第46話
全体集会から4カ月後のある日。祐毅は、内視鏡室で颯毅とリモート会議をしていた。
「…なんか、典型的な悪代官って感じだね」
「右手に金、左手に女、ってか。総理の座を狙ってるって噂もあるから、次はケツに国民でも敷く気か?」
「この前人間ドックに来た時も、ずいぶん大胆な格好をした女性秘書を帯同させてたよ。それなのに、うちの女性スタッフをチラチラ見るからさ。何かあると怖いから、真島さんを下がらせたり、男性スタッフに対応してもらったり、大変だったよ…レイラさんの話だと、どこかのクラブにも出入りしてるみたいだし、男ってそんなに女性が好きなの?」
お前も男だろというツッコミに、はぁーっと深いため息を被せながら、祐毅は机に並べたメモを見る。そのメモは、祐毅が友人やレイラを介して集めた、ある政治家の情報。傲慢で利己的な性格を想起させるエピソード、金にまつわる黒い噂、セクハラ騒動や不倫疑惑。パソコンにも、颯毅が調べた類似の情報が表示されている。一部は報道でも取り上げられて認知していた祐毅だが、世に出ていない情報の方が圧倒的に多かった。
「火のない所に煙は立たないはずなのに、ここまで火種を消せるなんてね。報道されても、いつの間にか騒動は鎮火してる。ある意味、政界?日本?を牛耳ってるよね」
「世襲政治家だろ?先祖の威を借る子孫ってか。でもまぁ、俺でも警察でも証拠掴めねぇんだから、相当やり手だぞ?」
だよねぇと温い相槌を返しながら、メモに赤ペンで書き込みを入れていく。得られた情報は相手の本質を示す大事な手がかり。発言や行動から、相手の性格を分析し、対処法を考えていた。
「なぁ……変わるまで、待てねぇのか?」
「待てないね。今この瞬間にも命を落とす人がいるかも知れない。取り掛かるのが遅かったくらいだよ。僕が進める最短ルートはこれしかないんだ」
メモを取りながら言葉を返す。いつものように、ああ言えばこう言うだろうと期待して言葉を待つ祐毅だったが、何も返ってこなかった。背は丸めたまま顔だけ上げ、パソコンに映る颯毅を見つめる。
「どうしたの?最初からそういう計画だったじゃん。さっちゃんには害がないんだし」
「……いや…あんま生き急ぐなよ?」
画面の向こうの颯毅は、目線が下に向いていて表情が暗い。それを見つめる祐毅も、数秒間だが眉を下げた。相手に見られる前に、表情を無理やり作ると、やたら明るい声を出す。
「なにぃ?さっちゃんってば、僕の事を心配してくれるの?そんなに僕の事が好きだったなんて、嬉しいなぁ」
「ち、違ぇし!俺は勝算のねぇ勝負はすんなって言ってんの!」
画面越しでもわかるほど顔を赤らめると、椅子を回して背を向けた。恥ずかしがるなよ、などと祐毅が煽ると、うるせぇと怒号が返ってくる。その背中を嬉しそうに見つめながら、祐毅は声を落ち着けて話し始めた。
「これは勝ち負けじゃない。僕だって、相手がすんなり提案を受け入れてくれるなんて思っていないよ。無謀とわかっていても、挑戦しないと道は開けないだろ?駄目だったら、また別な道を探しながら回収を続けるさ。ただ、相手がうちの病院と手を切ってくれれば、ラッキーかな。あの一家は、僕の祖父の時代から病院を使ってくれてるけど、悪い噂のある人とは縁を切らなきゃね」
「むしろそっちを狙ってんのか?手を切るだけで済まなきゃどうすんだよ」
その質問に、腕を組んで椅子にもたれ掛かる祐毅。目線を斜め上に向け、殺風景な壁をぼーっと見つめること10秒。至極真面目な顔をして前のめりになると、画面の中の颯毅に、わかんない、と力強く告げる。
「お前、ふざけてんのか!?相手は噂も疑惑も証拠ごと消せるんだぞ?マジで何してくるかわかんねぇだろうが!」
「まぁ、一応保険は掛けておくよ。谷口なら、上手く仕込んでくれるだろ」
「は?あぁ、得意のアレな。それが保険になるとは、とても思えねぇがな」
「まぁまぁ。意外と面白いネタが釣れるかもよ?それはそれで楽しみでしょ?」
声を弾ませ、目を輝かせる。そんな男を白けた目で見る画質の荒い男は、ふてくされた声で、もういいわと漏らした。どんなネタが釣れたら面白いか、妄想を一通り終えた祐毅は、それにね、と声を急に静める。
