表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
7/25

臨月の夜、私は母に叱られた

初めての育児は、何もかもが手探りでした。

「ちゃんと育てなきゃ」「いいお母さんにならなきゃ」――そんな思いばかりが膨らんで、自分の気持ちや限界に気づかないまま、突っ走っていた気がします。

子どもを守るために必死だったあの頃。

でも、本当は――私も守ってほしかったのかもしれません。


これは、そんな若い母親だった頃の、少し苦しくて、でも大切な記憶です。

妊娠してからも、決して穏やかな日々ばかりではなかったけれど、それでもなんとか無事に臨月を迎えることができた。息子は、ちょうど2歳になる頃だった。


 健診では、「言葉の発達が少しゆっくりですね」と言われ、一度は福祉センターから連絡が来たこともある。けれど、それから徐々に話せるようになり、心配していた電話も来なくなった。私は少しだけ、肩の荷が下りたような気がしていた。


 ――そんな矢先だった。


 ある日、息子の様子に違和感を覚えた。瞬きの回数が、異様に多いのだ。


 最初は気のせいかと思った。けれど、日に日に増えていくその仕草に、私は不安を感じ、小児科を受診した。


 「チック症ですね。まぁ、自然と治る子がほとんどですから、大丈夫ですよ」


 先生は、そう軽く告げた。

 けれど――私は安心できなかった。


 家に帰ってから、何度も何度もスマホで「チック症 原因」と検索した。


 “ストレス、疲労、環境、遺伝的要因……”

 そこに並んでいた言葉に、私はぎゅっと心臓を掴まれたような気がした。


 「私のせい、なの?」


 不安定だった自分。頼る先のない育児。溜まっていく孤独感。

 誰にも言えないまま、抱え込んでいた焦りや罪悪感が、胸に押し寄せてきた。


 ママ友に相談する勇気なんて、なかった。

 “そんなの、母親失格”――そんなふうに思われるのが怖かった。


 私は、時々、唐突な行動をしてしまう癖がある。

 その日もそうだった。


 夕方、気持ちを抑えられなくなって、息子をベビーカーに乗せて家を飛び出した。


 「もう一度、先生に確認しよう」


 そう思った。でも、病院に着いた時にはすでに18時を過ぎていて、シャッターは下りていた。


 人気のない住宅街にぽつんと立つ病院の前で、私は呆然と立ち尽くした。

 その時だった。


 「うわぁあああん!」


 息子が突然大きな声で泣き出し、ベビーカーから身をよじって降りたがった。

 全身でイヤだと訴えるように、道端で暴れ出した。


 私は臨月の大きなお腹を抱えて、どうすることもできなかった。

 通り過ぎる人の視線が、痛かった。


 どうにもならなくて、私は母に電話をかけた。


 「お願い……迎えに来て……」


 母は来てくれた。けれど、開口一番、私を叱った。


 「なんで、こんな時間に……!」


 その言葉に、私は堪えられなくなってしまった。


 その場で泣いた。

 大人なのに、母親なのに、道端で泣いた。


 どうやって家に帰ったのかは、覚えていない。

 でも、母に怒られたことだけは、はっきりと覚えている。


 ――いや、言葉そのものは思い出せない。

 でも、胸に突き刺さった痛みだけが、ずっと残っている。


 あのときは、本当に来てくれてありがたかった。

 だけど、感謝の気持ちよりも先に、傷ついた心があった。


 「大丈夫だよ」と、あのとき言ってくれたら、どんなに救われただろう。

 でも、それは叶わなかった。


 それでも、時間は止まってくれなかった。


 やがて、息子のチック症は、先生の言葉通り、少しずつ落ち着いていった。


 そして――私は、第二子の出産の日を迎えることになる。



---


あの夜、臨月の体で泣きじゃくった自分の姿は、今でも心に残っています。

助けてほしかった。

でも、どう伝えればよかったのかもわからなかった。


息子のチック症は、いつの間にか治りました。

けれど、あの時の私の心のひびは、今も時々、静かに痛むことがあります。


育児は孤独で、厳しくて、それでも手を離せない愛しい日々でした。

読んでくださり、ありがとうございました。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