絆の試練
シルヴァーナ領の城は、春の陽光に輝いていた。
リシア・シルヴァーナは城の大広間に立ち、七つの大罪のロードたちが集うために用意した円卓を見つめていた。
銀髪が光に輝き、漆黒のメイド服は戦乙女の決意を湛える。
彼女の胸には、アルヴィン・シルヴァーナのカルマ
――傲慢、憤怒、嫉妬、怠惰、強欲、暴食、色欲――
の苦痛が刻まれていた。
エリオット・ラヴェンダーとの戦いから数ヶ月。
エリオットの信頼再構築への決意は、シルヴァーナ領に新たな風を吹き込んでいた。
リシアは、七人のロード――クラウディア、ガルド、ルーカス、ソフィア、バルクレイド、エリオット――の心を動かした自分の信念を思い返していた。
だが、七つのカルマの重さは、彼女の身体と心を蝕んでいた。
(私は、アルヴィン様のカルマを癒したかった。民を救いたかった。
でも、この苦痛は深まるばかり……私の信念は、ただの夢だったの?)
リシアの碧い瞳が揺れる。
彼女は、シルフィードに刻まれた七つの紋様
――炎、鎖、砂時計、金貨、牙、薔薇、王冠――を思い浮かべる。
それぞれのカルマは、ロードたちの痛みと絆の証だった。
だが、その重さは、リシアの心に絶望の種を植えていた。
(アルヴィン様、あなたの孤独が、私の胸を刺す。
家族を守れなかった罪悪感が、あなたを縛っている。
私には、わかる……でも、私の力は、足りないの?)
大広間の扉が開き、アルヴィンが現れる。
金髪が陽光に輝き、青い瞳は鋭い。
七つの痣――額の王冠型、腹の炎型、首の蛇型、右腕の砂時計型、左腕の金貨型、胸の牙型、左足の薔薇型――は、彼の傲慢と罪悪感を映し出す。
「リシア、ぼうっとしている暇はないぞ。シルヴァーナの戦乙女は、反逆者を叩き潰す準備をしろ」
リシアは微笑み、頭を下げる。
「はい、アルヴィン様。ですが、貴族の腐敗は力だけで解決できません。
七人のロードと協力し、民の信頼を取り戻しませんか?」
アルヴィンは鼻を鳴らす。
「ふん、協力だと? シルヴァーナの名は、俺だけで証明する! だが……」
彼は一瞬、目を逸らし、続ける。「お前の言うことも、多少は聞いてやる」
リシアの心が震える。
(アルヴィン様、あなたの心が、初めて開き始めた。この絆で、あなたの罪悪感を癒せる!)
彼女はアルヴィンとの絆を通じて、彼の気丈な態度の裏の孤独を感じ、自身の心が締め付けられた。
(あなたの強がりは、私の胸を裂く。どうか、私にその痛みを分かち合わせて……)
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暗闇に座する、黒い長髪、細いがしっかりとした体躯の男。
男の後ろには巨大なオーブが安置されており、その中に七色のマーヴル模様が渦巻いている。
「シルヴァーナの領主が遂にカルマを統一しました。如何いたしますか?」
言葉を発した男の横に立つ美しい女性は、エリシュオンのロードたちに仕える戦乙女の様に見えるが
少し様相が異なっている。
光沢のある皮のタイトな衣装は体の大部分を隠そうともせずに、そのシルエットを強調するような形で纏われている。上腕から手首にかけてゆったりとした白い布で袖口があり、スカートともズボンとも取れるひだの付いた長い布は膝上あたりまでの長さで垂れている。極東の島国の衣装にも似た様相である。
「フン…想定ではカルマを奪った際に、その能力と共にすべてを吸収して跡には何も残らず破壊する、唯一の完全体のロードとして覇道統一を果たしてくれると思っていたのだがな…」
肘をついて少し不服そうにつぶやく男。
「七つの欲望のカルマに身を焼いて、エリシュオンを覆う恐怖の象徴として庶民を一掃してもらう予定で御座いました…まさか、あれだけの罪を抱えて正気を保ち抑え込める者がいようとは」
「心外かな?」
「私はあなた様の剣であり鞘です。戦聖騎士の名に懸けて、ギルバート様の御心に沿わないことなどございましょうか」
「まあ、そうだな…これも想定内ということにしておこう…」
ギルバートと呼ばれた男が立ち上がり、ホールを後にする。
去り際に横に控える戦聖騎士を名乗った女性に命令する。
「リュシエル、七騎士を呼び戻したまえ」
「承知いたしました、ギルバート様」
礼をするリュシエルと呼ばれた戦聖騎士が頭を上げると
