第50話
久我原の言葉の余韻に浸ったのは数秒。祐毅はすぐに画面を操作し、次の電話をかける。耳にスマートフォンを当て、長く続く呼び出し音の音色が変わるまでの間に、手元の書類に判子を押していく。
「何時だと思ってんだよ…まだ9時だぞ…」
気怠げな声の間に、ふあぁっと大きく息を吸う音。いつもの祐毅であれば、すぐに謝ったり、笑ったりする。だが、状況が状況だけに、彼の顔つきが変わることはなかった。唯一変化があるのは、書類の文字を追いかける目線と捺印する手だけ。
「颯毅。頼む、消えてくれ」
いつもの会話では聞かない声の低さ。普段とは違う名前の呼び方。そして、常に温厚な祐毅からは滅多に発せられない冷然な言葉遣い。さすがの颯毅でも、感情のままに言葉を返すことはなかった。十数秒の沈黙、その後先に音を発したのは、目覚めたばかりの男の方だった。
「なんだよ。あのジジイに何されたんだよ」
いつもの調子で返された言葉は、なぜか説明をせずとも事態を察していた。その返事に祐毅は顔を綻ばせ、事の次第を端的に説明した。
「僕の事、週刊誌の記者に張らせてたみたい。”医師のくせに人の命を奪う死神”だって。苗字を改めた方が良いかな?早くて明日の昼、週刊誌の電子版が発行される。僕の家まで撮られちゃってるんだよ?逆にストーカーとかプライバシーの侵害とかで訴えたいよね」
「お前、そんな呑気なこと言ってていいのかよ?」
「だって、仮に大臣が糸を引いてるなら、差し止めるのは無理でしょ。だったら、この機会を利用するしかないよね」
二人の推測通り、池神の差し金だとすると、記事を差し止めようとしても、掲載を強行される確率の方がはるかに高い。それに、猶予は1日ほどしかない。記者の特定や差し止めの交渉よりも、他に時間を使うべきだと、祐毅は考えていた。
「…はぁぁぁ……それが、最終手段かぁ?」
重たい雰囲気まで漏れてきそうなほど、深いため息と暗い声が通話口から聞こえる。祐毅はどうしてか、微笑を浮かべる。
「さすがさっちゃん。前からなんとなく気づいてたでしょ?」
「最初から違和感はあった。俺ならバレた時の逃げ道を必ず用意しておくからな。でもお前はあの時、”考えてある”とは言ったけど、“逃げる“とは一言も言ってねぇ。いつも用意周到なお前なら逃げ道くらい自分で準備するだろうと思ったけど、違うんだな?」
颯毅の言う”あの時”。二人が互いを利用し合う存在として友人になると決めた時に、祐毅の計画が誰かに知られた際の行動を取り決めていた。電話に出て開口一番に告げた言葉も、計画が露見したことを知らせる合図として決めていたものだ。
その時を思い出したのか、穏やかな目をしながら祐毅は、うん、と呟く。
「全てを公にして、僕は警察に出頭する。最初からそう決めてたんだ」
祐毅がどうする気だったのか、颯毅には想像できていたらしい。電話の向こうから、はあぁーっと長い息を吐く音が届く。しかし、息が吐き終わるのを待ってはいられないと、祐毅は僅かに早口で話し始めた。
「さっちゃんは当初の計画通りにもう行動してくれ。僕は出頭する前にやることがあるから、早速取り掛から」
「お前、心のどこかでこうなることを望んでたんじゃねぇのか?」
話を遮る颯毅の言葉に、祐毅の体の動きは止まる。自分はこの事態を望んでいたのかと暫し考え、その問いの答えが見つかると、空中で静止していた判子が、書類の上へと着地する。
「そうだね。だってそれが、この世の本来の姿だから」
「…お前が一番倫理に縛られてんじゃねぇかよ…」
颯毅の指摘はズバリ当たっていたようで、祐毅は射貫かれたようにハッとした表情で停止する。しかし、射貫いた矢は幻だったのか、すぐに顔を緩めて陽気に笑った。
