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出産と孤独と、私のはじまり

※この話には、産後の不安・育児ノイローゼ・家族関係の難しさなど、繊細な内容が含まれています。


初めての出産は、喜びと不安が入り混じったものでした。

周囲に頼ることが苦手だった私にとって、母になることは予想以上に孤独で、怖いものでした。


でも、そんな私の心を支えてくれたのは、夫のある一言でした。


この話は、若くして母になった私が、未熟さや苦しさと向き合いながらも、小さな命と向き合っていく記録です。


読んでくださる方の中で、どこか心が触れる瞬間があったら――それだけで、私は救われます。


初めての妊娠がわかったのは、20歳のときだった。

突然のことだったけれど、私も、彼も、そして家族も――みんな喜んでくれた。

彼にとっても私にとっても、そして実家にとっても初めての“孫”だった。


出産は21歳の時。

自然分娩で、かかった時間は6時間ほど。朝方、小さな男の子が私たちの元に生まれてきた。

痛みも不安もあったけれど、それ以上に、この腕に抱いた命の温かさが、胸いっぱいに広がった。


実家とは微妙な関係だったけれど、産後は1週間ほど里帰りすることになった。

初孫ということもあり、父も母も驚くほど可愛がってくれた。

赤ちゃんのお風呂やミルクなど、慣れない育児に戸惑う私に代わって、母が世話をしてくれた。


……けれど、その平和は長く続かなかった。


旦那は仕事帰りに毎日実家に寄り、私と息子の顔を見に来てくれた。

最初は嬉しかった。だけど、自然と母が旦那の食事の用意まですることになり――

数日が過ぎる頃には、母は明らかに不機嫌な態度を見せるようになった。


「ちょっとは気を遣ったら?」

「なんで私が全部やらなきゃいけないの?」


責められるたび、心がすり減っていった。

せっかくの産後の時間が、息苦しく感じるようになり、私は一週間も経たないうちに家に戻る決断をした。


けれど――戻ったあとの私の体は、限界を迎えていた。


産後、少量の胎盤が子宮に残っていたため、出血が止まらなかった。

医師の判断で再手術を受けることになり、全身麻酔で処置をした。

手術のあと、目が覚めても頭はフラフラで、身体も言うことをきかなかった。


それでも私は「早く帰らなきゃ」「迷惑をかけたくない」と思い、ふらつく足取りのまま病院を後にした。

旦那は「無理しなくていい」と優しく言ってくれた。

それでも、私は彼以外に甘えることができなかった。

親にも、友達にも、頼り方がわからなかった。


後になってわかったことだけれど、息子には私と同じく軽度の発達障害があった。

とても感受性が強く、言葉も少しゆっくりだった。


生後3ヶ月間、息子はほとんど眠らず、何をしても泣き止まなかった。

抱っこしても、おむつを替えても、ミルクをあげても――ずっと泣いていた。


「私がダメな母親だから……」

「この子が泣くのは、私のせいだ……」


毎日そう思っては、自分を責め続けた。


知識もなければ、誰にも頼れない。

旦那は仕事で遅く、家事も育児も、ほとんど一人でこなしていた。

体も、心も、限界だった。


今思えば、あれは育児ノイローゼだったのだと思う。

頼る方法がわからず、でも誰にも失望されたくなくて、泣きながら笑った。

旦那にも、「こんな情緒不安定な妻でごめんね」と、何度も心の中で謝っていた。


それでも――

そんな苦しい中で、私の心の支えになっていたのは、彼とのある出来事だった。


あれは、付き合って4ヶ月ほど経った頃。

私が、初めて自分の過去を人に話せた日だった。


それまでは、誰にも言えなかった。

「言うな」「恥をかかせるな」と、親に何度も言われてきた。

話してはいけないことだと思っていた。

でも、彼と一緒にいるうちに、私は少しずつ心を開いていった。


その日、どこかへ出かけた帰り道、車の中で私はついに口を開いた。

気がつけば、泣きながら、ぽつりぽつりと過去のことを話していた。

祖父から受けたこと、親のこと、孤独だったこと――


彼は、隣で黙って聞いていた。

遮らず、否定せず、ただ、黙って受け止めてくれた。


そして、話し終えた私に向かって、彼はこう言った。


「大丈夫だよ。俺がいるよ」


その一言で、私はどれだけ救われただろう。

長く重たい私の過去を、彼はそのたった一言で包んでくれた。

私はこの時のことを、今でも忘れない。

それが私の支えになっていた。

「こんな私でも、抱きしめてくれる人がいる」

その記憶があったから、私は母親としての自分を保てた。


――けれど、それでも子育ては、これからさらに大きな壁へと向かっていく。


息子の成長に伴い、私たちはさまざまな現実に直面することになる。



---


最後まで読んでくださって、本当にありがとうございました。


産後の数ヶ月は、私にとって人生で一番苦しかった時期だったかもしれません。

でもその中にも、確かに優しさがあって、支えがあって、思い出しただけで泣ける言葉もありました。


頼ることができなかった過去の私。

誰にも言えなかった気持ち。

それでも、誰かひとりでも「大丈夫だよ」と言ってくれる人がいれば、人は立ち直れるのかもしれません。


この物語が、どこかで同じように悩んでいる方の心に、そっと寄り添えますように。


もしよければ、感想やご意見などいただけたら嬉しいです。

更新の励みになります。


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