表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
8/41

第8話

 約束の日、祐毅が向かったのは銀座。金曜日の夜ともなると、車も人もより一層行交(ゆきか)い、広く整備された歩道から、時折車道に人が零れ落ちる。自らが落ちぬよう、そして誰かを落とさぬよう、祐毅は群衆の間を軽い身のこなしで縫って歩く。至る所でクラクションが雷鳴のように(とどろ)くが、いくら近くで鳴っても祐毅は振り向こうとはしなかった。自分が無関係とわかっていて、なぜ振り向くのだと言いたげに、座った眼をして、見知らぬ人の後頭部を一瞥(いちべつ)する。


 暫く歩くと、建物側へと斜行(しゃこう)し、ある商業ビルに吸い込まれていった。1階の通路を真っ直ぐ進み、突き当りにあるエレベーターホールに着くと、上ボタンを押してようやく歩みを止める。腕時計を確認すると、約束の6分前。目の前のドアが両側に開き、中に入って行きたい先の数字を押す。目的の階に到着する頃には、約束の5分前になっていた。

 降り立ったフロアには、壁に飾られた「クラブ Sanatio(サナティオ)」と書かれた看板と黒いフレームにすりガラスがはめられた扉だけ。扉の向こうから漏れてくる賑やかな声に笑みを零しながら、重い扉を引く。カランカランと入店を知らせる合図が扉の先に響くと、すぐに電話で耳にした声が聞こえた。


「いらっしゃい。今日も5分前行動ね」


 店内に木霊(こだま)する歓迎の挨拶よりも、天井にぶら下がる絢爛豪華(けんらんごうか)なシャンデリアよりも、真っ赤な絨毯(じゅうたん)(たたず)む着物の女性に耳と目が惹きつけられる。

 エメラルドグリーンの生地に、肩から裾にかけて金糸(きんし)流水紋(りゅうすいもん)とその上を流れるように白い胡蝶蘭(こちょうらん)がデザインされた(さわ)やかな着物。オレンジブラウンの髪をシニヨンにまとめ、着物とお揃いの生花を髪飾りにすることで、華やかと(りん)とした印象を身に(まと)っている。パッチリとした二重は目尻を下げ、透明感のあるピンクの唇は()を描いていた。


「ご無沙汰してます。レイラさん」


 祐毅が微笑(ほほえ)みながら会釈(えしゃく)をした相手は、このクラブのオーナーママであるレイラ。数年前に別なクラブで知り合い以来、今日まで客として彼女に会いに来ている。


「本当、ご無沙汰よね。月に一度は会いに来てくれるって言っていたのは、私の記憶違いかしら?」


 ツンとして顔を背けるレイラに、祐毅は苦笑いをする。その約束に心当たりがあるからだ。


「すみません、忙しくて……あ、その髪飾り、胡蝶蘭ですか?しかも生花だ。着物とお揃いとは、レイラさんはやっぱりセンスがいいですよね!とても綺麗ですよ」


 手の届く距離まであっという間に近づき、髪飾りにそっと触れる。恐らく彼女がファッションのポイントとしていた箇所を、的確に、流れるように褒めた。そして、(たた)みかけるように名の知れたパティスリーの紙袋を差し出し、皆さんでどうぞと手渡す。

 褒められて悪い気のする人はほぼいない。その美貌(びぼう)から褒められ慣れているレイラでも、顔が(ほころ)んだ。だが、手土産を渡された瞬間、表情は寸刻前(すんこくまえ)に逆戻り。


「本当にあなたって調子が良いんだから。まぁいいわ。美味しいお菓子に免じて許してあげる」


 (あき)れ顔で紙袋を受け取ると、様子を察して近くに寄ってきたボーイに預けた。


「奥の部屋、空けてあるから、そこで話しましょ?」


 ついて来いと言うように、視線を残しながら祐毅に背を向けると、しなやかな足取りで店の奥へと進んでいく。案内の通りに後ろをついて歩きながら、祐毅は店内を見渡す。開店して一時間が経過した店内は、空席を探す方が難しいほど大盛況だった。ドアの外まで声が漏れ聴こえていた時点で気づいてはいたが、目の当たりにすると、その人気ぶりになぜか祐毅は誇らしさを覚える。


 すれ違うボーイ、接客中のホステス、そのほとんどと顔馴染みの祐毅は、歩を進めるたびに一声かけられる。客の邪魔をしないよう、短い言葉と笑顔を返した。右に左にと忙しくしている間に、店の一番奥に辿り着く。

