第57話
三人は歩いて数分のところにある喫茶店へと移動した。御武は扉を開けると、すぐに店員を見つける。目が合った店員が、何も言わずに頷くと、御武はずんずんと店の奥へ進んでいった。彼の後ろに続いて、他人のような距離感で歩く二人。お昼前で客が疎らな店内の一番奥で足を止めた先頭は、振り返ってテーブル席を指し示す。
「この店は拘置所から近いので、よく使わせてもらっているんです。近くのテーブルに他の客が座らない様に配慮してくれるので、周りを気にせず話ができます」
誘導に従い、崇志は御武の横を通って長椅子に、祐毅はテーブルを挟んで対面の椅子に着席。御武は祐毅の隣に腰を下ろした。
各々の前に飲み物が届くと、御武は祐毅に視線を向ける。映ったのは、部分的に黒光りする頭髪。彼は席に着いてからずっと、窓の方に顔を向けたまま。話をする気はないと、背中で語る彼から視線を外すと、崇志に向かって口を開く。
「では、保釈中の注意点について話しましょうか」
御武は鞄から取り出したパソコンや資料をテーブルに並べ、話を始めた。身元引受人となる崇志は、前のめりになりながら度々質問を投げかけ、熱心に話を聴く。だが、当事者である祐毅は、聴いているのかいないのか、そっぽを向いた状態を維持していた。
一通り質疑応答を終え、静まる空間。はにかむ顔を見せ合う崇志と御武は、示し合わせたわけでもなく同じ方向に顔を向ける。視線の先では、話し始める前と寸分違わぬ姿勢の男。起きているのかすらもわからないその様子に、崇志は苦い顔をして御武に頭を下げる。首を小さく横に振る御武は、微笑みを返した後、次の話題を切り出した。
「次に、裁判に向けてですが…」
「僕の要望は変わらないよ」
崇志と御武は、声が聞こえた方向にグンと見開いた目を向ける。そこには、相変わらず顔の裏側しか見えない姿勢で人形のように座り続けている祐毅がいた。態度から伺える機嫌とは真逆の、どこか晴れやかな声質で放たれた一言は、明らかに彼の声だ。
祐毅が口にしたのは、たったそれだけ。穏やかなクラシック音楽だけが耳に流れてきた崇志と御武は、顔を見合わせながら小さくため息をついた。そのため息の意味を、正面の表情から察した崇志は、再び祐毅に顔を向けてスッと息を吸う。しかし、突如視界の端に現れた何かに、崇志の視線と意識は奪われた。
彼の次の動作を封じたのは、1枚の掌。制止させるように伸びてきたそれの左隣には、御武の真剣な顔が添えられていた。彼からは力強い目が向けられ、じっとこちらを見ている。数秒間、見合う二人。御武の瞳から熱意を感じ取った崇志は、静かに頷くと背もたれに体を預ける。その姿勢を見て御武は、掌を下げながら祐毅へと視線を向けた。
「じゃあ、なんで出頭した?」
「それはさっき話しただろ」
「そうだったな。んじゃ、なんで裁判に持ち込んだ?って聴いたら、どう答える?」
最初の質問には素っ気なく返した祐毅。だが、再提示された質問に、彼はゆっくりと体の向きを変える。久しぶりに見せた顔は澄ました様子で、瞳はどこか冷めていた。感情が正しく読み取れないその表情に、崇志は眉を顰める。
「死にたいなら、他に道はあっただろ?なぜ、わざわざ裁判で死刑判決を受ける必要がある?」
祐毅が御武に弁護を依頼する際に出した、二つの要望。”保釈の依頼は全て拒否しろ”というのが一つ目。もう一つは、”死刑判決が下るように弁護しろ”という要望であった。もちろん、弁護士である彼が、そんな要望を即時承諾するはずがない。二人は電話で、暫し押し問答を繰り返した。だが祐毅は、自らの行動が死刑に相当するものだと説明し、さらには、報酬は十二分に払うからと言って、半ば強引に弁護人として雇ったのだ。
「千登里の取材記事でお前の考えや想いは世に知れ渡り、その内容に影響を受けた人が誰かの命を救うために行動を起こす。それがお前の狙いだろ?記事が世に出ればお役御免だから出頭したと。罪を認めて罰を受けようとする姿勢は評価するが、なんで最初から死刑を望む?」
