第32話
姉とケンカしてから二日。病室でずっと待っていても、姉が来ることは無かった。祖父も学会とやらで遠くに行くから二日は来られないと言っていた。母も仕事で忙しいから、この二日間は先生と看護師としか会っていない。
僕から会いに行けたらいいのだが、一人では外出出来ない。まさにかごの中の鳥状態。僕はただ、姉が謝るチャンスをくれるのを、待つしかないのだ。
コンコン。誰かが来た。今日はもう先生も看護師も来てしまったから、来るとしたらお見舞いの人。姉だと思い、少し緊張しながらもはっきりと返事をした。
「失礼します。祐毅君、ごめんね。雅綺ちゃんが入り…」
「ユッキー!ツッキー!あーそーぼっ!」
扉が開くと最初に、隙間から看護師が申し訳なさそうに顔を見せる。謝りながら病室に来た理由を話し出すと、それを遮る飛び切り元気な声が病室に響いた。看護師の脇から扉の隙間をすり抜けて入ってきたのは、雅綺。手にたくさんの絵本とおもちゃを持ち、歩くとどれか一つを落とす。看護師は雅綺の後ろをついて病室に入ると、落ちたおもちゃを拾い上げた。
「ごめんね。雅綺ちゃん、扉を開けようとするとおもちゃを落として、拾ってもまた落としての繰り返しで、扉を開けられなくて…祐毅君のお見舞いに来たんだと思うの」
看護師が説明している間に、雅綺はベッドの横まできた。点々とおもちゃを落としながら。看護師はそれを拾い集め、雅綺の後ろに立つ。
看護師の話が終わり、雅綺に目を移すと、大きな目をキラキラさせながら僕を見上げていた。
「元気になった?遊ぼ!」
正直、姉ではなかったことに少しだけ落ち込んだ。けど、しばらくプレイルームに行っていなかったから、雅綺が元気そうで少し安心した。
「雅綺ちゃんね、祐毅君の病室に入れない時も何度か扉の前に立ってたの。会えないの?って心配してて。もし体調が大丈夫そうなら、少しの時間でいいから遊んであげてもらえるかな?」
僕が眠っている間、先生や看護師、家族以外は病室に入れなかった。プレイルームに来ない僕を心配して、わざわざ病室まで何度も来てくれたらしい。遊び相手がいなくて寂しかっただけかもしれないが、家族以外にも僕を心配してくれる人がいるんだと、少し嬉しくなった。
「わかりました。マッキー、あっちのソファーに座って遊ぼう」
看護師に向かって頷き、雅綺には遊ぶ場所を指差す。わーいと喜ぶ声とありがとうと感謝する声がすぐに返ってきて、二人共ソファーに歩いて行った。僕もベッドから降りて、すぐに後をついていく。
看護師は拾ったおもちゃをテーブルに置くと、病室を後にした。僕と雅綺は、三人掛けのソファーに並んで座る。
「えー!ゾウさんって水色じゃないの?」
「本物のゾウは灰色だよ」
雅綺が持ってきた絵本と僕が持っている図鑑を並べて、一緒に見る。雅綺は、見比べて驚き、その後は落ち込む。可愛くない、と必ず最後に呟いて。
「うさぎさん、ピンクじゃないの!?」
「白とか茶色とか、いろんな色のうさぎがいるけど、ピンクはいないんじゃない?」
ビックリとガッカリを繰り返す雅綺が可哀そうに思えてきた頃、扉をノックする音が聞こえた。返事をすると、すぐに扉が開く。
「祐毅ー。祖父ちゃんいなくて寂しかったろう?お土産買ってきたぞー」
ビニール袋を持った祖父が病室に入ってきた。学会とやらは終わったようだ。祖父は真っ先にベッドを見て、僕がいないと気付くとこちらに顔を向けた。すると、なぜかピタリと動きが止まる。
「祖父ちゃん、お帰り」
「だぁれ?」
雅綺は突然入ってきた祖父に驚いたようで、僕の袖を引っ張ってその後ろに隠れる。祖父は、その光景を見ながら口をパックリと開けていた。
「僕の祖父ちゃんだよ。怪しく見えるかも知れないけど、お医者さんだから安心して」
先に雅綺に祖父を紹介した。怖がっていたので、僕の家族だと紹介した方が安心すると思って。それが少しは効いたらしい。雅綺は僕の袖を離すと、祖父に頭を少しだけ下げた。
「式は祖父ちゃんが生きてるうちにお願いします!」
突然大きな声を出したかと思うと、祖父は腕で両目を隠し、天井に顔を向ける。意味のわからないことを言っていたが、学会とやらはそんなに疲れるのか。
「式って何?葬式?」
生きるために頑張ると決めたばかりだけど、式と名の付くもので僕が一番早く経験しそうなものは葬式。学校に通っていないから、入学式も卒業式も無いし。
「縁起でもないこと言うな!それは祖父ちゃんが生きてるうちにやっちゃダメ!」
いや、祖父は元気だった。ツッコミは速くて言葉に迷いがない。
きっと祖父も雅綺が病室にいて驚いただけなのだろう。会話をして落ち着いたのか、一人掛けのソファーに座って、優しく雅綺に声を掛ける。
「で、お嬢さんのお名前は?」
「マッキーです!こんにちは」
「こんにちは。おや、ハーフなのかな?マッキーとは、可愛い名前だね」
あ、ダメだ。二人だけで話をさせてはいけない。直感的にそう思った僕は、通訳を始める。
「祖父ちゃん、この子は雅綺。マッキーはあだ名だよ」
「お、そうか。雅綺ちゃんと言うのか。雅綺ちゃん、儂のことは祖父ちゃんと呼んでくれ」
「お祖父ちゃん!」
なぜ赤の他人に祖父ちゃんと呼ばせるのか?雅綺も普通に呼んでるし。まさか、入院している子供全員に祖父ちゃんと呼ばせる気か?
