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異世界ガチャで“初期装備”だけ当たったけど最強だった件 ――運だけは最低、でも世界一ツイてる男。  作者: 妙原奇天


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第18話 初期装備、折れる。けど——その欠片が“最強”だった。

 黒の大聖堂は、空を逆さにして床に貼りつけたみたいな場所だった。天井は低くないのに、重力が上からも下からも押してくる。柱は鏡鉄でできていて、俺たちの姿が縦にも横にも歪んで映る。笑った顔は笑っていない顔に、真剣な目は怒った目に。鏡界は、気持ちの増幅器だ。増幅して、硬くして、割れないように塗り固める。


 黒い長廊に入った瞬間、靴音が消えた。音が床に吸われる。代わりに、胸の中の鼓動だけがはっきり聞こえた。どん、どどん。いつもの合図だ。棒を握り直す。ルートロッドは静かに青く、細く灯っている。伸ばせば届く。縮めれば守れる。俺の手の中で呼吸を合わせてくれる、世界一わがままな初期装備。


「カイル」


 隣でノワが囁く。尻尾の先が、いつもみたいにふわふわ揺れない。鏡の空気に押さえられて、慎重に揺れている。


「ほんとに、笑わせるんだね」


「うん。勝って、笑わせる。負けても、笑わせる」


「負けても?」


「負け用の笑いも、ちゃんと持ってきた」


 ノワは、はぁ、と目を細めた。ルミナが振り返り、短く頷く。


「敵は“正しい側”. 正しい側は、冗談に弱い。でも、踏み込み方を間違えると、冗談が刃になる。だから、ほんの少しだけ——ずらす」


 メリアが手帳を押さえ、帽子のつばを下げる。


「わたしは“光の輪”。暴れない。狙いは一点。うまくいけば……」


「爆発は」


「しない。したら、謝る」


 バルドが胸を二度叩いた。


「届かない場所は胸で寄せる」


「寄せるな」


「はい」


 その時だ。大聖堂の中央、黒い台座の上に、鏡の衣をまとった彼女が立った。魔王ノア。こちらのノワと同じ顔立ち。違うのは、目の水面が一度も揺れていないこと。どんな風も、感情も、そこを通り抜けられない。彼女の背中の外套は、風に揺れない布でできているみたいだ。


「人間。神。魔族。——不揃いの群れ」


 声は響かないのに、胸の中に直接落ちてきた。


「笑いは罪。神も人も、過ちを繰り返す。だから、リセットする」


 俺は一歩、前へ出た。


「じゃあ聞くけど、“笑いながら失敗する”のは罪か?」


 ノアの視線が、ほんの少しだけ俺の肩の上へ流れた。棒を見る。彼女は言う。


「失敗は学習の材料。笑いはノイズ」


「ノイズで救われる日もある。——俺は救われた」


「データにない」


 レイが後方で腕を組み、低く告げる。


「議論はここまでだ。彼女は実行の人だ」


 わかってる。俺は棒を構えた。メリアが息を吸い、ノワが足を割り、ルミナが両掌を重ね、バルドが胸を落とす。ノアが黒剣を引き抜く瞬間、黒の大聖堂の光が一段暗くなった。剣身が光を飲む。雷みたいな線が、刃に細く絡みつく。静電気の親玉みたいな、いやな気配。


「合図」


 俺は小さく言って、棒先で床を叩く。ぺち。音は吸われるはずなのに、なぜか届く。棒の音だけは、鏡に嫌われない。ノアがわずかに顎を引き、剣を肩で担いだ。


「始める」


 床が、立ち上がる。見えない段差が波になって、俺の膝をすくおうとする。棒を伸ばし、天井の梁に一瞬ひっかけて、身体を浮かせて波をやり過ごす。着地。ノアの黒剣が空気を裂いた。横一文字。避ける隙はない。避けない。棒を縮め、肩の上で構えて、刃の寸前で「受け流し・ルート回し」。剣の面の角度を、棒の側面で変える。ぺち。火花は出ない。鏡の火花は、出さない。代わりに、風が刃の向きを少しだけずらして、俺の耳の後ろを通り過ぎる。


「いける!」


 メリアが小さく叫び、指先から光の輪をふたつ、黒剣の軌道に重ねる。輪は刃の先でふるりと震え、ノアの足元に投げ返される。ノアは軽く飛ぶ。床が沈む。ルミナが祈りを撒く。「すべらない床」。ノアの着地の角度が、髪の毛一本ぶん狂う。そこへ——


