銀の召喚
月光がエリュシオンの石畳を白く染める。
古都の裏路地に、血の匂いが漂っていた。
リシア・シルヴァーナは静かに佇み、銀の髪を夜風に揺らしていた。
漆黒のメイド服は、戦場に不釣り合いなほど優雅だ。
だが、彼女の手にしたレイピア「シルフィード」は、月光を鋭く反射し、その刃が戦乙女の本性を物語る。
「随分と遅かったじゃない、追っ手の犬ども」
リシアの声は冷たく、しかしどこか品がある。彼女の前に立つのは、黒いローブに身を隠した五人の刺客。男たちの目には欲望と殺意が混じるが、リシアの碧い瞳は微塵も揺れない。
「その男を渡せ。さすれば命は助けてやる」刺客のリーダーが嗤う。
リシアの唇がわずかに弧を描いた。「命? 私の主に仕えるこの身に、そんな安いものは不要よ」
次の瞬間、彼女の身体が動いた。
メイド服の裾が翻り、レイピアが風を切り裂く。
刺客の一人が血飛沫を上げて倒れ、他の者たちが慌てて剣を構える。
しかし、リシアの動きは舞踏のようだ。
一振りごとに敵が倒れ、彼女のドレスには一滴の血もつかない。
「バトル・メイド・サーヴァント……貴様、聖契約の戦乙女か!」最後の刺客が叫ぶ。
リシアは静かに頷き、レイピアを構え直す。
「その通り。私は主、アルヴィン・シルヴァーナの盾であり、剣。シルヴァーナ家の忠義を、この刃に誓う」
刺客が最後の抵抗を試みるが、リシアのレイピアが一閃。
風が唸り、男の胸を貫く。路地は再び静寂に包まれた。
リシアは剣を掲げると闇に溶ける様に消え失せた。
その先には、彼女が命を賭して守る青年が立っていた。
「アルヴィン様、ご無事ですか?」
アルヴィン・シルヴァーナ、18歳。シルヴァーナ家の末裔であり、リシアの主人だ。
金髪に青い瞳、貴族らしい端正な顔立ちだが、その額には黒い王冠型の痣が刻まれている。
傲慢のカルマ――彼の罪の証だ。
「ふん、こんな雑魚に遅れを取るわけがないだろう」
アルヴィンの声は自信に満ち、しかしどこか苛立っている。
「リシア、なぜ時間をかけた? さっさと片付けていれば、こんな場所で立ち止まる必要もなかった」
リシアは静かに頭を下げる。「申し訳ありません、アルヴィン様。以後、気をつけます」
だが、彼女の心はわずかに揺れていた。
アルヴィンの言葉には、いつもの傲慢さに加え、不安の影があった。
彼の痣が、最近、輝きを増しているのだ。
カルマの重さが、彼を蝕んでいる――リシアはそう確信していた。
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エリュシオンは、七つの大罪を背負ったロードたちが覇権を争う世界だ。
各ロードはカルマと呼ばれる罪の力を宿し、その力はバトル・メイド・サーヴァントに与えられる。
メイドたちは聖契約により、主人のカルマを戦闘力に変えるが、その代償として主人の苦痛を共有する。
カルマは主人の身体に痣として現れ、領土の問題を象徴する。
アルヴィンの傲慢の痣は、シルヴァーナ領の貴族の腐敗と民の不信を映し出す。
リシアはアルヴィンのカルマを力に変え、風を操る戦士として戦う。
だが、理力を発揮するほど主人と共に苦痛を共有する。
そして彼女の動きは鈍り、アルヴィンの命が危険に晒される。
それでも、リシアは迷わない。
アルヴィンの理想――シルヴァーナ家の再興とエリュシオンの支配――を信じているからだ。
「アルヴィン様、街に戻りましょう。夜はまだ長いです」
リシアが言うと、アルヴィンは軽く頷き、歩き出す。
だが、その瞬間、路地の闇から新たな気配が現れた。
「ふふ、素晴らしい舞踏でしたわ、リシア・シルヴァーナ」
声は甘く、しかし冷酷だ。
黒いドレスのメイドが月光の下に姿を現す。
セレナ、嫉妬のカルマを背負うバトル・メイド・サーヴァント。
彼女の手には、蛇のようにうねる鎖「クルーエルチェイン」が握られている。
リシアは己が主アルヴィンに寄り添い、レイピアを再び顕現させて構える。
「セレナ……クラウディア・ヴェルモンドのメイド。なぜここに?」
セレナの唇が嘲笑に歪む。
「お初にお目にかかります、シルヴァーナの戦乙女。私の主は、あなたの主を欲しているの。さあ、彼を渡しなさい」
アルヴィンが一歩前に出る。
「ふざけるな! シルヴァーナの名を汚す者に、渡すものなどない!」
だが、リシアはアルヴィンの肩に手を置き、制止する。
「アルヴィン様、ここは私に。どうか下がってください」