「さすが、さっちゃん!まさかそこまで見抜かれてるなんて、思ってなかったよ!」
考えを読まれていたことがよほど想定外だったのか、祐毅は次第に声を出して笑い始める。ハッハッハッと大笑いをして天を仰いでいる最中に、笑ってる場合かよと、怒りを露わにする友人の声が耳に入ると、少しずつ笑いのレベルを下げていった。
「この計画が倫理に反することは当然理解していたし、世に知られたら世間が許すはずがないとわかっていながら実行した。最初から裁きを受けるつもりでいたよ。僕はそもそも倫理に反して生かされた命で、この世にとっては異物。自分でも、生きていてはいけない人間だと思ってた。だからこそ、この命は自分のためではなく、人を救うために使うべきだと役目を決めた。取り分け、倫理では救えない命をね。死を望む者を安楽死で死なせ、その体で生を望む者の病気を治す。これを法律にすることが僕の最終目標であり、それを成すことが命と倫理を天秤に掛けるこの世への復讐だった」
祐毅は、僅か10歳で自身の命の使い道を決めた。それは自分が救われたように、倫理では救えない命を救うこと。最初は、子供ながらに描いた理想だったかも知れない。計画の実現に向けて準備を進めるうちに、その計画が法という絶対のルールから逸脱すること、犯した際にはいかなる罪を背負い、いかなる罰を受けるかを知った。それでも彼は、命以上に大事なものはないと信じ、計画遂行のためにあらゆる力を求めた。時に他人を欺いて利用し、時に感情を抑えて己すらも騙す。そうして得てきた力を使い、あの日池神へ己の思想をぶつけた。だが、相容れぬ思想だと拒絶反応を起こされ、法に懐疑を抱くことすらされなかった。
「命より大切なものなど何一つない。同じ医者を目指す者なら共感してくれるだろうと、医大時代に協力者を探したけど、話せば皆最後には、”倫理に反する””法律違反だから”と口にする。僕の正義は、世の中の正義とイコールではないんだよ。だから自殺志願者を回収しては脳死にして、レシピエントの近くに届けるくらいしかできなかった。命を紡ぐ、なんてヒーローを気取って張り切っていたけど、ただの仲介業者で、端から見たら人殺しだ。誰にも移植されず、救われた命なんて一つもないのかもしれない」
「だったら、確かめたらよかったじゃねぇか。移植を待ってた患者が退院したかくらい、俺なら調べられた」
「そうだね…それを頼まなかったのは、知りたくなかったからだ。移植されていないとわかれば、僕は本当に人殺しになってしまう。この計画はただの自己満足で、僕が生きてきたこと、そして信じてきたことは何の意味もなかったと、証明することになるからね」
祐毅が求めた力の一つに、”共に移植手術を行う同志”という力も、最初の構想としてはあった。時間のかかる法改正の裏で、人知れず移植手術を行って命を救う。大学時代に己の理想を医学生に話し、同志を募ろうとした。各々が理想を抱えて医者を目指す彼等からは、様々な意見が挙がったが、最終的には”倫理”や”法律”と口にして、同調されることはなかった。”命を救う”という共通の信念を持った者達からの非同調。それは祐毅にとって、生きる目的を否定されたと共に、姉の行動が否定されたように思えた。
ここが、命の使い道を選び直す機会だったかもしれない。しかし祐毅は、道を変えず、一人で計画を進めることを選んだ。大切な家族を失い、独りきりの人生を歩み、感情は不要だと切り捨てた彼が、他の道へ方向転換などするはずがなかった。信念を曲げることは彼にとって死と同義であり、姉の行動を悪と判断する倫理に従う行為。計画を遂行したその先に待つものが何かを理解した上で、独りで道を進むと決めたのだ。
