第10話
「あ、クソ……またかよ」
液晶のリーチ演出があっけなく外れ、赤く光っていた数字は無情に流れ落ちた。
また負けた。いや、わかっていた。勝てるはずもない。
俺はいま、場末のパチンコ屋に座っている。もちろん未成年だ。だが、ここで年齢を気にする者なんていない。客も店員も、互いに干渉する気なんかさらさらなく、ただ己の欲と後悔を玉に乗せて弾くだけだ。
今日も秋山たちから巻き上げた金を、あっという間に溶かした。
胸の奥から湧き上がるのは、どうしようもない自己嫌悪と、噛みしめても消えない虚しさだけ。
ストレスが溜まると、俺は酒とタバコに逃げる。
たかがガキの分際で、そんなもので誤魔化そうとするのは滑稽かもしれない。けれど、もう俺にはそれしかなかった。
思い返せば、俺はずっと虐められてきた。机に落書きされ、ノートを破られ、教室で笑いものにされてきた。家に帰れば帰ったで、親父に殴られる。何もしていなくても殴られる。存在そのものが罪だとでもいうように。
あの時からだろうか。
俺の心の歯車が狂い始め、何かが音を立てて壊れたのは。
だから、思い出さないようにしている。
過去なんて、思い出したところで俺を助けちゃくれない。
なら、目の前の快楽に沈むしかない。酒でぼやけた視界、タバコで満たされた肺の熱。
それだけが、俺に「今」を生きている錯覚を与えてくれるのだ。
「お客様、台叩かないで貰えます?」
「あぁん? うるせぇ……あ、すみません」
店員の言葉が耳に入るたび、胸の奥に小さな嫌悪が広がる。最近、自分が親父にどんどん似てきている気がしてならない。怒鳴り散らし、手が出る、酒に溺れる、あいつの顔がふと頭をよぎるたび、吐き気がするほど嫌になるのに、同じ道を辿っている自分に気づいてまた吐き気がする。
それでも、思考の悪循環は止まらない。負けた悔しさが怒りになり、怒りが酒とタバコを呼び、酒とタバコがさらに思考を鈍らせる。
金は消え、夜は深まり、翌朝にはまた後悔だけが残る。己の中の理性が必死にブレーキをかけても、体は勝手に動いてしまう。
分かってるんだ。こんなことを繰り返しても何一つ解決しないって。だが、別の選択肢が喉元まで出かかると怖くなる。
正気でいる自分は、どこか弱く見える気がして、弱さを見せるくらいなら壊れてしまった方がマシだと、どこかで思っている。
パチンコ屋を出ると、夕暮れの冷たい空気に混じって、美咲たちの姿が目に入った。
「早く歩きなよ!」と、千夏がせかす声。美咲はいつものように皆のカバンを抱え、ぎこちなく歩いている。どこかで見た光景――そうだ、あれは『僕』の記憶だ。昔の、傷だらけの記憶が胸の奥でざわつく。
安心しろ、俺が守ってやるから。
パチンコ屋の煌々としたネオンの隣には、場違いに明るいカラオケの看板が輝いていた。
その前で立ち止まったのは、美咲と千夏たち。
「あぁ、もう帰っていいよ。不細工なあんたの顔、私たちの彼氏に見せたくないし」
「それな」
「てか、その眼帯何? 厨二病? 早く外しなよ」
取り巻きのひとりがケラケラと笑いながら、美咲の顔に手を伸ばす。
彼女は必死に抵抗したが、細い腕ではどうにもならない。眼帯は容赦なく剥がされた。
「あっ……」
露わになった右目の傷跡に、一瞬の静寂が走った。だが次の瞬間、乾いた笑いが爆ぜる。
「うわ、きっも!!」
「早く眼帯つけてよ! 気持ち悪いからさ。見るだけで吐き気してくる、公害だろこれ[
その嘲りは鋭い刃物のように周囲の空気を裂き、通りを歩く人間まで振り向かせる。
美咲は震える手で眼帯を取り返そうとするが、取り巻きは嘲笑いながら高く掲げ、弄ぶ。
「ほらほら、これがないと生きていけないんでしょ?」
千夏は満足げに笑みを浮かべると、眼帯を放り投げ、カラオケの自動ドアを押し開けた。
取り巻きたちも嬌声をあげながら中へと消えていく。
取り残された美咲は、地面に落ちた眼帯を拾い上げ、両手で顔を隠すように装着する。
肩は小刻みに震えていたが、声は出さない。ただ唇が、なにかを繰り返し呟いている。
「チョコレート1個 幸せ1個」
――助ける? 笑わせんな。俺はもう「僕」じゃない。




