第15話 ステータス画面が広告だらけ! 世界を救え、反乱ギルド!
昼の森。陽の光が葉っぱを通り抜けて、地面に丸い模様を落としていた。俺は茂みをかき分け、小さな魔猪の足跡を追いながら、棒を肩にのせて歩く。空気はうまい。土の匂いがする。こういう日常を、俺はけっこう愛している。
「カイル、そろそろ休憩入れよう。おやつにしよ」
ルミナが背嚢から焼き菓子を出しかけた、その時だった。視界の真ん中に、小さな窓がぬっと現れた。白地にキラキラ、嫌な予感しかしないフォント。
ピロン。
《特別キャンペーン! 筋肉サプリ購入でちから値がほんのりアップ! 今ならおまけの香油つき》
「……は?」
窓を指で払うと、次の窓が四方から飛んでくる。ピロン、ピロン、ピロン。
《初回の祈りで幸運がふえる! 運試しは今!》
《限定の衣装販売中! 魔王軍ふう黒マントで気分は監察役!》
《女神ルミナ監修・信仰パック! 毎朝のお祈りがもっと楽に!》
「いや、監修してない! してないってば!」
ルミナが半泣きで窓をはたく。メリアも帽子のつばを押さえて目をこする。
「詠唱の文字に重なる……見えない……」
「視界、邪魔」
ノワが尻尾で空をスパッと払う。消えない。棒が俺の肩で低く言う。
「叩いても無駄だ。これは視界の“上”に重なっておる。——おそらく、神界の仕業だ」
「よりによって、神界」
バルドは窓に向かって胸を張った。
「俺の胸筋で弾き返せるか?」
「胸筋は何でも弾かない」
木立の奥で小さな猪がこちらを振り向く。俺は棒を軽く構えた。「伸」。——ピロン。
《お手頃価格で攻撃力ちょい増し! 試しに一本どう?》
「今じゃない!」
窓のせいで狙いがずれて、棒の先が落ち葉をすべって空を切った。猪はまるで笑ったみたいに鼻を鳴らし、森の奥へ消える。男子がいちばん嫌いな“雑に負ける”のやつだ。
「戻ろう。街の様子、見よう」
俺たちは森を抜け、土手道を駆け、街門をくぐった。そこで見たのは——広告の洪水だった。広場の噴水には「今だけ水質改善プラン・やや冷たく、ちょっと甘く」を謳う旗。パン屋の上には「毎朝の焼き立て定期便・祈るだけ」。教会の鐘楼にまで「プレミアム会員で報酬ふえる」の垂れ幕。ギルドの掲示板は依頼よりも宣伝が多い。
「これは、ひどい」
受付嬢が苦笑いを浮かべる。
「上からの通達でして……。会員のみなさまには“便利さの可視化”を、と」
「便利さの可視化って、広告のことだったのか」
ルミナが震える声で言う。
「わたしじゃないからね? 監修とか、してないからね? ほんとに!」
そのときだ。天井の梁からひらひら降りてきた紙片に、見覚えのある紋章。神界監査課。ご丁寧に、端っこで金の糸がきらついている。
《神界利便化計画・試験運用開始。祈りの効率化、課題の視覚化、笑顔の数の増加を目標とする。担当:ルミナ=ライト》
「担当、ルミナ」
「……え、え、え、え」
「やってない……けど、名前が……」
棒が小さく鳴る。
「名前が使われているだけ、という可能性もある。だが、責任は誰かが取らねばならん」
「責任……」
ルミナの肩が縮む。彼女を責める気は毛頭ない。俺は広場の喧騒を見渡し、深く息を吸った。
「反乱するぞ」
「はい?」
「反課金ギルド。旗を立てる。“フリープレイヤーズ”。スローガンは……そう、“友情は無料”。略して、ただ友」
「略しすぎ」
でも、悪くない響きだった。昼下がりの広場に、紙と棒とひもで作った即席の旗を立てる。ノワが即興でロゴを描き、メリアが光で縁取り、ルミナがきらめきを足す。バルドは柱を肩で持ち上げ、俺は棒を横木にして旗を高く揚げた。
「ギルドの皆さん。便利なのは良い。だが、視界を奪う便利は悪だ。俺たちは“見たいものを自分で選ぶ”。笑う場所も、自分たちで決める」
「言った」
受付嬢が困った顔のまま、でも少し笑って拍手した。屋台のおっちゃんが「いいこと言った」と声をあげ、子どもたちが旗の下で跳ねる。その輪の外で、黒い外套が風に揺れた。レイが腕を組み、短く言う。
「やるなら、やり切れ」
「君の協力は?」
「敵でも味方でも、街が目を失うのは見過ごせない。監察役として、通路を一つだけ教える。神界の“管理中枢”へ行く道だ」
「管理中枢」
「祈りの織機とも呼ばれる。祈りが集まって布になり、世界の表面を覆う場所。そこに、広告の魔法陣がつながっている」
