沈む魂の魔術
シルヴァーナ領の城は、朝の光に輝いていた。
リシア・シルヴァーナは城のバルコニーに立ち、領地の街並みを見つめていた。
銀髪が風に揺れ、漆黒のメイド服は戦乙女の気品を湛える。
彼女の胸には、アルヴィン・シルヴァーナのカルマ――傲慢、憤怒、嫉妬――の苦痛が刻まれていた。
ガルドの憤怒、クラウディアの嫉妬を開放し、その呪いを解いた。
それはリシアにとって誇るべきことであった。
だが、アルヴィンの傲慢は依然として重く、彼の三つの痣――額の王冠型、腹の炎型、首の蛇型――は輝きを増している。
リシアは、シルフィードを具現化するたび、アルヴィンの苦痛を共有し、戦闘で力を発揮するほどその苦しみは枷となる。
「アルヴィン様……あなたの理想は、私の全て。でも、領地の腐敗を正さなければ、あなたのカルマは癒えない……」
リシアは呟き、胸に手を当てる。
そこには、ガルドの熱、クラウディアの冷たさが響き合う。
バルコニーの扉が開き、アルヴィンが現れる。
金髪が朝日に輝き、青い瞳は鋭い。
「リシア、またぼうっとしているのか? シルヴァーナの戦乙女が、そんな顔をするな」
リシアは微笑み、頭を下げる。
「申し訳ありません、アルヴィン様。領地の民の暮らしを、思っていました」
アルヴィンは鼻を鳴らす。
「ふん、民など、シルヴァーナの名に仕える駒だ。リシア、くだらんことを考える暇があるなら、次の敵に備えろ。ルーカス・グレインツが動いているらしい」
リシアの心がざわめく。ルーカス――怠惰のロード。
円卓の塔で彼の冷静な介入が、マリカとの戦いを止めた。
だが、彼の右腕の砂時計型の痣は、放置された領地の絶望を映し出す。ルーカスの怠惰は、どんな痛みから生まれたのか。
「アルヴィン様、ルーカス様の領地は、インフラの放置で民が苦しんでいます。私たちの領地の貴族の腐敗も、同じ絶望を生むかも……民の声に耳を傾け、復興を始めてみませんか?」リシアは慎重に言う。
アルヴィンの眉が上がる。
「復興だと? 民の不満など、力で押さえつければ済む! ルーカスごとき、叩き潰してやる!」
リシアは静かに頷く。
「はい、アルヴィン様」
だが、彼女の心は揺れていた。
クラウディアの心を動かしたように、ルーカスの嫉妬も向き合うことで癒せるかもしれない。
リシアは、アルヴィンの理想を叶えるため、カルマと領土の問題に立ち向かう覚悟を新たにする。
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その日、ルーカスからの使者がシルヴァーナ領に現れた。
ルーカスのメイド、エリナだ。
18歳の少女は、淡い紫のメイド服に身を包み、杖「クロノス」を手に持つ。
彼女の瞳は冷静だが、どこか寂しげだ。
「リシア・シルヴァーナ、アルヴィン様。私の主、ルーカス・グレインツが、シルヴァーナ領の力を試したいと仰っています。場所は、グレインツ領の廃墟の谷。受けて立ちますか?」
アルヴィンが前に出る。
「ふん、ルーカスの怠惰な頭で、シルヴァーナに挑むだと? 受けて立つ!」
リシアはアルヴィンの肩に手を置き、制止する。
「アルヴィン様、慎重に。ルーカス様の魔術は、予測不能です。私に任せてください」
エリナが小さく微笑む。
「リシア、あなたの信念は、円卓の塔で見たわ。でも、ルーカス様の嫉妬は、簡単には動かない。谷で待ってるわね」
エリナが去り、リシアはアルヴィンと馬車でグレインツ領へ向かう。
廃墟の谷は、崩れた塔と枯れた木々に覆われた荒涼とした地だ。
かつての繁栄は跡形もなく、放置されたインフラが民の絶望を物語る。
リシアは、シルヴァーナ領の貴族の腐敗が同じ未来を招くかもしれないと考える。
谷の中心で、ルーカスとエリナが待っていた。
ルーカスは25歳、乱れた黒髪と眠たげな瞳が特徴だ。
右腕の砂時計型の痣が、かすかに動いている。
「よお、アルヴィン。こんな面倒なこと、さっさと終わらせたいんだけどな」
エリナが杖を構える。
