第9話
一口大にカットされたサンドイッチをほいほいと口に放りながら、祐毅は寝起きとは思えない真剣な眼差しでレイラの話に集中していた。
「女の子二人がね、もう一年以上前の事みたいなのだけれど、時効だろうから話してもいいって。誰かわからない様にしてくれれば、録画しても構わないと言ってくれたわ」
「その点はさっちゃんに任せれば問題ないでしょう。顔と声に加工を施して、お二人にも確認してもらった上で使わせてもらいます」
そうねと頷きながら、レイラもサンドイッチを口にする。祐毅はスマートフォンを操作しながら、鞄からメモ帳とペンを取り出した。両の手を交互に見つめ、メモ帳に日にちを書き出す。
「日程調整はお任せしてもいいですか?この日にちなら都合がつくので。さっちゃんは……まぁ大丈夫でしょう。週休二日制フレックス勤務ですから、合わせてくれると思います」
候補日を書いたメモを渡すと、レイラは任せて、と頼もしい返事をする。
目標へ着実に近づいていると実感し始めた祐毅は、レイラに依頼してから今日までを、頭の中で振り返る。
「長かったですが、ようやく目標達成に一歩近づきました。いやー、死ぬまで待つのかと思いましたよ」
祐毅の言葉に、一瞬怪訝な顔を見せるが、すぐにクスッと笑う。
「約束はきちんと果たすわよ。私の夢を先に叶えてもらったのだから」
祐毅は二人の出会いを懐かしみ、遠い目をしながらクスリと笑う。
「あの頃の僕は医者になりたてで、事を急いても何も変えることは出来なかったでしょう。力をつける時間と、協力者が絶対に必要だった。先行投資というやつですよ」
それに、と接続詞を続け、体をレイラに向ける。澄んだ瞳で彼女を見つめ、話を続けた。
「あの探し物は僕一人では絶対に見つけられなかったですし、誰にでも見つけられるものではない。レイラさん、貴女に頼んで本当に良かった」
祐毅がレイラに探し物を頼んだのはもう6年も前になる。その時から平均して月に一度は店を訪れた祐毅だが、まだ見つからないのかと催促したことは一度もなかった。簡単に見つからないと予想していたことも理由の一つだが、レイラを信じて任せたというのが最大の理由。彼女の性格・才能であれば、いつか見つけてくれると信頼して、ずっと待ち続けた。
普段は店に来ても他愛のない話しかしない祐毅が、心からの感謝を述べた。その言葉の一つ一つを噛み締めながら、レイラは彼との出会いから現在までを回顧する。目を潤ませ、口には微笑みを浮かべながら、彼女は祐毅の手に自分の手を重ねた。
「もう少しよ。一緒に頑張りましょ?」
レイラと同じく微笑みを浮かべ、首を一度だけ、深く縦に動かす祐毅。彼女の手を握るように自分の手を反し、さらに上から手を重ねて、温めるように包み込む。
二人は暫くの間、手を握り合ったまま視線を絡めた。満員御礼の店とは思えないほど、防音のしっかりとしたVIPルーム。誰も入って来ることのない部屋で、水も滴るような美人と容姿端麗な青年が二人きり。何か起こりそうな雰囲気を、どちらからともなく醸し出ている。
「じゃあ僕、そろそろ帰りますね」
その流れにあえて乗らない男、廻神祐毅。
「待ちなさい。まだ薬飲んでないでしょう」
そして即座に合わせることができる対応力のある女、レイラ。
バレたか、と半分上げていた腰を再び下ろす。唯一片手が空いているレイラが、祐毅の手をバシッと叩き、また叱り始める。
「一人じゃ薬も飲めない子供なの?まったく。どうしてこうも自分を蔑ろにするのかしら?」
祐毅はなぜか、あー、うーん、と長考を始める。叱られているという自覚が薄いのか、口にした言葉は謝罪ではなかった。
「たぶん、試しているんだと思います。自分の運と、体を」
普通の人であれば、取り留めることのない内容だろう。だが、彼の過去を知るレイラは、神妙な面持ちで祐毅の手を強く握った。
「お願いだから、危険なことはしないで……」
切望するような彼女の目を見て、少しだけ罪悪感を抱いたのか、すみませんとようやく謝った。レイラの目の前で鞄から薬を取り出し、ウーロン茶と共に胃の中に流し込む。
「じゃあ、これでお暇しますね。日程が決まったら教えてください。場所はこちらで探しておきます」
「そう?もう少しゆっくりしていっても構わないのよ?相当疲れているのでしょう?もう少し寝ていてもいいし」
祐毅は結局1時間近く寝ていた。30分経過してレイラは起こしに来はしたのだが、あまりに気持ちよさそうな顔をしていたため、そのまま寝かせておいたのだ。
「いえいえ、十分休みましたし、癒されましたよ。店名の通りにね」
この店の名前”Sanatio”はラテン語で”癒し”という意味がある。この店名は、祐毅とレイラの二人で考えたものだ。それならいいのだけれどと、安堵を言葉で表すレイラの表情はまだ曇っていた。
「それに、皆のレイラママをいつまでも独占していては、他のお客さんに恨まれそうなので」
「ふふ。うちにはそんな心の狭いお客様はいないわよ」
これは失礼、と平謝りする祐毅は、立ち上がってスーツの皴を伸ばす。その様子を見て、小さなため息交じりに見送るわと発し、レイラも立ち上がった。
隣り合って出入口へと歩きながら、祐毅は来た時と同じように店内を見渡した。一時間も経過すると、客は入れ替わっており、さらに酒が回った客が多いようで、賑やかさが増していた。
「繁盛する店になりましたね」
扉の前で別れの挨拶をする前に、祐毅は感慨深さを吐露した。レイラは、ええ、と今日一番嬉しそうな笑顔で頷きながら、祐毅の手を握る。
「全部祐毅君のおかげ。あなたがいなかったら、私は店を持つことすらできなかったわ」
そんな謙遜を、という祐毅の言葉を否定するように、レイラは何度も首を横に振る。
「本当に……本当にありがとう。私もちゃんと、あなたの夢を叶えるまで、支えるから」
手を握る強さで彼女の本気度を察した祐毅は、はいと一言だけ返す。優しく手を解くと、ここで大丈夫と出入口でレイラを止め、エレベーターの前に立つ。すると、絶妙なタイミングでエレベーターのドアが開き、新たな客がフロアに降り立った。
降りて目の前に店のママが立っている幸運に、湧き上がる客。その光景を籠の中から見つめる祐毅。扉が閉じる残り数秒にエレベーターを見て微笑んだレイラの顔を幾度となく思い出しながら、祐毅は帰路につく。