薄笑いを浮かべながら、澄まし顔に目を据える御武。彼の瞳と質問には、祐毅の心理を捉えようとする鋭さが見えた。
彼から向けられる全てに冷やかな目を返していた祐毅。しかし質問が止んだ数秒後、なぜかゆっくりと目線だけを下げ始めた。まるで御武の追求から逃れたいという感情が表に現れたかのようなその微動。続いて、静かに目を閉じると同時に、鼻から短く息を吐く。
崇志と御武は、ただただ祐毅の動きを待った。閉ざされた瞼と唇のどちらが開くのかと。
寸秒経ち、最初に動いたのは唇。だがそれは開かず、弓なりに形を変化させただけだった。後に瞼が開き、中から姿を覗かせた瞳に御武が映る。
「君の言う通り、記事が発行された時点で僕の計画はほぼ完了だ。でも、全ての人が記事を読むとは限らないだろ?より多くの人に僕の思想を伝えるには、メディアを活用する必要がある。逮捕前に死んでしまったら、自殺したとある病院の理事長は大量殺人鬼でした、そう報じられて事件は終わりだ。大勢に、正確に伝えるためには、逮捕されて注目を浴び、裁判の内容が報じられなければならない。いくら人の命を救おうと行動しても罪は罪、死をもって償うべき、という判決までね。僕の行動を知り、その背景を知り、そしてその末路を知って初めて、人々は考える。奪った命以上の人数を助けたのに罰が重くはないか?いかなる事情があろうとも人の命を奪ったのだから死刑は妥当、と思う人もいるだろう。自殺を考えている人は、最期に誰かを助けたいと思うか、体を刻まれるなんて御免だと思うか、自身の命の終え方を再考するかもしれない。臓器移植を待つ患者は、僕が捕まらなければ自分にも移植の順番が回ってきていたかもしれないと落胆するかもね。それに、僕が脳死にした人達の名前が公表されたら、彼等の遺族や自殺願望を抱かせた加害者達はどう思うだろう?他にも、遺族に同情し、自分や家族の健康を案ずる人がいるんじゃないか?」
お決まりの微笑みを浮かべながら語る祐毅は、ここで一度話を区切る。御武から、自身の真横に置かれたコーヒーカップに視線を移すと、持ち手に指をかけて持ち上げた。白く輝く陶器は、ソーサーと祐毅の口元との中間地点で止まる。濃褐色の水面に映る自分と目を合わせながら、彼はなぜか鼻で笑った。
「妄想だと笑うかい?けど、気づく人は僅かでもいるはずだ。心身ともに健康であることがいかに幸運なのか、命というものがどれほど大切なのか、とね。ただ安穏とした日々が延々に続くと思っている人達には、見せしめや犠牲という、考えるきっかけが必要なんだよ。そうじゃないと、人も世の中も変わらない。言うなれば必要悪さ。それに…」
接続詞だけをぼそっと零し、祐毅はコーヒーカップを更に持ち上げた。薄く開いた唇に柔らかく当てると、一口だけ口に含む。
「僕一人の命で、一つでも多くの命が救われる世の中に変われば、僕が生かされた事にも、死ぬ事にも意味がある」
自身の行動と思想を世に曝け出し、事件を知った人に己が身を以って命の大切さを問いかける。彼の計画は、人間への戒めとして神に殺されたアスクレピオスのように、ドナーとなってレシピエントに臓器を提供するように、自らを犠牲とする不惜身命の計画だった。
祐毅の呟きは、少なくとも隣には聞こえていたらしく、その者は吐く息の深さで心情を表現した。
「死刑じゃなくてもいいだろ?他の刑でも十分見せしめになる」
「君ならわかるだろ?死刑以外の判決が下るわけがないと」
小さな水面に見入る祐毅。細目に変わった彼の目には、反射する己ではなく、行き至る己の最期が見えていたのかもしれない。
祐毅の正面では、神妙な面持ちが彼を見つめる。隣も似たような渋い顔で暫く固まるが、突然不自然に唇だけを緩めた。
「死刑になんてさせねぇよ」
