4:母と言う人
領地へ戻ってからは穏やか日々を過ごしていた。
この小さな別荘は老夫婦が管理してくれていて他に使用人が居ないので気を遣わずに済む。
搾りたてのミルクや瑞々しいお野菜も美味しかったし、少しずつだけど体力も戻っている気がした。
手足の麻痺はまだ残って居るけど、スプーンを持てるようにはなったし短い距離なら杖を突いて歩く事も出来るようになった。
静かな村でのんびりと過ごす事が出来て、両親の事も気にせずに安心していられる。
それに老夫婦が「奥様には内緒ですよ」と子供用の図鑑を手渡してくれたのだ。
老夫婦の娘さんが子供の頃に見ていた物だから古くて申し訳ないと言っていたけど、私にとっては初めて中を見る事が出来る図鑑だから嬉しかった。
だから大切にして読み終わったらクローゼットの奥に仕舞う様にしていた。
万が一にも母が此処へ訪れて来た場合、取り上げられるのが嫌だったのだ。
そんな事を考えたからだろうか。
13歳の誕生日を迎えた日、母の来訪と共に私の穏やかな日々は崩れ去った。
あれだけ田舎は何も無くて嫌だと言っていたのに何をしに来たのかと思った。
「あら、思ったよりも元気そうじゃないの。
ほら、第二王子殿下から誕生日祝いにと預かって来たのよ。
良かったじゃない、嬉しいでしょう?」
満面の笑みで箱を差し出す母。
私は一瞬理解が出来なかった。
この人は、母は何を思いこの箱を受け取って来たのだろう。
私が受けた仕打ちを忘れてしまったのだろうか。
あの王子からなど嬉しくも無いし嫌な予感しかしないのに。
「お母さま、申し訳ありませんが受け取る事は出来ません」
「まぁファレグ。あなたまだ過去の事を気にしているの?
こうして元気になったのだし気にし過ぎるのは良くないわ。
過去は過去として忘れてしまいなさい。
私が何の為にこんな田舎まで来たと思っているの?
せっかくの殿下のご厚意なのよ?
貴方が受け取らなかったら私の立場がなくなるじゃないのよ。
困った子ね、我儘を言わずに受け取りなさい」
本気で言っているのだろうか。
私が毒で倒れたあの時目を真っ赤にしてずっと付き添ってくれていた母は別人だったのだろうか。
それとも私が王都を離れてからの半年で母を変える何かがあったのだろうか。
いえ、もしかして母は以前からずっとこんな感じだったのかしら。
考え込む私に箱が押し付けられる。
「ほら、難しい顔をしないでさっさと開けて御覧なさいな」
このまま開けずにいたらずっと母はこの場に居座るだろう。
私は渋々と箱を開けるしかなかった。
「ヒィッ」
声を上げたのは母だった。
私は声を上げる事すら叶わなかった。
箱をあけた瞬間、中に入っていた蛇は待ってましたと言わんばかりに私の手に嚙みついた。
当然ながら無害なただの蛇な訳がない。
失いかけた意識の中でやっぱりという思いと、驚いた勢いで母に箱を投げつければよかったという思いが浮かんだ。
どの位意識を失っていたのか。
目を覚ました時私の視界に映ったのはまたしても目を真っ赤に泣きはらした母の姿だった。
そして私はこの時悟った。
この人は自分に酔っているのだと。
病弱な娘を持って可哀そうな私。
娘を害されて可哀そうな私。
娘を害されたけど子供のした事だからと寛大な心で許す優しい私。
目覚めるかどうか解からない娘を献身的に看病する優しい私。
元の様に元気になるかどうかも解らない娘に付き添い続ける健気な私。
自分をおとぎ話の可哀そうな主人公にでも見立てているのかもしれない。
だからこそ屋敷に訪れた人々に大声で話していたのだろう。
「娘が病弱で」「娘が熱をだして」「娘が倒れてしまって」
そこには母として娘への情などある訳も無く、私を心配している様にも見えなくなってしまっていた。
そんな母に声を掛ける気力すら湧かず私は再び眠りに就いた。
時折目を開ければ必ずと言っていいほど母の姿は有った。
甲斐甲斐しく少しでもいいからとスープや擦り下ろした果実などを載せたスプーンを差し出してくるけど
それらを口にすると必ず私は吐血した。
相変わらずよく解らない味がしたから微量の毒でも入っているのだろう。
吐血する私の姿を見る母の口角は薄らと上がっていた。
「まだ体に毒が残っているのね。
大丈夫よ、母様がずっと側に居て看病してあげるから」
そこはあらゆる手を尽くして治してあげるではないんだ。
そして此処でも医師は呼んでくれないんだ。
やはりこの母は私に治って欲しいのではないらしい。
母の顔が歪に歪んだ人外の物に見えて恐ろしくなった。
それにしても何処で毒を手に入れてどうやって毒を盛っているのだろう。
老夫婦や母が連れて来た使用人達の目もあると思うのだけども。
まさかこの使用人達は見て見ぬふりをしているの?
女主人である母に物申す事が出来ないのかもしれないけれども。
そう考えてしまえば私はすべてが怪しく思えて来て誰も信じる事が出来なくなってしまった。
何かを口にする事すら出来無くなってしまった。
それからは母が傍にいる時には何も口にしなかった。
しなかったと言うよりは出来なかったと言う方が正しいだろう。
体が食べ物を拒み受け付けなくなったのだ。
母はなんとか私に食べさせようとしてスプーンで口をこじ開けて何かを流し込んでくるけどすぐに咽て吐いてしまう。
何も食べれずに吐いてしまうのでせっかく戻っていた体力も再び落ちていき、手足もやせ細ってしまった。
このまま死んでもいいんじゃないかなとさえ思ってしまう。
また体調が戻った頃に毒を盛られたのではたまったものではない。
何度もこんな苦しい目に遭うくらいならこのまま回復せずに死んでもいいのではないかしらね。
いっそ母の差し出す物を完食した方が早く死ねるかしら。
吐くのを手で押さえて我慢すればなんとか飲み込む事が出来るのかしら。
そんな事ばかり考えてしまう様になっていた。
そんなある日、母の姿はまったく見なくなった。
急に悪化する訳でもなく、かと言って回復する訳でもなく。
いつ終わるとも解らない献身的な母親を演じる状況に飽きたのだろう。
母が居なくなると老夫婦は泣きながらも懸命に私の世話をしてくれた。
使用人という立場だから思っている事を口にはしなかったけど、私の事を心から心配してくれているのが判る。
老婦人が用意してくれたミルクや擦り下ろした果物はすんなりと体が受け入れてくれた。
お薬の代わりにと煎れてくれた薬草のお茶は凄く苦くて泣きそうになったけ。
けれども飲んだ後にはご褒美だと言ってキラキラと黄色く光るトロトロの甘い物を少しだけ口に入れてくれた。
私はご褒美が欲しくて毎回頑張って苦い薬草のお茶を飲んでいた。
お陰で少しずつではあるけども、再び体力を取り戻しつつあった。
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