第1話 異世界ガチャ爆死!それでも開幕ダッシュは止まらない
目を開けた瞬間、視界が真っ白だった。
ふかふかの雲の上みたいな床に、足が沈みそうになる。息を吸うと、甘い花みたいな匂い。頭の上では、虹色の文字がゆっくりと流れていた。
──〈ガチャ召喚ルームへようこそ〉。
列の前では、眩しいほどにピカピカした勇者候補たちが並んでいる。前の青年がレバーを引くたび、天井がまぶしく光っては、神話に出てきそうな剣やら鎧やらが降ってくる。
「神剣ソルブレイド、きたーっ!」
「やったー、伝説の聖鎧!」
歓声と拍手。どいつもこいつもテンションマックスだ。
俺の順番が来た。
深呼吸。喉が乾いて、少し震える。ここまで来るのに長かった。召喚事故で三日も待たされて、ようやくこの舞台に立てたんだ。
これで当たりを引けば、俺の異世界ライフは勝ち組スタート。
そう信じて、俺は両手でレバーを握る。
祈って、捻って、一気に引いた。
──ポトン。
目の前に落ちてきたのは、一本の棒。
木の棒。しかもサビてる。
……木がサビる?
俺は思わず、二度見した。
虹色の文字が、無慈悲に輝く。
〈初期装備 サビた木の棒〉
……うん、終わった。
後ろの列から笑い声が起きる。
「うわ、外れ枠じゃん!」
「ネタで生きてけ!」
神聖な雰囲気が一瞬で文化祭ノリに変わった。
カウンターの向こうで、金髪の女神が優雅に足を組んでいる。笑いをこらえてる。肩が震えてる。
「おめでとうございます、新しい人生の始まりです」
「おめでとう、って顔じゃねぇ」
「担当女神ルミナです。返品は不可でーす」
俺が口を開くより早く、ルミナは分厚い紙束を差し出した。
「異世界生活の注意事項、三行でまとめました。読まなくていいです」
「三行なら読ませろよ!」
反論する間もなく、床がぱっくり割れた。
重力が急に主張してきて、俺は空を舞う。
ルミナが上空から手を振る。
「いいニュース! あなたの棒、もしかしたら当たりかも!」
その“もしかしたら”の範囲が広すぎるんだよ!
――ドンッ!
落下先は畑のど真ん中だった。
腹に風が突き刺さって、肺が裏返りそうになる。
土の匂いが鼻をつく。遠くで牛が鳴いた。
ルミナがふわりと降りてきて、俺の服の埃を払う。
「まずはスライムとか倒してみましょうか」
「……え、いきなり?」
「初心者といえばスライム! お約束ですよ!」
畑の端で、青いゼリーみたいなのがぴょこぴょこ跳ねている。
まるでゼリーのおまけ。これなら勝てそうだ。
俺は棒を構える。棒の重さはちょうど良い。木目の感触も悪くない。
ただ、なぜかほんのりあったかい。
「よし、行くぞ」
スライムがこちらを見た。ぷるんと震える。かわいい。
「悪いな。今日から俺、異世界の住人なんだ」
覚悟を決めて、棒を振り下ろした。
──ぺち。
小さな音。
スライムがつぶれて、沈黙。
……と思ったら、爆発した。
「うわっ!?」
爆風が畑を巻き上げ、俺は尻もち。ルミナは「きゃあ!」と悲鳴を上げ、空にゼリーの雨が降った。
煙の中、棒の先がぼんやり光っている。
目をこすって、もう一度見る。やっぱり光ってる。
棒はかすかに震え、そして喋った。
「おい、手加減しろ。畑が死ぬだろ」
……。
誰が喋った?
俺じゃない。ルミナでもない。
棒だった。
「自己紹介が遅れた。俺は聖杖ルートロッド。長い眠りから覚めたばかりだ」
……いや、どう見ても枝。
ルミナが慌てて書類をめくる。
「そんな装備リストに……ない。バグ? わたしバグった?」
神様のくせに軽い言葉を使うな。
その後も、スライムを叩くたびに小規模な爆発。
経験値は入るが、畑の被害も増える。
農家のじいさんが泣き崩れる。「わしの大事なカブがぁ!」
俺は土下座。
ゼリーを集めてカブ畑に還元。ルミナは「新しい肥料ですね!」とポジティブにまとめていた。
棒──ルートロッドはというと、あくびをしながら言う。
「ふん、戦いの勘は悪くないな」
「お前のせいで被害総額、カブ二十本分だぞ!」
「価値観の違いだ」
俺は泣き笑いするしかなかった。
太陽が傾き始め、空がオレンジに染まるころ、ようやく畑の後始末が終わった。
ルミナが額の汗を拭き、満足そうに言う。
「では、次はギルド登録に行きましょう!」
街の門をくぐると、夕焼けが看板を赤く染めている。人々の笑い声、パンの匂い、遠くの鐘の音。
ああ、ほんとに異世界に来たんだな、と思った。
俺はルミナと並んで歩く。棒は肩に担いだ。
受付嬢が笑顔で迎える。
「ようこそ、冒険者ギルドへ。登録料は一万ゴルドです」
……一万?
畑より重いダメージがきた。
財布を見せる。空っぽ。
ルミナが胸を張る。
「大丈夫、信仰ポイントの前借りがあるので!」
そう言って取り出したのは、キラキラ光る石。
「これを現金化すれば……」
──ぱりん。
ルミナの手の中で、石が割れた。
光がふっと消えて、ただの砂になった。
受付嬢が優しく笑う。
「分割払いもできますよ」
俺は天を仰いだ。雲一つない空が、妙に恨めしい。
「……これ、詰んでない?」
ルミナは無理やり明るく言う。
「だいじょうぶ! 笑顔は無料です!」
棒がぼそりと呟く。
「あとで請求書が来るけどな」
こいつら、俺を潰す気か。
だが、気づけば笑っていた。
なんだかんだで、悪くない。
最初から順風満帆なんて、物語じゃない。爆発して、転んで、笑って。
そうやって、ちょっとずつ前に進んでいくんだろう。
「なぁ、ルートロッド」
「なんだ」
「俺さ、この世界で、ほんとに何か掴めるかな」
「知らん。だが棒でも掴めるものはある」
「それ、うまいこと言ったつもりか?」
「いや、事実だ」
ルミナがくすっと笑う。
「ね、主人公っぽいですよ。棒を担いで夕陽に向かうなんて」
「バカにしてるだろ」
「敬意です!」
夕焼けの中、俺たちは笑いながら歩いた。
街の喧騒が背中を押す。
足元の影が長く伸び、風が頬を撫でる。
初期装備、サビた木の棒。
だけどこの棒は、どこか温かい。
まるで、これから始まる“何か”を知っているみたいに。
異世界は、思ったより泥くさくて、騒がしくて、
それでも、めちゃくちゃ楽しい。
爆発音が遠くで鳴った。
「あっ、ごめん、またスライム!」
「おい、またか!」
「わたし、笑ってる場合じゃなかった!」
畑の向こうで、青い炎が上がる。
俺は走った。ルミナが追いかけ、棒が文句を言う。
夕焼けの下で、俺たちの冒険はまだ始まったばかりだ。
泣くほどくだらない。
だけど、笑うほど熱い。
爆死ガチャから始まる人生も、案外、悪くない。
──異世界コメディ、開幕だ。