暗闇と静謐がその場を支配する。
そして彼女も音もなくその闇の中に溶けて消えた。
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七人のロードとそのメイドたちがシルヴァーナ領に集結した。
クラウディアとセレナ、ガルドとマリカ、ルーカスとエリナ、ソフィアとティナ、バルクレイドとレイラ、エリオットとミリア。
彼らの領地はそれぞれ改革を進めていたが、シルヴァーナ領の貴族の腐敗はエリュシオンの未来を脅かしていた。
「どうにもおかしい!」
ガルドが円卓に着くや否や開口一番に憤怒さながらに吐き捨てる。
「俺様の憤怒はそこの傲慢なアルヴィンの戦乙女に打ち砕かれて浄化された…と思っていたが、領地の問題は一向に解決しない…それどころか、むしろ俺の怒りを恐れて縮こまっていた小悪党どもがその敗北を知り一斉に蜂起した様子さえ感じる」
マリカが続ける「『ザカリア・ダークストーンが生きている』などというガセ情報も含めて、民衆を混乱させて操り、ガルド様の憤怒の再燃を促すような動きがあります。
単なるテロの様な単発的なものではなく、統一された動きを感じます」
一時期は落ち着いたように見えた領地の問題を払拭するのは難しいという状況らしい。
鉱夫たちに対しては、資金の流れをある程度公開し、一定の信用を回復し始めていた矢先であった。
クラウディアも同様に訴える。
「エミリアの亡霊が出る…という噂が領地内で広まり、クラウディアの無理な改革が過去の怨念を呼び起こして領地に不幸を呼び込んでいるの。私のところに来て恨みを語るなら分かるけど、皆のことを愛していたエミリアがそんなことするわけがないわ」
セレナが続く「エミリア様の怨霊かどうかは別としても、実際に領民が行方不明になり、原因不明の病気で亡くなるという実態もあり、噂の伝播に歯止めが効きづらい状況です」
ルーカスやソフィア、バルクレイド、エリオットも同様に民衆や領地に目を向けてカルマの浄化を促す施策を行うも、想定外の邪魔が入り上手く進まない状況がそれぞれに合った。
そうした状況が、カルマを通してアルヴィンの中に流れ込むことをリシアは胸の印を通じて痛烈に感じ取っていた。このままではアルヴィンの心が先に壊れてしまう。
「ふん…君たちは僕のところに自らがうまく行かない失策の愚痴を言いに来たのか?」
アルヴィンは立ち上がり皆を見渡しながら尊大な態度で言う。
「ああん?お前のところの戦乙女が、助力を乞うって言うから来てやったのに随分な挨拶じゃねえか!」
バルクレイドがいきり立つ。
「シルヴァーナは一度や二度の失敗で引いたりしない。そんなものは努力とも呼ばない!民衆の声を聞くのと民衆の求めるものに応えることが領主の仕事ではない」
「それが傲慢だというのではないですか?」ソフィアが聞く。
「領主が、領民や貴族の言うことを聞いて媚びへつらってどうするのだ?優しい領主、話の分かる主?そんな欺瞞で一時的な態度などは必要ない!…正しいと思ったことを信念持って行い、成功も失敗もその責務を負うことこそが領主たる資格があるのだ」
「ガハハハッ!俺たちのカルマ全てを背負ってそこまで言えるのは大したもんだ」
バルクレイドが豪快に笑う…が、目は笑っていない。
「当然だ…私はシルヴァーナの領主でありエリシュオンの盟主足りえるアルヴィン・シルヴァーナだ」
「尊大が過ぎませんか?バルクレイドも聞きましたが、私たちはカルマから救われた身で恩があるからこそ召喚に応じました。愚直な傲慢を聞かされるためではありません」
クラウディアが改めてアルヴィンに問う。
「私も諸君らも勘違いをしていた」
アルヴィンが静かに応える。先ほどまでの尊大な態度や口調ではない。
「私はそこにいる私の戦乙女リシアの活躍で、君たちの挑戦を退けカルマの力と贖罪をこの身に宿している。
この力はその身に余る狂気と絶望と深淵なる闇に通じる悪魔の力だと痛感している…それはここに集うロード諸君も少なからずその身に宿して分かっていると思う。
だが、その力の奔流に流されて自分を見失うことはついになかった。
それこそが自分がシルヴァーナ当主だからこそ成し得たのだという自負があったのだが、ある時気付いたのだ」
