嫉妬の鎖
シルヴァーナ領の城は、夜の静寂に包まれていた。
大理石の広間で、暖炉の火が揺れる。
リシア・シルヴァーナは、窓辺に立ち、エリュシオンの星空を見上げていた。
銀髪が火の光に輝き、漆黒のメイド服は彼女の戦乙女の気品を際立たせる。
だが、彼女の碧い瞳には、かすかな不安が宿っていた。
あの夜のセレナとの戦い、そしてガルドの憤怒を継承した戦いから数日。
アルヴィン・シルヴァーナの身体には、傲慢の痣(額の王冠型)に加え、憤怒の痣(腹の炎型)が刻まれていた。
リシアは、アルヴィンのカルマの苦痛を共有するたびに、自身の戦闘行動に枷を感じていた。
シルフィードを具現化する瞬間、アルヴィンの痣に触れるたび、彼の痛みが彼女の胸を刺す。
「アルヴィン様……あなたの理想は、私の全てです。でも、この苦痛は……」リシアは呟き、胸に手を当てる。そこには、ガルドの憤怒の熱が、確かに残っていた。
広間の扉が開き、アルヴィンが現れる。
金髪に青い瞳、貴族らしい端正な顔立ちだが、額の痣は不気味に輝く。
「リシア、何をぼうっとしている? シルヴァーナの戦乙女が、そんな顔をするな」
リシアは微笑み、頭を下げる。
「申し訳ありません、アルヴィン様。ただ、夜の美しさに心を奪われて」
アルヴィンは鼻を鳴らす。
「ふん、美しさなど、覇権を握る力に比べれば無価値だ。リシア、準備をしろ。クラウディア・ヴェルモンドが使者を送ってきた。どうやら、俺を試す気らしい」
リシアの心がざわめく。
クラウディア――嫉妬のロード。
彼女のメイド、セレナの鎖は、リシアの風を封じた。
あの冷たい笑みが、脳裏に蘇る。
「了解しました、アルヴィン様。どのような試練でも、私があなたの盾となります」
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クラウディアの使者は、シルヴァーナ領の城門で待っていた。
黒いドレスの少女――セレナだ。彼女の瞳には、嘲笑と挑戦が混じる。
「リシア・シルヴァーナ、覚えているかしら? 私の主、クラウディア様が、アルヴィン様に会談を提案なさったわ。場所は、ヴェルモンド領の境界、枯れ木の森。どう、受ける?」
アルヴィンが前に出る。
「ふん、クラウディアごときが、シルヴァーナに挑むだと? 受けて立つ!」
リシアはアルヴィンの肩に手を置き、制止する。
「アルヴィン様、慎重に。クラウディアの嫉妬は、狡猾です。私に任せてください」
セレナがくすくすと笑う。
「忠義深いメイドね。でも、リシア、その忠誠があなたを滅ぼすわ。森で待ってるわよ」
彼女は闇に消え、リシアの胸に冷たい予感が広がった。
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枯れ木の森は、ヴェルモンド領の荒涼とした境界に広がる。
月光が枯れた枝を照らし、霧が地面を這う。
リシアとアルヴィンは馬車を降り、森の奥へ進む。
リシアの心は、シルヴァーナ領の貴族の腐敗を思い出しながら、クラウディアの領地の貧富の格差を想像していた。
嫉妬のカルマは、格差と裏切りを映す。クラウディアの痛みは、どんな形なのだろうか。
森の中心で、セレナが待っていた。
黒いドレスの裾が霧に揺れ、彼女の手には鎖「クルーエルチェイン」がうねっている。
背後には、クラウディアが優雅に座る。
彼女の首の蛇のような痣が、月光に輝く。
「アルヴィン様、ようこそ。シルヴァーナの傲慢、拝見したくてね」
アルヴィンが冷笑する。
「クラウディア、俺の名を試す気か? お前の嫉妬など、シルヴァーナの前では無力だ!」
リシアは前に出る。
