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第2話

 三人が乗った車は、郊外にある建物の敷地内に入っていく。そこは数年前に廃業したクリニック。地域住民に寄り添うように建てられたクリニックであったが、都市部に大病院やマンションが建設され、人の流れが向かなくなってしまったことにより、廃業を余儀(よぎ)なくされた。周辺に住宅は建っているが、マンションへの移住で空き家となっている住宅がちらほらあり、夜中ともなると静まり返える。

 建物の正面に横付けして停車すると、運転手と祐毅(ゆうき)がそれぞれ車から降り、後ろへと回った。バックドアを開け、ストレッチャーを車から降ろす。祐毅はすぐ、目を瞑ったままの男の状態を確認する。相変わらず眠ったままであることを確かめると、祐毅はジャケットの内ポケットから封筒を取り出した。


「今日はありがとう。またよろしくね」


 運転手の男は、おう、と短い挨拶を返して封筒を受け取ると、ズボンの後ろポケットに無造作に突っ込む。まるで何が入っているか透けて見えているかのように、中身を確認することなく自分の物にした。

 祐毅はその代わりに、男からイヤホンを受け取って胸ポケットに入れる。

 男は先程までストレッチャーが乗っていたフラットスペースの座席を元に戻すと、ドアを閉めてまた運転席へと戻った。病院横の車庫にワンボックスカーを駐車すると、敷地内の別な場所に置かれたセダンに乗り込み、直ちに去っていった。


 祐毅はセダンが見えなくなるまで目で追うと、ストレッチャーを引きながら病院へと入っていく。

 院内に入ってスリッパに履き替えると、入り口に鍵をかけ、スマートフォンのライトで足元を照らしながら廊下を進む。勝手知ったる我が家のように、わずかな明かりだけで躊躇(ちゅうちょ)なく突き当たりまで進むと、右を向いて目の前のスライドドアから部屋へと入った。

 ドアの上部には、内視鏡室、と表示されていた。廃業前は内視鏡室として使用されていたこの部屋に、ようやく院内初めての照明が点灯する。

 部屋の中央には、年季は入ってはいるが清潔に保たれた手術台。壁沿いに机や棚、機材がいくつも置かれている。

 祐毅はストレッチャーを処置台に横付けし、動かないようにストッパーをかけると、男の元を離れた。どうやら、何か作業を行うようで、机に置いてあるパソコンや周辺の機材に、次々と電源を入れ始めた。喪服にも似た黒のジャケットを脱いで椅子の背もたれにかけると、これまた黒色のネクタイをワイシャツのポケットに突っ込む。闇に溶け込むために、ワイシャツも靴下までも黒で統一する徹底ぶり。腕まくりをした先から現れる腕は、対比で普段よりワントーン明るく見えた。

 机の隣には腰ほどの高さの棚が設置されている。天面に置かれた消毒液で手指を消毒し、壁に貼り付けたホルダーから手袋を取り出して両手にはめると、引き出しをいくつか開け始めた。初めにステンレス製のバット、それから注射器、駆血帯(くけつたい)など、全ての場所を把握しているようで、テキパキと必要な物をバットに入れていく。

 道具は揃ったようで、バットをワゴンに乗せてストレッチャーのところまで移動した。


「さっちゃん、起きてるー?」


 祐毅は突然声を発する。だが、目の前で横たわっている男からは何も返ってこない。


「寝てるー」


 返事はイヤホンの向こう側からきた。眠たげにおっとりとした低い声を出すのは、(つづみ)颯毅(さつき)。祐毅とは、高校からの友人である。


「寝てる人は寝てるって言わないよ。現に目の前の彼からは返事がない」


 もしもーし、と眼前の男の肩を叩いてやるも、眉一つ動かない。

 つまんねえ男だな、そんなぼやきが耳に入ってくるが、あえて乗らないだけさ、と笑い飛ばして祐毅は話し始めた。


「パソコン立ち上げたから、準備よろしく。こっちはこっちで作業を進めるから」


 祐毅は、男のワイシャツの袖を捲ると、駆血帯で腕を締め、血管を探し始めた。イヤホンから、へいよ、と返事があった数秒後には、パソコンがひとりでに動き出す。その様子を見ることもなく、祐毅は男の腕に針を刺し、採血を始めた。採血管(さいけつかん)に血液を一定量溜めては抜き、すぐに新しい採血管を差し込む。それを何本か繰り返す。


