第42話
「どうですか?姉さんの読みは、当たってました?」
目を大きく見開いて静止している崇志に、冷ややかな声で話しかける祐毅。彼を見上げてきた顔は、怯えたような目つきをしていた。それが質問の答えだと解釈した祐毅は、鼻で笑うと煽るように言葉を続ける。
「姉さんはあなたの考えや行動を読み、僕に心臓を移植するように仕向けたんです。あなたは、駒として見ていた人間の、それも子供の!手のひらの上で踊らされていたんですよ」
頭上から降ってくる嘲笑。いつもの崇志であれば、こんな物言いを許さず、怒鳴り返しているだろう。だが、日記の内容に衝撃を受けた彼に、反論する余裕が生まれるには、まだ時間が必要だった。
「あなたが医者として行動し、僕に姉さんの心臓を移植しなければ、こうして僕に見下ろされることはなかったんです。僕が死んでいたら、きっとこの日記は誰の目にも触れなかった」
祐毅は腰を屈め、崇志の手に握られた日記を奪い取る。静かに表紙を閉じると小脇に抱え、さらに話を続けた。
「優秀な跡取りが欲しかったのは、自分が退く時に理事長に据え置くためでしょう?廻神の名を継ぐ子で、さらに優秀であれば、理事達の反論も少なく理事長を交代できると考えた。後は息子を操り人形にして、裏で実権を握る。あなたの考えなんて、全部お見通しです。だから僕は従順なフリをした。この日のためにね」
祐毅は紬祈同様、崇志の考えを推察した。なぜ優秀な跡取りを必要としていたのか、なぜ自分に固執するのか。この二つが繋がる結末を想像し、それを実現するために従順な駒を演じてきた。崇志の考えと推察がイコールでなかったとしても、結果的に理事長の席が手に入ればいいと、我慢を重ねて。
「フッ…私はお前達にまんまと騙されたわけだ。まさか、紬祈が妊娠を隠していたなんてな…」
日記の内容と祐毅の話を飲み込めたのか、崇志はようやく口を開く。諦め、のような口調に聞こえるが、その態度は日記を読む前と変わっていない様にも思える。祐毅は眉間に深く皴を作り、ため息をついた。一番言いたい言葉をその息と共に吐き出し、落ち着いて言葉を返す。
「妊娠していたと、断言はできません。あなたが警察に届けなかったから、司法解剖はされなかった。子宮は移植対象ではありませんし、年齢的にも周囲はその可能性を考えず、確認がされなかった。生理が来なかったのは、過度なストレスや体調不良による無月経の可能性もある」
祐毅は医者らしく、事実に基づく推論を述べた。紬祈本人も、病院も、誰も検査などしていないのだから、妊娠の証拠はどこにもない。日記に書かれている"生理が来ない"これだけが事実で、そこから各々が独自に想像しているに過ぎない。
「あなたは親としても医者としても失格です。娘の体調を気にもせず、それどころか虐待して死に追いやった。そして己の欲と名誉のために娘を切り刻み、移植を断行した。本来しなければいけないレシピエントへの意思確認を、僕にしませんでしたよね?臓器移植ネットワークにも連絡せず、院長である祖父にも連絡せずに独断で行った」
「違う。移植は紬祈の意思だ!心臓はお前に、それ以外も…」
「脳死状態の姉さんを見て、あなたは何を思いましたか?可哀想、悪いことした、自分がここまで追い込んでしまった。そんなことは微塵も思わなかったですよね?これは自殺か?どう隠蔽しよう、跡取りはどうしよう。自分の保身や計画のことしか考えてなかったでしょ?娘の体にメスを入れることに何の感情も抱かない。自分本位の行動しかしていないんですよ、あなたは」
反論しようとしたが、言葉が続かず、悔しそうな表情を見せる崇志。それは祐毅の推察が概ね当たっていると、答えを教えているようなものだった。
「親じゃなくても、せめて医者であればと思ったのに…周りの人間は己の欲を満たすための道具。いらなくなったら捨てて、新しい道具に取り替える。姉さんを弄んで、都合よく脳死になったら電池を交換するように僕に心臓を移植した。秘書だけでは満足できず、何人もの女性達を己が欲のために使った。祖父と母が死んだ時はどうでしたか?やっと邪魔な権力者と役立たずが消えてくれたと、裁判で決着がつく前に死んでくれたと、安心したんじゃないですか?我慢して我慢して、遂に欲しかった権力と地位、ついでに跡取りも手に入ると。自分は運がいいとでも思いましたか?」