アルヴィンは少しだけ目を細めて微笑を浮かべると、席から離れリシアの元に行く。
「リシア…君との絆が漆黒の深淵なる闇の中で、私を繋ぎとめてくれている銀の鎖であることを」
リシアは意表を突かれて固まる。そしてその瞳にはどんなに傷ついても苦しい時でも浮かばなかった涙が浮かぶ。
「も、勿体ないお言葉です…わ…私は…」
「君と僕の絆ではあるが、君が手放すことを僕は願っていた…僕の苦痛が君を縛ることを知ってしまったときからね…だが、どんなに苦境に立っても君は僕との繋がりを一度たりとも疑いはしなかった」
(嗚呼、アルヴィン様…私の、私の心も忠誠も全て感じてくださっていた。領主としてロードとして国を思い、葛藤し戦い続けてくださっていたのだ…)
「おいおい、何だよ…円卓会議に呼ばれたかと思ったら結婚式の招待状だったのかよ」
ガルドがニヤニヤしながら揶揄う。
「フン、何を言う!…彼女は」尊大な態度に戻ったアルヴィンを遮ってルシアが答える
「私はアルビン様の剣ーー『王に捧げられし解放の剣』
バトル・メイド・サーヴァントです!」
アルヴィンは少しだけ呆気にとられるが
「彼女との絆は魂の繋がりだ。世俗の仕来たりなどで測れるようなものではない」
静かに僅か笑い、続ける。
「貴君らも決闘において、感じていたのだろう…リシアの強さを。
そしてその純粋な想いを。だから今日、こうして召喚に応じた」
(私が他領主様たちに打ち勝てたのは、アルヴィン様の強い信念、決意と覚悟…その想いこそが私に流れ込んでくる理力の源だったのです。私はただアルヴィン様を信じて尽くしただけなのに…)
リシアは自分を立てて話をするアルヴィンの話に唯々頷くだけで否定はできなかった。
「私の中に渦巻くカルマは集約することで一つの大きな力と為すことを知った。この構造こそ本来の相互間での強い力になることは証明されたわけだ」
「回りくどい説明はいいぜ、結局我らが集まった理由は何だ」
しびれを切らせたバルクレイドが円卓の上に載せた指で卓上をつつく。
「互いのロードの欠点を補って問題を解決しようって言う話かい?」
ルーカスが気づいてたけど面倒だ…といった感じで口を開く。
「さすがに分かっていたってことかしら…これまでの円卓会議でも問題点の報告はあっても内政不干渉の鉄則に関しては議論されず、互いの領主が解決を目指す…で終わっていたものね」
ソフィアが繋ぐ。
「果たしてそこまで上手くいくだろうか?…商売絡めた流通はこれまで通りでも、もし内乱鎮圧のために軍を動かすなどとなったらそこは戦争の火種になりかねない…となると、そこまで大規模な改革は難しくないか?」エリオットは懐疑的だ。
「ふん…だから私が先陣を切って動く。君たちを向かい入れてシルヴァーナ領の問題を解決するために開放し、問題の終息に対する助力を願いたい。カルマの力をお返ししよう…ただし、ルシアを通して私と繋がることが条件だ。カルマの負の力は強大だが、絆で分散し制御が可能。そしてその力は私が今すべてを受け止めている…間違えても暴走する危険はない」
「そんなことをして、アルヴィン・シルヴァーナ。君に何の利点が?」
「そんなことも分からないのか…」
「そんな君たちの絆を否定する」
突然、円卓のあるホールの壁際から声がする。
全員が反応し、リシア含めた戦乙女たちが主人を守ろうと武器を構える。
空間が裂け、黒い濃厚な霧が漏れ出す。
その中から壮年と言っていい年の男が出てくる。
金の刺繍が細かく入った白いタキシード、羽毛が襟に大量についた黒いマント
黒い長髪を後ろに固めて流す細身の引き締まった体躯は自身体から発するオーラを差し引いても巨大。
精悍な顔つきに深い皴が刻まれ、髭が口の周りを覆うが奇麗に整えられている。鋭い眼光は狂気の赤い光を宿している様に不気味に光る。
「ギルバート卿?」
ソフィアが思わず独り言ちる…
「ソフィア嬢、元気にしていたかね…」ギルバートはゆっくりと円卓に近づく。
「何者?!」リシアがシルフィードを構えて問う。
「それ以上近づいたら斬ります!」ギルバートとソフィアが言った人物から溢れ出る禍々しいオーラはカルマの印の比ではない…
(こんな力の奔流に晒されてまともに意識を維持することなど人間に可能なのだろうか?いったいこの人は…いや、人間なのか?)