「ダッサ」
「え?」
自身の過去を顧みていた祐毅に、颯毅が突然悪態をつく。なぜそのような言葉を掛けられたのか理解が追いつかず、祐毅はただ、続きを待つしかなかった。
「何うじうじしてんだよ。バカみてぇに自分の信念を貫いて行動してきたくせに、今更意味がなかったって自信失くしてんのか?例え臓器移植がされてなかったとしても、お前のやってきたことで救われた命が、一番近くにいるだろうが」
祐毅が自殺志願者を探して説得していなければ、真島は彼の秘書になっていなかっただろう。他にも、彼が説得して病院で治療を受け、新たな一歩を踏み出した者もいる。自分の行動が人の命を救った、そのことを颯毅に指摘されてようやく気づき、祐毅はハッと息を呑む。
「移植を待つ患者を救いたいだけなら、自殺志願者は無理やり回収すればよかった。でもお前は、わざわざ説得して意思を確かめたよな?本当はどっちの命も救いたかったんだろ?」
「…そうだよ。僕は臓器を待つ人の気持ちも、自殺を考える人の気持ちもわかるから。苦しい思いをしてきた人達に、人生を諦めないで欲しいと願いながらも、どうしても辛いのなら苦しまずに死を迎えてほしいと思ってた」
かつて彼も、自殺しようと考えたことがあった。崇志に罵倒され、珠川から辱めを受け、周りに助けてくれる者がいなかった時の辛さを思い出す。そして、自殺した姉の生前の笑顔が頭を過り、悲しそうな笑みが自然と表情に現れた。しかし、その記憶映像を全て吹き消すかのように、息を長めにふうーっと吐く。
「腹は括ったつもりだった。悔いも未練も残さないように生きてきたんだけどね。でも、いざその時が来ると、僕にも心残りなんてものがあるんだなと思って。情けないところを見せたね」
「お前にも、心残りなんてあるんだな」
いつもの調子を取り戻しつつある祐毅に、いつもの気怠い態度を取り始める颯毅。その態度が、祐毅をくすりと笑わせ、更に彼の調子を回復させる。
「二つ、頼めるかな?」
「思ってたより未練タラタラじゃねぇか…」
かき消える語尾とその後にわざとらしく続く大息。気怠い、を通り越した本気の怠さをアピールしてくる颯毅に、構うことなく話を続けた。
「一つ目は、置き土産を受け取って欲しい。いつになるかわからないけど、谷口に回収させる。使うタイミング、いや、そもそも使うかどうかの判断は任せるよ。僕がさっちゃんを楽しませることができる、最後の仕掛けだ」
へぇい、と軽薄な反応が返ってくると、自然と祐毅の口が緩む。続けて、残りの頼みを話し始めた。
「二つ目は、真島さんを気にかけてあげて欲しいんだ。彼女は、幼い頃に父親を亡くして、今は母親とも疎遠でね。頼れる人が少ないだろうから、困っていたら助けてあげて」
「そりゃ構わねぇけど…もう一人はいいのかよ」
祐毅は、予想外の返しに目をパチクリさせる。素直に頼みが聞き入れられたこともそうだが、彼が誰かを心配するということに、驚きと親心のような感情が同時に湧く。
「だって、お店に行くの嫌でしょ?」
「まぁ…行きたくはねぇけどよ…」
祐毅の脳裏に、その人の笑顔が浮かぶ。しかし彼は、目を閉じ、首を左右に振って、その顔をかき消した。颯毅が対象に抱く感情を理解している祐毅は、これ以上は迷惑を掛けられないという思いから、申し出を断る。
「あの人は、きっと大丈夫だよ。芯のある強い人だから。それに、ちゃんと別れは済ませるよ」
「……そんな簡単だったらいいけどな」
颯毅の不可思議な返しに、疑問符が浮かぶ。しかし、今は答えを求めるよりも優先すべきことがあると、瞬時に頭を切り替えた。