「セレナ、戦う前に聞かせて。あなたの主のカルマ――嫉妬の原因は何? その痛みを、教えてちょうだい」
敵のカルマを知ることは、戦いの始まりだ。
セレナの瞳が暗く光る。
「ふふ、リシア、礼儀正しいわね。いいわ、教えてあげる。
クラウディア様は、身内に裏切られ、愛を失った。
幸福な者たちの笑顔を見るたび、クラウディア様の心は裂けるのよ!」
リシアの胸が締め付けられる。
裏切り――それは、アルヴィンの家族を失った痛みと重なる。
彼女はそっとアルヴィンの額に触れ、カルマの力を呼び起こす。
「シルフィード、顕現せよ!」
光がリシアの手から溢れ、レイピア「シルフィード」が現れる。
刃には、ガルドの憤怒の炎の紋様が刻まれ、風と炎が渦巻く。
だが、アルヴィンの苦痛がリシアに流れ込み、彼女の額に汗が滲む。
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戦いが始まった。セレナの鎖が蛇のようにしなり、リシアを襲う。
リシアは風を纏い、レイピアで鎖を弾くが、セレナの動きは狡猾だ。
鎖は無数に分裂し、リシアを包囲する。「リシア、あなたの忠誠、試してあげるわ!」
リシアは炎の紋様を呼び起こし、風に炎を纏わせる。
「燃えなさい!炎の嵐」炎の刃が鎖を焼き、セレナを後退させる。
だが、セレナの鎖がリシアの心に訴えかける。
「お前の主は傲慢な青年だ。やがてお前を捨てるわ、リシア!」
リシアの動きが一瞬止まる。
アルヴィンの傲慢――彼がリシアを必要としなくなる恐怖が、心をよぎる。
だが、彼女は首を振る。
「いいえ、私はアルヴィン様を信じる。彼の理想を、共に叶えると誓った!」
セレナが叫ぶ。
「クラウディア様の嫉妬は、こんな絆じゃ消えない! 幸福な者全てを、引きずり下ろすのよ!」
鎖が再び襲い、リシアの腕を絡め取る。
鋭い痛みがリシアを襲う――アルヴィンの傲慢と憤怒の苦痛が、彼女の身体を蝕む。
アルヴィンの痣が光り輝く。肉が焼けるような異臭が周囲に立ち込める。
だが、アルヴィンは痣に少し手を当てただけで前を向く。
「リシア、負けるな! お前は俺の戦乙女だ!」
その声に、リシアの瞳が輝く。圧し掛かる重圧も憎しみも渦巻く力に代わる!
「はい、アルヴィン様……私は、あなたの剣です!」
リシアは風と炎を巻き上げ、鎖を切り裂く。「嵐の裁き!」
風の刃がセレナを襲い、クルーエルチェインを砕く。
セレナは膝をつき、息を荒げる。「くっ……リシア、なんて力……!」
だが、セレナは最後の鎖を放つ。
「クラウディア様の痛み、味わいなさい!」
鎖がリシアの死角から脇腹に突き刺さり、クラウディアの記憶が流れ込む―
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クラウディアの過去:嫉妬の起源(12年前)
グリーンヴァイン領は、豊かな緑と花に囲まれた美しい領地だった。
クラウディア・グリーンヴァインは、15歳の少女として、領主の娘として育てられていた。
緑色の髪とエメラルドのような瞳を持つクラウディアは、幼い頃から美しく、領地の民から愛されていた。だが、彼女の心は、嫉妬の種を抱えていた。
クラウディアの父、ヴィクター・グリーンヴァインは、領主として公正に統治していたが、厳格な性格だった。
母のエレノアは優しく、クラウディアを愛していたが、病弱で床に伏せることが多かった。
クラウディアには、双子の妹、エミリアがいた。
エミリアはクラウディアと瓜二つだったが、性格は正反対で、明るく無邪気だった。
民衆はエミリアの純粋さに惹かれ、彼女を「グリーンヴァインの花」と呼んだ。