セレナがくすくすと笑う。
「忠義深いメイドね。でも、その忠誠があなたを滅ぼすわ。さあ、始めましょうか?」
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戦闘が始まった。
セレナの鎖が鞭のようにしなり、リシアを襲う。
リシアは風を纏い、レイピアで鎖を弾くが、セレナの動きは素早い。
鎖はまるで生き物のようにリシアを追い詰め、彼女の足元を絡め取ろうとする。
「セレナ、教えてちょうだい。あなたの主のカルマ――嫉妬の原因は何?」
リシアは戦いながら問いかける。エリュシオンの戦乙女にとって、敵のカルマを知ることは、戦いの始まりだ。
セレナの動きが一瞬止まる。彼女の瞳に、暗い光が宿る。
「ふん、余裕ね。いいわ、教えてあげる。
私の主、クラウディア様は、裏切られ、全てを失った。
他の幸福な笑顔を見るたび、クラウディア様の心は裂けたのよ!」
その言葉に、リシアの心が揺れる。裏切り――それは、アルヴィンも抱える傷だ。
家族を守れなかった過去が、彼を傲慢にさせた。
リシアはレイピアを握り直す。
「その痛み、わかるわ。でも、だからといってアルヴィン様を奪うことは許さない!」
リシアのレイピアが風を巻き上げ、セレナの鎖を切り裂く。だが、セレナは笑みを崩さない。
「いいわ、その忠誠、試してあげる!」
セレナの鎖が無数に分裂し、リシアを包囲する。
リシアは風の障壁を張るが、鎖の一本が彼女の腕をかすめ、血が滴る。
その瞬間、鋭い痛みがリシアの胸を刺した。
アルヴィンのカルマの苦痛――傲慢の痣が彼を蝕む感覚が、リシアに流れ込む。
「くっ……!」リシアは膝をつき、息を整える。アルヴィンの声が響く。
「リシア、立て! お前が倒れるわけにはいかない!」
その言葉に、リシアの瞳が再び輝く。
「はい、アルヴィン様……私は、あなたの剣です!」
リシアは立ち上がり、風を全身に纏う。
レイピアが唸り、セレナの鎖を次々と断ち切る。
セレナの表情に焦りが浮かぶ。
「ちっ、なんて力……!」
だが、セレナは最後の鎖を放つ。その鎖はリシアの心に直接訴えかける。
「お前の主は傲慢な少年だ。やがてお前を捨てるわ、リシア!」
リシアの動きが一瞬止まる。アルヴィンの傲慢――彼がリシアを必要としなくなる日が来るかもしれない。そんな恐怖が、彼女の心をよぎる。
だが、リシアは首を振る。
「いいえ……私はアルヴィン様を信じる。彼の理想を、共に叶えると誓った!」
リシアのレイピアが最後の風を放つ。「嵐の裁き!」
風の刃がセレナを襲い、彼女の鎖を全て砕く。
セレナは後退し、冷たく笑う。
「ふふ、今回は引き分けね。でも、次はそうはいかないわ、リシア・シルヴァーナ」
セレナは闇に消え、リシアはレイピアを下ろす。
彼女の腕の傷は浅いが、胸の痛み――アルヴィンのカルマの苦痛――は消えない。
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アルヴィンがリシアに近づく。
「リシア、よくやった。だが、こんな雑魚に手こずるとはな」
その言葉に、リシアは微笑む。
「申し訳ありません、アルヴィン様。次はもっと迅速に」
だが、彼女の目には、アルヴィンの額の痣が映っていた。
王冠型の痣は、月光の下で不気味に輝いている。
リシアは気づいていた。
アルヴィンの傲慢は、シルヴァーナ領の貴族の腐敗と民の不信を映し出す。
彼がその問題を無視し続ける限り、カルマは彼を蝕むだろう。
「アルヴィン様、領地に戻ったら、民の声を聞いてみませんか? 彼らの不満が、貴族の腐敗を招いているのかもしれません」リシアは慎重に提案する。
アルヴィンの眉が上がる。
「民だと? そんな下賤な者たちの声など、シルヴァーナの名に必要ない!」
リシアは静かに頭を下げる。「はい、アルヴィン様」
だが、彼女の心は決まっていた。
アルヴィンの理想を叶えるため、彼のカルマと向き合わなければならない。
たとえそれが、リシア自身の命を削ぐとしても。
路地の向こうで、馬車の音が近づく。
アルヴィンの護衛隊だ。リシアはアルヴィンを馬車に導き、二人は中に消える。
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馬車の車輪が石畳を叩く音が、リシアの耳に響く。
窓の外では、エリュシオンの夜景が流れていく。
古都の灯りは美しく、しかしどこか冷たい。
