第4話
お父さんの暴力は相変わらずだった。
拳も、蹴りも、もう慣れてしまったように身体が受け止める。痛みはある、けれど心の奥の痛みに比べたら、ずっと小さい。
それでも学校に行く。逃げ場はそこしかないからだ。
教室の隅、新塚に声をかけた。
「新塚さん、僕も筋トレしたい」
「おぉ、いいね! お前もやっと目覚めたか!」
白い歯を見せて笑う新塚は、まるで太陽みたいに眩しかった。
「筋トレは裏切らねぇ。どんな奴でも、やった分だけ応えてくれるんだ。……だから、お前も変われる」
その言葉が胸に深く刺さった。
変わりたい――このままじゃ、何も守れない。
「……教えてくれる?」
「当たり前だろ!今日から特訓だ、一樹!」
新塚が僕の背中を叩いた。痛かったけど、不思議と嫌じゃなかった。
放課後。
校門を出たところで、美咲が待っていた。
腕を組んで、ムスッとした顔。
目が合った瞬間、胸の奥がざわついた。
「ねぇ、来なさいよ」
「……どこに」
美咲は一歩近づき、僕の腕を掴もうとした。
けど僕は一瞬、反射的に身を引いた。
「何よ、その態度……。あんた、昨日のこと本気で言ったの?」
「……あぁ。本気だ」
美咲の眉がピクリと動いた。
「ふざけないでよ。あんたが居なきゃ困るの。荷物持ちだって、みんなの前で『彼氏』って肩書きがいるのよ」
……やっぱりそうだ。僕じゃなくてもいいんだ。
そもそも、肩書きなら、僕である必要は無いだろ」
それこそ山本とかに……。
「うるさい!!あんたじゃなきゃだめなの、都合がいいしさ」
やっぱりそうか。
胸の奥で何かがガラガラと崩れていく音がした。
「……都合、ね」
「そうよ。だって、あんたは逆らわないし、すぐ謝るし、みんなの前でも私の言うこと聞くし……。そういうの、ちょうどいいの」
美咲は言葉を重ねながら、自分で自分を正当化するように声を荒げた。
「だから、勝手に一人で終わらせないでよ!私が困るじゃない!」
僕は思わず笑ってしまった。乾いた、力のない笑いだった。
「しつこい……」
僕は低く言い放った。
「あんたねぇ!!私はあんたのためを思ってやってるのよ?意味わからない!!」
美咲の声は震えていた。怒鳴っているのに、どこか必死で。
「僕のため……?」
思わず苦笑が漏れる。
「違うだろ。君の“居場所”を守るために、僕を利用してただけじゃないか」
「違う!!」
「じゃあ何が違うんだよ。僕は君の荷物持ちでも、言いなりでもない。君が“見せたい自分”を作るための人形でもない」
美咲の顔から血の気が引いていく。
「……やめてよ、そんな言い方」
「本当のことを言っただけだ」
「私だって、恋愛は分からないことあるの。それにクラスメイトの立ち位置を守るために必要があるの。あんたには無縁かもしれないけど、こっちだって努力してんのよ、分かる?あんたには無縁だけど!」
「その立ち位置を守るために僕を蔑ろにするのか?」
美咲は一瞬、言葉を失ったように黙る。
頬に赤みが差し、涙が滲んでいるのに気付く。怒りと悲しみが入り混じった瞳で、僕をじっと見つめる。
「その立ち位置を守るために僕を蔑ろにするのか?」
僕の声は思った以上に冷たく響いた。
美咲は一瞬、口を噤んだ。けれどすぐに、唇を噛んで睨み返してくる。
「……そうよ。私は必死なの。あんたには分からないでしょ?誰に見られても笑ってなきゃいけない辛さなんて!」
「だからって僕を踏み台にするのか?」
「踏み台じゃない!……ただ、安心できるの、あんたがそばにいると。だけど、それだけじゃ……足りないのよ」
美咲の声は震えていた。怒鳴りながら、泣きそうな顔をしていた。
「悪いけど、僕はもう、美咲の物にはならない。」
美咲の目が、一瞬だけ揺らぐ。言葉を飲み込んだように、口を閉ざす。
「後悔してもしらないよ?」
「悪いけど、もう後悔ばかりだ。」
言い終えた瞬間、空気が凍りつく。
美咲の肩が小さく震える。声にならない嗚咽が漏れる。
「チョコレート1個幸せ1個」
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