「“影歩・膝抜き”!」


 ノワが影の筋を一筋だけ、ノアの背後に滑らせる。尻尾は速く、手は優しい。ノアの膝が一瞬だけ沈んだ。黒剣の雷が床を舐める。バルドが前へ出る。


「“胸盾・衝音受け”!」


 胸を盾にするのかよ、と言う前に、バルドの胸筋が波を打って雷を散らした。電気は音に変わり、音は石に吸われ——吸われない。胸の音は、鏡にも吸われないのか。世界、胸に甘い。


「今!」


 俺は棒を伸ばしてノアの腕を絡め、引く。ノアは軽く溜めを作り、逆に俺の引きを利用して、黒剣を体の後ろから前へ回す。軌道が読めない。黒剣の腹が、棒の根元に重く当たった。


 嫌な音がした。木が泣く音じゃない。もっと、低い音。世界の骨が鳴るみたいな音。次の瞬間、棒が——真ん中から、ぱきん、と割れた。時間が止まった。青い光が、白く裏返る。俺の手から重さが半分消えて、残りの半分だけがやけに軽くなる。


「カイルっ!!」


 誰の声か、最初はわからなかった。ルミナか、メリアか、ノワか、バルドか、俺自身か。割れ目から零れた光が、空気の中にひと呼吸ぶん留まって、ゆっくり、浮いた。棒の破片は床に落ちない。糸で吊られたみたいに、宙に漂う。そして——分かれた。光が、四つに。いいや、五つに。


 ひとつがルミナの掌に落ちた。触れた瞬間、彼女の祈りが芯を得る。ぴん、と音がして、薄い守りの膜が一枚増える。彼女の祈りはいつも“守る気持ち”に寄りかかっていたが、今は守りの形が手の中でわかるようになっている。


 ひとつがメリアの指先に触れた。光は細い糸になって、彼女の詠唱の音節に結び目を作る。ほどけない輪。暴れない光。彼女の魔力はいつも踊りたがっていたが、今は踊り方のステップ表を手に入れた。


 ひとつがノワの影に落ちた。影は黒いのに、光が沈んだ場所は、黒がやわらかくなる。踏める影。走れる影。彼女の影はいつも“忍び足”だったが、今は“駆け足”にも“並足”にもなる。


 ひとつがバルドの拳に吸い込まれた。拳に木目が生まれる。拳を握る音が、木槌になる。打てば響く。殴るのに響かせるのは、おかしい。でも、響かせる殴りは、痛みを散らす。バルドの拳はいつも“正面突破”だったが、今は“支える”もできるようになった。


 そして、最後のひとつが——俺の胸に入った。胸骨の奥で、青が灯る。棒の重さではない。棒の「間合い」が、そのまま胸に住みついたみたいだ。伸ばせば届く。縮めれば守れる。それが手ではなく、心でできる。


 棒の破片は、床に落ちて、壊れたまま、綺麗だった。俺は笑った。喉の奥に、笑いが勝手に生まれた。


「初期装備は、みんなの心に分かれた」


 ゆっくりと言う。言葉を言いながら、俺の体は前へ出る準備をしていた。ノアの黒剣が再び構え直される。彼女の顔に、微かな苛立ちが走った。計算にない分岐。鏡界がいちばん嫌うもの。


「これが、俺たちの——最強装備だ!」


 掛け声は恥ずかしい。でも、恥ずかしいからこそ、身体は言うことを聞く。俺は空いた手を振り下ろす。拳じゃない。手のひら。ぺち。床が震え、石の目が一瞬だけこっちを向く。合図だ。


「——“全員連携! フルコンボ・ルートクラッシュ!!”」


 ルミナが前へ出る。「“祝福・見えない橋”!」俺たちの足元に、一瞬だけ光の板が現れて、間合いが半歩近くなる。メリアが「“一点輪・固定光”!」ノアの剣の根元に小さな輪をひとつ、固定。剣は振れるが、根元でほんの僅かに引っかかる。ノワが「“影路・回り込み”!」影の中にひと筋の道を作って、ノアの斜め後ろへ音もなく現れる。バルドが「“木目拳・響打”!」拳を床に当てる。ドン、と響きだけが広がり、鏡の柱が一瞬だけ鈍る。


