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第5話

僕は筋トレを始めた。

 親父は元格闘家で、自宅には自作のジムがある。

 新塚が作ってくれたメニューを見ながら、黙々と体を鍛える――汗が額を伝い、息が荒くなる。

 痛みも疲労も、全部、自分を強くするための証だと思えた。

 あの頃の僕の弱さ、親父に殴られた痣、そして美咲との距離――全部、ここで変えてやるんだ。


「いいか、筋トレは自分との戦いだ。筋トレを成し遂げられないものは、何も成し遂げられない!」


 新塚の声が、頭の中に響く。

 その言葉を反芻しながら、僕は黙々とシャフトを持ち上げ、腕や胸の筋肉を痛みで震わせる。

 汗が流れ、呼吸が荒くなるたびに、心の奥の弱さも一緒に打ち砕かれていく気がした。

 筋肉だけじゃない――精神も、少しずつ鍛えられていく。


「おい、一樹、投資の勉強しとけよ」


 その言葉から数か月――

 株の配当金が、なんと10万円も入ってきた。銀行口座に直接振り込まれる金額を見て、少しだけ心が躍った。


「よし、9万は家に回す。お前には1万だ」

「え……少ない」

「当たり前だろ?家賃に電気、水道、ガス代、全部込みだ」


 親父はいつものように家を飛び出した。

 多分……行き先はパチンコ屋だろう。

 タバコの匂いと酒の匂いを漂わせながら、今日もまた自分勝手な日常に消えていく。

 僕はただ通帳の数字を見つめ、深く息をついた。


 僕にはこっそり作った別口座がある。

 こっちの配当金は7万円――親父にはまだバレていない。通帳をそっと手に取り、少しだけ笑みがこぼれる。




 学校の扉を押し開ける。


 一歩踏み出すと、空気が変わったのがわかる。

 教室のざわめきの中、誰かの視線が僕を捉えている――その視線の質が、以前とは違っていた。


「何かが変わった」

 直感がそう告げる。

 目と目が合う瞬間、周囲のざわめきが遠くなるように感じた。


「おい、美咲のこと、殴ったって本当か?」


 クラスで目立つ男子が、ゆっくりと僕に近づいてくる。

 ちらりと美咲の方を見ると――嘘泣きしているのがわかった。

 その目が、次の瞬間、僕を見据えた。

 ニヤリと笑うその表情には、からかいと挑発が混ざっている。


「あいつが嘘をついてるだけだ」


 そう答えたけれど、相手は眉をひそめ、軽く鼻で笑う。


「本当か?お前、陰キャだし、いつもボソボソ喋ってて気持ち悪いし……何しでかすか、わかんないもんな。美咲のこと泣かすなよ?」


 何を言ってるんだ、理解できない。

 でも、はっきりわかることが一つ――

 美咲に惚れられたい、そんな気持ちが、僕の顔にも態度にも、丸見えになっている。

 僕はそんなやつを無視して、そっと机へ向かう。

 ふと目に入ったのは、机の天板に刻まれたラクガキの数々。

 名前、絵、意味のわからない文字――どれもベタで、安易なものばかりだ。


 美咲たちの方を見ると、楽しそうに笑っている。

 きっと、あいつらの仕業だろう――幼稚で、くだらない。


「ね、美咲が謝ったら許してくれるって」


 千夏の声が、教室に響いた。


「えぇ、美咲優しい!」

「ほんと!ほんと!!陰キャ君、認めて、早く謝りな〜」


 笑顔の裏に、僕の存在を軽く見ている視線を感じる。

 取り巻きの女たちがそう言ってくる。

 けれど、僕は無視した。

 構ったところで、何も変わらない。

 こんな幼稚な連中に、僕の気持ちを揺さぶられるだけ無駄だと、頭では分かっていた。


「俺が手を貸そうか?」


 咳を払いながら、新塚が声をかけてくる。

 中学生とは思えない筋肉質な体つき――喧嘩を売られる心配はなさそうだ。


 でも、大丈夫だ。巻き込みたくはない。だから、僕は静かに首を振った。


「そっか、ま、何かあったら言えよ」


 本当に優しいやつだ──。




 何故、人をいじめるのか、僕には理解できなかった。

 けれど、目の前にいる秋山たちは、路地裏へ僕を呼び寄せた。


「てめぇ、美咲を泣かせやがってよ!!」


 こいつらが美咲に惚れているのは、よく分かる。

 だから、僕を攻撃する理由も理解できる。

 美咲に騙されてるのだろう、可哀想な奴らだ。

 でも、だからといって、正当化されるものではない。


「美咲に惚れてるのか?」

「は?」

「だから、美咲に惚れてるのか?」

「てめぇ、何言ってんだ?」

「だったら、付き合えばいい。僕はもう、知らん」


 静かな声で告げるその言葉に、秋山の目が一瞬、鋭く光った。


 秋山が僕の胸ぐらを掴もうと腕を伸ばす。しかし、瞬時に払いのける。


 癪に触れたのか、彼は右ストレートを打ち込んでくる。だが遅い。

 僕は親父に何度も殴られ、いやでも身についた反射とカウンターの術を持っている。避けることだけを繰り返してきた日々が、自然と目を鍛え、タイミングを身体に刻み込んだ。


 一瞬の間に、秋山の拳をかわし、そして、僕の右拳が彼の顎に届く。思わずのけぞる秋山。未曾有の衝撃がその場に静寂をもたらした。


「お、こいつ殴ったぞ!」


 周りの男たちは声を上げるも、誰も動かない。明らかにビビっている。


 僕は無言でカバンを掴む。重さが手に馴染む感覚。


「またな」


 その一言を残し、足早にその場を離れた。背後でざわつく声が聞こえるが、もう気にしない。自分の道を、ただ歩くだけだ。


♢♢♢

明日も12時に投稿します!!

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