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アスクレピオスに聞き糺せ  作者: 冴樂 紅


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第21話

 数日経った深夜。照明が一つ置きに点灯する病院の廊下を、祐毅(ゆうき)闊歩(かっぽ)していた。時折(ときおり)聴こえる救急車のサイレンに耳を傾け、時々すれ違う病院関係者に(ねぎら)いの言葉を掛けながら、ただ真っ直ぐ目的地へと向かう。手に2枚の書類を携えて。


武蔵(むさし)先生、お疲れ様です」


 見知った白衣の背中に挨拶をする。振り向いた相手は少々驚いた素振りをしたが、すぐに笑顔で近づいてきた。カウンターを挟み、祐毅と相まみえたのは、武蔵秀男(むさしひでお)


「あれ?祐毅君じゃん、お疲れ様。珍しいね、こんな時間に」

「時間内に受け取るのを忘れてしまって」


 祐毅は書類を1枚カウンターに置き、スッと武蔵の前にスライドさせる。武蔵は、書類を拾い上げると一部分を注視した。


「いつもの薬ね。ちょっと待ってて」


 (きびす)を返し、軽快(けいかい)な足取りで調剤室へと入っていく。

 数分で戻って来た武蔵は、(ふく)らんだ紙袋を持っていた。それを祐毅に差し出す。


「はい、どうぞ。で、最近体調はどう?」

「ありがとうございます。相変わらず調子はいいですよ」


 軽い世間話が始まるが、祐毅は頃合(こえあ)いを見てもう1枚の書類をカウンターに置く。今度は、自分の近くに置いたまま。


「そうだ。預かってきた処方箋(しょほうせん)があるんです。これもお願いできますか?」


 どれどれ、と武蔵が書類に顔を近づける。彼が書類を見始めたタイミングで、祐毅は武蔵の耳元に顔を寄せた。


「僕にも緊急避妊薬(きんきゅうひにんやく)融通(ゆうずう)してもらえますか?」


 途端(とたん)に武蔵は退(しりぞ)く。だが、祐毅は反射的に片手を伸ばし、彼の白衣の襟元(えりもと)をグッと(つか)んで()がしはしなかった。驚き、焦る武蔵の顔。祐毅はその顔を、グイッと己に引き寄せる。


「僕にはくれないんですか?理事長には渡してるのに?」

「さ、さぁ?何を言ってるのかな?僕は処方箋が来たら薬を出すだけだから……」


 咄嗟(とっさ)後退(あとずさ)ったくせに、まるで何もなかったかのように(とぼ)ける。そんな男に祐毅は悪戯(いたずら)に笑いかけた。


「毎月同じ患者にこの薬が処方されていることに違和感を覚えないなんて、薬剤師の鏡ですね」

「いやー、毎月数えきれないほどの処方箋に対応してるから、そこまで気づけないよ」


 のらりくらりと祐毅の言葉を(かわ)す。そんな武蔵を見る彼の笑みは、(あわ)れみを含んでいた。


甥っ子(おいっこ)は素直に罪を認めて反省しましたよ。叔父(おじ)(おど)されて架空の患者に処方箋を書いてしまったと」

「っ!あいつ……」


 二回目のボロが出た。悔しそうに顔を(ゆが)め、舌打ちをした武蔵。だが、それはほんの一瞬で、彼はまた態度を戻した。


「へ、へぇ。架空の患者なんだ。うちの甥っ子もあくどいことするな。叔父さんから、ちゃんと叱っておくよ」


 頬を引き()らせながらも笑って話す武蔵。そんな彼の襟元を握る手は、小刻みに震える。

 祐毅はここに至るまで、幾度(いくど)となく怒りを(いだ)き、嫌悪を(もよお)しながらも、その度に己の感情を抑え込んできた。真相を明らかにすることだけに全てを注いで。しかし、武蔵の(わる)びれる(ふう)もない態度に、瞬間、彼の我慢の蓋が開く。

 空いている片手が、武蔵の白衣の下、ポロシャツの襟元を握る。その力は強く、武蔵はさらに祐毅に引き寄せられ、膨らんだ腹がカウンターにめり込んだ。苦痛に顔を歪める武蔵。その顔を見て祐毅は、また感情に蓋をした。怒りを開放するべきタイミングは、ここではないと。