クラウディアはエミリアを愛していたが、父や民衆がエミリアばかりを褒めることに苛立ちを覚えていた。
ヴィクターはエミリアに言う。
「エミリア、お前はグリーンヴァインの希望だ。民の心を掴む才能がある」
クラウディアは父に訴える。
「父上、私だって頑張っています! 私を見てください!」
だが、ヴィクターは冷たく言う。
「クラウディア、お前はエミリアのようにはなれない。もっと努力しろ」
クラウディアの心に、嫉妬の芽が生まれる。
(何故、エミリアばかりが愛されるの? 私だって、グリーンヴァインの娘なのに……)
彼女はエミリアを憎むことはなかったが、父や民衆の愛を奪われる恐怖が、彼女を蝕んでいた。
ある日、グリーンヴァイン領で祭りが開かれた。
エミリアは民衆と踊り、笑顔を振りまく。
クラウディアは遠くからその光景を見て、胸が締め付けられる。
(エミリア、私の居場所を奪わないで……)
その時、エミリアがクラウディアに近づき、手を差し出す。
「お姉様、一緒に踊りましょう! 民が、私たちを待ってるわ!」
クラウディアは微笑むが、心の中では嫉妬が渦巻く。
(エミリア、あなたは無垢だから、民に愛される。私には、そんな笑顔は作れない……)
祭りの夜、クラウディアは一人で庭に立ち、涙を流す。
その後、グリーンヴァイン領に危機が訪れる。
隣国の貴族、セルヴィス・シルバーヴェインが、グリーンヴァイン領の土地を奪うため、策略を巡らせた。
セルヴィスは、ヴィクターの統治に不満を持つ貴族たちを扇動し、エミリアを誘拐する計画を立てる。「グリーンヴァインの花を奪えば、ヴィクターは動揺し、領地は我々のものだ」
セルヴィスの兵士がエミリアを連れ去り、クラウディアは父と共に救出に向かう。
だが、セルヴィスの策略は狡猾だった。
エミリアは救出されるが、セルヴィスの放った矢が彼女を貫く。
エミリアはクラウディアの腕の中で息を引き取る。
「お姉様、ごめんね……民を、守って……」
クラウディアは絶叫する。
「エミリア! 私の妹を、返して! 何故、私から全てを奪うの!」
彼女の心に、嫉妬(緑眼の怨嗟)のカルマが宿る。
首に蛇型の痣が刻まれ、嫉妬が彼女を支配する。
(エミリア、私が愛されたかった。父も、民も、あなたばかりを見て、私を見なかった。私の居場所を、誰もくれなかった! 私は、欲するものを全て手に入れる! 誰にも、渡さない!)
クラウディアはセルヴィスを倒すが、彼女の心は嫉妬に支配されたままだった。
父ヴィクターとの関係は冷え切り、グリーンヴァイン領は貧富の格差が広がり、民衆はクラウディアを恐れるようになった。
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クラウディアのメイド:セレナの絆
クラウディアが嫉妬のカルマを背負って数年後、彼女に仕えるメイド、セレナが現れる。
セレナは、グリーンヴァイン領の貧しい農家の娘で、18歳。
金髪と優しい瞳を持つセレナは、エミリアに似た明るさを持っていた。
彼女はクラウディアに忠誠を誓い、嫉妬に苦しむ彼女を支えようとする。
セレナはクラウディアに言う。
「クラウディア様、エミリア様は、あなたを愛していました。民も、あなたを必要としています。嫉妬を捨てて、共に歩みましょう」
クラウディアは冷たく笑う。
「セレナ、私の嫉妬がわかる? 私は全てを失った! 父も、民も、私から愛を奪った! お前なんかに、私の気持ちはわからない!」
セレナは目を伏せる。
(クラウディア様、あなたの嫉妬の裏に、深い孤独がある。エミリア様の死を、乗り越えられなかった……でも、私はあなたを支える!)