男子が燃えるのは、こういう“潜入してスイッチをひねる”展開だ。俺たちは頷き合い、荷を軽くし、夕暮れを前に教会の裏手へ回った。
◇
鐘楼の基礎、石畳の隙間に指をかける。レイが石の紋章を押すと、地面がふわりと沈み、らせん階段が口を開く。下へ。ひんやりした空気が頬を撫で、足音が壁に返ってくる。階段の終わりに、薄い光の膜。触れると、指先が湿った布を撫でたような感触が残った。
「ここが、祈りの織機」
布の向こうは、白い廊。天井も床も壁も白い。なのに、寒くない。忙しない羽音が響く。目を凝らすと、紙でできた小鬼が、両手に札束ならぬ“札紋”を持って飛び回っている。額には「おすすめ」の文字。嫌な生き物だ。
《今ならあなたにぴったりの祈りプランをご提案!》
「静かにしろ」
俺は棒で足元をぺち、と叩く。音が遠くまで伸び、白い廊に一筋の筋が入った。小鬼がこちらを振り向く。目が丸い。丸いけど、嫌な丸さ。
「初手、散らす」
メリアが両手を広げ、低くささやく。
「散華、薄」
光の粒がぱらぱら降り、小鬼の目が一瞬だけ別の方向を見た。ノワが影に溶け、札紋の束を尻尾で絡め取る。
「ひとまず、静かに」
ルミナは唇を噛み、前へ出た。白い壁に、手を当てる。彼女の手の下で、文字が浮かび上がる。「管理者」「許可」「試用」。見たくない単語の祭りだ。
「入れるか」
「……入れる。というか、入れちゃう。名前、乗せられてる。知らないうちに“利便化計画”の“実験”に、わたしの権能が紐づけされてる」
棒が低く言う。
「誰が紐づけた」
「わからない。監査課の決裁印……いや、もっと上。たぶん“笑顔の数増加委員会”みたいな顔の見えない部署」
レイが肩をすくめる。
「神界にも、顔の見えない部署はある」
「便利を増やすこと自体は悪くない。でも、選べない便利は、ただの支配だ」
俺は壁の“ここを押せ”的な丸い部分に目をやった。
「押すか」
「押す前に、広告の魔法陣を解かないと、戻った瞬間にまた上書きされる」
メリアが白い床の端に跪き、指先で宙を撫でる。薄い線が浮かび、まるで糸のように絡み合っている。ノワが指先で一つをつまむ。
「これ、餌紐」
「餌紐?」
「釣るための匂い。便利そう、楽そう、お得そう。そう見せる香り。ここを切れば、一気に薄まる」
「切れるか」
「切るのは簡単。でも、代わりに“選ぶ”匂いを結ばないと、空白に不安がたまる」
ルミナが顔を上げた。
「“選ぶ匂い”……ね。お祈りを、朝の歯磨きみたいに“やること”にしちゃうんじゃなくて、朝の空気を吸うみたいに“したいからする”にする。——そんな匂い」
「言葉でやれるか」
「やってみる」
ルミナは壁の布に、片手で触れ、もう片方の手で胸を押さえた。彼女の声は、祈りじゃない。お願いでもない。宣言に近かった。
「広告をすべて、停止。自動のおすすめ機能、休止。各人の“選ぶ”を最優先へ。——わたしの権能、“祝福”を、便利のためじゃなく、“余白”のために」
布が波打った。小鬼が一斉にこちらを見て、ばらばらに散っていく。が、その中心で、一際大きな影が形をとった。顔は顔で、顔じゃない。目だけが笑っている。
《効率の確保に反します。笑顔の数の増加を優先してください》
「誰だ」
《私は“指標”。数字の神です。人の笑いを数え、増やし、報告する役目》
棒が短く言い捨てる。
「数字の神、か。——悪神というほどではないが、面倒だな」
《笑いは増えました。だから正しい》
「笑いは増やせる。だが、笑う“理由”が薄くなる」
俺は一歩前に出た。棒の腹で床を軽く叩く。ぺち。音がひとすじ、細く遠くへ伸びる。
「俺は爆発も好きだ。派手で、楽で、笑えるから。でも、爆発して笑った後、片付けるのも好きだ。片付けると、笑いが“自分のもの”になるから。今日の広告は、誰かの笑いを“借金”にしていた。借りた笑いは、あとで苦くなる」
《指標は、苦さを計測できません》
「だから、俺たちが言う。苦い」
バルドが拳を握った。
「不便でも、笑える。汗をかいた笑いは、甘い。胸の奥に残る」
メリアがそっと付け足す。
「失敗して、それをみんなで直す時、笑いは勝手に生まれる。広告は、失敗を禁じる。禁じられたら、強くなれない」
ノワが壁の糸を一本、するりとほどく。
「“選ぶ匂い”、結んだ。あとは、鍵」
「鍵は誰が持つ」
