紅き誘惑
シルヴァーナ領の城は、冬の朝の静寂に包まれていた。
リシア・シルヴァーナは城の礼拝堂に立ち、ステンドグラスから差し込む光を見つめていた。
銀髪が色とりどりの光に輝き、漆黒のメイド服は戦乙女の気品を湛える。
彼女の胸には、アルヴィン・シルヴァーナのカルマ
――傲慢、憤怒、嫉妬、怠惰、強欲、暴食――の苦痛が刻まれていた。
バルクレイド・クロウとの戦いから数週間。
バルクレイドの持続可能な農業への決意は、シルヴァーナ領に新たな希望をもたらしていた。
リシアは、バルクレイドの暴食を動かした自分の信念を思い返していた。
だが、アルヴィンの傲慢は依然として重く、彼の六つの痣
――額の王冠型、腹の炎型、首の蛇型、右腕の砂時計型、左腕の金貨型、胸の牙型――
は輝きを増している。リシアは、シルフィードを具現化するたび、アルヴィンの苦痛を共有し、彼の孤独が絆を通じて胸を刺す。
「アルヴィン様……あなたの理想は、私の全て。でも、あなたの心の叫びが、私を苦しめる……」
リシアは呟き、胸に手を当てる。そこには、ガルドの熱、クラウディアの冷たさ、ルーカスの虚無、ソフィアの欲望、バルクレイドの飢えが響き合う。
(あなたの気丈な姿の裏で、家族を失った罪悪感があなたを縛っている。
私には、その痛みが感じられるのに……)
礼拝堂の扉が開き、アルヴィンが現れる。
金髪が冬の光に輝き、青い瞳は鋭い。
「リシア、こんな暗い場所で何をしている? シルヴァーナの戦乙女が、祈りに逃げるな」
リシアは微笑み、頭を下げる。
「申し訳ありません、アルヴィン様。民の心のつながりを、思っていました」
アルヴィンは鼻を鳴らす。
「ふん、つながりなど、シルヴァーナの名に無意味だ。
リシア、くだらんことを考える暇があるなら、最後の敵に備えろ。
エリオット・ラヴェンダーが動いているらしい」
リシアの心がざわめく。エリオット――のロード。
彼の左足の薔薇の痣は、孤立と不信を映し出す。
バルクレイドの戦いで感じた資源枯渇の痛みを思い出し、リシアはエリオットの色欲がどんな渇望から生まれたのか考える。
「アルヴィン様、エリオット様の領地は、不信と孤立で民が離れている。
私たちの領地の貴族の腐敗も、同じ分断を生むかも……
信頼とコミュニティの再構築を提案し、絆を取り戻しませんか?」
リシアは慎重に言う。
アルヴィンの眉が上がる。
「信頼だと? ふざけるな! シルヴァーナの名は、力で全てを支配する! エリオットごとき、叩き潰してやる!」
リシアは静かに頷く。
「はい、アルヴィン様」
だが、彼女の心は叫んでいた。
(アルヴィン様、あなたの強がりは、私の胸を裂く。
誰も信じられない恐怖、家族を守れなかった罪悪感……この絆で、あなたの心を開きたい!)