崇志の心理を読み、それを代弁する祐毅。自分の本心とは真逆の話をする彼の顔は、徐々に苦悶に満ちていく。
「僕が病気だとわかった時に”そんな子供はいらない”と言ったことを覚えていないんでしょ?そのくらい、僕はあなたにとって無価値だった。あなたから、いらないと僕を捨てたんです。同時に僕の父親は死んだ。それを、病気が治ったら都合よく"息子"と呼び、道具として手元に置いた。育ててやっただって?ただ奴隷のように生かしただけでしょ?死なないように食わせ、手を噛めば躾ける。家族としての扱いじゃない。祖父や母、姉さんから感じたような愛情は、あなたの行動からは一切感じなかった」
少しずつ、感情が漏れ出る祐毅。単調だった口調に、抑揚が付き始める。睨みつけながら話を聴いていた崇志は、今更になって立ち上がった。顎を上げ、祐毅の話の何が面白かったのか、フンッと笑い飛ばす。
「愛情など無くとも生きてこられただろう?私が実の父親だから紬祈の心臓をお前に移植する承諾ができたし、一人きりになったお前を私の金で飯を食わせてやった。離婚していたらお前は一人で生きていけたか?私に金が、欲があったから、そのおかげでお前は今ここにいる。愛など必要ないと、お前の存在が証明しているだろう?」
「お前に生かされるくらいなら、野垂れ死んだ方がマシだったよ」
室内に響く、崇志の高らかな笑い声。それを裂くように、祐毅の重い声が真っ直ぐ正面に飛ぶ。大口を開けてピタリと固まるその顔に、今まで堪えていた想いをさらに飛ばす。
「いくら努力しても認められず、頂点に立たない限り永遠に罵倒されて叩かれる。お前の秘書にまで道具のように扱われて、生きている意味はあるのかと、何度も思った。死ぬのは辛くて苦しいと、病気だった僕が一番よくわかってるのに、死んだ方がマシだと思うくらい、生きている方が辛かった。でもな、そういう時に聞こえるんだよ。ここから。心臓の鼓動が!生きろって言ってくるんだよ!!」
祐毅は左胸に手を当てた。服を破って肌に食い込みそうな勢いで、指を握る。
「いいか、僕はお前に生かされてたんじゃない。僕を愛してくれた家族に報いるため、自らの復讐を遂げるために、思い留まったんだよ!」
語気を強め、鬼気迫る表情で睨みつける。祐毅の全身から発せられる威圧感に、崇志は体を強張らせた。
「いつ死ぬかもわからない僕を、皆は見捨てずに励まし、支えてくれた。命を懸けて僕を救い、お前から遠ざけようとしてくれた姉さん。僕を守るために離れることを選び、それでも寂しくない様に毎日連絡をくれて、忙しさを省みずに毎週会いにも来てくれた祖父と母。大叔父達も実の孫のように愛情を注いでくれた。皆が愛してくれた、その記憶が!今日まで僕の命を繋いできたんだ!」
祐毅の頭の中を、走馬灯のように記憶が駆け巡る。愛する家族と過ごした15年、どんな時でも祐毅の傍には家族がいた。病室で一緒に勉強した時、聴診器で心音を確認された時、好物のゼリーを買って来てくれた時。辛く苦しい記憶もあるが、思い出すのは家族の笑顔ばかり。だが、その記憶の中に、崇志は一度も出てこない。
「お前は、胸を張って言えるのか?成績が1番でなければ罵り叩いたことや母に会うなと言ったこと。これらは全て僕を想ってしたことで、断じて自分のためではないと、言い切れるか?言いつけを守らず怒った時、”お前のためを思って”と何度も言った。その言葉に嘘偽りはないと、断言できるか?大叔父達から引き取った時に”親といるのが子の幸せ”と言ったよな?お前とあの家で暮らしていて、幸せだなんて一度も思わなかった。お前から感じるのは支配欲。生かしてやるから言うことを聞け、自分の役に立てと、威圧と恐怖で服従させられた。親だから子に何をしてもいいと、家族だからどんな扱いをしても許されると思ってたんだろ?」
祖父や母、姉にしてもらったことと比較すれば、崇志の行いはおおよそ家族のすることとは思えない。家族の愛情を知っている祐毅には、感情すら籠もっていないように見えていた。
