお読みいただけると、より背景が鮮明になると思います。
宜しければご覧ください。