「リシア・シルヴァーナ、準備はいい? ルーカス様の嫉妬、受けて立つ覚悟はできてるわよね?」
リシアはアルヴィンの前に立ち、言う。
「エリナ、戦う前に聞かせて。ルーカス様のカルマ――怠惰の原因は何? その痛みを、教えてちょうだい」
敵のカルマを知ることは、戦いの始まりだ。
エリナの瞳が一瞬揺れる。
「ルーカス様の嫉妬? それは、才能ゆえの孤独からよ。どんなに優れていても、誰も彼を理解してくれなかった。努力しても報われないから、ルーカス様は全てを放棄したの」
リシアの胸が締め付けられる。孤独――それは、アルヴィンの傲慢の裏の罪悪感と通じる。
彼女はアルヴィンの額、腹、首の三つの痣に触れる。
「シルフィード、|顕現せよ!《マニフェスト・ナウ」
光がリシアの手から溢れ、レイピア「シルフィード」が現れる。
刃には、炎の紋様と鎖の紋様が刻まれ、風、炎、鎖が渦巻く。
だが、アルヴィンの三つのカルマの苦痛がリシアに流れ込み、彼女の身体が震える。
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戦いが始まった。エリナの杖が光り、魔術の光弾がリシアを襲う。
リシアは風を纏い、レイピアで光弾を切り裂く。
炎の紋様を呼び起こし、風に炎を纏わせる。
「燃えなさい!炎の嵐」炎の刃がエリナを襲うが、彼女の魔術が時間を歪め、刃を逸らす。
「リシア、あなたの力は認めるわ。でも、ルーカス様の嫉妬、こんな攻撃じゃ動かない!光子の集中砲火」
エリナの杖が再び光り、空間がねじれる。無数の空間のねじれから光弾が一斉に襲い掛かる。
リシアの動きが一瞬遅れ、光弾が彼女の肩をかすめる。
血が滴り、カルマの苦痛がリシアを締め付ける。
アルヴィンが叫ぶ。
「リシア、負けるな! お前は俺の戦乙女だ!」
アルヴィンの額の痣が激しく光る。リシアはレイピアを握りしめる。
「はい、アルヴィン様……私は、あなたの剣です!」
エリナの魔術が加速し、時間の流れがリシアを縛る。
「リシア、あなたの忠誠、試してあげるわ! ルーカス様の孤独は、どんな絆も無意味にする!」
魔術の鎖がリシアを包み、動きを封じる。
リシアは鎖の紋様を呼び起こし、風に鎖を放つ。「鎖の嵐」
鎖が魔術の鎖を砕き、エリナを後退させる。
「エリナ、ルーカス様の孤独、わかるわ。でも、嫉妬は彼を縛るだけ。あなたも、ルーカス様を信じて、努力する道を選んで!」
エリナの瞳が揺れる。
「努力? ルーカス様は、努力しても報われなかった! 誰も彼を必要としなかったのよ!」
杖が光り、巨大な魔術の円陣がリシアを包む。時間が停止し、リシアの身体が動かなくなる。
リシアは歯を食いしばる。
アルヴィンのカルマの苦痛――傲慢、憤怒、嫉妬――が、彼女を蝕む。
だが、彼女の心は屈しない。
「アルヴィン様、私はあなたの理想を信じる。どんな孤独も、絆で乗り越えられる!」
リシアの叫びが、魔術の円陣を揺らす。
風、炎、鎖が融合し、円陣を打ち砕く。「嵐の裁き!」
風の刃がエリナを襲い、戦乙女の衣装は衣が裂け、風に千切れ飛ぶ。
羞恥とダメージで彼女は膝をつく。
「くっ……リシア、なんて強い…自己献身と絆と信念……!」
その瞬間、リシアの意識がルーカスの過去に引き込まれる。彼女は、ルーカスの記憶を見る――
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ルーカスの過去:怠惰(沈む魂)の起源(10年前)
シャドウリーフ領は、エリュシオンの深い森に囲まれた美しい領地だった。
豊かな自然と穏やかな気候が特徴で、民衆は薬草採取や工芸で豊かに暮らしていた。
長い泰平が続き、争いも貧困も知らない楽園のような場所だった。
ルーカス・シャドウリーフは、15歳の少年として、領主の長男として育てられていた。
灰色の髪と灰色の瞳を持つルーカスは、聡明で先見の明があったが、周囲に甘やかされて育ち、努力することを知らなかった。
