第7話『美咲視点』
私には幼なじみがいる。山本一樹。最初は純粋に好きだった。今でも、心のどこかでは好きなままだ。けれど、あの頃の私は、その感情を口に出すことすらできなかった。
友達や周りの人たちから、四六時中言われていた。「ダサい」「似合わない」「なんで付き合ってるの?」――そんな言葉の嵐を、私は毎日浴びせられた。笑いながら、悪意をこめて投げつけられる言葉たち。それを全部、無視することはできなかった。
だって、好きだったから。好きだから、避けられないし、反論もできない。泣きたくなるほど悔しくても、私は彼を守りたくて、立ち向かえず、ただ耐えるしかなかった。
でも、あの頃の私が思っていた「好き」と、今の私の「好き」は少し違うのかもしれない。幼なじみとしての親しさ、守りたいという気持ち、そして……自分でも理解できない嫉妬や苛立ち。それが混ざり合って、私はいつも矛盾した感情の中にいた。
私の歯車は、そこから少しずつ狂い始めたのかもしれない。ある日、千夏が私に言った。
「一樹って、あんたのこと好きじゃないよ」
その言葉を聞いたとき、頭が真っ白になった。
「え……急にどうしたの?」
「いや、だって嫉妬とかしないじゃん。普通付き合ってたら嫉妬とかするし、遊びにも誘わないんでしょ?好きとも言われてないんでしょ?」
確かにそうだった。最近、一樹から「好き」と言われることはなくなっていた。遊びに誘われることもない。いつも私が誘っていたのに、彼はただそこにいるだけだった。
秋山くんの名前を口に出しても、一樹の顔色は微塵も変わらない。あの頃は気づかなかったけれど、今になってハッとした。私は一度も、一樹が嫉妬している姿を見たことがなかったのだ。
もしかすると、私が知っている「好き」という感情の中には、一樹の気持ちは含まれていなかったのかもしれない。
不安が胸を締め付ける。どうしてこんなことを、と考えたけれど、千夏の言葉が頭から離れない。
「そんな顔しないの。あ!じゃあさ、試してみれば?」
「試す……?」
「そう、秋山君とか男友達の名前を出して、嫉妬させてみれば?行動に出るはずだよ、好きなら」
最初は戸惑った。こんなこと、していいのかな……なんて思った。でも、千夏は親友だ。いっくんと付き合えたのも、千夏のおかげだった。だから、私はつい頷いてしまう。
千夏の言うことは、大抵当たる。だから、少しでも安心したくて、信じてみるしかなかった。
心の奥で、わずかに震える期待と、やってはいけないという罪悪感が混ざり合う。
「……やってみようかな」
言葉にすることで、自分自身を納得させるように小さく呟いた。
私は焦っていた。心の奥の不安が、少しずつ表に出てしまう。秋山君の名前を出してみても、他の男友達の話をしても、いっくんは微動だにせず、顔色ひとつ変えない。
(……なんで、そんなに平気なの?)
思わず口調も強くなる。声には怒りと戸惑いが混ざる。胸の奥がぎゅっと締め付けられて、頭の中でぐるぐると考えが渦巻く。
(本当に、私のこと好きなの?)
その問いが、どうしても消えない。好きなら、少しでも反応があるはずだ。少なくとも、嫉妬の影くらい見せてくれてもいいじゃない。
ねぇ、いっくん、私が大事じゃないの?なんで、私だけ……こんなに不安にさせられるの……
私はいっくんに不安なことを伝える、けれどいっくんは私に対して何も言ってこない、興味が無いのかって勘ぐってしまう。
分からない。何も言わないから、あなたの気持ちがまるで読めない。どうして私と付き合っているんだろう。もしかして、他に好きな人でもできたのかな、そう考えると、胸の奥がムカつきでいっぱいになる。
私には媚びる癖があるくせに、他の女の子とは楽しそうに喋る。私にも同じように接してほしいのに、いくらしても変わらない。ただ、顔色を伺うだけ。
私はあなたのために、可愛くなろうと努力してきた。私の全部の努力は、あなたのためだった。クラスの中で女王の地位も手に入れた、そしたらいっくんは王子様だ……でも、距離は遠くなる。なんで??
なんで……? こんなに尽くしているのに、どうしてあなたは変わらないの?
ムカつく、ムカつく、ムカつく……。私の心はもう、あなたのその無関心さに押しつぶされそうだ。
「私、これから千夏と宗介君のサッカー見に行くから。あんたも来てね、荷物持ちよろぴく」
サッカーなんて、正直どうでもいい。もう飽きた。でも、いっくんを嫉妬させるためだけに、私はこれを続けていたんだ。
「行かない……」
いっくんの声は、信じられないほど低く、小さく震えていた。でも、私の耳にははっきり届いた。
――まさか、嫉妬?
あのいっくんが、私のために嫉妬してくれたの?
