4.
二〇一三年八月九日金曜日。本日の空模様はゲリラ豪雨。
龍人やその他、友人を招いて家飲みを開催。『はじめまして』と挨拶する龍人はやはり落ち着いていて、オネェのような喋り口調と元ヤン像が同一人物とは到底思えないだろう。
「酒強いって聞いたから、色々持ってきたんだ。今日は朝まで飲み明かそう」
龍人は張り切っているらしい。以前の会話の中で、人脈が広がることに喜びを感じると言っていたから、始まる前から楽しみが強かったのかもしれない。
「広太って超変人じゃん?なんか苦労してない?大丈夫?」
乾杯して飲み進めていくとコミュニケーション力が爆発していた。人見知りの⬛︎⬛︎がやや押され気味だ。
「普段何系飲むの?チューハイ?」
「これが好き」
⬛︎⬛︎は龍人にアルコール度数、九パーセントのドライチューハイを顔の横まで持ち上げ見せた。
「九パーセントってさ、脳細胞死ぬらしいぞ」
「迷信じゃない?」
「いやそれがさー、そう思うじゃぁん!」
テンションが上がって若干オネェが混ざるようになってきた。
「一応、こう見えて、医学部志望だったからぁー。そういうの詳しいわけー」
「へぇ。早稲田って医学部あったっけ」
「そぉー!ないのぉ〜。まぢ間違えたって感じ〜」
オネェ全開で⬛︎⬛︎との会話を楽しむ龍人のトーンが次の瞬間、あまりにも唐突に変わった。
「てかさぁ」
笑い合っていた空気が凍りつくような、低い声だった。
「俺ら、会ったことあるよな」
鋭い眼光で⬛︎⬛︎を見つめる龍人は確かに、元ヤンだったのかもしれないと思わされた。
「そうなの?」
龍人の厳しい視線にあっけらかんと答えた⬛︎⬛︎は覚えがないようだった。俺も知らない。大学で初めて会ったはずだ。
しかし、実はこういうのは初めてではない。
「あー、こいつさ。ほんの一瞬ニュースになったことあるからそれで見たことあるんじゃね?前にもそういう人いたし…」
「いいや、違うね」
ジッと⬛︎⬛︎を見つめる龍人は何かを考えているようだった。
⬛︎⬛︎は態度を変えず、九パーセントのアルコールを滝のように飲んでいる。
「見られすぎて穴あきそう」
ロング缶を飲み終えた⬛︎⬛︎がポカンと呟いた。物凄い目付きでほぼ睨まれているにも関わらず、全く態度が変わらない。肝が据わっているとも言うのか。
「広太に嘘ついてたことは先謝る」
目線を逸らさず、左手を挙げて言った。
何が嘘なのだろう。嘘をつきそうなポイントがあっただろうか。過去の会話を遡るが、龍人が口を開くのが早かった。
「俺さ、高三の時、傷害で少年院入ってたんだけど、これでも違うって言う?」
新たに開栓した九パーセントのロング缶を相も変わらず滝のように飲む⬛︎⬛︎の表情になんの変化もない。
嘘、というのは二年間、浪人していたという部分ようだ。捕まって高校を卒業できなかったから大学入学が遅れた。そういうことを言っている。
「ここ来た時からなんか見たことあって。その、死んだ表情」
『高三で少年院』という話を持ち出したということは、⬛︎⬛︎の高校時代を知っているということ。
待て、待て待て待て。
「待って」
記憶のページが一気に駆け巡った。
「龍人って、石田龍人って、…もしかして」
「院入ってる間に親が離婚してさ」
…………知っている。苗字が変わっていたんだ。だから気付かなかった。
「家庭教師してたんだけど。覚えてないとか言うなよ、寂しいだろ。⬛︎⬛︎。俺だよ。櫻田龍人」
たまたま出会って仲良くしていた相手が、⬛︎⬛︎が高校時代に不良化した時期に連んでいたヤンキーだった。そんな、危険人物だったなんて、分からなかった。すぐに帰らせよう。⬛︎⬛︎の体調が悪くなる前に。
⬛︎⬛︎が他校の不良と関わり始めてから⬛︎⬛︎の風貌が急激に変わった。学校に来る回数も格段に減り、来てもオラついている日が多く、誰から見ても一目でグレたと思われる時期があった。
関わっていた他校の連中が次々に少年院へ送られ、最後に櫻田龍人が傷害で逮捕されたと噂が流れた。
事実を確かめることはできないけれど、逮捕されるような人間であるなら今すぐに関係をリセットしなければならない。
そんな周囲の気を知ってか知らずか、無関係のような素振りで酒を飲む⬛︎⬛︎はあっという間にロング缶を飲み干して言葉を発した。
「まじで申し訳ないけど、全く覚えてない」
空になった缶を片手で握り潰し、あっけらかんと言う。
「…ガチ?」
鋭い眼光で⬛︎⬛︎を逃すまいと睨み付けていた龍人は拍子抜けした。一気に声のトーンが上がる。
「そのうち思い出すかもしれないけど。今は全然ピンと来てない」
「ははっ、そっか。…そっか。そうか、分かった。じゃあ今日からは先輩後輩じゃなくて、友達枠でやってこうぜ」
危険人物に対してなんの感情も読み取れない無表情を貫いた⬛︎⬛︎は今までにないペースでアルコールを流し込んでいた。水を飲むよりも早く、まるで高アルコールで自分の内臓を傷付けているかのように。
全員が酔い潰れて数時間経った朝方、洗面所から物音が聞こえた。
勢いよく水を流す音に混ざって人の嗚咽も聞こえる。洗面所の閉まりかけたドアを開けると、⬛︎⬛︎が洗面台にしがみついて嘔吐していた。
慌てて顔を覗こうとまわり込み、絶句した。
今朝まで純白だったはずの洗面器に赤が飛び散っている。
「⬛︎⬛︎!?血が…」
過度な飲酒で激しく嘔吐したことが原因だろうか、喉が裂けているのかもしれない。
そういえば飲み会中、ほとんど固形物を摂っていなかった。あまりの酒量に内臓が驚いて、嗚咽が止まらないのかと対処法を考えあぐねていると、⬛︎⬛︎は自らの口内に指を突っ込み嘔吐を促した。
自分で自分を傷付けて、心の安定を取り戻そうとしている…?