実の息子にここまで言われて、思うところがあるはず。驚き、反省、後悔。悪いことをしたと、己の行いを省みるのが普通だろう。
眉を中央に向けて寄せ、歯を食いしばる顔。残念ながら、崇志はそんな感情とは懸け離れた表情をしていた。
「私がいなければ、そもそもお前は産まれていなかったんだぞ!私が男児を望み、不妊治療までさせてやっとお前ができた。私に欲があったからお前はこの世に生を受けたんだ!それなのに病気を持って産まれてきて。せっかく治してやったのに感謝も無しか?命を授け、助けてやったんだぞ?親に報いるのが子供の役目だろう」
「いらなくなったなら、産まれる前に殺せばよかっただろ…」
勢いに任せて話す崇志は、祐毅の呟きにスッと勢いを消された。耳で言葉を拾い、脳で意味を理解しようとしている間に、目に入ってきた一筋の光に目を丸くする。
「言っただろ?僕の命を救わなければ、こんなことにはならなかったって」
「祐毅……お前、な…」
祐毅に伸びてくる崇志の手。その手は届くことなく、勢いよく払いのけられる。そして、祐毅はそのまま崇志のネクタイに手を伸ばし、己に向けて強く引き寄せた。
「お前は!一体何人犠牲にすれば変わるんだ!お前が誇示してきた優秀さは、お前の真の実力じゃないだろ!祖父が死んだから理事長になれただけで、お前は祖父の力を笠に着て偉ぶってるだけだ!それに、お前が優秀だから姉さんが優秀だったんじゃない。努力して結果を出した姉さんを褒めるついでに、社交辞令を言われただけだろ。ただのご機嫌取りに浮かれてやがって。本当に優秀なら、自分の力でのし上がれよ!」
姉が自殺した時、祖父が事故死した時、母が亡くなった時。家族を失ったその瞬間は、祐毅にとって大きなターニングポイント。崇志もその時に同じように何かを感じ、自身の行動を思い直す機会になっていればと、心の何処かで願っていた。だが、そんな人ではなかったと身をもって体験してきた自分が、今まで蓋をしていた怒りを爆発させる。
「僕の大事な家族を踏み台にしやがって。例え血が繋がっていようが、周りの人間に容姿が似てると言われようが、僕だけは絶対に、お前を家族と!父親と認めない!!金を払ったから親?だったら、全部返すから親をやめてくれ!毎月10万、足りなければもっと出す。だから、もう二度と僕の目の前に姿を見せるな!!」
毎月10万、それは小遣いとしてテーブルに置かれていた金と同額。全て返済して、金で繋がっていた縁を断ち切りたい、そんな思いが込められていた。
怒涛の勢いで怒声を浴びせると、祐毅はネクタイを握った拳で崇志の胸を押した。もうお前と話すことはない、姿も見たくないと、突き放して顔を背ける。
崇志が理事長になって約20年。その前も、理事長の婿養子として、院内ではそれなりの立場にいた。そんな彼の人生において、仁田のように諭す者はいただろうが、祐毅のようにここまで苦言を呈した者は、恐らくいない。立場が下だった理事、若造、実の息子、どう捉えているかは不明だが、自分より下と思っていた人物にここまで徹底的に指摘されれば、さすがにプライドの高い崇志の心にも響く。
薄っすら口を開け、目線は下に向けられているが、焦点は合っていない。呆然と立ち尽くす崇志を見ることもなく、祐毅は最後通告をする。
「荷物は家に送ります。だからもう、出て行って下さい」
崇志は強く拳を握ると、祐毅に視線を向けることなく、無言で部屋を出て行った。
パタン。その音が部屋に響くと、祐毅は今まで呼吸していなかったかのように、大きく息を吸う。両手で顔を覆い、左右に手を振り払うと、机に向けて歩を進めた。立派な黒革の椅子の後ろで止まると、弾力のある背もたれを、ポンポンと叩く。
「やっといなくなった。これでようやく、本来の計画を進められる」
満足そうな笑みを浮かべ、机に置かれたネームプレートをうっとりと見つめる。
姉が亡くなった時に祐毅は”やりたいこと”を思いつき、25年をかけて段取りを踏んできた。医者になり、自殺志願者を回収し、邪魔者としてきた崇志を排除。理事長の座を得た彼が成したい計画、それは…
「そうだ。迎えに行かないと」
はたと思い出した秘書との約束。祐毅は興奮冷めやらぬまま、軽快な足取りで理事長室を飛び出していった。