その考えだけで、胸の奥がふわっと熱くなる。嬉しい……けれど、信じられなくて、思わず声を出してしまった。
「は……? 何?」
「行かないって言ったんだよ。聞こえないの?」
ようやく……嫉妬してくれた。長かった。
やっぱり千夏の言う通りだった。あの子は、すごい──すごく的確で、いつも私の心を見抜いている。
「まさか、嫉妬してるの? 行って欲しくないな、そういえばいいじゃん。そしたら私も行かな──」
「もう、放っておいてくれ!!!」
その声は、普段のいっくんからは想像もつかないほどの怒りと苛立ちを孕んでいた。恥ずかしさや照れを全部振り切ったような、その瞬間の表情は、彼の内面が一気に露わになったかのようで、私は目を見張った。
初めて、彼が本気で感情を爆発させた瞬間を目の当たりにしたのだ。長い付き合いの中で、こんな顔を見せたことは一度もなかった。
それから先のことは、何も覚えていない。何を言ったのかも、ほとんど思い出せない。記憶の隅にあるのは、胸の奥がぎゅっと締め付けられる感覚だけで――それさえも、はっきりとは思い出せないのだ。
いや、思い出したくないのかもしれない。現実を直視するのが、怖かったのだろう。頭の中で、あの瞬間の自分をそっと押し込め、心の扉を閉じたまま、現実から逃げていた。
いっくんを止めるも、振り切ってその場から去っていく。
「チョコレート1個 幸せ1個」
「美咲は一樹のためにここまでやってるのに、あいつは何をしてるの?結果は何もない」
「ね、美咲も気づいてるでしょ? 一樹、多分他に好きな人がいるよ」
「美咲は悪くない、あいつが悪い」
あの一連のことをクラスメイトたちに話すと、みんな私の味方をしてくれた。うん、やっぱりそうだよね。私は悪くない。悪いのはあいつだ。
そもそも、言いたいことも言わず、気持ちを隠すあいつが悪い。私は全力で出来ることをやった。可愛くなろうと努力し、距離を縮めようと手を伸ばした。でも、あいつはその手を握ろうとしなかった。
「なぁ、あいつのこと、制裁しないか?」
「あぁ、ありだな。最近調子に乗ってるし……。美咲も、いいだろ?」
「え……私?」
一瞬、言葉に詰まった。自分が巻き込まれるなんて、考えてもいなかった。
「そうだよ。美咲は優しすぎるんだ。俺らで懲らしめてやるからさ」
確かに……。ここまで私を無下に扱ったのはあいつだ。私はクラスの中で女王としての地位を確立している。最も偉いのは、紛れもなく私。なのに、いっくんはその私に対して、平然と無礼な行動をとった。
でも、だからと言って、別れたいわけじゃない。むしろ、別れたくない、この感情はどうしようもなく強い。だから、今度は私が懲らしめる番だ。少し意地悪をして、焦らして、泣きついてくるのを待つ。そしたら……その瞬間、私は心の中で微笑む。もちろん、付き合ってあげる。
嫉妬、支配欲、独占欲肥大化していくのが私でも気づけなかった。
その日からいっくんのいじめが、始まった、机に落書きとか、小さなことだ、けれどいっくんは顔色ひとつ変えない、ムカつく。早く謝ってきなさい、許してあげるから、それでも変わらない顔だった。
日が経つ、いっくんは謝ろうとしない。それどころか、平然と人に暴力を振るった。秋山は血を吐き、床に倒れ込んでいた。
最低すぎる。
胸の奥が煮えくり返るように熱くなる。私はいっくんのことが好きだ。けれど、これは許せない。こんな無責任で無礼な行為を見過ごすわけにはいかない。制裁を加えなければ、私の心は落ち着かない。
覚悟を決めた私は、親の力を使って、いっくんを脅した。お母さんを巻き込み、圧力をかけた結果、ようやく彼は素直になった。少し冷た
く、少し悔しそうに、けれど確かに、心を開いたのを感じた。
ようやく私は勝ったのだ。
「美咲は悪くない。一樹が悪い」
「美咲は何も悪いことしてないよ?だから胸を張りなさい」
「そもそも暴力を振るったやつが悪いんだろ。虐められて当然だ」
クラスメイトたちは、いつだって私を肯定してくれる。心の奥で、少しだけ温かい光が差し込むのを感じる。そうだ、私は悪くない。悪いのはあいつ、暴力を振るった、無責任なあいつだ。
だから私たちも、同じことをしていいのだろうか……いや、違う。行ってはいけないことだからこそ、心がもどかしく、怒りが募るのだ。私の心を弄び、さらには人を殴るなんて、絶対に許せない。
「いっくん、アレやって」
私のその一言で、いっくんは恥ずかしそうに、でも確実にその行動を起こした。胸の奥で、ゾクゾクとした感覚が走る。
今まで、あいつは私に対して感情をほとんど見せなかった。無視され、そっけなくされ続けた日々――でも、今のいっくんは違う。目の前で見せる恥じらいや戸惑い、そしてわずかな従順さ。
そう、これが私の求めていたもの……この感覚……何だ、この気持ちは――胸の奥で熱く渦巻く、得も言われぬ高揚感と独占欲。
私の一言で、みんなが笑った。あはは、と軽やかな笑い声――そして、いっくんが照れている姿が、どうしようもなく可愛らしい。
胸の奥がぎゅっと熱くなる。これからも、ずっと、私のもの……私のおもちゃでいてほしい。そう願わずにはいられない。
――いっくん、ずっと私の前でだけ、不器用に恥ずかしがっていてね。私の支配下で、私の世界で、ただ可愛いままでいてほしい。
だからだろうか……これは、私への罰だったのかもしれない。愚かで、傲慢で、独占欲にまみれた私への、必然の罰。
放課後、いっくんと別れたあとだった。足取りは重く、心はまだ興奮と高揚の余韻に揺れていた。その時だった、何が起きたかさ分からない
次の瞬間には痛覚と衝撃が入り混じり、世界が一瞬で歪んだ。
私は──轢かれたのだ。
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