「僕は知りたいんだ。相手は言うなれば、この業界のトップ。そういう人が、命をどんなふうに見ているかをね」
「へぇへぇ、そうですかぃ」
一度冷めてしまった颯毅の感情は、この会議中に戻ることはない。温度差ができてしまった二人の会議は、まぁ頑張れやという冷や水を浴びせて、低体温の男が一方的に回線を切った。微熱の男は、暗くなった画面を見つめ、小さく息を吐く。その顔は、どこか愁いを帯びていた。
「凄いね、さっちゃんは」
1週間後の夜。祐毅と真島は、とある料亭にいた。
月明りが注ぎ、灯で草花が美しく映し出される中庭。店自慢の日本庭園が望める8畳ほどの座敷は、障子が閉め切られ、外界と隔絶されている。伝統的な磁器や漆器に色鮮やかに盛り付けられた日本料理が並ぶお膳が二つ。畳1枚分の間隔を空けて、一つは祐毅の前に、もう一つはグレーのセットアップスーツに身を包んだ大柄の男の前に置かれていた。左分けのオールバックで力強い目をむき出しにし、大きな口を緩ませて余裕を見せる。彼の男は、厚生労働大臣・池神源蔵。座椅子の背もたれに体を預け、江戸切子のお猪口で日本酒を煽りながら、書類に目を通す祐毅とその斜め後ろに静かに座る真島に、2:8の割合で目をやる。池神から僅かに下がって隣に座るのは、秘書の波須沼隼人。スクエア型のメタルフレームの眼鏡が漂わせる通り、空いたお猪口にすかさず酒を注ぐ、気配り上手な男。
「肝臓系、脂質系の数値が基準より少し高めですね。会食が多くて大変かもしれませんが、徐々にでも飲酒量を減らして頂ければ、数値は改善すると思いますよ」
病院名が印刷された茶封筒に書類を仕舞い、真島に手渡す。立ち上がった彼女は、波須沼の前に膝をつくと、どうぞと静かに声を掛けて封筒を差し出した。頂戴しますと一礼する波須沼が手を伸ばす。だが、その手が封筒を受け取るよりも先に、真島の斜め前方から急に伸びてきた手が、彼女の手を掴んだ。色白で華奢な手を包む、薄い小麦色の大きな手は池神のもの。骨ばった親指が滑らかな肌を滑ると、真島の体はビクッと震えた。と同時に反射的に腕が縮まり、封筒がパッと手から離れる。しかし、封筒は畳に落ちることなく、池神がしっかりと握り、自身の手元に引き寄せた。
「し、失礼しました」
「いや、ありがとう」
肩をすくめて頭を下げる真島に、満面の笑みを返す池神。その顔は、彼女が祐毅のもとに戻るまで、じっと背中を追い続けた。その顔を見ながら、微笑みを絶やさない祐毅は、真島の足音をかき消すように声を発する。
「失礼ながら、数年分の人間ドックの結果とカルテを拝見させていただきました。ここ数年、肝臓系と脂質系の判定が要観察ではありますが、68歳で持病もなく大病を患われたこともない。羨ましい限りです。健康維持のために気を付けていることなどがあれば、ぜひ教えていただけませんか?当院の患者の健康促進に、役立てさせていただきたい」
「ははっ!私は運がいいだけだよ。まぁ、ストレスは溜めない様にしているかな。ストレスは万病の元だろう?あとは、内助の功さ。外食は多いが、家での食事は妻が気を遣ってくれてね。君は独身と聞いたが、その容姿や立場なら引く手数多だろう?なぜ結婚しない?」
機嫌が良さそうにゲラゲラと笑いながら、お猪口を傾ける池神。祐毅は口元の微笑みをキープしながら、伏し目がちに理由を説明した。
「大臣ほどではありませんが、医者も忙しい身で、理事長となった今は更に忙しくなりました。僕はあまり器用な人間ではないので、仕事に没頭してしまうと周りが目に入らなくなるのです。きっと、愛する人に寂しい思いをさせてしまうでしょう。相手を大切にできないなら、例え想い合っていても一緒になるべきでないと考えています。まぁ、愛想を尽かされて、捨てられるのがオチでしょうけどね」
クスッと笑い、グラスに入ったウーロン茶をクイッと飲み干す。お膳に戻された透明なグラスに、真島がカラフェを傾けたのは少し間が空いてから。彼女が祐毅の言葉に小さく息を呑み、目線を下に向けたことに気づいたのは、正面でじっと二人を眺める池神だけだった。