「じゃあ、さっちゃんは手筈通りに消えてくれ。僕はこれからのことを」
「俺も、一ついいか?」
あと二言三言話して電話は切れる予定だった。話の腰を折った颯毅は、いつになくしっかりとした声で、発言の機会を求める。真剣さを声質から察した祐毅は、もちろんと軽快に言葉を返す。
「…昔、兄貴に似てるって言って、悪かったよ」
「はははっ、気にしてないよ。さっちゃんを利用しようとして近づいたのは、事実だからね」
「けど…お前は自分のために俺を利用したんじゃねぇ。人の命を救うために、俺の力を必要とした。無理難題押し付けられたけど、お蔭で俺は自分の可能性に気づけたぜ」
二人は最初から相互利益前提の関係を築けたわけではない。これはその関係を築く前に颯毅が言い放った言葉。20年近く前の発言に心残りがあったのか、謝罪を口にする。それと同時に、明言はしないが今までの関係に対しての感謝を伝える。
「僕は、君を楽しませることができたかな?」
「あぁ。ダチなんていらねぇと思ってたけど、案外楽しかったぜ」
祐毅の計画を進める上で必要なシステム設計や人探しをしてきた颯毅。シビアな条件を求められ、ハッキングを繰り返し、正しく無理難題を提示されたが、彼は目の前の大きな山を乗り越えることが楽しかった。しかし、楽しいと感じたことは、それだけではない。二人にも、普通の友人として過ごした時間は確かにあり、颯毅はその記憶を思い出しながら、”楽しかった”と答えた。その言葉を聞き、祐毅も共に過ごした時間を思い出す。二人は暫く言葉を交わさず、それぞれの頭の中で昔を懐かしんだ。
「さて、僕はそろそろ最終手段をとりに動くよ。今度は国民に、命をどう考えているのか問わなければ」
「やっと調子が戻ったか。ったく、強情なのが取り柄のくせに、なよなよすんなよな」
辛辣なツッコミに忍び笑いをする祐毅。だが、電話の向こうからククッと声が聞こえると、笑いを堪えられなくなった。すると、颯毅もそれにつられ、先程とは一転して二人の笑い声だけが暫く響いた。
「今までありがとう。じゃ、地獄で待ってるよ」
「地獄があればな」
別れの挨拶は軽やかに。互いに言い残しはないとばかりに、電話はすぐに切れた。スマートフォンを耳から離すと、久我原の時と同様に通話履歴を見て微笑む。だが、名残惜しむことはせず、すぐに新たな連絡先を探し、電話をかけた。
相手は友人で弁護士の御武。彼に、今まで自分がしてきたこと、これからしようとしていることを話し、弁護を依頼。快く、とはいかないが引き受ける約束を取り付けると、依頼主として二つ要望を出し、一度電話を切った。そしてすかさず、千登利に電話をかけ直す。
「さっきの記事の内容、少し事実と異なるんだよね。だからさ、千登利の方で、僕のインタビュー記事、書かない?」
午前11時。祐毅は鞄を持って理事長室の扉を開ける。
「これから外出します。書類は全て承認しておいたので、担当者に戻しておいてください。あと、今日は戻ってこないので、真島さんも定時になったら帰宅してください」
「え?はい、承知しました……」
理事長室から出るとすぐ、真島の方を見ながら一方的に話しかけ、伝え終わるとあっという間に秘書室を出て行った。
日付が変わって午前0時。祐毅は、あのクリニックにいた。二階の病室。ストレッチャーに横たわる人々。祐毅は、彼等に繋がれた機器を、順番に外していく。
「すみません。全員は救えないんです」
眉を顰め、眠る彼等に詫びを告げる。もちろん、言葉など返ってこない。祐毅は、枕元に手紙とゼリー飲料を供えると、荷物を車に乗せて神明大学病院へと急いだ。




