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アスクレピオスに聞き糺せ  作者: 冴樂 紅


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第37話

 立派な家が両脇に並ぶ道を、速度を落として走る車。ウインカーを上げて道の(はし)()り、後ろから車が来なくなると、バックでゆっくりと動く。


「着いたぞ。ここがお前の家じゃ」


 停車した車から降り、祖父が指差(ゆびさ)す方向を見上げると、大きな家が建っていた。白い(へい)に囲まれた2階建ての家。壁は汚れが見つけられないほど真っ白で、細長いガラス窓が数か所はめ込まれている。


「初めてじゃから、玄関から入ってみるか」


 先程車を停めたガレージからエレベーターで家に入れるらしいが、祖父(そふ)はガレージと塀の間にある黒い(さく)を開けて中に入っていく。(あと)に続いて階段を上がっていくと、大きな木の扉があった。ここが玄関のようだ。

 初めて入る我が家。長くの伸びた細い窓から差し込む光が白い壁に反射(はんしゃ)して、とても明るい玄関。靴を脱ぎ、祖父の背を追った先には開けたスペースがあり、手前にはキッチンとテーブル、奥には何人も座れそうなソファーや大きなテレビが置いてあった。


「リュックは一旦椅子に置いておきなさい。紬祈(つむぎ)祖母(ばあ)ちゃんに挨拶しに行こう」


 テーブルから引き出された椅子にリュックを置くと、祖父はまたどこかへと歩き出した。ついて行った先には和室。スリッパを脱ぎ、(たたみ)の上を部屋の奥まで進むと、仏壇(ぶつだん)が置いてあった。

 久し振りに見た姉は、笑顔だった。祖父に意地悪(いじわる)をした時、プレイルームに連れて行かれた時、その時に見せた元気な笑顔のまま、小さな茶色の(わく)の中で止まっている。今にも動き出しそうなのに、上半身しか見えないし、声も聞こえてこない。

 突然視界がぼやけて、姉の顔が見えなくなった。まつ毛にゴミでも付いているのかと目を(こす)ったが、なかなか視界はクリアにならない。何度も何度も目を擦っていると、何かが体を(つつ)む。優しい力加減の(あたた)かいそれは、僕の頭を()でてくれた。


「悲しい時は、たくさん泣いたらいい。信じられなかったら、まだ信じなくていい。時間がかかっても、いつか乗り越えられたら、それでいいんじゃ」


 見えなくても、祖父の声だということはすぐにわかった。僕は姉の死を悲しんでいるのか?それとも姉の死を受け入れられないから泣いているのか?この涙の意味がどちらなのか、わからない。でも、今はまだどちらでもいい。涙を無理に止める必要はない。そう思って、僕は何も考えずに全てを体に任せた。

 (しばら)くして涙が落ち着くと、いつの間にかサングラスと帽子を取った祖父の指示に(したが)って、線香(せんこう)をあげた。姉の隣で、同じように茶色の枠の中で微笑(ほほえ)んでいるのは、僕の祖母(そぼ)だと言う。(やわ)らかい笑みでこちらを見つめるその目は、なんとなく母に似ていた。

 二人に挨拶を済ませると、和室を後にする。こっちじゃと、僕を導く声に従って2階に上がると、1枚の扉の前で祖父が止まった。


「ここが紬祈の部屋じゃ。中は紬祈が使ってた時のままにしとる。誰も入っておらんはずじゃ」


 祖父はジャケットの内ポケットから封筒を取り出し、手紙を1枚渡してきた。そして、来た道を戻る。僕に一人で探せということらしい。


(わし)は下にいるから、何かあったら呼んでくれ」


 手をひらっと上げ、階段を(くだ)っていった。姿が見えなくなると僕は、扉へと体を向ける。この扉を開けた先のどこかに、この鍵で開く場所がある。一体何が入っているのか、ついに確かめる時が来た。深呼吸を1回して、扉を開く。


 大きな窓から差し込む光を、オレンジ色のカーテンが柔らかに受け止める。暖かくて明るい部屋、というのが第一印象。部屋の左側にベッド、隣に勉強机が置かれ、右の壁はクローゼットになっている。入ってすぐ右側には本棚があり、僕も持っている子供向けの医学書や大人が読みそうな人体の解説本、問題集などが並んでいた。ぬいぐるみや可愛い缶なども並んでいるが、鍵がかかっていそうなものは見当たらなかった。

 次はクローゼット。扉は4枚あり、左右に開くタイプ。まずは2枚の扉を開けてみると、ハンガーにかけられた洋服がいくつも()るしてあった。その中には、見舞いに来た時に着ていた服や中学校の制服もある。服をかき分けたが何もなく、上にある棚はジャンプしても見えなかった。きっと僕が見えないところには隠さないだろうと考え、残りの2枚の扉に(うつ)る。こちらにはハンガーにかかったサイズの小さい服が数枚と透明(とうめい)収納(しゅうのう)ケース、そして4段ある引き出しが置かれていた。収納ケースは、小さい時に着ていた服が入っているように見える。ハンガーにかかった服は収納ケースに入りきらなかったものだろう。引き出しは少し引いて中身がわかった瞬間に閉めた。靴下や下着、肌着が入っていて、さすがに探す気になれなかったし、ここには隠していない気がした。

