プロローグ
僕には、誰よりも愛おしい幼馴染がいた。
名前は『高槻美咲』
春風のように柔らかく、誰に対しても隔てなく接し、誰に対しても慈しむような優しさを注ぐ。
けれど、僕の前でだけ零れるその微笑みは、他の誰にも見せない特別な光を帯びている、まさに天使だ。
それは、ただの優しさではなく、僕だけに向けられた小さな奇跡のように思えてならないのだ。
それも、小学生の頃までの話だ。
正直に言えば、僕はその頃から美咲に恋をしていた。
美咲は、引っ込み思案で、泣き虫で、わがままなところもある。
けれど、だからこそ、僕の隣にいる時間が誰よりも長かった。
二人ともメガネをかけていて、お揃いみたいに見える。
小学生の頃の美咲は、いつも僕の傍を離れず、後ろをちょこちょことついてくる。ひこよみたいな存在で、その姿が愛しくて仕方なかった。
美咲は男子に話しかけられても、基本的に答えない、凄い人見知りなのだ、だからいつも僕の傍の来る。そんな姿が可愛らしい。
だけど──ある日のことだった。
美咲が、他の男子と楽しそうに笑い合っている姿を見てしまったのだ。胸の奥が強く締めつけられて、息が苦しくなった。
なんでだろう。笑っている美咲はいつも通りなのに、僕の心だけがざわついて、落ち着かない。
そして気づいた。
ああ、僕は──美咲のことが「好き」なんだ、と。
帰り道、僕はいつものように美咲と並んで歩いていた。
さっきのことを気にしていた僕に、美咲は「さっきの人はただの友達だよ。大切なのは貴方だから」と、いつもの調子で言ってくれた。
「大切」なんて、友達にも使える言葉じゃないか。
居ても立ってもいられなくて、気づけば、唇が勝手に動いていた。
「あのさ……美咲!! 僕、美咲のことが好き……かも、じゃなくて──好き!!」
小学四年のある日、僕はついに決意した。
胸が張り裂けそうなくらいの緊張に飲み込まれながら、それでも勇気を振り絞って放った、一世一代の告白。
美咲と僕は共通点が多かった。本を読むのも好きで、お互い人付き合いが苦手で、容姿までどこか似ている。
「陰キャカップル」なんてからかわれることもあったけど、美咲は笑って流すし、僕だって気にしなかった。むしろ、そんな言葉すら二人だけの証みたいに感じて、胸を張って見せつけてやったくらいだ。
多分いや、ほとんど確信に近い。
美咲も、僕のことを好きでいてくれる。そう思えたのは、理屈なんかじゃなくて、心が教えてくれる感覚だった。
「えぇ……私のこと、好きなの?」
「う、うん……!」
僕の告白に、美咲はしばらく目を大きく見開き、考え込むように黙った。
その間、胸の奥が締めつけられるような緊張感に包まれた。
そして、やっと口を開いた美咲の声は、震えていた。
「嬉しい……私も、大好き!!」
次の瞬間、泣きながら美咲が僕に飛びつき、ぎゅっと抱きしめてきた。
「えっ?! 本当に?!」
胸の鼓動が暴れだす。嬉しさと驚きが、全身を駆け巡った。
美咲が、僕の告白を受け入れてくれた。
胸の奥が熱く弾けて、何度も何度も耳を疑った。本当に? 本当に僕でいいのか?