リシアは隣に座るアルヴィンを見やった。
彼の金髪は月光に輝き、青い瞳は遠くを見つめている。
額の王冠型の痣は、薄暗い車内でも不気味に際立っていた。
「アルヴィン様、お疲れではありませんか?」リシアは静かに尋ねる。
アルヴィンは軽く鼻を鳴らす。
「こんな夜遊びで疲れるわけがない。リシア、お前こそ傷を負っただろう。無様だぞ」
リシアは微笑み、腕の傷を隠すように袖を整える。
「お気遣いありがとうございます。この程度、戦乙女には何でもありません」
だが、彼女の胸には、セレナとの戦いで感じた痛みが残っていた。
アルヴィンのカルマ――傲慢の苦痛が、リシアの身体に流れ込んだ瞬間。
それは、ただの肉体の傷とは違う、重い感覚だった。
馬車がシルヴァーナ領の城門をくぐる。
護衛隊が馬車を降り、アルヴィンとリシアを城へと導く。
広間の暖炉の火が、冷えた身体を温める。
アルヴィンは大理石の階段を上り、寝室に向かおうとするが、リシアは静かに彼を呼び止めた。
「アルヴィン様、少々お時間をいただけますか?」
アルヴィンが振り返る。眉を上げ、わずかに不機嫌そうな顔だ。
「何だ、リシア。今夜はもう十分だろう」
リシアは一歩近づき、碧い瞳をアルヴィンに固定する。
「今夜の戦いで、あなたのカルマの苦痛を感じました。傲慢の痣が、私に語りかけてくるのです。どうか、その力を確かめさせてください」
アルヴィンの表情が硬くなる。
「ふん、カルマだと? そんなものを気にする必要はない。俺はシルヴァーナの名を背負う者だ!」
だが、リシアは引かない。彼女はそっと手を伸ばし、アルヴィンの額に触れようとする。
「アルヴィン様、あなたのカルマは私の力。あなたの絆が、私の剣を生むのです」
アルヴィンは一瞬、身を引こうとしたが、リシアの真剣な瞳に押され、動けなかった。
彼女の指が、額の王冠型の痣に触れる。
その瞬間、暖かな光が痣から溢れ、リシアの手を包んだ。
「これは……」リシアは息をのむ。光は彼女の手から腕へと流れ、胸の内で風のように渦巻く。
カルマの力――アルヴィンの傲慢が、リシアの魂に響き合う。
彼女は目を閉じ、その力を呼び起こす。
「シルフィード、顕現せよ!」
リシアの手から光が弾け、レイピア「シルフィード」が現れる。
刃は風を纏い、まるで生きているかのように脈打つ。
だが、リシアの額には汗が滲み、身体がわずかに震えていた。
カルマの苦痛が、彼女を蝕む。
アルヴィンの目が驚きに見開く。「リシア、これは……お前が俺のカルマを?」
リシアは微笑み、レイピアを握りしめる。
「はい、アルヴィン様。あなたのカルマと絆が、この剣を生みます。
ですが、戦うたびに、力を発揮するたびに私はあなたの苦痛を共有する。それが、聖契約の代償です」
アルヴィンは言葉を失い、痣に触れた自分の額を見つめる。
「俺の傲慢が……お前を傷つけているのか?」
その声には、いつもの傲慢さではなく、かすかな罪悪感が混じっていた。
リシアは首を振る。
「いいえ、アルヴィン様。私はあなたの戦乙女。
この苦痛も、あなたの理想のために耐える覚悟です」
リシアはレイピアを掲げ、そっと光に溶かす。シルフィードは再び消え、彼女の手は空になる。
普段、武器は具現化しない。
それが、バトル・メイド・サーヴァントの掟だ。戦う時、主人との絆が武装を呼び起こす。
「もし私が他のカルマを継承するなら……」リシアは呟く。
「全ての痣に触れ、あなたの全ての罪を共有しなければなりません。それでも、私はあなたを信じます」
アルヴィンは黙ってリシアを見つめる。彼の瞳には、初めて見る感情――感謝と、わずかな恐れ――が宿っていた。
「リシア……お前は、俺の傲慢とすべての罪を背負うと言うのか?」
「はい、アルヴィン様。シルヴァーナの名を、共に掲げるために」
リシアは静かに頭を下げる。
広間の火が揺れ、影が壁に踊る。
アルヴィンは何も言わず、階段を上っていく。
リシアは彼の背を見送り、胸に手を当てる。
そこには、アルヴィンのカルマの痛みが、その使命が確かに刻まれていた。
セレナの言葉が、脳裏に蘇る。
「やがてお前を捨てるわ」
リシアは首を振る。
「いいえ、私は信じる。アルヴィン様の理想を、この絆を」
彼女はレイピアの存在を感じながら、夜の城に佇む。
エリュシオンの戦いは、まだ始まったばかりだ。
次の戦いで、どんなカルマと向き合うのか。
リシアの心は、風のように揺れながらも、決意に満ちていた。