 あとは勉強机とベッド。床に()せて(のぞ)いてみたが、ベッドの下には何もない。(まくら)や布団を(めく)っても、何もなかった。

 勉強机の上は、仕切りで綺麗(きれい)に立てられた本とペン立てが置かれているだけ。(そば)でしゃがんで引き出しを見てみる。すると、4段ある右側の引き出しの一番上だけ、鍵がかけられるようになっていた。もうここしかないだろうと思えた僕は、手紙から銀色の鍵をはがし、鍵穴に差し込む。なんの引っかかりもなく入った鍵は、回すとカチャッと音がした。


 ここに、姉が僕に読ませたかった物が入っている。何を伝えたかったのか、1か月近く()ってようやく知ることができる。ふーっと大きく息を吐き、引き出しを引く。

 立ち上がって中を覗くと、真っ先にノートが目についた。サイズ順に綺麗に並べられたノートは、全部で7冊。ごそっとまとめて手に取り、床に座る。先程並んでいた順番に、もう一度並べてみた。表紙はフルーツや動物、花など、どのノートも違う(がら)をしており、サイズは2種類。小さいノートが3冊と、一回り大きいノートが4冊。見た目では、大きいノートの方が汚れや折れが少なく、新しそうに見えた。

 一番端の小さいノートを拾い上げ、表紙を捲る。


 きょうからしょうがくせいになったので、

 にっきをかきます!

 ゆうきにらんどせるをみせにいったら、

 かわいいっていってくれた!うれしかった!


 それは、姉の日記だった。小学生になって書き始めたらしい。全てひらがなで少々読みづらいが、自然と目は文字を追い、内容に吸い込まれていった。


 はじめてともだちができた!

 がっこうのかえりにびょういんにいって

 ゆうきに、えほんをよんであげた。

 とちゅうでねてて、かわいかった。


 何年も前の出来事なのでほとんど記憶に残っていないが、(なつ)かしい感じがする。日記というだけあって、毎日の出来事が書かれている文章は、日を追うにつれて漢字やカタカナが使われるようになり、文章の量も増えていった。


 ゆうきに学校でならったことを

 おしえてあげた。わかんないって

 ないてた。でも、いつかいっしょに

 学校に行きたいって言ってくれた。

 早くなおって、いっしょに行けるといいね!


 日記は、学年ごとにノートを分けているようで、ページが余っていても3月31日で1冊目は終了した。次のノートを手に取り、ペラペラと捲っていく。


 ゆうきに会いに行ったら、面会なんとかって

 ドアに書いてた。かんごしさんに、お父さんか

 お母さんといっしょに来てって言われた。

 どうして会えないの?


 今日もゆうきに会えなかった。お母さんにきいたら、

 がんばってびょう気とたたかってるから、しずかに

 休ませてあげようって。面会なんとかがドアから

 なくなったら、入っていいって言ってたけど、

 いつなくなるの?早く会いたい。がんばれ、ゆうき。


 おそらく、僕の体調が悪化した時だろう。面会なんとかとは、面会謝絶(しゃぜつ)の事。僕の様子次第だが、確か家族は入っても良かったはず。だが、この時の姉は病室に入れてもらえなかった。数日経って面会できるようになったようだが、その(あいだ)の日記には何度も、頑張れ、病気に負けるな、と書いていた。

 3冊目でも、同様に僕の体調が悪化するタイミングがあった。


 また面会しゃぜつって書いてあった。おじいちゃんに

 きいたら、いっしょに入らせてくれた。

 ゆうきにきかいがたくさんつながってて、こわかった。

 話しかけてもぜんぜん起きない。手をつないでも、

 にぎってくれない。このまま起きないの?って

 きいたら、先生ときかいが、ゆうきが起きられるように

 助けてくれてるから、そのうち起きるって。

 こわいきかいじゃないみたい。


 初めて面会謝絶の時に入室したらしい。見たことのない機械が僕の周りにあって、(こわ)がっている。前回はきっと、姉が(おどろ)くと思って母が病室に入らせなかった。1年経って成長し、大人と一緒なら大丈夫だと、祖父は考えたのだろう。だが、もしかしたら早かったのかもしれない。数日後に僕が目覚めた時の日記を読んで、そう思った。


 ゆうきが起きてた。良かった。ずっと起きないかと

 思った。でも、しゃべるのが苦しそうで、手に力が

 なかった。ちゃんと元気になる?また笑ってくれる?