「リシア、臆するな!」
横からセレナとティナが飛び出す。
セレナの戦斧「インフェルノ」が唸りを上げ上空からその巨大な質量で粉砕する勢いでギルバートの頭部に振り下ろされる。ティナが地面を這うように接敵し、金色の短剣「グリードブレード」でその脚を狙う。だが、攻撃が当たると思われたその刹那…二人の戦乙女は反対側の壁に激突している。
二人の安否を気遣う余裕がないほどリシアは正面から目が離せない。
ギルバートの居た場所の少し前に刀を構える女性が立っている。
いったいどこから現れたのか?全く直前までその存在すら関知できていなかったが、その女性は優雅に、だが全く隙が無く最初からそこに存在したが如く佇んでいる。
「躾がなっていないな…ギルバート・ヴァンデル=アークノス様の御前であるぞ!」
「ふふ…我が戦聖騎士リュシエル・ナクティアよ…下がっていなさい」
「はい、我がロード」
リュシエルという戦聖騎士は納刀しギルバートの後ろに控える。
戦闘態勢を一見解除したように見えるその所作の間でも、リシアは眉一つ動かすことができずにいた。
戦…聖騎士…?!聞いたことが無かったその戦乙女に匹敵、いやはるかに上回る戦闘力を持ったメイドが目の前にいるその圧倒的な圧力に身動きが取れないのだ。
「リシア!」アルヴィンの声が後ろから掛り、正気を取り戻す。
シルフィードに刻まれたカルマの刻印が光る。
アルヴィンの覚悟と強い意志がリシアに流れ込む
「私は、あなたの剣です」
「ほう、それが…贖罪の聖域
――七罪が刻まれし封印の祭壇。血と誓いの交錯する場所…の力か」
「この力のことを知っているの?!」
「フハハハハハ…何も知らずにその力を遣っているのか?!」
「嵐の裁き!」
リシアの渾身の一撃がギルバートに襲い掛かる。巻き上がる竜巻はホールにある周囲の調度品を巻き込んで暴れたのち、急激に収束して敵をせん滅する…はずだった。
だが、そこに崩れ果てた瓦礫以外に何も残っていない。
「大した威力だが……私には通用しない。残念だったな。
――今回の目的は果たした。では、失礼するよ。」
ギルバートの声が静かに消えると同時に、その立ち位置にはわずかに黒い霧がたなびいていた。
だが、彼の姿はもう、どこにもなかった。
リシアはハッと顔を上げる。
他のロードたちは、仲間の戦乙女が守り抜いてくれている――だが。
その輪の中に、アルヴィンの姿だけがない。
「……あ、アルヴィン様っ!?」
(まさか、アルヴィン様が――誘拐された……?)
その現実を前に、リシアの心は凍りついた。
守るべき主を奪われたという衝撃が、彼女の思考を飲み込んでいく。
手から滑り落ちたシルフィードは、かすかな鈴音とともに砕け散り、光の粒となって霧のように消えた。
どれほど目を凝らしても、探しても、彼の姿は――もう、どこにもなかった。
床にへたり込むリシア。
「しっかりしな!」レイラとミリアがリシアを立て起す。
動揺するリシアの頬を叩く。
「ご主人との絆は未だ感じるか?」
そうだ…リシアの胸の痣は力強く脈突き、暗黒の力が絆を縛る。
「確かに胸に刻まれたカルマは私につながりを感じます…」
「なら、アルヴィン卿は生きている!大丈夫です」
「は、はい!…そ、そうですね…」
主への忠誠が崩れたわけではない。
それでも、アルヴィンとのこの距離に、リシアは初めて"絶望"という名の影を見た。