七 ここが寮かよ?
「ここが寮かぁー」
のんきなことを呟きながら、ベリンダは寮の廊下を歩いていた。
寮は先ほどまでいた校舎から、少し歩いたところにある。
この辺り一帯にはいくつか建物が並んでいるのだが、その全てが寮であるようだった。
どうやら学生の身分によって、入れる寮も違うらしい。
ベリンダは伯爵家令嬢のローザリヤの取り巻きのようだが、自身もそれなりの家系であるようだ。
そのため彼女の部屋のある寮は、外壁が白く塗られた立派な建物であった。
アリソンの案内でここまで連れてきてもらったのだが、彼女とはすでに寮の前で別れている。
当然ながら心配されたのだが、「あとはひとりで大丈夫だから」の一点張りで強引に帰してやった。
「ま。さすがのオレも、そろそろ何がどうなってんだか整理しねーと、理解が追いつかねー」
ベリンダは濡れた髪を掻きながら、そうぼやいた。
自身が置かれている、この謎の状況。
一体何が起きて、どういうことになっているのか。
それを考えるためには、一度ひとりになりたかったのだ。
令嬢向けの寮はひと部屋辺りが大きいらしく、建物の見た目の大きさに反して、部屋数は少ない。
入り口にあった入寮者表を見たアリソンから部屋番号を聞いていた彼女は、2階の端にある焦げ茶色の扉の前で立ち止まった。
ベリンダ・ベル、と書いてあるのだろうネームプレートは、彼女には読めない。
どうやら彼女に馴染み深い日本語や英語とは、異なる表記が使われているようだった。
幸いにして数字の部分は、細部こそ異なるものの、原理としてはローマ数字に近いものが使われているらしい。
「『Ⅱ-Ⅳ』……二〇四号室ってとこかね?」
ベリンダはノックもせずにドアを開けた。
「おお」
部屋の中は5~6人でパーティーができそうなほどに広く、そして綺麗に整頓されている。
壁際に天蓋つきのベッドがあり、しっかりとベッドメイクがされていた。
チェストやクローゼット、椅子にテーブル、隣室へと繋がる扉がいくつかある。
「こんなとこでひとりで寮生活してんのかよ。贅沢なやっちゃなーコイツ」
と、ベリンダは呟く。
前世での彼女は、上に姉がひとり、そして下には弟がふたりと、妹がひとりいた。
5人姉弟で両親を加えて7人暮らし。なおかつ築25年を超えた賃貸アパートの2DKという、とんでもない人口密度での生活を強いられていたものである。
当然そんなぎゅうぎゅう詰めの自宅に帰る気は起きずに、不良少女となった彼女は外をふらふらと野放図に走り回る生活を送ることとなるのだが。
ベリンダは適当なチェストの引き出しを開けると、ふわふわとした白いタオルを見つけ出す。
彼女はそのタオルで自らの髪をぐしゃぐしゃっと拭った。
憐れ、清潔そうな白いタオルは、あっという間に茶色いシミだらけになってしまう。
「服も脱ぐかー」
ベリンダはそう言うと、自らの濡れたドレスに手をかける。
「ん? どう脱ぐんだこれ」
彼女の緑色をしたドレスは丈が長く、嵩のあるスカートは足下まで届いている。
分かりやすいファスナーや紐の類いは見当たらない。
どうやらそういったものは、着脱の際以外は、ドレスのフリルの陰などに隠れるようなデザインになっているようだった。
「……よくわかんねーな」
とはいえ、脱げないからといつまでも濡れたドレスをまとっていては、風邪をひいてしまう。
仕方がないのでベリンダは、えいやっ、と力を入れて、ドレスを引き裂いてしまった。
毛足の長いカーペットの敷かれた床に、完全に雑巾と化した濡れドレスを、ポイポイと脱ぎ捨てる。
もしもこの衣装をデザインした人がこの光景を目の当たりにしたら、悲鳴を上げて卒倒してしまうことだろう。
肌着であるキャミソール姿になってしまったベリンダは、着替えを用意することもなく、ひとり掛けのソファに腰を下ろした。
ベロアのふんわりとした触り心地が、むき出しの肌に気持ちいい。
ベリンダは行儀悪く足を組みながら、「さて」と呟いた。
ベリンダは現在、ひどく奇妙な状況に陥っているといえるだろう。
なにせ体感にしてほんの数時間前まで、彼女は日本の女子高生で、女番長で、田舎町をバイクで駆け抜けていたのだ。
だというのにバイク事故を起こしたかと思ったら、今度は訳の分からない世界で、傲慢なお嬢様の取り巻きになっているときた。
コイツは一体、どういうことなんだ?
コツン。
そもそも、ここは一体どこなんだ。
オレが知らないだけで、どこか遠くの異国に飛ばされちまったのか。
それにしちゃあ、この部屋のネームプレートは見たこともないような文字だったよなあ。
アラビア文字とかとも違ったみたいだし。
コツン、コツン。
そーいやー、あのローザリヤ嬢。
魔法学園がどうとか言ってなかったか。
魔法だって? もしかして、そんなアヤシげなもんを大真面目に学ぼうとしている、研究機関かなにかだったりするんだろうか?