彼女はアルヴィンとの絆を通じて、彼の孤独を我がことのように感じ、苦しんでいた。
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その夜、エリオットからの使者がシルヴァーナ領に現れた。
エリオットのメイド、ミリアだ。
20歳の女性は、扇「ロザリア」を手に、妖艶な微笑みを浮かべる。
「リシア・シルヴァーナ、アルヴィン様。私の主、エリオット・ラヴェンダーが、シルヴァーナの力を試したいと仰っています。場所は、ラヴェンダー領の霧の湖。受けて立つ?」
アルヴィンが前に出る。
「ふん、エリオットの誘惑で、シルヴァーナを惑わすだと? 受けて立つ!」
リシアはアルヴィンの肩に手を置き、制止する。
「アルヴィン様、慎重に。エリオット様の色欲は、魅惑的です。私に任せてください」
ミリアが扇を揺らし、笑う。
「リシア、あなたの信念、楽しみだわ。でも、エリオット様の愛は、どんな絆も引き裂くよ。
湖で待ってるわ」
ミリアが去り、リシアはアルヴィンと馬車でラヴェンダー領へ向かう。
霧の湖は、深い霧に覆われ、孤立した民の不信が漂う。
コミュニティの崩壊が、リシアの胸を締め付ける。
シルヴァーナ領の貴族の腐敗も、同じ分断を招くかもしれない。
湖の岸辺で、エリオットとミリアが待っていた。
エリオットは22歳、優美な顔立ちに甘い声。
左足の薔薇の痣が、霧の中で輝く。
「アルヴィン、ようこそ。シルヴァーナの傲慢、味わわせてよ」
ミリアが扇を開く。
「リシア・シルヴァーナ、準備はいい? エリオット様の色欲、受けて立つ覚悟はできてるよね?」
リシアはアルヴィンの前に立ち、言う。
「ミリア、戦う前に聞かせて。エリオット様のカルマ――色欲の原因は何? その痛みを、教えてちょうだい」
敵のカルマを知ることは、戦いの始まりだ。
ミリアの瞳が揺れる。
「エリオット様の色欲? それは、愛されなかった渇望からよ。
家族に裏切られ、エリオット様は愛を求める。
でも、誰も本当の愛をくれなかった。だから、全てを誘惑で手に入れるの!」
リシアの胸が締め付けられる。愛への渇望――それは、アルヴィンの孤独と罪悪感に通じる。彼女はアルヴィンの額、腹、首、右腕、左腕、胸の六つの痣に触れる。
「シルフィード、顕現せよ!」
光がリシアの手から溢れ、レイピア「シルフィード」が現れる。
刃には、炎、鎖、砂時計、金貨、牙の紋様が刻まれ、風、炎、鎖、時間、欲望、飢えが渦巻く。
だが、アルヴィンの六つのカルマの苦痛がリシアに流れ込み、彼女の身体が震える。
絆を通じて、アルヴィンの気丈な姿の裏の孤独が、リシアの心を刺す。
(アルヴィン様、あなたの心は叫んでいる。誰も信じられない恐怖が、私の胸を裂く……この痛み、私が背負う!)
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戦いが始まった。ミリアの扇が舞い、魅惑の風がリシアを惑わす。
リシアは風を纏い、レイピアで風を切り裂く。
炎の紋様を呼び起こし、風に炎を纏わせる。
「燃えなさい!炎の嵐」
炎の刃がミリアを襲うが、彼女の扇が魅惑を放つ
「嗚呼、この花びらに触れるな。魅了された者は、甘き幻に堕ちる──薔薇の魅惑!」
濃厚な薔薇の香りと共に花びらが舞い、リシアの心を揺さぶる。
「リシア、あなたの心、エリオット様に捧げなさい!」
ミリアの扇が再び舞い、リシアの纏う風に纏わりついて意志を奪おうとする。
「吹き上がる風の守護盾!!」
「無駄よ!風はバラの匂いを更に巻き込むだけよ!」
リシアは鎖の紋様を呼び起こし、風に鎖を放つ。
「鎖の嵐」
鎖が扇を絡め、動きを封じる。
「ミリア、エリオット様の渇望、わかるわ。でも、色欲は彼を縛るだけ。
あなたも、エリオット様を信じて、本物の愛と信頼の道を選んで!」
リシアは叫ぶ。
彼女の声には、アルヴィンの孤独を共有する苦しみが滲む。
(アルヴィン様、あなたの孤独を私が背負うように、エリオット様の渇望も癒したい……
この痛み、私の絆で断ち切りたい!)
ミリアの瞳が揺れる。
「本物の愛? ふざけないで! エリオット様は、愛を信じられない! 誘惑で全てを手に入れるしかない!」
扇が光り、リシアの心をさらに惑わす。
「いまこそ照らされよ、我が心に咲く真実のバラ――!」
リシアの動きが鈍り、カルマの苦痛が彼女を締め付ける。
アルヴィンの孤独が、絆を通じてリシアの胸を刺す。
(アルヴィン様、なぜそんな気丈に振る舞うの? あなたの心の叫び、私には聞こえるのに……その痛みを、私に預けて!)
アルヴィンが叫ぶ。
「リシア、負けるな! お前は俺の戦乙女だ!」
その声に、リシアの瞳が輝く。
だが、彼女の心は叫ぶ。
(アルヴィン様、あなたの強がりは、私の心を裂く。この絆で、あなたの孤独を癒したい!)
