第3話
「行かない……」
信じられないほど低く、小さな声だった。
それでも、美咲には確かに届いていたらしい。
目を丸くし、頭の上に大きな「?」マークを浮かべる。
「は……?何?」
「行かないって言ったんだよ。聞こえないの?」
声の震えは止まらない。
もう我慢はしない、これ以上、ただの荷物持ちでも、背景でもない。
これは――僕の意思だ。
美咲の表情が、ほんの一瞬、固まる。
「まさか、嫉妬してるの?行って欲しくないな、そういえばいいじゃん。そしたら私も行かな──」
「もう、放っておいてくれ!!!」
声が喉から裂けるように出た。震えが止まらない。
言葉が暴風のように溢れて、止めようがなかった。
「何でそんなに軽く言えるんだよ! 僕のこと、どうでもいいって言うのか? いつも僕ばっかり我慢して、笑って――それでお前は満足なのかよ!」
吐き捨てるように言うと、美咲の顔が一瞬、歪んだ。驚きと戸惑いが混じった表情。
「僕はただの荷物持ちじゃない。チヤホヤされたり、誰かのつまらないネタにされるためにいるんじゃない! お前が誰と笑おうと勝手だ。でも、僕を蔑ろにするような言い方だけは、もう我慢できないんだよ!」
言葉が喉を熱く通り抜ける。胸の奥の傷が一つ一つ疼くのを感じた。その痛みを覆い隠すように、さらに吐き出す。
「それに……僕には家庭のことだってある。親父に殴られて、毎晩投資だ、スパーリングだって言われて、痛みが当たり前になってるんだ。勉強だって、友達作りだって、全部そこで壊されていった。お前に話せば笑われるか、同情されるだけだろうけど!」
美咲の目が一瞬小さく潤むのを見た。だが、その涙が同情なのか後悔なのか、誇りのない笑顔の再来なのか、僕にはまだわからなかった。
「だからもう、お願いだ。僕を都合よく扱うのはやめてくれ。僕だって人間だ。期待もするし、傷つくし、怒ることだってあるんだ。ずっと黙ってた僕を、もう壊さないでくれよ!
美咲は言葉を探すように口を開くが、何も出てこない。ただ、目だけが大きく見開かれていた。空気が固まる。
「行かない、って言ったのは本気だ。今日は荷物も持たない。美咲、僕の事が嫌いならもう、別れよう。僕は帰るから」
「ま、待って!!待ちなさいよ!」
美咲は慌てたように僕の肩を掴んだ。その指先は爪を立てるように食い込み、痛みが走る。
「離せ!!」
振り払った瞬間、美咲の顔が揺れた。驚きと怒り、そしてほんの少しの怯えが混じった目。教室の空気が張り詰め、周りの視線が突き刺さる。
「キャッ!!……な、何よ。その言い方。今まで逆らったことなんてなかったくせに……」
美咲は衝撃で尻もちをついた。運が悪いのか――
「おまえ……何してんだよ!!!」
低い怒声が飛んだ。振り返ると、そこに立っていたのは秋山宗介だった。クラスの中心、誰もが認めるエース。その目が鋭く僕を射抜いていた。
最悪だ。このタイミング、この状況……まさに運が悪い。
「美咲のこと……殴ったのか?おい、大丈夫か、美咲!」
宗介はすぐに彼女のもとへ駆け寄り、手を差し伸べる。
「だ、大丈夫……」
美咲はか細い声で答え、宗介の手を借りて立ち上がった。その様子は、ヒーローに救われるヒロインそのもの。
「お前、最低だな!!」
宗介の怒声が背に突き刺さる。だが、振り返らない。
「お幸せにな」
それだけを吐き捨てて、僕は歩き出した。美咲が何かを叫んでいた気がする、「待って」とか「違う」とか、そんな声。けど、もう耳に届かない。
足音だけが響く。教室から遠ざかるたびに、胸の奥の何かが軋むように痛んだ。
けれど同時に、不思議なほど軽かった。
ずっと縛られていた鎖が、ようやく外れたような……そんな感覚。
廊下の窓から差し込む夕陽が眩しい。
明日投稿出来るか分かりません!予定があるので、出来たらします!!