だとしたら、面倒なことに巻き込まれる前に、とっととおさらばしてーもんだが……。
コンコン。コツンコツン。
コツコツ、コンコンコンッ。
「だああああああっ! うっせええーーなっ! 人が珍しく考え事をしてるってーときによお!」
ベリンダはソファから立ち上がると、音の出所を探し始めた。
どうやらそのコツンコツンという硬質な音は、すぐ後ろの窓の外から聞こえているらしい。
「お?」
ベリンダは窓の外に影を認めて、訝しげに首をひねった。
「どーやって開けんだこれ」
2つの窓枠が縦に並んだ、上下に動かすタイプの窓である。
日本ではあまり見かけないタイプの窓であるため、彼女は少し苦労しながら、下の窓を上に押し上げた。
すると、窓の外から小さな影が、部屋の中に飛び込んでくる。
「クエーッ! キエエーーッ!」
「うおっ、なんだ!?」
部屋に飛び込んできた影は、さっきまでベリンダが腰掛けていたソファの背にとまると、キーキーとやかましく鳴き始めた。
呆気にとられて目を丸くするベリンダは、すぐにその正体に気がつく。
「あれ。お前、確かローザリヤ嬢の肩にとまってた、インコじゃねえかよ」
そうである。
そこにいたのは、黄色い羽に黒い縞模様をもつ、セキセイインコだった。
個体を見分けられるわけではないが、この辺りに暮らすお嬢様たちの間でインコが大流行しているのでもなければ、恐らくはローザリヤのペットのインコで間違いなかろう。
「おうおう、どうした? あの高慢ちきなお嬢に嫌気がさして逃げてきたか? 懸命な判断だと思うぜー、オレはよ」
「アネゴーッ! アネゴーッ!」
「お? 今、オレのこと、姉御って呼んだ? へー、賢いじゃんか。さすがインコ(←?)」
へらへらと笑みを浮かべたベリンダは、軽く膝を折り、インコと目線を合わせた。
「アネゴーッ! アネゴーッ!」
「おう、姉御だぜ。そういやこっちにくる前にも、オレのことを姉御って呼んで慕ってくれてたヤツがいたっけな。こっち来てから色々ありすぎて、もうすっかりあの頃のことが懐かしい気分だぜ」
「アネゴーッ! アネゴーッ!」
「へいへい。どうした? 餌か? わりーけど、持ち合わせがねーんだよな」
「ソージャネーッス! アネゴー! ウチッス! ウチッスヨー!」
「……あ?」
インコの様子がおかしい。
なんか、コイツ。
喋り方が、なんつーか、流暢、すぎやしねーか?
「アネゴ! ウチッス! ワカンナイッスカ!? ウチッスヨー! ホラホラ、キヅイテッス!」
「みょ、妙だな……。いくらインコが喋るっつったって……こんな、ハッキリ会話みたいな言葉、喋れるもんなのか……?」
「ウチッス! アネゴ! チョ、マ……ナンデ、クビネッコ、ツカムッスカ!」
「なんか気味わりーなコイツ。外に逃がしちまうか……」
ベリンダはインコの首をむんずと掴むと、そのまま窓の方へと歩み寄る。
どうやらこのままでは、外に追い出されてしまいそうだ。
そのことを察したインコは、バタバタとカラフルな羽でもがきながら叫び声を上げる。
「チゲーッス! インコジャネーンス! ウチッス! ウチッスヨ、アネゴォ!」
「インコじゃねーって……どう見てもインコだろお前。何言ってんだ」
「ジャナクッテ……!」
「あのお嬢も、よーこんな気色悪いペットが飼えるもんだね。ほれ、さっさとアイツんとこ帰って、お高い餌でももらってきな」
「アアーーーッ!」
ジタバタと暴れるインコは、その身を掴まれたまま、いよいよ窓の外まで出されてしまった。
「アネゴーッ! ウチッスヨー! “ヤンス”ッスー! “ヤンス”ッスヨー!」
「ヤンスッス? 変な鳴き声だなー、って、……“ヤンス”?」
今まさに手を離してインコを閉め出そうとしていた、ベリンダの動きが止まった。
ヤンス。
インコが叫ぶその言葉に……聞き覚えがあったからだ。
ベリンダはインコを再び部屋の中に戻すと、その嘴に鼻が触れんばかりに顔を寄せて叫ぶ。
「お前……もしかして、“ヤンス”かよ!?」
その言葉を聞いたインコは、「アアーッ!」と嬉しそうに鳴くと、ガクガクと頷いて。
「やっぱり姉御は、姉御なんすね!? そうっす! ウチっす! 姉御のたったひとりの舎弟の、“ヤンス”っすよー! また会えて嬉しいっす! アヤコの姉御ぉーっ!」
そう言って、インコ……いや、ヤンスは。
目に鮮やかな黄色い羽を、大きく広げて見せたのだった。
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