「はい、アルヴィン様……私は、あなたの剣です」
ミリアの扇が最後の魅惑を放つ。
「エリオット様の愛、受けなさい!『楽園の棘が告げる、愛の黙示』!!!」
扇から放たれる薔薇の花びらがリシアを包み、心を奪おうとする。
リシアは膝をつき、息を荒げる。だが、彼女の碧い瞳は屈しない。
「アルヴィン様、私はあなたの理想を信じる。どんな渇望も、絆で乗り越えられる!」
リシアは風、炎、鎖、時間、欲望、飢えを巻き上げる。
「封忌螺旋!!」
風の刃がミリアを襲い、扇を砕く。
戦闘衣装は引き裂かれ、膝をついてミリアは息を荒げる。
「くっ……リシア、なんて深淵なる強い信念……!」
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エリオットの過去:色欲の起源(9年前)
ラヴェンダー領は、エリュシオンの辺境に位置し、静かな田園風景が広がる領地だった。
穏やかな気候と美しい花畑で知られ、民衆は農業と手工芸で生計を立てていた。
エリオット・ラヴェンダーは、14歳の少年として、領主の次男として育てられていた。
紫色の髪と紫色の瞳を持つエリオットは、繊細で感受性が強く、兄のラルフとは対照的な性格だった。
エリオットの父、ガブリエル・ラヴェンダーは、領主として領地を平和に治めていたが、厳格で感情をあまり表に出さない人物だった。
母のセシリアは、エリオットを溺愛し、彼の感受性を愛していた。
兄のラルフは、エリオットより5歳年上で、父の跡を継ぐために厳しく育てられていた。
ラルフは真面目で責任感が強く、エリオットを「弱い」と見下していた。
エリオットは母に愛される一方で、父や兄からの愛を感じられずに育った。
ガブリエルはエリオットに言う。
「エリオット、お前はラルフのようになれない。もっと強くならなければ、ラヴェンダー家の名を汚すぞ」
エリオットは父に訴える。
「父上、僕だって頑張ってる! 僕を見てよ!」
だが、ガブリエルは冷たく言う。
「お前は繊細すぎる。領主には向かない」
エリオットは母にすがるが、セシリアの体は病弱で、長く生きられない運命だった。
セシリアはエリオットに言う。
「エリオット、あなたの優しさは、きっと誰かを救うわ。愛を信じて……」
だが、セシリアはエリオットが13歳の時に亡くなる。
エリオットは母の死に打ちひしがれ、孤独に苛まれる。
(母さん、僕を愛してくれた唯一の人だった。父も兄も、僕を愛してくれない……)
その後、ラヴェンダー領に危機が訪れる。
領地の貴族、フィリップ・ダスクウィンドが、ラヴェンダー領の支配を奪うため、策略を巡らせた。
フィリップは、ガブリエルの統治に不満を持つ民衆を扇動し、エリオットを誘拐する計画を立てる。
「次男を人質にすれば、ガブリエルは動揺し、領地は我々のものだ」
フィリップの兵士がエリオットを連れ去り、ガブリエルとラルフは救出に向かう。
だが、フィリップの策略は狡猾だった。
エリオットは救出されるが、フィリップの放った矢がラルフを貫く。
ラルフはエリオットの前で息を引き取る。
「エリオット、すまない……お前を、守れなかった……」
「兄さん何故なのですか?…私のことなど…」
ガブリエルは兄のラルフを失ったことにショックを受けて言う
「何故お前でなくラルフだったのだ!」
エリオットは、深く絶望する…
(父は私を認めてくれない…愛していないのだ…兄は兄なりに私を心配してくださっていたのだ…だが、それに気づいても既に遅い…私は必要とされていないのですか?私を愛してくれる人は全て居なくなってしまう…愛とは何なのだ?!)
彼の心に、色欲のカルマが宿る。
右手に薔薇型の痣が刻まれ、色欲が彼を支配する。
(僕は、愛されたい。母さんのような愛を、兄さんのような絆を、誰かに求めたい! 僕を愛してくれるなら、誰でもいい!)
