表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

童話と詩作と物語

さくら、ひとひら。

作者: 辻堂安古市
掲載日:2026/03/17



今年も桜が咲いた。


河川敷にある桜の並木道は、淡い光をまとって春の空へとつながっている。


そこを歩いていると、風が吹くたびに花びらがひらひらと舞って、足元へ落ちてきた。




毎年、この時期になると君と話していたね。


「今日は暖かいね」とか「咲くのが早かったね」とか。


桜を見て話す言葉は、決まって他愛もないものばかりだった。


だけど今年は、一人で桜に向かって話している。

相槌を打つ君は、もういない。


それでも僕は、君がそこにいるような気がして、つい横を見てしまうんだ。





君がいなくなってから、一年。

 

がんだと告げられてからも、治療が始まってからも、痛みが増していくはずの時間の中でも、君は一度も「つらい」とは言わなかった。


「ごめんね、心配かけて」


そう言って、逆に僕のほうを気遣った。

泣き言も、弱音も、未来への不安も、君は胸の奥にそっとしまったまま、僕に見せなかった。


だからこそ君の旅立ちは、覚悟をしていた割に、あまりにも静かだった。




君がいなくなったあと、世界は驚くほど変わらなかった。

朝は来るし、季節は巡る。

僕も、案外平気な顔をして過ごしていた日があった。


でも、夜空に白く輝く月を見たとき。

夏の日差しを反射して揺れるプールを見たとき。

なぜか急に足が止まって、しばらく何もできなくなった。




ああ、そうか。

こういう光景を、もう一緒には見られないんだ。

そんな想いが、目の前の風景の色をほんの少しにじませる。




さびしさは、今も消えない。

でも、いつまでも立ち止まっていたら、君はきっと笑って言うだろう。


「何してんのよ」って。


君は、最後まで前を向いていた。

苦しさを抱えたまま、誰かの心を軽くすることを選ぶ人だった。


だから僕は、君を忘れない。

そして、少しずつでも、歩き出す。






少し強い風が駆け足で

僕の横を通り過ぎる。


辺り一面に花吹雪が舞い上がり

天色の空と薄紅色が混ざり合う。


思わず開いた手のひらの中に

一枚の花びらが吸い込まれるように落ちてきた。


ほんの僅かな重み


それがまるで

君の人生のように感じる。




咲き誇る時は 短く 

それでも やさしく


吹けば飛ぶような儚い重さだけど

確かな存在をこの手に感じる。


春の天色の空の下で

君はもう痛みのない場所にいる。


それだけが ほんの少しだけ救いだと自分に言い聞かせ

そっとその花びらをにぎり 風に流す。







さくら、ひとひら。

てのひらのなかに。



いのち、ひとひら。

今も、心のなかに。
















お読みいただき、ありがとうございました。

連載版の「いのち、ひとひら」をお読みいただけると、より背景が鮮明になると思います。


宜しければご覧ください。




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
さくら、ひとひら。 てのひらのなかに。 いのち、ひとひら。 今も、心のなかに。  名文ですね❗  とても心に残る一節です。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