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異世界ガチャで“初期装備”だけ当たったけど最強だった件 ――運だけは最低、でも世界一ツイてる男。  作者: 妙原奇天


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第10話 天才の失敗は町ごと鳴る。けど“全員でリカバリー”が一番カッコいい

 朝の空気は、試験の匂いがした。湿った土と鉄の風味が少し混ざって、喉の奥でかすかに鳴る。町外れの小さな丘。ここがメリアの中級魔法認定の会場だ。丘の斜面には白い杭で囲いが作られ、中央に円が引かれている。円の外には監督官の机と、野次馬に紛れたギルドの面々。筋肉の塊みたいな戦士もいれば、紙と羽ペンを持った学者もいる。みんな、誰かの本気を見たい顔をしていた。


 メリアは帽子を胸に抱き、深呼吸を繰り返している。頬はいつもより白く、目だけが青く強い。隣でルミナが肩をもみながら、神らしからぬ庶民的な励ましをする。

「大丈夫。こやって揉むと、緊張は肩から逃げる」

「どこ情報だよ」

「神界の裏通り」


 ノワは杭から杭へ細い縄を張り、ふわりとした安全圏を作っていく。印の位置がきれいすぎて、監督官の眉が少しだけ上がった。棒――ルートロッドは、いつも通り俺の肩に立って静かにいる。けれど木目の奥で鳴っている音が、いつもより深く響いていた。


「範囲を限定した爆裂魔法の展開。暴発、逸脱、無関係な延焼、すべて減点対象。準備ができ次第、始めなさい」

 監督官の声は、鐘の前に張られる布みたいにピンとしていた。俺は拳を握り、親指で爪の先を押した。男子が燃えるのは、自分が主役の時だけじゃない。味方の背中を押せる時、いちばん熱くなる。今日の主役はメリアで、俺の役は“押す”だ。


「いけ」

 棒が短く言う。その一言が、スタートの旗になった。


 メリアは円の中央に立つ。帽子をくるりと回し、深くかぶり直す。両手をさっと上げると、空気の粒が一本の糸になるみたいに集まった。詠唱は、まるで小さな歌。火の精と風の精に順番に声をかけ、手のひらの上に輪を描く。輪の中に、火花がつぶつぶと並ぶ。俺は思わず息を呑んだ。いける。今日は、いける。


 その時だ。丘の向こうから嫌な音が飛んできた。乾いた布切れが空で踊るような、ぎい、とかすかに引き裂くような音。祭りで使ったのぼりが風に拾われ、尾を引く白がメリアの視界を塞いだ。火の輪がふらつく。魔力の糸がほどけ、火球がじり、と横へ逸れた。


「まずい」

 俺は地面を蹴った。身体が勝手に前へ出る。棒を伸ばす。叩かない。撫でる。昨日、鍛冶屋で叩かずに変えた感覚を、いま、火に当てる。火球の肌を、軌跡の端だけそっとこそぎ取るように。ぺちっ。小さく、軽く。火は怒らず、細かい火の粉にほどけた。


 だが、散る先は選べない。火の粉のいくつかは丘の向こうへ踊り、いくつかは町の屋根へ落ちていく。鐘楼の高い屋根に、赤い点が一つ灯った。干し草の山の端が、ひと息つくみたいにふわっと煙を吐いた。ギルドの垂れ幕の角が、焦げて丸くなる。


 誰も喋らなかった。たぶん、みんな同じ言葉を飲み込んでいたからだ。次の瞬間、全員が動いた。


「左、鐘楼!」

 俺は叫ぶなと言われても叫んでいた。棒をぐいっと伸ばし、鐘楼の縁に引っかける。肩と腰を一緒に落とし、瓦の向きをひと押しだけ変える。屋根の上で風の流れが変わり、火が逃げる。ルミナが手を合わせ、ちょい雨を降らせた。ほんの一瞬だけ、鐘楼の空気がしめる。水の粒が火の耳をふさぐ。


「干し草、任せて」

 ノワが走る。姿がふっと消えたかと思うと、干し草の山の後ろに回り、腰を落として両腕で抱え、転がす。草は土の上でころりと二度転がり、火の舌が土を舐めて消えた。ノワの尻尾が灰を掃いて、燃え移りそうな枯葉をはじく。


「垂れ幕、引いて!」

 メリアが声を絞り出す。両手の指先が震えている。さっきの輪はもうない。でも、手の中に残った熱と冷たさをまぜるように、彼女は空気を撫でた。風と水の間の、ぬるくしめった空気が、垂れ幕の上でざわりと揺れる。火は舌を引っ込める。ギルドの屈強どもが梯子を掛け、上からも下からも水を運ぶ。バケツが空で鳴る音が、鐘の下で合奏になっていく。


 気づけば、鐘楼の鐘が鳴っていた。合図の鐘ではない。若い見張りが、緊急を知らせるつもりで腕いっぱいに綱を引き、結果として明るく鳴らしてしまっていた。けれど、その音がいい。焦りを少しだけ笑いに変える。音に合わせて手が動く。足が動く。人が動く。火は、折れたように弱くなっていった。