 一枚の扉が開くと、(きら)びやかな店内とは様相(ようそう)が違う、シックな内装が目に飛び込む。オフホワイトの壁、ガラステーブルを中心にコの字型に黒革のソファーが並ぶこの部屋は、店で一番大きなVIPルームだ。


「適当に座って?」


 ドアを止めているレイラが、中へ入るように手で合図する。導かれるまま、祐毅が手前のソファーの中央に腰かけると、その隣に彼女は静かに座った。


「それで、早速なんですけど」

「ちょっと待って」


 今日ここへ来た目的を達成しようと、早速話を切り出した祐毅の顔を、レイラは両手で(はさ)んで話も動きも止める。抑え込まれてタコのようになった口を、祐毅はモゴモゴと動かして、何ですかと聞いた。

 祐毅をじっと、(にら)むように見つめ、時折目線を少しだけ下げる。何ですか、に対する最初の回答は、頬を(つね)るというアクションだった。

 予想外の行いに、痛いです、と反射的にレイラの手を掴んで頬から引き剝がす。頬は、赤くもなっていなければ、痛みすら感じないほどの力で摘ままれていただけだった。


「あまり寝てないでしょ?クマができているし、お肌が荒れてきているわよ」


 本題とは全く関係ない話に、祐毅は(ほう)けた顔をする。その顔を見て、レイラは大きなため息をついた。


「ねぇ。もしかして、また晩御飯を食べていないの?お薬、飲まないといけないのでしょう?」


 その話には回答の準備ができていたのか、しっかりとした顔をして応対した。


「大丈夫。常にゼリー飲料を持ち歩いているので、すぐに薬は飲めます」


 鞄の中をゴソゴソと探し、手にしたゼリー飲料をまるで警察手帳のようにレイラの眼前(がんぜん)に突き出した。にこやかな祐毅とは異なり、レイラの顔は徐々に曇っていく。そして、臨界点(りんかいてん)に到達したのか、先程より声の音量とテンポを上げて話し始めた。


「もう!どうしてあなたはいつもそうなの!体調管理を(おろそ)かにして。賢いのに、医者の不養生(ふようじょう)って言葉を知らないの?」


 突然始まった説教に、祐毅はたじろぐ。弁解しようと口を開くも、そのような隙は与えてもらえない。いつもは冷静で笑顔を絶やさない祐毅は、肩をすくめ、しょんぼりとした顔で説教が終わるのを待つしかなかった。


「まずは寝なさい!30分でもいいから。その後ご飯を食べて、薬を飲みなさい。サンドイッチ、作ってもらうから」


 一方的に今後の予定を決められた祐毅は、スッと立ち上がるレイラに不服を申し立てる。


「あの!先に話をしてからでもいいんじゃ……」


 最初の呼びかけには勢いがあったが、彼女のムッとした顔を見てすぐ怖気(おじけ)づく。


「ダメ。話を聞いたら、あなた帰るでしょ。休んで、薬を飲むまで帰らせないから」


 自分の行動を読まれ、さらに冷たい視線まで向けられ、祐毅は従うしかなかった。だが、もう一つだけ聞かなければならない疑問が浮かび、勇気をもって問いかける。


「すみません!サンドイッチってパーティサイズですか?お店のメニューの……」


 食べきれる自信がないです、と消え入る声で話すと、レイラは目を真ん丸にした後、クスッと笑った。


「一緒に食べましょ?その方が美味しいから」


 ドアの近くに備え付けてある受話器を取り、注文を始めるレイラ。彼女が笑ったことで強張(こわば)りが解けた祐毅は、首元を緩め、ソファーの背もたれに体重を預ける。


「靴を脱いで、横になって?」


 注文を終えたレイラが、端の椅子に置いてあったクッションを持って戻ってきた。寝ころぶ祐毅を想像し、頭が置かれるだろう位置に枕代わりとしてセットする。

 え?と戸惑いを見せる祐毅に、枕をトントンと叩いて無言で催促(さいそく)するレイラ。諦めるスピードが速くなった彼は、渋い顔をしながらも彼女の言う通りに仰向けになった。


「ちゃんと起こすから、ゆっくり休んで?」


 柔らかな手が祐毅の頭を撫でる。それに安心したのか、よほど疲れていたのか、目を閉じるや否や、静かに規則正しい呼吸をし始めた。

 顔を覗き込み、起きないことを確認すると、レイラは目を細めた。


「ほんと、可愛い人」

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