「お前さ、あの時わざと(あお)っただろ?」


 手持ち無沙汰になったのか、颯毅が雑談をし始めた。イヤホンの向こうで、にやついていることがわかる様なその声に、祐毅ははて?と(とぼ)けて返す。


「だいぶ(かん)に障ることを言ってしまったみたいだよ。いやぁ、もっと僕も心理学を勉強しないとね」


 はっは、と声高らかに笑う祐毅に、ほざけと痛烈なツッコミが入る。


「まだまだいるんだよ。精神を病むのは弱い奴、自分がそうなるわけがないと思っている人は。恥でもなんでもないし、打ち明けて治療に専念した方が、その後は良い人生を送れると思うけどね。固執した考えを改めさせるのは本当に難しい。まぁ、僕としてはどんな形でも人を救えれば、それでいいけど」


 数本の採血管を赤黒い液体で満たすと注射針を抜き、ガーゼと駆血帯で患部を圧迫して止血をする。これで終わりかと思いきや、祐毅は男を手術台の上へと転がした。どすっと鈍い音が室内に響くが、男は全く目覚めない。うつ伏せになった男の背中を露わにすると、サッと消毒して、透明な液体を注射する。続けて今度は、長い針を腰から深く突き刺した。

 眠り続ける男から、淡々と、無駄なく、必要なものだけを採取し終えると、今度はそれらをあらゆる機械にセットしていく。部屋のあちこちに置かれた検査機器を渡り歩いて、全てを始動させると、男を再びストレッチャーに戻した。ここでやっと、祐毅は椅子に腰を下ろして動きを止める。背もたれに体重を預けると天井を仰ぎ、ふうーっと大きく息を吐いて(まぶた)を降ろす。


「ちょっと休憩。結果出たら起こして」


 朝まで寝てろと、笑い交じりの雑な返事が聞こえた。

 検査によってばらつきはあるが、ものによって結果が出るまでに数時間はかかる。未明に始めたこの作業、朝になるまで終わらない。

 祐毅は壁掛け計を片目で確認すると、じゃあ1時間後に起こしてと告げ、ネクタイをアイマスク代わりにして再び目を閉じた。


 一時間経過するより前に、祐毅は自力で目覚める。


「あと二分寝れるぞ」


 祐毅の呼吸ないし動作音で起きたと察知した颯毅が、タイマー代わりに声をかける。


「昔から、目覚ましより早く起きてしまうんだよね。過緊張かな?すごく損した気分」


 ダークなトーンでぼやくと、腰を上げ、体の緊張を(ほぐ)すように天高く手を伸ばす。時間を確認すると、午前三時を過ぎていた。


「さて、じゃあ彼を寝かせに行ってくるよ」


 再び祐毅は、ロボットのようにテキパキと動き始める。ストレッチャーに乗せた男をエレベーターで二階に移すと、一つの部屋へと入っていく。そこは4人を収容できる広さの病室。廃業したはずなのに、すでに先客が二人いた。鼻と口をマスクに覆われて、ストレッチャーの上で眠っている。

 男が乗ったストレッチャーは、二人とは反対側に止められた。祐毅は、近くに置いてあった医療機器の配線を壁の差込口に繋いでいく。この時ばかりは慎重に、一つ一つのケーブルの形状を確認しながら確実に差し込んでいく。そして、機器を男に繋ぐと、電源を入れた。

 男に繋がれた医療機器は、人工呼吸器と生体情報モニター。健康状態を見守るために必要な機器だ。

 機器が正常に動作し、男が安定して睡眠状態であることを確認すると、向かいの二人に異常がないか確かめ、病室を後にした。


 その後また1時間ほど仮眠を取り、出勤の準備を始めた。シャワーを浴び、スタッフルームのロッカーから適当に洋服を取り出す。昨夜の黒一色のコーディネートとは真逆の、(しわ)一つない真っ白のワイシャツを着る。その上からターコイズブルーを基調としたストライプのネクタイを締め、ネイビーのスリーピーススーツに身を包む。寒色で統一したその姿は、昨夜の行動が想像できないほど、清潔感と清涼感を醸し出していた。