 そして俺は胸の奥の青をひとつ、前へ押し出す。手には何も持っていない。けれど、持っているように、間合いが伸びる。見えない棒が、手の先にある。俺はそれで、ノアの黒剣の腹をそっと撫でた。「受け流し・ルート回し」。ぺち。剣の軌道が、鳴らない場所を通るように少しだけ曲がる。その隙間に——


「“狐尾・払撃”!」


 ノワの尻尾が、音の代わりに風を置いていく。ノアの足がわずかに泳ぐ。


「“零距離・心輪ブレイク”!」


 メリアの輪が、ノアの胸の前で微かに縮む。爆発しない。光は花になる。息を乱す花。ノアの呼吸が一拍だけ遅れる。


「“胸盾・載せ押し”!」


 バルドの胸が、ノアの重心にほんの指先ぶんだけ重さを載せる。押すんじゃない。載せる。重力は優しいふりをして、敵にも味方にも平等だ。その平等を、半歩だけ傾ける。


 そして俺は——空いた手で、ノアの肩の上に手を置いた。叩かない。掴まない。置く。置いて、言う。


「笑っても、正義は死なない」


 ノアの瞳の水面が、初めて、波紋を広げた。黒剣の雷が遅れて走る。俺たちの輪が一瞬だけ崩れ、また重なる。輪は崩れるために作るものじゃない。崩れて、また重なるために作る。繋ぎ直すのが、俺たちの“フルコンボ”。


「まだだ」


 ノアの声は、今まででいちばん人間に近かった。同時に、黒剣が最後の一撃を呼ぶ。雷が刃から溢れて、天井に触れ、床に触れ、空気を焼く。鏡の柱に、最初のひびが入った。鏡界はひびを嫌う。嫌うからこそ、ひびは広がる。


「ルミナ!」


「“薄膜・ひさし”!」


 ルミナの祈りが俺たちの頭上に小さな屋根を作る。雨どいがついたみたいに、雷が横に滑っていく。メリアが「“返し輪・逆落とし”!」剣の雷を輪の内側で丸めて、足元に落とす。ノワが「“影抜き”!」雷の影だけを抜き取って、空へ投げる。バルドが「“木目拳・三段響”!」床へ三度打つ。ぺち、どん、ぬん。言葉にできない音が重なり、雷の線がほどける。


 俺は胸の青をもう一度、前へ押し出した。見えない棒で、ノアの剣の根元をもう一度「受け流し」。ぺち。剣が、空を切る。ノアの肩に置いた手が、ほんの少しだけ、彼女の温度を拾った。冷たい。冷たいのに、温度はある。そこが救いだ。


「終わらせる」


 俺は息を吸い、叫んだ。技名は、合図。恥ずかしさは、燃料。


「“最短・心突きペチブレイク——連星”!」


 俺とメリアの声が重なる。俺の見えない棒の先と、メリアの小さな輪が、ノアの胸の前の一点に同時に触れる。押さない。突かない。触る。ぺち。光が、二つ、重なって、輪になった。輪は広がる。黒の大聖堂の天井に、薄い輪が幾重にも広がって、鏡のひびを優しく撫でる。ひびは割れない。割れないまま、揺れる。


 ノアの口元が、わずかに緩んだ。緩んだ口元は、すぐに引き結ばれる。けれど、緩んだ。それは誰も取り締まれない事実になって、彼女の目の奥に残った。


「やめろ。——笑いは」


「罪か?」


 俺はもう一度、同じ問いを投げる。ノアの目が、俺の目を見る。初めて、ちゃんと見る。


「……違うのかもしれない」


 その瞬間、黒剣の雷が止まった。止まった雷は、ただの刃に戻る。重さだけが残る。ノアは刃を支えきれず、ひざをついた。床が軋み、鏡の柱に入ったひびが、光を飲み込むのをやめる。


 静寂。俺たちは動かない。動けない。動かないで、胸の鼓動だけを聞く。どん、どどん。いつものリズム。やっと、帰ってきた。


 ノアが顔を上げる。目の奥の水面に、波が立った。波は強くない。弱い波。弱いのに、全部を揺らす波。


「……そうか、笑いって、こんなに……強いんだね」


 彼女の頬を、涙が伝った。鏡の床に落ちた涙は、床に吸い込まれず、ガラスの上を転がって、俺の足元まで来た。拾う。冷たい。冷たいのに、熱い。矛盾を、手で持てる。


 ルミナが彼女に手を差し出す。祈りではない。手だ。ノアは迷って、そして取った。握る。握った手は、震えていた。彼女が震えているのか、俺たちが震えているのか。たぶん、両方だ。震えながら、立ち上がる。