大丈夫だ、夢なんかじゃない。
僕は何度も「本当に?」と念を押してきて、そのたびに美咲は笑いながら「本当だよ」って答えた。
しつこいな、なんて照れ隠しで笑ったけど、間違いない、これは紛れもなく現実だった。
「いっくん、浮気はメッだからね? だって、いっくんイケメンだもん」
僕の名前は『一樹』だから、美咲は僕のことを愛称で「いっくん」と呼ぶ。
「僕がイケメン? そんなわけないよ……」
「いっくん、気づいてないかもだけど、意外と女子人気高いんだからね! いい? 浮気したら……ころすから!」
たったそれだけのやりとり。
でも僕にとっては、世界が反転するほどの出来事だった。
その日、僕と美咲が、正式に恋人同士になった日。
僕の人生で、最も甘く、眩しい記憶の始まりだった。
放課後、教室を出た僕たちは、近くの公園まで手をつないで歩いた。
手のひらが少し汗ばんでいるのに、恥ずかしくて言えず、でもそれが嬉しかった。
「ねぇ、今日の秘密、覚えてる?」
美咲が小声で耳元に囁く。
「うん……絶対に内緒だよ」
僕たちは、他の友達には絶対に教えられない“二人だけの約束”を交わした。
公園では、ブランコに並んで座り、互いに押し合いながら笑い合う。
「もっと高く、いっくん!」
「わかった、でも美咲、怖くない?」
「平気! いっくんと一緒なら大丈夫!」
昼下がりの陽射しが二人を包み込み、笑い声が風に乗る。誰もいない空間に、僕たちだけの小さな世界が広がっているようで──それが、何よりも幸せに感じられた。
帰り道、僕たちはまた手をつなぐ。
「ねぇ、今日の秘密の合言葉、覚えてる?」
「……そうだね、絶対内緒だよ」
僕と美咲が交わした、二人だけの秘密の言葉──
お互いが辛くなったときにだけ唱える、魔法の言葉がある。
「チョコレート1個、幸せ1個」
それが、僕たちの魔法のおまじないだった。
どんなに落ち込んでも、どんなに泣きたくなっても、この言葉を心の中で思い浮かべれば──まるで美咲がそばにいるみたいに、胸が温かくなる。
ちなみに、この魔法の言葉にはちゃんと理由がある。
チョコレートは、美咲が大好きなもの。
幸せは、僕が一番大事にしている単語。
二人で考えたこの呪文には、それぞれの「好き」が詰まっていて──だからこそ、ただの言葉以上の力を持っているんだ。
1年が経った。
気づけば、美咲は少しずつ変わり始めていた。
前は大人しくて、いつも分厚いメガネをかけていた美咲。
だけど最近は、そのメガネを外して、鮮やかな色の服を着るようになった。
元々可愛い顔立ちだったのに、派手になった分だけ、その可愛さが際立つ。
廊下を歩けば、ちらほらと周りの男子が彼女を目で追う。
今まで僕しか知らなかった美咲の魅力に、みんなが気づき始めていた。
胸の奥が、ざわついた。
誇らしい気持ちもあるのに、同時に言葉にならない寂しさも混じっていた。
ね、いっくん。この服どう?」
振り返った美咲は、少し大人びた笑みを浮かべていた。
小学生の頃は、僕の後ろをちょこちょこついてくる泣き虫で内気な女の子だったのに。
今は──眩しいくらいに派手で、誰もが振り返るような存在になっていた。
それでも、美咲は僕の傍を離れない。
その事実が、何よりも嬉しかった。
「凄い、綺麗。似合うね」
思ったままを言葉にすると、美咲はツインテールを揺らしながら嬉しそうに笑った。
その髪型だって、僕が前に「似合うよ」って言ったのを覚えてくれていたのだ。
「ふふ、ありがとう。これね、かなり高かったんだよ」
美咲はスカートの裾をつまんで、くるりと一回転してみせる。
窓から差し込む光に反射して、さらに可愛さが増して見えた。
前の美咲だったら、きっとこんな仕草はしなかった。
それなのに今の美咲は、少し照れながらも僕の前では自然に笑ってくれる。
「いっくんに褒めてもらえたら、なんか全部正解な気がする」
そう言って笑う顔は、やっぱり僕だけが知っている、昔からの美咲だった。
変わっていく彼女と、変わらない彼女。
その両方が、僕にはたまらなく愛おしかった。
「ね、ね、いっくん。私、遊びに行ってもいい?」
放課後の帰り道、美咲がふいにそんなことを聞いてきた。
夕焼けの光を背に、少しだけ不安そうに僕を見上げる。
「え、?」
思わず間抜けな声が漏れる。
美咲は首を傾げて、小さく笑う。
「いっくんも来る?」
その言葉は、僕に差し出された救い舟みたいに響いた。
けれど。なんでも相手は、学年で一番イケメンと噂される男子グループと、人気者の可愛い女の子たちの集まりだという。
僕には関わりのない、眩しすぎる世界。
あんな中に入ったら、僕なんて浮いてしまうに決まっている。
「……僕は、いいよ」
自分でも驚くほど小さな声で、そう答えていた。