 明日もちゃんと起きてる?おじいちゃんは大丈夫って

 言ってたけど、心配で、こわい。

 どうしたらゆうきは元気になるの?病気をかわって

 あげられたらいいのに。


 元気な時の僕を知っているから、弱っている姿に驚いたのだろう。(おそ)らく初めて身近に感じたであろう、人の死。死という認識はないかもしれないが、僕が目覚めなかったらと想像して、怖いと言っている。

 でも、姉は怖がるだけではなかった。心配で、病気を変わってあげたいと思える優しさがある。その優しさは、日記に時々現れた。


 お花をつんでもって行ってあげた。きれいだってよろこんでた!


 おこづかいでジュースを買ってあげた。ゆうきにあげたのに、

 半分くれた!二人でのんだら、いつもよりおいしくかんじた!


 姉の日常の間に、僕のことがたまに書かれる。僕の名前が出てこない日の方が(めずら)しいくらい、短い文章でも様子を書き記し、もはや僕の観察日記と()していた。


 家に帰っても一人。みんな仕事でおそいからさみしい。

 それに、ゆうきにも会えない。病院に行けば、ゆうきがいるし、

 おじいちゃんとお母さんも病室に来てくれるから、

 病院も私の家にする。セカンドハウスって言うらしい。

 お姉ちゃんだから、弟のそばにいて、病気から守る!


 前に、姉が”一人にしないで”と言ったことを思い出した。姉は強いし、家には家族がいるのだから(さび)しいと感じることはないと思っていた。けど、姉も孤独(こどく)を感じていて、病院に毎日来ていたのは、家族に会いたいからだった。そうとは知らない僕が冷たい態度を取った日の日記には、こう書いてあった。


 最近のゆうきはツンツンしてる。昔は会いに行ったら

 うれしそうに「ねちゃ」って笑ってかわいかったのに。

「毎日来てヒマなの?」だって!かわいくない!!

 今のゆうきは、何かをあきらめてるような気がする。

 おじいちゃんも心配してた。このままじゃダメだって、

 私も思ってた。何かを変えてあげたい。


 何歳の僕と比べているのだろう?男なんだから成長したら可愛くなくなるのはしょうがないのに、姉は可愛い弟が良いらしい。この時の僕は、自分は助からない、どうせそのうち死ぬと(あきら)めていた。だから周りにも冷めた態度(たいど)を取って、(ほう)っておいて欲しいと(しめ)した。けど、それを心配した姉と祖父。二人の相談によって、プレイルームに強引(ごういん)に連れて行かれたのか。


 友達ができたら、ゆうきが少しずつ前向きになってきた。

 昔みたいに笑顔がふえた。このまま元気でいてほしい。


 その後の僕は、姉によく今日は誰と遊んだか、何をしたかを話していた。その内容が日記にも書かれていて、楽しそうで良かった、たくさん笑ってた、と姉の感想が最後に()えられる。ずっと一番(そば)で僕を見守ってくれていた。

 でも、僕はあの人に言われた一言で、姉を傷つけた。その時の気持ちが、5冊目にこう書かれていた。


 初めてゆうきとケンカした。がんばるって言ったのに

 弱気なこと言うゆうきが悪い。

 あきらめてほしくない、死んでほしくない。皆が

 そう思ってるのに、ゆうきだけあきらめてる。

 イヤだよ。死なないでよ。ゆうきがいないとさみしいよ。

 なんでわかんないの?


 自分の事しか考えていなかった、弱い僕。もし逆の立場だったらと、少し考えれば家族の気持ちはわかったはずなのに、それができなかった。祖父がいなかったら、ずっと仲直りできなかったかもしれない。


 ゆうきも生きようとがんばってる。私もお医者さんになるって

 約束したからがんばる。お父さんにいっぱいお願いしたら、

 テストで学年1位になったら勉強教えるって言ってくれた!

 ずっと”お前には無理だ”って言われてたけど、やっと

 1歩進める!ゆうきを治せるお医者さんに絶対なる!


 勉強ってむずかしいし、あんまり楽しくない。

 でも、ゆうきもたくさんがんばってる。

 やらなきゃいけないことがいっぱいあって会いに行けないけど、

 早くお医者さんになるためにがんばらないと。

 ゆうき、さみしくないかな?勉強、わからなくて困ってないかな?


 テストで1位取ったら、「さすが、私のむすめだ」ってお父さんが

 ほめてくれた!たくさん勉強がんばって良かった。

 ゆうきも最近質問が減ったから、勉強がんばってるんだと思う。

 一緒にがんばろうね。早くお医者さんになるから、待っててね。


 姉はどんな時も僕を大事に(おも)っていて、僕のために行動していた。読んでいるだけで笑みがこぼれ、懐かしさに胸が(あたた)かくなる内容ばかり。だが、最後の1冊だけは、今までの日記と全く様子が違った。

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