第52話
午前7時過ぎ。仁田と別れた祐毅は、理事長室へと戻る途中にある休憩スペースに入る。眩しい朝日に当たらないように、窓から距離を取りながら奥まで進むと、ポケットからスマートフォンを取り出す。滑らかな手つきで画面を操作すると、すぐさま耳に当てた。数秒の待ち時間、空席しかない空間で、祐毅は立ったまま過ごす。
「おはよう…珍しいわね、こんな時間に電話なんて」
「朝早くにすみません。急ぎ、話したいことがあって」
祐毅とは真逆の生活習慣を送る彼女は、まったりとした声で電話に出る。時間帯や呼び出し音の長さから、直前までの行動に当たりをつけていた彼は、直ちに詫びながら会話の流れを作る。
「もう、お店には行けなくなりました」
眠気が残っているのか、すぐには言葉が返ってこない。祐毅の話も、あまりに端的で唐突過ぎるため、相手の理解は追いつかない。
「どういうこと?」
「僕のしていたことが、週刊誌の記者に知られてしまいました。今日の正午には記事になって世間に知れ渡るので、その前に警察に出頭します」
ここでも、突飛な話に対する言葉は続かない。”週刊誌”や”警察”と言うワードが、彼女に混乱を与えていた。
「ちょっと待って…一体どういうことなの?警察に出頭って…」
「大丈夫、レイラさんに害が及ぶことはありません。いいですか?僕が渡した品物で、もし残っている物があれば全て売却してください。そして…」
「祐毅君、逮捕されちゃうの?」
淡々と話す祐毅の話に、震えた声が割って入ってくる。
「はい。僕がしていたことは罪なので。バレたら素直に捕まる、最初からそう決めていました」
「うそ…そんなこと一言も……颯毅君も?」
「いえ、僕だけです。これも最初から決めていました。僕が始めたことなので、捕まるのは僕だけでいいんです」
「どうして自分だけ…祐毅君も逃げてよ」
「僕は一部始終を写真に撮られていますし、警察にも恐らく情報が提供されています。ですがこの機会を、僕の行動や思想を正しく世に伝えることに利用できた。僕の計画は最後まで実行できたので、もう逮捕されても構いません」
千登里に提案した、インタビュー記事。そこでは、臓器移植を待つ患者と家族が抱える苦悩と自殺を考えてしまう者の心の葛藤が切実に語られ、自殺志願者を安楽死させて彼等から臓器を提供してもらうことが双方を救う手段になるという考えが、包み隠さず話されている。
最悪の状況に陥ったはずなのに、妙に歯切れのよい祐毅。レイラはまだ、彼の調子に合わせられずにいた。
「最後って…ねぇ、逮捕されたら、どうなっちゃうの?」
「それは、あなたが知らなくてもいい事です」
それは、あまり祐毅が出さない重い声。ツンッと質問を突っぱねられ、レイラはまた途方に暮れて静かになる。
「いいですか?あなたのところにも警察が話を聞きに来るかもしれませんが、何も知らないと言ってください。実際あなたは何にも関与していないし、その証拠もない。ただの情報屋として」
「祐毅君、パスポートは持ってる?」
「利用されていただけ。数いる客の一人だと言えば、それで」
「一緒に逃げましょ?お金ならあるから」
電話の向こうで、ゴソゴソという物音がする。彼女が何をしているのか、予想できた祐毅は、僅かに早口になって話を続ける。
「僕達の関係性は、ただのホステスと客。プレゼントも一方的に」
「今何処にいるの?迎えにっ」
「渡されただけで、全て換金している。全くの無関係だと」
「……私の話も聞いてよッ!」
間を与えずに話す祐毅に、遂にレイラは痺れを切らす。彼女から聴いたことのない大声に、祐毅は反射的にスマートフォンを耳から離した。
「ちゃんと答えて。逮捕されたらどうなっちゃうの?」
「……起訴されて、刑事裁判で裁かれます」
「そのくらいはわかってる。そうじゃなくて…その先を聴いてるの」
「……多くの人間を死に至らしめた人間が辿る末路は一つです」
いくら明言しなくても、彼の言葉でどんな罰かは理解できる。息を呑む音が聞こえると、祐毅はここだとばかりに口を叩く。
「あなたにプレゼントした物は全て、夜勤や当直、救急往診のバイトで稼いだ真っ当な金で買った物なので、怪しまれることはありません。全て換金して、僕と関わりのある物は処分してください。そして」
「ねぇ……何処にいるか教えて?病院?」
「こんな犯罪者と関わりがあったことを忘れてください」
「少しでいいから会いたいの…」
震える声は語尾が掠れ、その後には嗚咽が続いた。レイラが今どんな状態か、無意識のうちに想像してしまった祐毅は、目をギュッと瞑り、空いている手で拳を握る。
「あと、真島さんの事を気にかけてもらえますか?彼女は家族とは疎遠で、頼れる人も少ないと思うので、困っていたら助けてあげてください」
「もっと自分の事を心配してよ!」
いつもと変わらぬ、軽快な声色を維持して続く話は、いよいよ終わりに近づく。スッと短く息を吸い、パッと目を開いた祐毅は、表情を引き締めた。
「あなたのお蔭で僕は信念を貫き通すことができた。悔いのない人生を送ることができました」
「待って、お願い…まだ切らないで…」
悲痛な声を耳にしても、彼はもう表情を変えることはない。細やかな願いすら聞き届けることなく、自身が決めた台本通りに話を進める。
「くれぐれも、体には気を付けて。今まで僕を支えてくれて、本当にありがとうございました」
「待って!私あなたの」
言いたいことを言い終えると、相手の話を最後まで聞くことはせず、電話を切った。そしてすぐさま、レイラの連絡先を全て削除する。削除しました、というメッセージが消えると同時に腕をだらりと垂らし、俯きながら目を閉じると、ポツリと呟く。
「どうか……」
スマートフォンを強く握り、彼はその場に立ち尽くした。ふと、思い出されるレイラの顔。一つ浮かぶと、様々なシーンが頭に浮かび、そのほとんどが笑顔で祐毅に話しかけてくる。祐毅を支えると7年前に言い、今日まで彼の身を案じ、そして今この瞬間も、その思い出が彼を後押しする。
「これでいいんだ」
進行方向に向けて顔を上げ、目を見開く祐毅は、力強い足取りで休憩スペースを出て行った。