「素直に罪を認めて僕に協力してくれれば、あなたを罪には問いません。しかし、これ以上しらばっくれるのであれば、あなたの過去のセクハラを全て公表します」


 自身を見下す鋭い目つきと脅しの言葉に、ヒィッと小さく声を上げて(ひる)む武蔵。祐毅はすかさず、追撃(ついげき)を加える。


「異動や転職をさせて解決したつもりになっているのでしょうが、泣き寝入(ねい)りした被害者達は永遠に(ゆる)してはくれませんよ」


 祐毅は、数人の女性の名を口にする。一つ、また一つと名を聞くたびに、武蔵の顔は歪み、額やこめかみから汗が噴き出る。


「どちらか選んでください。(うった)えられて全てを失うか、理事長だけに罪を着せて今の生活を続けるか」


 悩むまでもない選択肢。だが、やはり誰もが気になるあの質問を、武蔵も口にした。


「い、いいのかい?理事長は、君の父親なのに」


 祐毅は、その質問はもう聞き飽きたとばかりに、深いため息をついて項垂(うなだ)れる。逆にこの質問をするということは、答えは決まっているのだろうと、祐毅は武蔵の襟元をスッと離した。痛みを感じた出張っ(でば)た腹を()でながら、武蔵は(あん)じ顔をする。


「人としても、医者としてもあるまじき行為を、これ以上見逃すわけにはいきません。周りが何も言えないのであれば、僕が糾弾(きゅうだん)する他ないでしょう。もうあの人は、病院にとって害悪(がいあく)でしかないのですから」


 座った眼、抑揚(よくよう)のない声。この話をする時の祐毅に感情はない。崇志(たかし)との付き合いは長いが、祐毅のことも幼少期から知る武蔵は、初めて見る彼の様子に、心配を(つの)らせた。


「で、どちらにしますか?もう答えは決まってるんですよね?」


 言葉を掛けようとした武蔵を(さえぎ)り、回答を急かす祐毅。もうこの時には、いつもの微笑みが戻っていた。


「ほ、本当に、僕の罪は問わないんだね?過去の話も」


 罪を(おか)したということは自認(じにん)しているようだ。お(とが)めなしを(こいねが)うように、祐毅に肯定(こうてい)()かす。人は追い込まれた時、忠誠よりも保身(ほしん)の感情が(まさ)るらしい。


「これまでに起こした罪はもう問いません。ちゃんと協力してくれるなら」

「……わかった。協力するよ」


 そう言うと、武蔵は真相を話し始めた。いつから始まったことなのか、誰が思いついたことなのか。そして、理事長にいつ渡しているのかを、詳細に語る。


 我が身を守ることに必死な武蔵は気づいていない。なぜ当事者ではない祐毅が、過去のセクハラについても罪に問わないと断言できたのか。それは、祐毅が嘘をついているから。

 武蔵に告げたセクハラ被害者の名前は本物。女性達の所在を興信所に調べてもらったことも本当。だが、2・3名に会いに行くと、()し返さないで欲しいと門前払(もんぜんばら)いを食らった。彼女達からすれば、思い出したくもない過去であり、心に深く(きざ)み込まれたトラウマ。決して武蔵を赦しはしないが、離れたことで平穏(へいおん)に暮らせている人もいる。私欲(しよく)(むさぼ)る武蔵や崇志とは違い、皆懸命(けんめい)に今を生きていた。過去のセクハラを公表する、という話は武蔵を脅すための嘘である。


 事態の全容が判明すると、祐毅は武蔵にいくつか指示を出し、念押しの脅しをかまして立ち去る。口元を手で(おお)い、足早に医局へと戻る中、崇志を問い詰めるイメージを膨らませていた。だが、その途中で見つけた一つの疑問。総合診療医(そうごうしんりょうい)としての性分(しょうぶん)か、気になってしまうと原因を突き止めなければ気が済まない。この疑問が()ければ、崇志をさらに追い込むカードになるかもしれないと(ひらめ)いた祐毅は、誰をどう味方につけるか考えを(めぐ)らせる。

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