「その辺にしとけ!喉が傷付いてる!!」
冷静に考えようとする本能に逆らい、大きな声で感情的に肩を掴んだ。
一体いつから吐いていたのか。どうして、こんな。
「……ごめ、間に受け、な…で、聞いてほしい、んだけど」
傷付いた喉では喋りにくいのだろう。途切れ途切れになりながらも、必死に何か伝えようとしている。
「い、ま…めっちゃ…死にたい」
「………」
「けど、…生きる、りゆ…う、探す、から、きゅ、きゅしゃ、呼ば、ないで」
「………」
「吐くの、やめ…る、から…あの、人に、れらくも、しな…で」
〝あの人〟というのは、以前世話になった歌手のこと。二度と迷惑をかけてしまわぬように今では一切連絡を取っていない。
櫻田龍人と話していた時の表情は全くの『無』だった⬛︎⬛︎が、顔をぐしゃぐしゃにして訴えている。そんなこと、頼まないでほしい。そんな顔で頼まれたら、聞かなきゃいけないじゃんか。
落ち着かせて、眠ったのを確認してから飲み会会場の後片付けを始めた。頭を整理するためには掃除が一番効果的だった。
「俺が嫌なこと思い出させたからだよな、ごめん」
空き缶をひたすらゆすいでいる俺の背中に龍人が謝った。要注意人物だ、慎重に話を聞かなければいけない。
「俺が何したかって気になってんだよな。ごめん、話せてなくて」
「傷害って誰かを殴ったとか、傷付けたってことだろ」
「うん。そう」
「…悪いけど、過去だとしても、これ以上関われない。関わりたくない」
「…そうだよな。ごめん」
「⬛︎⬛︎はあんな感じで精神状態が不安定だから、なるべく刺激を与えたくない」
「うん」
悲痛な表情で俯く龍人に全く同情心がないわけではない。話していて毒気もないし、害があるようにも見えなかった。だから、最低限、どうして傷害事件を起こしたかを知っておくべきだと思った。
「……酷いやつだったんだ。抵抗しない人を殴って、傷付けて、殺そうとしてた。だから、そいつの家の前で待ち伏せして、俺が殺そうとした。けど、あっさり現行犯でパクられちまって、全然ダメージ与えられなかった」
「なんで。それって、龍人が殴られてたの?」
「違う。俺が大事にしたいと思ったヤツを、真っ当な道を歩いてほしいと願ったヤツの人生を踏み躙ったから殺してやろうと思った」
「自分が犯罪者になってまで」
「力があれば、広太や優だって、やったと思う。チャンスがあれば、誰だって」
「通報すれば良かっただろ、自分でやらずに」
「…警察が正しく動いてくれたなら、結果は違ったはずだ」
真剣に話す龍人の声に力がこもる。
なんとなく、分かりそうな気がしていた。龍人が語る人物について。龍人は極悪人ではない。
人のために。我が身を犠牲にした。
「警察が仕事してくれてたら、⬛︎⬛︎あんな風にならず、大人に守られながら平和に生きられたはずだろ」
「………」
「大人が守らなかったから、弊害を抱えながら生きてるんだろ?俺が、あのクソおやじを殺せていたら、⬛︎⬛︎は広太と同居することなく、普通の人生を歩めたかもしれない」
友達のために。
「あんなニュースになることも、なかったんじゃないのか」
…⬛︎⬛︎のために。
うっすらと思い出す。ネットニュースで騒がれた。
『2days開催のドーム公演二日目をドタキャン RAIT、損害賠償全額負担で関係断絶。契約金持ち逃げか』
これを機に音楽サイトから⬛︎⬛︎の公式映像は全て削除された。
ネットニュースは一瞬で目の届かないところへ隠されたことから、大地かRAITが手配したのではないかと推測しているが、すべての連絡手段を拒否しているから、どちらかが家に来さえしなければ知る手段はない。
そうだ、これは三月の話だった。卒業式の手前。何かがあって、⬛︎⬛︎と数日間会わない日が続いていた。
思い出せない。何も、思い出せない。何があって、何をどうしてこうなっているのか、全く思い出せない。
龍人は何かを知っている。優も、俺に言わない何かを知っている。俺の知らない何か大きな出来事を。