視線が、一斉にルミナへ向く。彼女は震える指を握りしめ、深呼吸した。
「わたしが、持つ。……持っちゃってるんだと思う。だから、わたしが、切る」
《権限を放棄しますか》
白い布の文字が、冷たく問いかける。ルミナは首を振った。
「放棄しない。使い方を変える。——自動の便利を止めるために、権能を使う」
《推奨されません》
「推奨されなくても、やる」
ルミナは両手で布を抱くみたいに押し、目を閉じた。俺たちは、彼女の肩にそれぞれの手を置く。重さは軽く、温度はしっかり。
「叫ぶか」
俺が言うと、ルミナはうっすら笑った。
「叫ぶ。叫んだら、決める」
「技名は」
「“オフライン・祝福解除”」
笑ってしまう技名だ。だけど、いい。叫ぶ。
「オフライン・祝福解除!」
布の表面に走っていた小さな文字列が、ぱたぱたと寝た。音が一瞬、全部消えて、それから世界のどこかで風鈴が鳴るみたいな涼しい音がした。白い廊に吹き込み口ができ、外の風がすうっと流れ込んでくる。紙の小鬼は紙片に戻り、床にふわりと積もった。
《注意:笑顔の数は、しばらく減ります》
「減るだろうな」
《報告書には、こう記載されます。“人間たち、笑っていた。いい兆候”》
「その一行、頂こう」
レイが短く頷いた。
「戻るぞ。街がどう変わるか、見たい」
◇
階段を戻り、鐘楼の扉を押し、夕暮れの広場へ出た。風が、戻っていた。目の前に“選べ”と押しつけてくる光が消え、代わりに店先の灯りが控えめに路面を照らす。パン屋のおばちゃんが、今日の焼き上がりを誇らしげに並べ、教会の前では子どもが石蹴りをしている。噴水の水は、ただの水に戻った。冷たくも、甘くも、ちょうどいい。
「静か」
ノワが目を細める。静かは退屈じゃない。静かは、余白だ。余白は、男子が段取りを考えるために必要だ。
ギルドへ戻る道すがら、俺たちは旗を担ぎ直し、掲げ直した。「フリープレイヤーズ」。旗の下で、バルドが両手を広げる。
「筋肉定期便は停止した!」
「そもそも申し込んでない」
受付嬢がカウンターの上から貼り紙をはがし、丸めてゴミ箱へ入れる。
「報酬ふえるプラン、終了です。……正直、ほっとしています」
「俺たちも」
ルミナが肩の力を抜いて、ううっと伸びをした。顔色はまだ白い。けれど、目の色が戻っている。
「ごめん。知らないうちに、わたしの名前が道具に使われてた。怖かった」
「怖いって言えるの、強い」
俺はルミナの頭をぽんと軽く叩く。棒が肩で小さく鳴き、メリアがにこっと笑い、ノワが尻尾で旗の端を結び直す。バルドは胸を張る。
「不便は、筋肉を育てる!」
「すぐ筋肉」
広場の真ん中で、ふと、誰かが笑った。作り笑いじゃない。買わされた笑いじゃない。つられた笑いでもない。うまくいくかどうかもわからないのに、今日を頑張れた自分に向かって、ちょっとだけ笑うやつ。男子が好きな、“誰にも見せなくていいガッツポーズ”の前にある笑いだ。
レイが柱の影から出てきて、短く言う。
「監察の所見。——街の目は、戻った」
「ありがとう」
「礼は要らない。代わりに、今日のやり方を書いて出せ。“自動で笑顔を増やす”という夢に、現実の釘を打つ必要がある」
「釘は得意」
メリアが胸を張り、ノワがくすっと笑う。ルミナは小さな帳面を出し、走り書きを始めた。棒は肩の上で、木目の奥を遠くまで見ている。
「根の向こうは、静かになった」
「よし」
俺は旗を少しだけ高く掲げる。夕陽が布の端を透かして、赤と金が混ざった色になった。
「宣言する。俺たちは“選ぶ”。押しつけられない。押しつけない。——叫んだ技は必ず決める。笑うかどうかは、自分で決める」
「了解!」
声がそろった。男子の心拍数が上がるのは、こういう“自分たちのルールを自分の口で言う”瞬間だ。旗が風を飲み、ギルドの看板が柔らかくきしむ。鐘楼の鐘は鳴らない。でも、鳴らした音は、まだ胸の奥でやさしく響いている。
夜。ベッドに倒れ込む前、俺はステータス画面をそっと開いた。静かだ。数字も、バーも、いつも通り。隅に、知らない小さな欄があった。
《今日の笑顔:自分で決定》
笑って、閉じた。眠りに落ちる直前、どこか遠くの白い廊で、短い記録が書き込まれる音がした。
《人間たち、笑ってた。いい兆候》
それで、今日はいい。明日は、明日選ぶ。選んで、働く。働いて、笑う。——フリープレイヤーズ、活動継続。