「隣にそんな美しい女性を連れているのに、勿体ない。誰かに取られてしまうぞ?」
含み笑いをしながら、親戚のオジサンのような発言をする池神。目線を一瞬真島に向け、フッと鼻で笑ってから、祐毅は池神を見据えた。
「確かに彼女は美しい。真面目で、きめ細やかな対応ができ、気遣いもさり気ない、素敵な人です。異性として見ればとても魅力的で、惹かれない男性の方が少ないでしょう。ですが、彼女の振る舞いは、全て秘書という立場から僕に向けられているものです。秘書としての優秀な振る舞いを、女性だからと勘違いをして下心を持つのは失礼に当たる。プライベートに干渉するつもりはありませんが、彼女が一緒にいて幸せだと思える相手を見つけたのなら、喜んで祝福しますよ。その後も秘書の仕事を続けてもらえると嬉しいですが…」
愛には勝てませんから、と馬鹿笑いで締めくくる。真島を女性として、それ以上に秘書として褒めつつ、女性秘書に対する池神の見方を遠回しに非難した。だが、相手の機嫌を損ねないよう、最後は自分を笑い者に。大声で笑い続けていると、確かになと言いながら、池神が豪快に笑い始め、二人の声だけが暫く室内に響いた。
徐々に笑いが落ち着き、共に飲み物を煽ると、祐毅は冷静な表情で、少し時を巻き戻す。
「皆が大臣のように健康であれば、僕ももう少し人生を器用に立ち振る舞えたかもしれません。ですが、現実とは厳しいもので、生涯を健康に過ごせる人の方が珍しい。どの病院も同様の状況でしょうが、当院では多くの患者が入院し、連日多数の外来患者を診察しています。医療従事者は日々懸命に患者と向き合っていますが、負担と責任があまりに大きい職種故、彼等自身が心身を患ってしまうこともある。医者としての経験と理事長として従業員を監督する立場から、患者と医療従事者の双方を救うために何が必要か、常に考えを巡らせています。そこで、厚かましいお願いではあるのですが、こうして大臣とお話しできる機会は滅多にありませんので、僕の考えを酒のつまみ程度に聞いていただけないでしょうか?」
正座の祐毅は、目の前のお膳に前髪が触れる手前まで頭を下げる。すかさず真島も頭を垂れた。人に頭を下げられることに慣れているであろう池神は、ニッと笑みを浮かべてお猪口を空ける。
「まだ理事長になって半年と経っていないのに立派だな。構わんよ、ここは酒の場だからな。それに、君のように若く優秀な人材と話す機会は貴重だ。ぜひ聞かせてくれ」
無礼講と直接的には言わないが、ガハハッと笑って上体を前のめりにする仕草から、多少の提言は許容してくれそうだ。祐毅が謝意を述べると、真島と揃って頭を上げる。あくまで酒のつまみ、それを表すように祐毅は、あえて堅苦しい表情はしなかった。
「患者と医療従事者の双方を救うには、まずは患者を減らす、または早期に回復させる必要があります。そのためには、予防措置と国民の助け合いが必要です。誰がいつ病気にかかるか、怪我をするかわからない。さらには、少子高齢化が加速の一途を辿る世の中です。災害に備えて防災リュックを準備したり、避難経路を事前に確認したりするように、病気にかかることを想定して日頃から備えることで、患者を救う一助になると考えています」
穏やかな声質に落ち着いた語り口、加えて菩薩のような微笑み。池神の手元ばかりを見ていた波須沼ですら、祐毅によって作り出される雰囲気に誘われ、彼の顔を見つめていた。室内には祐毅の声以外の音は一切流れず、皆の視線も一点から動かない。