ルーカスの父、ダミアン・シャドウリーフは、領主として領地を穏やかに治めていたが、ルーカスを過剰に甘やかしていた。母のルナは、ルーカスを溺愛し、彼のどんなわがままも許した。
ルーカスには、弟のノアがいた。ノアはルーカスより4歳年下で、明るく純粋な少年だった。
家族は仲睦まじく、ルーカスは何不自由なく暮らしていた。
だが、ルーカスの聡明さは、泰平の裏に潜む危険を察知していた。
シャドウリーフ領は、森の資源に依存しすぎており、外部との交易が少ない。
ルーカスは父に訴える。
「父上、このままじゃダメだ。森の資源に頼りすぎてる。
交易を増やして、領地を強くしないと、いつか危機が来るよ」
ダミアンは笑いものにする。
「ルーカス、シャドウリーフ領は泰平だ。危機なんて来ないよ。お前は心配しすぎだ」
ルナも優しく言う。「ルーカス、もっと楽しく生きなさい。努力なんて必要ないわ」
ノアも無邪気に笑う。「兄さん、いつも難しいこと言ってる! 僕、森で遊ぶ方が好きだよ!」
ルーカスは民衆にも警告する。
「みんな、森だけに頼るのは危険だ。交易を増やして、備えよう!」
だが、民衆はルーカスの言葉を笑いものにする。
「シャドウリーフ領は平和だ。ルーカス様、心配しすぎですよ」
ルーカスの警告は誰にも届かず、彼は次第に諦めるようになる。
(どうせ、誰も聞いてくれない。努力しても、無意味だ……)
彼は努力を放棄し、泰平の中で怠惰に浸る日々を送る。
そんな中、シャドウリーフ領に危機が訪れる。
森の資源を狙う貴族、ヴィンセント・ストームブレードが、シャドウリーフ領を侵略する計画を立てる。ヴィンセントは、外部との交易がないシャドウリーフ領の脆弱性を見抜き、森を焼き払う策略を巡らせる。
「森を焼けば、シャドウリーフ領は崩壊する。資源は我々のものだ」
ヴィンセントの兵士が森に火を放ち、シャドウリーフ領は炎に包まれる。
ルーカスは家族と共に逃げようとするが、泰平に慣れた領地は対応が遅れる。
民衆はパニックに陥り、ダミアンへの不満を爆発させる。
「ダミアンのせいで、森が焼けた! シャドウリーフ家を倒せ!」
ルーカスは必死に訴える。
「父上、僕の警告を聞いてくれれば、こんなことにはならなかった! まだ間に合う、力を合わせて火を消そう!」
だが、ダミアンは混乱の中でヴィンセントの剣に倒れ、ルナも炎に巻き込まれる。ノアはルーカスの手を握り、呟く。
「兄さん、ごめんね……僕、もっと兄さんの言うこと聞いてれば……」
ノアも煙に巻かれて息を引き取る。
ルーカスは絶叫する。
「何故、俺の警告を聞いてくれなかったんだ! 努力しなかったから、家族も、領地も、全部失った! もう、何もしたくない!」
その瞬間、ルーカスの額に砂時計型の痣が刻まれる。
怠惰のカルマが彼を支配し、彼の心を停滞させる。
(努力しても、誰も聞いてくれない。結局、全部失った。俺は、もう何もしたくない……)
シャドウリーフ領は荒廃し、ルーカスは領主の地位を失い、没落する。
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ルーカスが没落して数年後、彼の元に魔術師であるエリナが現れる。
エリナは、シャドウリーフ領の薬草採取民の娘で、16歳。
茶色の髪と澄んだ瞳を持つエリナは、ルーカスの母ルナに似た穏やかさを持っていた。
彼女は、シャドウリーフ領の泰平な時代を愛しており、ルーカスの警告が正しかったと信じていた。
エリナはルーカスに言う。
「ルーカス様、あなたの警告は正しかった。私、信じてます。シャドウリーフ領を、取り戻しましょう!」
ルーカスは気だるげに言う。
「エリナ、努力しても無意味だ。俺は、もう何もしたくない……」
だが、エリナは諦めない。
「ルーカス様、あなたの聡明さは、領地を救える! 私、あなたを支えます!」
すると、何と言うことであろうか…エリナがルーカスの戦乙女として覚醒する。
「ルーカス様のために、エリナはこの身を捧げ、この命をも賭してお仕えいたします」