本当は言って欲しくない。
胸の奥で、そう叫んでいる自分がいる。
でも、束縛して嫌われたくない。
失いたくない。
だから、僕ができることは──精一杯の笑顔だけ。
「楽しんでおいで!!」
ぎこちなく口角を上げた僕に、美咲は少し驚いたように瞬きをして、それからふわっと笑った。
「……うん。いっくん、ありがと」
その笑顔は、いつものように僕だけに向けられたもの。でも、ほんの少し遠くに感じてしまったのは、きっと僕の心が弱いせいだ。
「帰ろ!ゲームしよ!」
美咲が一足先に歩き出す。
クルッと振り返って僕に手を振る姿は、本当に可愛かった。
夕焼けに照らされた横顔は、さっきまでの派手さなんて関係なくて──ただ僕の知っている、美咲そのものだった。
胸の奥で絡まっていた不安が、ふっとほどけていく。
やっぱり、美咲は僕の隣にいてくれる。
どんなに眩しい世界に混じっても、最後に手を引いてくれるのは僕なんだ。
「待ってよ、美咲!」
思わず駆け足で追いかける。
数日後。
「楽しかった〜」
帰ってきた美咲はベッドにごろんと転がり、ふわりと髪を散らした。
今日の行き先は遊園地だったらしい。
「疲れたんじゃない?」
問いかけると、美咲は小さくうなずいて、足をぶらぶらさせながら笑った。
「疲れたよ〜。ね、ね、知ってる? 秋山くん、明日サッカーの大会らしいんだよね」
「え、そうなんだ」
「すごいよね〜。今日あんなに遊んでたのに、明日ちゃんと試合なんて。でね、『見に来て』って誘われちゃってさ」
美咲は少し照れたように、けれど楽しそうに僕を覗き込む。
「……いっくんも一緒に行く?」
その瞬間、胸の奥がチクリと痛んだ。
──秋山くんという名前だけで、心の中に小さな波が立つ。
でも、負けたくない気持ちもあった。
美咲の楽しそうな笑顔を、僕だけのものにしたい。
だから僕は、自分の気持ちに少し勇気を足して答えた。
「じゃあ、行こうかな……」
美咲の目がぱっと輝く。
「やった!嬉しい〜!じゃあ、明日一緒に行こうね」
その声を聞きながら、僕の胸の奥には、少しの誇らしさと、ほんの少しの不安が混ざった。
──でも、どうしても、隣で笑う美咲を守りたいという気持ちの方が勝っていた。
翌日、スタジアムに着くと、美咲とクラスメイト数名の女子がすでに待っていた。
「あれ、そいつ誰?」
声をかけてきたのは、明るくて人懐っこい千夏だ。
「あ、千夏やっほ〜。この子はいっくん!私の彼氏だよ」
美咲はさりげなく、でも確かに僕の腕に絡みついた。
「へぇ〜、似合うじゃん」
千夏が笑いながら言う。
美咲はちょっと照れた顔で、でも満足そうに僕の腕を握りしめる。
その仕草だけで、僕の心臓はドキドキした。
周りの女子がちらりとこちらを見る。
その視線が少し気になるけど、僕にとっては──美咲が隣にいるだけで十分だった。
「さ、行こ!試合始まっちゃうよ」
美咲が僕の手を引っ張る。
秋山くんは、学年で一番イケメンと噂されている。
小学生なのに、雑誌のモデルまで経験したことがあるほどだ。
スタジアムには黄色い歓声が響き渡る。
美咲も、目を輝かせて食い入るように見ていた。
「凄いね〜、秋山くん。かっこいい」
その声は、素直な感想なのか、それとも──。
胸の奥で、何かがチクリと痛む。
僕は無意識に拳を握りしめた。
試合は秋山くんのチームの圧勝で、スコアは6-0。
そのうち4点を、秋山くんが決めたのだ。
歓声がスタジアム中に響き渡る。
美咲も目をキラキラさせながら、その姿を追っていた。
「すごい……秋山くん、本当にかっこいい」
美咲の声が胸に刺さる。
素直な羨望の声だとわかっていても、僕の胸の奥はざわついた。
でも、同時に、僕には分かっていた。
どんなに他の人に目を奪われても、美咲の帰る場所は、僕の隣だということを。
いや、そう思いたいだけだ。
「よ、美咲、千夏!」
汗だくの秋山くんが現れ、二人の元に駆け寄った。
「すごい!!かっこいい!!」
「流石だね!」
美咲と千夏は声を弾ませ、笑顔で騒いでいる。
秋山くんも嬉しそうに笑って、少し得意げだ。
美咲の顔も、やっぱり楽しそうに輝いている。
胸の奥が、ぎゅっと締めつけられる。
僕は小さく目を閉じて、心の中で唱えた。
「チョコレート1個、幸せ1個。チョコレート1個、幸せ1個。チョコレート1個、幸せ1個……大丈夫、大丈夫だ、きっと大丈夫……」
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恋愛漫画書くのはあんまり慣れてなくて難しい……毎日12時投稿です!完結までストックはしてあるので保証着いてます!
あんまり怖いコメント書かないで、怖くて見れないからm(_ _)m