その言葉に、祐毅はすぐさま御武の方を向き、ギンと鋭い眼光を向けた。だが、視線の先には落ち着いた表情。数秒間その顔を凝視した祐毅は、あぁと零す。表情に余裕を纏わせると正面へと姿勢を戻し、手に持つコーヒーカップを微笑む唇に向かって傾けた。
「もう少し報酬を足そうか?」
「金じゃ動かねぇよ。俺…いや、弁護士なら、依頼人を死刑になんてさせない。電話では、お前が引く気は無さそうだったから、折れたフリをしただけだ」
僅かに眉をしかめた祐毅は、コーヒーカップをソーサーに戻し、再び御武に顔を向けた。
「弁護士は人権を守るのが仕事だ。人権とは、人間らしく自由に生きる権利。重罪を犯した悪人でも、命だけは助けようと手を尽くすのが弁護士だ。医者とは違う意味で、人の命を救おうと日々闘ってるんだよ」
最初から騙していたのかと、眉間の皴を深める祐毅。再び睨みつけながら、文句を言おうと口を開いた。
「死刑以外ないと思わせるように説明しただろ?仁田先生に話を聴いたぞ。今、お前が助けた人にも話を聴けないか、調整してもらってる」
「っ!……仁田先生が?」
仁田の名前が出た瞬間、眉間の縦筋はパッと消え去る。崇志に続き、自身のシナリオから退場させた人物が、なぜこうも再登場するのかと、脳内で理由を探し始めた。
「そりゃ、事件を知った人の中には、死んで償えと思う人もいるだろう。でもな。お前の亡くなった家族も、お父さんも、仁田先生も。その他にも、お前に生きていてほしいと願う人がいるんだ。判決が下ると同時に復讐が終わったと区切りをつけて、新たな人生を歩め」
御武は喋る隙も考える暇も与えないよう、次々に言葉を紡ぐ。実際、思案のために散漫としていた祐毅の視線は、すぐに御武に集められた。
「新たなって言っ…」
「命の大切さを一番理解しているお前が、自ら命を絶つのか?長生きしてほしいというお姉さんの想いを無下にして、もらった心臓を自ら止めると?こんなところで人生を終わらせたら、お姉さんは無駄死にだったと嘆くぞ」
紬祈の話になると、祐毅は突然腰を上げた。高身長から御武を見下ろし、体の両サイドで拳をグッと握る。顔を歪めていたのは数秒。次第に微笑へと表情を変化させながら、似たような速度で腰を下ろした。
「弁護士なら、もっと論理的に説得しろよ」
「お前は情に絆されるところがあるし、仁田先生にも感情論で押せってアドバイスを貰ったんだ」
ここで熱くなるなと、自身を落ち着けるために微笑む祐毅。対して御武は、僅かでも祐毅の心を揺さぶったことを良しとして微笑む。
御武は電話を受けたあの瞬間から、祐毅を救うことだけを考えていた。依頼人の命を守るのが弁護士の務めであり、死を考える友を引き留めるのが友人の役目なのだと。彼が説得に応じないと見れば一度引き、想定外の事態に陥れて動揺した隙をつく。頑固な祐毅を変えるために、御武は裁判までにあらゆる手を尽くす覚悟だ。
説得は続くのかと思いきや、御武は正面に体を戻しながら、テーブルに広げた書類やパソコンを片付け始めた。
「まぁ、保釈されたばかりなので、今日は生活の準備を整えることを優先した方がよさそうですね。裁判の話は明日にしましょう」
「僕はまだ認めてないぞ」
隣から聞こえる抗議には耳を貸さず、崇志ににこりと笑いかける。全て仕舞い終えると鞄を持って立ち上がり、二人は伝票の綱引きを始めた。なんとか破れの無い状態で勝ち取ると、別れの挨拶を告げ、出入り口へと向かって行く。
だが、なぜか数歩歩いて立ち止まり、後ろ歩きで戻って来る御武。祐毅の真横で足を止めると、彼の肩に手を置いて耳打ちをする。
「レイラさんにも会いに行けよ?お前に会わせろって何度も連絡してきて、仕舞いにはうちの事務所に乗り込んできたんだからな」
俯き加減だった祐毅は、目をカッと開いた顔を御武に向ける。その顔を見てにっこりと笑うと、な、と御武は返事を求めた。肩をグッと握られる痛みと笑顔の圧力に祐毅は、わかったよと視線を落とす。返事を聴けて満足した御武は、再度崇志に挨拶をして、二人のもとを立ち去った。