 ひと息。ふた息。煙の匂いが薄くなる。鐘の音が、風に乗って遠くへ散っていく。俺は棒を縮め、肩に立てた。冷たい汗が背中を伝う。膝が少し笑う。笑ってろ。立ってりゃいい。


「水、追加。こっちはおしまい」

 ノワが簡潔に言い、ルミナが親指をそっと立てる。メリアはその場に膝をつき、帽子のつばで目を隠した。肩がふるえ、指が拳になっている。近づくと、彼女は小さく言った。

「ごめん。ごめん。わたし、やった。やらかした」

「やらかしたら、取り戻す」

 俺は帽子の上から、ぽん、と軽く叩いた。

「取り戻しただろ。みんなで」

 帽子の下で、潤んだ青がぐっと持ち上がる。メリアは鼻をすすり、ひとつ深呼吸をして立ち上がった。火の香りを吸い込み、吐き出す。目の色は、ぜんぜん負けていない。


 監督官が歩いてくる。厳しい眉が少しだけゆるむ。

「減点は大きい。失敗は失敗だ。だけど」

 一拍置いて、こちらをまっすぐ見た。

「いまの対応は見事だった。特に――」

 指先が俺を、ルミナを、ノワを、棒を、そしてメリアを順に示す。

「“仲間の失敗”を全員でリカバリーするのは、合格点を越える価値がある。実地というのは、こういうことだ。試験官としては頭が痛いが、町の人間としては、ありがたい」


 野次馬の中から拍手が波のように広がる。筋肉の戦士が大声で笑い、学者が眼鏡を押し上げながらうんうん頷く。鐘楼の上では若い見張りが、照れ笑いで綱から手を離した。鐘は鳴りやみ、代わりに人の声が町に満ちる。


「メリア」

 俺が呼ぶと、彼女は胸を張って言った。

「次は、狙った場所だけ爆発させる」

「宣言が物騒だが、方向性は合ってる」

 ルミナが嬉しそうに抱きつき、ノワが背中をぱしんと叩く。棒がぽつりと言った。

「火は怖い。だが、怖いを“知っている”手は強い」


 監督官が手帳に何かを書き込み、ペン先を止めた。

「午後は鐘楼と干し草の確認、垂れ幕の補修。手が足りないから、手伝いを募る。……君たち、出るかい」

「出ます」

 俺たちの返事は揃っていた。緊張がほどけた町の空気に、今度は働く人の匂いが混ざる。


     ◇


 鐘楼の屋根に上る階段は、思ったより急だった。瓦に焦げ跡が点々と残っている。近くで見ると、火の色の跡が指の先ほどの小さな丸になって残っていた。火は大きく燃える前に、まず小さく生まれる。生まれたばかりの小ささのうちに、いい子にする。そういう感覚が、今日少しだけ増えた気がした。


「ここ、瓦の向きを少しだけ変えよう。風が抜けやすくなる」

 俺が言うと、上で作業を見ていた職人がうなずく。

「やってみろ。壊すなよ」

「壊したくないから、押して待つ」

「それ、さっき下でも言ってたな。覚えとく」

 棒を梁に引っかけ、手のひらで瓦の耳を撫でる。叩かない。小さくずらす。瓦の腹がふっと軽くなった。風が通り、焦げた匂いが薄くなっていく。


 階下では、ノワが干し草の山を分けて積み直していた。あえて隙間を作り、火が走りにくい形にする。ルミナは垂れ幕の端を縫い、焦げたところを切って新しい布を当てる。器用、という言葉より、手が優しい、という言葉が似合う作業だ。メリアは桶で水を運び、階段を何度も上り下りしている。帽子の焦げ穴はふたつ増えたが、顔は晴れていた。


 通りすがりの人が差し入れを持ってきた。焼き立てのパンと、冷ましたスープと、甘くない果物。鍛冶屋のラガンが、いつの間にか鐘楼の下に立ち、腕を組んで空を眺めていた。

「叩かずに直せるなら、直せ」

 それだけ言って、ふいっと去っていく。やっぱりあの人、言葉が金槌みたいだ。


 手を動かしていると、時間は勝手に進む。太陽が傾き、鐘楼の影が長く伸び、通りの猫がその影を踏んで跳ねた。昼間逃した四匹目だ。こちらを見ると、今度は逃げない。鼻をひくひくさせて、垂れ幕の新しい布を眺め、納得したように目を細めた。