「その備えの一つとして、血液型の検査を義務化してはどうでしょう?輸血が必要となった際に検査はされますが、Rh型やキメラなどの希少な血液型は、輸血可能な血液が足りない場合もある。そもそも希少なので絶対数は少ないですが、怪我をしてみないとわからないでは遅いと思うのです。希少だと認知していれば、既に実施されている方もいるように、定期的に自身の血液をストックできる。そうすれば、いざという時に困りませんし、同じ血液型の方への治療にも役立てられます。また、白血球の血液型であるHLA型も同様です。家族間ですら適合率は低く、非血縁者間ともなれば奇跡的な確率。健康なうちに冷凍保存なりでストックを作ることができればいいですが、全国民ともなればそう容易ではありません。なので、必要なのはまず認知です。検査で判明したHLA型をマイナンバーと紐づけ、国の管理の下で医療機関に開示すれば、必要な時に素早くドナーを見つけることができる。血液が不足している現状、高齢化によるドナーの減少を考えれば、可能な国民全員に献血とドナー登録を、と言いたいところですが、あくまで双方とも善意。我々ができるのは、その善意に呼びかける事です。災害に備えるように、日頃から病気や怪我に一人一人が備える。それが、自身や誰かを救うことに繋がるのだと」
珍しい血液型やHLA型は、病気や怪我をしなければ一生知ることはないかもしれない。もちろん、そういう人生を送ることができれば万々歳。だが、現実はそう甘くはない。どれほど願っても、注意を払っても、病気や怪我を患ってしまうことはある。しかも、それは突然やってくる。災害とどこか似ているその有事に対し、備えあれば憂いなしと言える状況を少しでも作るために、祐毅が思いついた案の一つ。
「希少血液型に該当する人間、造血幹細胞移植が必要な疾患の種類とその罹患者数。それらが人口に占める割合からすれば、感染症の予防接種のように全国民を対象にするのは、費用対効果が悪い。それよりは、公的機関は少ないが、さい帯血の採取を義務化した方が良いのではないか?だが、マイナンバーの活用という視点は悪くない。行政手続きや保険証としての活用ばかりが目立つが、国民の健康情報を管理し、医療機関で共有すれば、日本中どこにいても素早くかつ的確に処置を受けられる。デジタル化についていけない者がいたり、通信障害が発生したり、多少の困難はあろうが、便利なものは使わないと勿体ないな!」
さい帯とはへその緒の事。さい帯と胎盤の中にあるさい帯血は、造血幹細胞と言う血液を作り出す細胞が多く含まれており、移植しても拒絶反応が起こりにくいという利点から、白血病など血液疾患の治療に役立てられている。
祐毅の発想の問題点を指摘しながらも、メリットは拾い上げ、新たなアイディアとして活用。自身の発言にも多少悲観さを混ぜ、しかし最後はハッハッと楽観的に笑って酒を一口含む。まるで話しやすい空気を作り、発言を誘い出すかのように、口元を緩めて正面を見据える。祐毅も控えめだが声を出して笑い、自分の未熟さを認めるかの如く、コクコクと頷いた。
「さすがです、大臣。採取量の少なさと最長10年までという保管期限はありますが、拒絶反応が出にくいさい帯血ならば、多くの患者に役立てられる。デジタル化は、初期投資や移行期特有の不慣れさに多少の困惑はあれど、利便性と操作の容易性が理解されれば、おのずと定着するかと。それと、勿体ないと言えば…」
その瞬間まで微笑んでいた祐毅の顔は、急に陰りを見せる。声のトーンを僅かに落とし、池神の胸元辺りに目線を落とす。
「僕は、自殺によって失われる命が勿体ないと考えています。日々懸命に生きている人が、当人が置かれる社会環境によって精神を害され、肉体にまで不調をきたしていく。昔は気の持ち様だの精神が弱いだの言われていたかもしれませんが、これは誰にでも起こり得ることです。一人で悩みを抱え込み、一人では変えられない現実に絶望する。そんな時に死んだら楽になると思い至ってしまったら、その考えから抜け出すことは困難です。そういう彼等に、別な道を示してあげることができれば、命を救えるかもしれません。僕は、彼等を保護し、復帰を支援する施設が必要だと考えています。生活保護法の福祉施設分類に照らし合わせれば、救護施設か医療保護施設、といったとこでしょうか。逃れたい現実と完全に切り離し、再出発に専念できる環境を提供する。悩みを話せる人がいることも重要ですが、共に現実を変えてくれる人を彼等は必要としているのだと思います。辛い現実を気にせず安心して暮らせる住居、心身の健康を取り戻すために必要な治療が受けられる医療環境、そして新たな学校や仕事を勧める紹介所。保護から社会復帰までが一体となった施設が必要なのではないでしょうか?」