 勝利の音より先に、仲間の笑い声が響いた。バルドの笑いは相変わらずうるさい。メリアの笑いは高くて短い。ノワの笑いは喉の奥で猫みたいに鳴る。ルミナの笑いは、泣き声とよく似ている。レイは笑わない。笑わないけれど、口の端が少しだけ落ちた。彼なりの拍手だ。


「棒は」


 俺は割れた棒の破片を拾い上げた。二つに見えた破片は、触ると四つに見えた。四つに見えた破片は、みんなの手の中でそれぞれの形に変わっていた。ルミナの破片は薄い膜になり、メリアの破片は細い輪になり、ノワの破片は影の端を丸くし、バルドの破片は拳の中で木目を走らせる。俺の破片は胸の奥で青く灯って、息に合わせて明滅する。


「——ありがとう」


 棒は喋らなかった。喋らなかったけれど、返事をした。返事の仕方は、今はもう言葉じゃない。間合いで、返事をする。伸びて、縮んで、届いて、守る。初期装備は折れた。折れたから、みんなに分かれた。みんなに分かれたから、最強になった。強いのは、強がりじゃない。分かち合いだ。


 ノアが黒剣を鞘に納める。その音は、ここで初めて響いた。大聖堂が音を返した。鏡界が、音を返した。笑い声の反響は、まだ少ない。少ないけれど、ゼロじゃない。


「リセットは——」


 ノアが言いかけて、口を閉じた。もう一度開く。


「延期する。ひと晩、笑いを許す。明日、もう一度、話す」


「約束」


 ノワが言う。向こうのノアは頷いた。鏡の水面が、夜風のない夜に、初めて微かに揺れた。


 帰り道、黒の大聖堂の廊下は来たときより少しだけ明るかった。靴音はまだ返ってこない。でも、胸の中の鼓動に、時々、誰かの鼓動が重なる。合奏練習みたいに、ぎこちなく、でも確かに。


「カイル」


 ルミナが肩を寄せる。


「初期装備、どうする? 直す?」


「直る。けど、今はこのままでいい」


「棒、ないのに」


「棒、あるよ」


 俺は胸を指差した。メリアが笑って、帽子のつばを弾いた。


「わたしたちの棒、五本になったんだよ」


「五本?」


 バルドが数えるふりをして、胸を叩いた。


「一本はここ」


「うるさい」


 ノワが尻尾でバルドの脛をまた軽くはたく。はたき方がやさしい。鏡界の出口、湖の扉が見えた。扉は扉の形をしていない。ただ、夜が薄くなる場所。そこへ一歩ずつ近づく。


 ふと、後ろを振り返る。黒の大聖堂の入口で、ノアがこちらを見ていた。目は赤いのに、冷たくなかった。彼女は何も言わなかった。代わりに、指先で空中に小さな輪を描いた。メリアの輪より小さく、ぎこちない輪。けれど、輪は輪だ。笑いは、輪で運ぶ。


 湖面に足を乗せる。冷たい。冷たいけど、怖くない。足音は相変わらず吸われるのに、棒のぺちは耳の奥で鳴る。見えない棒は、まだそこにある。俺は振り返らず、前だけ見て歩いた。旗が背中で揺れる。「フリープレイヤーズ」。夜風が布を通り抜け、胸の青をやさしく煽る。


 街に戻る頃、東の空が白みかけていた。鐘楼が一回だけ鳴る。合図じゃない。ただの挨拶。俺は胸に手を当て、軽く叩いた。どん、どどん。笑いは罪じゃない。失敗も、罪じゃない。罪があるとすれば、諦めることだ。諦めない限り、折れても強くなる。折れたから、強くなる。


 初期装備は折れた。けど——その欠片が“最強”だった。ここからまた、俺たちはやり直す。やり直すたび、やり方はうまくなる。うまくなるたび、面白くなる。面白くなるほど、ちょっとだけ泣ける。男子中高生がそういうのに弱いことは、もう知ってる。だから俺は、胸の青を叩いて、笑った。


「次のクエスト、受け付け中だ」

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