「いい町だね」

 ノワがぽつりと言った。尻尾が夕暮れの風に軽く揺れる。

「燃えそうになったら、みんなで水を運ぶし。焦げたら、誰かが縫う。鐘は鳴って、笑いも鳴る」

「鳴り方、覚えた気がする」

 メリアが顔を上げる。頬には煤がついて、目だけが澄んでいる。

「火の鳴り方も。怖いのも。消せる鳴り方も」


 作業が終わる頃、鐘楼の鐘は夕暮れの合図を一度だけ鳴らした。音は昼より低く、長く、やわらかい。風に乗って、町の屋根の上を流れていく。俺は肩の棒を軽く叩いた。

「お前、今日もよく働いた」

「働いたのは、お前の“段取り”だ」

「全部、ちょっとずつだな」

「ちょっとずつを積むのは、強いぞ」

「知ってる。昨日と今日で、骨の中がそれを知った」


     ◇


 丘に戻ると、監督官が認定の紙に印を押していた。机の上に置かれた紙は二枚。ひとつは“中級魔法、仮認”。もうひとつは“実地対応、特別評価”。メリアは恐る恐る覗き込み、口元を押さえた。

「……ありがとう」

「礼は、次に狙った場所だけ爆発させることで示しなさい」

「はい」

 監督官の唇の端が、ほんの少し上がった。


 野次馬の中で、筋肉の戦士――バルドが腕を振り回しながら叫ぶ。

「よかったぞ! 鳴ったな! 鐘も、心臓も! 筋肉も鳴った!」

「最後は余計だ」

「余計が大事だ!」

 こういう奴が町には必要だ。声が太いと、空気の骨が強くなる。


 帰り道、背中に疲れが乗ってきた。けれど嫌な重さじゃない。働いたあとにだけ来る、納得の重みだ。通りの角で、昼に牛乳を飲ませた猫が伸びをして、こちらをじっと見た。何を言うでもない目。すり寄ってくるでもない距離。だけど嫌いじゃない。離れていても、同じ空を見ている感じ。鳩の時、輪をくぐらなかった一羽も、そうだった。


「なあ、カイル」

 棒が肩で低く鳴らす。

「今日、お前は“撫でて変える”をやった」

「やったな」

「火も、人も、町も、叩かないで変えるのは、むずかしい。だが、いちばん長持ちする」

「うん」

「それから、“合図の鳴らし方”を覚えた」

「鐘の話か?」

「それも。声も。手の速さも。笑いも」

「合図が鳴ると、人は揃う」

「揃った時、人は強い」


 宿に着く前、広場の端で小さな女の子に呼び止められた。昼に学童で影絵を見せた子だ。手に、紙で折った小さな帽子を持っている。

「これ、あげる。爆発した子の帽子も、直ったから」

 メリアがしゃがみこんで、受け取る。小さな帽子には、丁寧に貼られた布のかけら。垂れ幕の余りだろう。彼女はぎゅっとそれを抱いて笑った。

「ありがとう。次は、ちゃんと狙うから」

「うん。こわいの、やっつけてね」

「やっつけるんじゃなくて、仲良くもする」

「なかよく?」

「火と。風と」

 女の子は首をかしげてから、にこっと笑った。言葉は伝わらなくても、笑いは伝わる。合図はいつも、笑いの方が早い。


 宿のベンチで、買ってきたパンを割って分けた。塩のきいた硬いパン。今日の歯にはちょうどいい。噛むたびに、鐘の音が口の中でひびく。ルミナが半分眠そうに言った。

「ねえカイル。わたしたち、しょっちゅう“しでかす”けど」

「うん」

「毎回、取り戻してる。これ、すごいことじゃない?」

「すごい。地味にすごい。地味な“すごい”が、後でとんでもない一撃に繋がる」

「一撃?」

「いつか来る。でかいやつ」

 メリアがパンを噛みながら、目を細めた。

「その時、今日の“ちょっとずつ”がぜんぶ、背中を押してくれる」

「背中は、押すと伸びる」

 ノワの言葉はいつも短いのに、遠くまで行く。棒が木目の奥で、こつん、と小さく鳴らした。火床みたいな音。合図みたいな音。


 部屋に戻ると、疲れが一気に膝に降りた。ベッドに倒れ込み、天井の染みを見つめる。目を閉じる前に、棒が名を呼ぶ。

「カイル」

「ん」

「天才の失敗は、町ごと鳴る」

「今日、鳴ったな」

「鳴った。だが、鳴ってからが勝負だ。鳴らして、集まって、直す。全員で」

「全員で、が、いちばんカッコいい」

「そうだ」

「次も、そうする」

「明日も働け。笑うために」

「了解」


 まぶたの裏に、鳩の影、猫の尻尾、鐘の輪。火の粉が丸く消える瞬間。手のひらの上で火が怖さを手放す手触り。誰かが「ありがとう」と言う声。誰かが「やらかした」と笑う声。全部混ざって、ひとつのリズムになる。どん、どどん、どん。胸の奥の太鼓が、それに合わせて静かに打つ。


 ――いい一日だった。

 そして、明日はもっといい一日にする。

 初期装備のくせに、俺たちは町ごと鳴らして、町ごと笑って、町ごと取り戻す。そう胸を張って言えるように、もう一度、深く息を吸って、眠りに落ちた。

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