「マッキーのお祖父ちゃんじゃないんだから、呼ばなくていいよ。祖父ちゃんも、無理やり呼ばせないで」
僕は正しいことを言ったはずだ。なのに、二人は揃って、えー、と声を上げ、不満そうな顔をする。
「私、お祖父ちゃんいないから欲しい!」
「いずれ孫になるんじゃろ?今から慣れておいた方が良いじゃろ」
ねー、と二人は顔を見合わせる。初対面なはずなのに、なぜか息ぴったりな二人。どちらの発言も意味不明過ぎて、僕は疲れて諦めた。会話が盛り上がっている二人は放っておいて、一人で図鑑を眺める。
「祐毅。お前、紬祈になんか言ったじゃろ?」
ドキッ、心臓が驚く。思わず祖父の顔を見ると、悲しそうな顔をしていた。
「学会に行く前に儂のところに来てな。ボロボロ泣いておったぞ?」
「女の子泣かせちゃダメなんだよー」
祖父の言葉だけでも気まずいのに、雅綺にまで言われると心にグサッと来る。あまりに気まず過ぎて、僕は顔を逸らした。
「祐毅死んじゃヤダ、助けてよって、ずーっと泣いてな。倒れた時も、ずっとしょんぼりしとったんだぞ?」
あの時の僕は、自分の事しか考えてなかった。まさか姉が泣くなんて思わず、あんな言葉を吐いてしまった。
ぼーっとしていると、雅綺が急に手を握る。隣に顔を向けると、祖父と同じように悲しそうな顔をした雅綺と目が合った。
「ユッキー、死んじゃヤダよ。ツッキーが治してくれるって言ってたから、それまで頑張ろう?」
そう。姉の気持ちは、あの時から何も変わっていない。生きてほしいと願い、共に闘おうと寄り添ってくれていた。それなのに、僕が弱いせいで、その気持ちを傷つけた。
でも、もう迷わない。頑張るって決めた。一緒に闘ってって言おうって決めたんだ。僕は祖父に顔を向け、しっかりと目を見つめた。
「祖父ちゃん。僕、姉ちゃんに謝りたい。けど、お見舞いに来てくれないんだ」
僕の顔と声で真剣さは伝わったのか、祖父は微笑んでくれた。
「わかった。明日見舞いに来るように、儂から話しておこう」
「ありがとう、祖父ちゃん」
祖父はしっかりと頷いてくれた。後は信じて任せる。きっと祖父の説得なら、姉も聴いてくれるだろう。
「さて、じゃあ儂は早く仕事を片付けて帰らんとな。紬祈を説得せんと」
祖父はソファーから立ち上がった。後は若い者でごゆっくり、とか意味のわからないことを再び口にし、去ろうとする。
「マッキーもそろそろ病室に戻った方が良いんじゃない?僕もおもちゃを持つから、一緒に返しに行こう」
「うん!今度はツッキーと三人で遊ぼうね!」
僕と雅綺も立ち上がり、たくさんの絵本とおもちゃを手分けして持って、久々にプレイルームへと向かった。
明日、姉は必ず来てくれる。ちゃんと謝って、僕の決意を話そう。伝わるまで、何度でも話せば、きっと気持ちは届くはず。そう信じて、僕は言いたいことをたくさん考えながら、静かになった病室で明日を待った。