自殺を考える者を憂いていた目線は、保護施設の話をする時にはしっかりと上げられていた。まるで彼等を救う未来を見据えるように、池神の目に直接訴えかける。池神は途中からお猪口を手放し、腕を組んで祐毅だけを見ていた。話が止むと、右手で顎を擦りながら、提案を噛み締めるように、ふむと呟く。
「確かに昔とは違い、精神論や根性論は淘汰されつつある。ハラスメント対策は事業主の義務となり、スクールカウンセラーの配置も学校教育法で義務となった。お客様は神様、という時代はもう古いしな。しかし、君は随分と過保護な医者だな!病気だけでなく生活の面倒まで見る気か?」
「近隣住民や家族の目が気になり、時には病院に通うことすら苦痛になります。それに、せっかく治療を終えても、社会に復帰できなければ、また本人は苦しい思いをして、病院に逆戻りか、自殺の道を選んでしまう。一度自殺が選択肢として浮かんでしまったら、何度でも頭にチラついてしまうものです。それでは真の意味で救ったことにはなりません。職場復帰や転職を本人任せにするのではなく、社会復帰して再び活躍するまでをキャリアアドバイザーがサポートし、復帰先での精神的不安をカウンセラーがアフターケアする。最終的な目標は自律です。施設内では働き始めるところまで支援し、働き始めたら施設を出て、各組織が連携してアフターフォローを行う。マイナンバーでカルテを共有できれば、施設にいた時の診察記録やカウンセラーのアフターケアの記録まで閲覧できるので、仮に症状が再発したとしても新たな病院でスムーズに治療できるでしょう」
生活保護法に基づいて国民に健康で文化的な最低限度の生活を送らせるための保護施設、精神的・肉体的不調を治療するための病院、安定した社会生活を送るための職業紹介所。それぞれ独立して成り立っている施設や組織を、統合ないしは連携させるという、医者の領域を超えた発案。過保護、悪く言えばお節介。精神的・肉体的に追い詰められ、やむを得ず退職を余儀なくされると、大抵の者は生きるために自ら職を探すだろう。だが、すぐには職に就けなかったり、再就職に一歩踏み出せなかったり、人生も人の心もそう簡単なものではない。その状態が長引けば、生活が困窮し、再び精神的に追い込まれ、最悪の場合自ら命を絶つ者も出てしまう。人を救う、という広く長い目で見れば、祐毅のお節介は一応、医者の領域に触れる。
池神と祐毅は、互いに笑みを浮かべて視線を交わす。前者は向かい合う相手の瞳の奥を見据えるような目と、口角を横に伸ばした薄笑い。後者は自信に満ちた目と、唇を弓のように撓らせた朗笑。
「精神疾患や精神障害は治療期間が数か月から数年と長いうえに再発率が高い。せっかく治療しても再発してしまっては、本人にも社会にも不利益というもの。しかし、仮に施設ができたとして、入所から自律に至るまでを治療期間と考えると、再発から再診を受けて終診するまでの期間とどちらが短期間で済むかな?それに、問題は財源だ。現状税金で成り立っている施設は、入所者が増えて社会で働く者が減れば、維持は難しくなるぞ?施設も、新設するのであれば大規模で、巨額の投資が必要だろうし、そう多くも作れまい」
「大事なのは治療期間ではなく自律できるかどうかです。再発した者が再診を受けずに自殺してはいけないので、それを予防するためのアフターケアでもあります。財源については、入所者に食と住を提供する代わりに、職業訓練として働いてもらえばいいのです。人と接することがストレスになる人は、VRを使ったロボットの遠隔操作で仕事、というのもいい。他にも案があります。これは僕が一番推し進めたいと考えていることなのですが」
ここで祐毅は、あえて間を取る。ウーロン茶を手に取り、多弁で乾いた喉を潤すと、空のグラスを見つめながら、ふぅっと息を吐く。
「僕は、安楽死を法令化すべきだと考えています」




