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うちの子だけが違う――リトミック教室で感じた孤独

第二子を出産し、少しだけ心と体に余裕ができてきた頃。

私は、長男の成長を願ってリトミック教室に通わせることを決めました。

でもそこで直面したのは、他の子との“違い”と、自分自身の未熟さでした。

今回は、そんな葛藤の一場面を綴ります。

リトミック教室は、1クラス6組ほどの小さなグループだった。

 顔ぶれは、かつて同じ赤ちゃんクラブに通っていたママたちばかり。

 彼女たちは、ちょうどタイミングを合わせたように第二子を出産していて、

 私の長女と同い年の赤ちゃんを、それぞれおんぶしながら教室に参加していた。


 明るい音楽が流れる部屋の中で、手を叩き、歌い、踊り、返事をし、好きな色を選んで自己紹介をする。

 内容はごく基本的なことばかりだった。

 もちろん個人差はあったけれど、ほとんどの子どもたちは、少しずつ課題をこなしていった。

 ママたちは穏やかな笑顔で子どもたちを見守り、和やかな空気が流れていた。


 ――でも、うちの長男は、なかなかその輪に入れなかった。


 大きな音楽や太鼓の音を嫌がり、

 「みんなで一緒にね」という先生の声かけにも、体を固くして反応しなかった。

 やがて、地面に寝転がって泣き出し、雑巾のように這いずるような姿で、私の元に戻ってくる。


 その姿に、胸が締め付けられるような思いがした。


 先生は、やさしい口調で「少しお外で気持ちを落ち着かせてきてくださいね」と声をかけてくれた。

 その言葉が悪いわけではなかった。むしろ、配慮だったのだと思う。

 でもそのときの私は、どうしても「うちの子だけができていない」と突きつけられたような気がしてしまった。


 今なら思える。

 本当は、無理をせずにやめてあげればよかったのだ。

 けれど当時の私は、どこかで「みんなと同じようにやれるはずだ」と信じていた。

 いや、意地になっていたのかもしれない。


 私はまだ、母親として未熟だった。


 “みんなと同じようにできること”が、

 “良い子”の証、“普通の育児”だと信じていた。


 リトミックは、その後もしばらく続けた。

 でも、長男は大きく変わることはなかった。

 泣いたり、動き回ったり、じっとしていられなかったり。

 親子ともに、どこか苦しさを抱えたまま、通い続けていた。


 教室の帰り道、ベビーカーの中で静かに眠る長女の寝息が、どこか対照的で。

 私はふと、自分に問いかけた。


 「私の育て方が、間違っているのだろうか」

 「どうしてこの子だけ……?」


 他の子やママたちをうらやむつもりはなかったけれど、

 気づけば、自分自身がどんどん孤独になっていくのを感じていた。


 誰にも言えず、比べては落ち込み、悩みを抱え込んで――

 私は、静かに、自信をなくしていった。

このお話は、過去の自分を振り返って書いています。

子どもや家族、そして当時関わってくださった方々を責める意図はありません。

自分の未熟さや揺れ動いた思いを、正直に綴っています。

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