数年後、彼に仕えるメイド、ミリアが現れる。
ミリアは、ラヴェンダー領の花畑で育った16歳の少女で、紫色の髪と優しい瞳を持つ。
彼女は、エリオットの母セシリアに似た雰囲気を持ち、エリオットに忠誠を誓う。
「お前は私を愛してくれるのか?」と問うエリオットにミリアは応える。
「全てを」
「ならばお前の全てを私に捧げる覚悟があるか?」
「何なりと」
「そうか…だが、私の愛はそのものの命を代償に求めるぞ」
「身命を賭してお応えします」
その愛を確かめ合う行為の中で、ミリアは戦乙女として覚醒した。
「私はエリオット様のバトル・メイド・サーヴァントです」
覚醒したエリオットはミリアと共にフィリップを倒すが、父ガブリエルとの関係はさらに冷え切り、ラヴェンダー領は孤立する。
エリオットは色欲に溺れ、愛と快楽を求めるようになったが、心の空虚は埋まらなかった。
「エリオット様、あなたの色欲は、民を惑わすだけです。セシリア様は、あなたの優しさを愛した。
ラルフ様も、あなたを守りたかった。愛を、絆で築いてください!」
「ミリア、僕の色欲がわかるかい? 僕は愛されたいだけなんだ。
母さんも、兄さんも、僕を愛してくれなかった。
お前なんかに、僕の気持ちはわからないよ」
ミリアは献身的に支えたが、エリオットを導くまでに至らなかった。
(エリオット様、あなたの色欲の裏に、深い孤独がある。
母様と兄様の死を、乗り越えられなかった……でも、私はあなたを支える!)
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エリオットがミリアに寄り添う。
四散してしまった衣服の代わりに自分の上着を掛ける。
「ミリア、十分だよ。リシア、君の目は、愛を教えてくれる」
彼は左足の痣を押さえ、続ける。
「俺の領地、民が孤立してるのは知ってる。リシア、君の言う信頼、試してみてもいいかな」
リシアは息をのむ。「エリオット様、それは……?」
ミリアが倒れたまま呟く。「リシア……あなたの絆、エリオット様に届いたのね……」
ロザリアが光となって砕け、リシアのレイピアに薔薇の紋様が刻まれる。
同時に、アルヴィンの左足に薔薇の痣が輝き、彼が苦痛でうめく。
「ぐっ……このカルマさは……!」
リシアは駆け寄り、アルヴィンの左足に触れる。
「アルヴィン様、エリオット様の色欲、私が背負います!」
痣から熱い流れがリシアに注ぎ、新たな苦痛が刻まれる。
彼女は歯を食いしばり、アルヴィンを支える。
(アルヴィン様、あなたの心の孤独が、この痣にも響いている。
私には、わかる……でも、私はあなたを信じる。この痛みを、共に乗り越える!)
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シルヴァーナ領に戻る馬車の中で、リシアはアルヴィンを見つめる。
彼の七つの痣――額、腹、首、右腕、左腕、胸、左足――は、カルマの重さを物語る。
アルヴィンの気丈な態度、その裏の罪悪感と孤独が、リシアの絆を通じて胸に響く。
(アルヴィン様、あなたは強がるけど、心は震えている。家族を守れなかった罪悪感、誰も信じられない恐怖……私の心も、同じように痛むわ。どうか、私にその痛みを分かち合わせて……)
リシアは言う。
「アルヴィン様、エリオット様の領地では、信頼とコミュニティの再構築が必要です。
私たちの領地も、貴族の腐敗を正し、民の絆を取り戻すべきです」
アルヴィンは苛立つ。
「リシア、民の絆など無意味だ! シルヴァーナの名は、力で証明する!」
リシアは静かに頷く。
「はい、アルヴィン様」
だが、彼女の心は叫んでいた。
(アルヴィン様、あなたの孤独を、私は感じている。
この絆で、あなたの心を開きたい。あなたの理想を、共に叶えるために、私の全てを捧げるわ!)
エリオットの心を動かしたように、アルヴィンの傲慢も向き合うことで癒せる。
リシアは、シルフィードに刻まれた炎、鎖、砂時計、金貨、牙、薔薇の紋様を感じながら、決意を新たにする。
次の領主との戦いはもうないかもしれない。
七つの大罪を背負ったリシアとアルヴィンは、シルヴァーナ領の未来をどう切り開くのか。
リシアの碧い瞳は、希望と不安に揺れながら、未来を見つめていた。