エリナの献身に動かされ、ルーカスは立ち上がる。
エリナの助けを借り、ヴィンセントと戦い、シャドウリーフ領を奪還する。
ルーカスは再びロードの地位を取り戻し、エリナの支えで領地を再建する。
民衆はルーカスを再び受け入れ、シャドウリーフ領は少しずつ復興する。
だが、怠惰のカルマはルーカスを再び堕落させる。
(俺は、努力して領地を取り戻した。でも、また何かあったら、全部失うかもしれない。もう、努力したくない……)
ルーカスは再び怠惰に浸り、領主としての責任を放棄する。
シャドウリーフ領は再び停滞し、民衆は困窮する。
エリナはルーカスの怠惰に苦しむ姿を見て、心を痛める。
「ルーカス様、あなたの怠惰は、領地を停滞させるだけです。もう一度、立ち上がってください! 私は、あなたを信じてます!」
ルーカスは気だるげに笑う。
「エリナ、僕の怠惰がわかるかい? 努力しても、また失うかもしれない。
君なんかに、僕の気持ちはわからないよ」
エリナは目を伏せる。
(ルーカス様、あなたの怠惰の裏に、深い絶望がある。努力が報われなかった痛みを、乗り越えられなかった……でも、私はあなたを支える!)
彼女はルーカスの側に立ち続け、彼の心を癒そうと努力する。
だが、ルーカスの怠惰は深まるばかりで、エリナの声は届かなかった。
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(ルーカス様、あなたの怠惰は、努力が報われない絶望から生まれた。警告を無視され、全てを失い、再び努力を放棄した痛みが、あなたを縛っている……)
リシアの胸に、砂時計型の痣が刻まれる。ルーカスの怠惰のカルマが彼女に流れ込み、シルフィードに砂時計の紋様が刻まれる。彼女は歯を食いしばり、叫ぶ。
「ルーカス様、あなたの怠惰、私が癒す! シルヴァーナの名は、絆で守るわ!」
エリナが前に出る。「ルーカス様、リシアの言う通りです! 私は、あなたの怠惰を癒したい。あなたの警告は正しかった。もう一度、シャドウリーフ領を、共に築きましょう!」
ルーカスは呟く。「リシア、エリナ……僕の怠惰を、君たちが受け止めてくれた……」
リシアはルーカスの手を取る。「ルーカス様、怠惰を癒すのは、絆です。シャドウリーフ領を、民と共に築き直しましょう。アルヴィン様の理想も、共に叶えるわ」
ルーカスは小さく笑う。
「リシア、君の風は、僕の停滞を動かしてくれた。エリナ、僕のそばにいてくれ」
リシアの心が温まる。
(ルーカス様、あなたの怠惰は、私の心を停滞させた。でも、この絆で、あなたの心を動かせた。アルヴィン様、私の戦いは、あなたの理想のために……)
クロノスが消えると同時に、アルヴィンの右腕に砂時計型の痣が輝き、彼が苦痛でうめく。
「ぐっ……この重さは……!…怒りと嫉妬と絶望の淵で全てを破棄して暴れたい欲求が…だが、我が信念の前には屈しない…」
リシアは駆け寄り、アルヴィンの右腕に触れる。
「アルヴィン様、ルーカス様の怠惰、私が背負います!」
痣から冷たい流れがリシアに注ぎ、新たな苦痛が刻まれる。
彼女は歯を食いしばり、アルヴィンを支える。
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シルヴァーナ領に戻る馬車の中で、リシアは言う。
「アルヴィン様、ルーカス様の領地では、インフラの復興と教育が必要です。私たちの領地も、貴族の腐敗を正し、民の信頼を取り戻すべきです」
アルヴィンは苛立つ。
「リシア、民の不満など無意味だ! シルヴァーナの名は、力で証明する!」
リシアは静かに頷く。
「はい、アルヴィン様」
だが、彼女の心は揺れていた。ルーカスの心を動かしたように、アルヴィンの傲慢も向き合うことで癒せる。
リシアは、シルフィードに刻まれた炎、鎖、砂時計の紋様を感じながら、決意を新たにする。
次の戦いで、どんなカルマと向き合うのか。
リシアの碧い瞳は、希望と不安に揺れながら、未来を見つめていた。