彼女はクラウディアの側に立ち続け、彼女の心を癒そうと努力する。
そして数年後クラウディアのバトル・メイド・サーヴァントとして覚醒する。
だが、クラウディアの嫉妬は深まるばかりで、セレナの声は届かなかった。
「お前の献身が妬ましい。私に仕え続けるなら、この身に宿る因果をも超えて見せてみろ」
「お傍で邁進いたします」言い切るセレナにクラウディアはそれ以上何も言わなかった。
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「セレナ……クラウディア様の痛み、わかるわ。
でも、嫉妬はあなたを縛るだけ。彼女を救うなら、別の道を!」
リシアは叫び、レイピアを振り上げる。炎の嵐!風と炎が融合し、セレナを打ち倒す。
セレナが倒れると、クルーエルチェインが光となって砕ける。
リシアのレイピアに、蛇のような鎖の紋様が刻まれる。
同時に、アルヴィンの首に蛇の痣が輝き、彼が苦痛で膝をつく。
「ぐっ……この痛みは……!私の中で亡き者を欲し、怒りが渦巻き…それをすべて吐き出し焼き尽くせと黒い炎となってうねり暴れる…」
リシアは駆け寄り、アルヴィンの首に触れる。
「アルヴィン様、クラウディア様の嫉妬、私が背負います!」
痣から冷たい熱が流れ、リシアの胸に新たな苦痛が刻まれる。
彼女は歯を食いしばり、アルヴィンを支える。
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クラウディアはセレナを抱き上げ、静かに言う。
「リシア・シルヴァーナ、あなたの信念、確かに見ましたわ。
アルヴィン様、あなたの傲慢は、こんなメイドを生んだのね」
アルヴィンは立ち上がり、冷たく笑う。
「ふん、クラウディア、お前の嫉妬はシルヴァーナの前に敗れた。それだけだ」
だが、クラウディアの瞳には、かすかな変化が宿っていた。
クラウディアの瞳が揺れる。
「リシア、あなた……私の嫉妬を、受け入れたの?」
リシアは微笑む。
「クラウディア様、あなたの傷、私にはわかる。エミリア様を失った痛み、愛を奪われた恐怖……でも、セレナが、あなたを支えてきた。彼女の絆を、信じてください」
セレナが起き上がりクラウディアの前に出る。
「クラウディア様、リシアの言う通りです!…私は、あなたの嫉妬を癒したい。エミリア様の遺志を、民への愛を、共に叶えましょう」
「リシア、セレナ……私の嫉妬が、あなたたちに届いたのね……」
「クラウディア様、嫉妬を癒すのは、絆です。グリーンヴァイン領を、民と共に築き直しましょう。アルヴィン様の理想も、共に叶えるわ」
クラウディアは小さく笑う。
「リシア、あなたの風は、私の嫉妬を静めたわ。セレナ、私のそばにいて」
リシアは驚き、クラウディアを見つめる。
「クラウディア様、それは……?」
クラウディアは微笑む。
「リシア、あなたの戦いは、ただの勝利じゃないわ。私の心に、ほんの少し、風を吹かせたのよ」
クラウディアはセレナを連れ、森を去る。
リシアはレイピアを光に溶かし、アルヴィンを見やる。
彼の首の痣は、嫉妬の新たな重さを物語っていた。
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馬車でシルヴァーナ領に戻る途中、リシアは言う。
「アルヴィン様、クラウディア様の領地では、貧富の格差が民を苦しめています。私たちの領地も、貴族の腐敗を正さなければ、同じ苦しみを生むかも……」
アルヴィンは苛立つ。
「リシア、民の不満など、覇権に無意味だ! お前は戦えばいい!」
リシアは静かに頷く。
「はい、アルヴィン様」
だが、彼女の心は揺れていた。
クラウディアの変化は、カルマと向き合うことの意味を示していた。
アルヴィンの傲慢と憤怒、そして新たに加わった嫉妬――リシアは、全てを背負う覚悟を新たにする。
レイピアに刻まれた鎖の紋様を、リシアはそっと感じる。
シルフィードは、アルヴィンとの絆の証だ。
次の戦いで、どんなカルマと向き合うのか。
リシアの碧い瞳は、決意と不安に揺れながら、未来を見つめていた。




