ふたりの育児、ふたつの景色
初めての育児は、何もかもが手探りでした。
泣いてばかりの息子に戸惑い、思うようにいかない日々に、心も体もすり減らしていたように思います。
それでも、母になるということを、私は少しずつ学んでいきました。
これは、そんな私と子どもたちの、小さくて確かな軌跡の記録です。
第二子の出産は、昼頃だった。陣痛が始まってから、約6時間――長男のときと同じくらいのスピードで、私は再び母となった。
生まれてきたのは、女の子だった。
長男と同じ病院で、同じ分娩室。けれど、あのときとは違う。
出産の痛みの中にも、私は少しだけ余裕があった。ひとつ、母親としての経験を積んでいたからかもしれない。
長男は、その日、実家に預けていた。面会の時間になると、母と一緒に病院に来てくれた。
見慣れない白い病院服を着た私を見て、戸惑いながらも、彼は赤ちゃんの顔を覗き込んでいた。
旦那も、仕事が終わるとすぐに駆けつけてくれた。
病室に家族が揃った瞬間、私は確かに「幸せだ」と感じていた。
長女の育児は、不思議なほど楽に思えた。
あれほど手を焼いた長男の育児とは、まるで違った。
泣くことも少なく、ミルクもよく飲み、気づけばすやすやと眠っている。
夜中に何度も起こされることもなければ、理由もなく暴れることもない。
穏やかで、どこか冷静な空気すらまとった赤ちゃんだった。
――こんなに違うんだ。
驚きとともに、私は心から安堵していた。
もちろん、長男も可愛い。愛おしい。
でも、彼は彼なりに、赤ちゃん返りをしていた。
「ママ、見て見て!」
「オムツ、履くのー!」
せっかく取れたオムツも再び履きたがり、夜泣きをしたり、わざとおもちゃを投げたり。
寂しいのだと、分かっていた。だから私は決めていた。
**“長男を優先する”**と。
育児書にも書いてあった。上の子を甘やかして、安心させるべきだと。
私は、長男の不安や戸惑いに、できる限り寄り添うようにした。
気づけば、長女は静かに遊んでいた。泣かず、怒らず、ただ、そこにいた。
育てやすい子だった。それは、私の心と身体を、確実に支えてくれていた。
実は、長男を出産したあと、私は産後の肥立ちが悪く、体調を崩しがちだった。
骨盤矯正をせずに過ごしていたため、腰痛や貧血に悩まされ、気力も湧かなかった。
でも、今回は違った。
産後すぐに骨盤矯正を受け、体のバランスが整ったことで、体調も良くなった。
そして、それは心にも大きな影響を与えてくれた。
「大丈夫かもしれない」
そう思える日が増えていった。少しずつ、私は回復していた。
けれど、そんな平穏も長くは続かなかった。
長男が3歳になり、そろそろ幼稚園を意識する時期に差し掛かってきた。
私は、希望していた幼稚園に入園させたくて、早めにリトミック教室へ通わせることにした。
周囲と触れ合い、音楽を通して感性を育てる。
――そのはずだった。
けれど、それが新たな苦悩の始まりになるとは、当時の私は、まだ知る由もなかった。
誰かに「大丈夫だよ」と言ってほしかった。
でもそれを言ってもらえないとき、自分が自分にそう言えるようになるまで、時間がかかりました。
二人目の育児は、少しだけ余裕がありました。
けれど、それは“楽になった”ということではなく、きっと“慣れた”だけだったのだと思います。
育児の正解なんて、どこにもない。
それでも、子どもと一緒に成長していける自分でありたい――
今は、そんなふうに思っています。
読んでくださり、ありがとうございました。