 頭髪まで整えると、さらに清廉潔白(せいれんけっぱく)さが増す。髪色は黒、髪型は襟足を刈り上げたショートヘア。目にかかりそうな前髪は、ワックスでセンターパートに整え、顔全体をはっきりと見せる。人を見た目で判断してはいけないと言われる一方で、人は見た目が9割とも言われるこの時代。己の裏の顔を誰にも悟らせないように、身だしなみで清白(せいはく)さを(まと)う。

 コーヒーを持って内視鏡室に戻ると、椅子に座ってパソコンを確認する。すでにいくつかの検査結果は出ており、一つずつ順番に結果を確認していく。


「健康状態は問題なし。健康診断以降、変化はないようだね。あとは……」


 検査結果が表示されている幾つものウィンドウを、見ては閉じてどんどん内容を確かめていく。初めは顔色一つ変えずに画面を見ていた祐毅が、目を見開いて突然立ち上がった。


「うぉっ!びっくりした……なんかあったか?」


 イヤホンから颯毅の驚く声が聞こえた。祐毅が座っていた椅子がバンッと倒れた音に仰天したようだ。


「すごいよ……久しぶりに見たよ……」


 とあるウィンドウを凝視する。そこには、男の検査結果と比較するように、数多のデータが一列に並んでいた。そして、そのデータの一つが黄色くマーキングされており、端にはMATCH、と赤字で表示されている。

 何事だと、まだ状況を掴めていない颯毅が問いかけると、興奮気味に祐毅は話した。


「レシピエントとHLA型が一致してるんだよ!拒絶反応が出ないかとか、さらに検査しないと本当に移植できるかわからないけど。うわー、嬉しいなぁ!」


 見比べていたのは、移植希望者のリスト。移植の適合条件が男と一致する者がいないか、調べていたのだ。颯毅には見えていないが、祐毅は満面の笑みを浮かべ、両手でガッツポーズを決める。


「おー、これで2回目?だっけ?ラッキーだな」

「ラッキーなんてもんじゃないよ!非血縁者は数百から数万分の1の確率なんだよ!奇跡だよ!!」


 はいはいわかったって、そう宥める颯毅と、子供のようにはしゃぐ祐毅の温度差は開くばかりだった。


「ドナー登録していない人や、家族が承諾しなかった人の中にもいるんだよ!適合する人が!彼には感謝しないと。彼が声を上げなかったら、僕は彼を見つけられなかったし、救われる人もいなかった。いやー、すごいよね。人間ってすごいよ……こうやって、命を(つむ)いでいくんだね」


 椅子を立て直して腰かけると、歓喜に浸るように天井を見上げる。だが、何かを思いついたように、再び立ち上がった。


 彼にも伝えなきゃ、ボソッと言うと、急いで2階の病室へと向かう。部屋に入ると真っ先に男に近づき、手を握った。


「あなたが捨てようとした命、僕に拾わせてくれて、ありがとうございます。あなたの体で救われる人がたくさんいます。多くの命を救った英雄として、(みな)があなたに感謝するでしょう。その代わりとしては不足かもしれませんが、あなたの意思を尊重して、苦しみの無い死を贈ります。あなたの精神は、それで救われるでしょ?」


 勿論(もちろん)、男からは何の反応もない。一方的に話して満足した祐毅は、握った手をポンポンと叩いて、部屋を後にした。


「いやー、こういう奇跡を見ちゃうと、もっと救いたくなるよね」


 興奮状態は落ち着いたようで、穏やかな声を出す。祐毅の言葉に、颯毅がすぐに反応した。


「月1回って決めてるんだろ?いいのかよ」

「対象者のリサーチには時間を要するし、検査をする医者は僕一人だ。それに、月に何度もバイトを雇って人を運ばせていたら、足が付きそうだよね。バイトは毎回人を変えているし、谷口(やぐち)には運転手だけやらせている。慎重に行動して丸2年だけど……」


 もったいぶるように少し間を開ける。だが、唯一の話し相手から催促はこなかったため、諦めて話を続けた。


「僕等が探すんじゃなくて、向こうから来てもらうようにすればいいと思うんだ」


 数秒間、検査機の動作音しかしないほど、周囲は静まり返った。どういうことだよ、と鼻で笑う声がすると、例えば、と、ある方法を話す。


「へぇ、面白そうじゃん。けど、そんな都合のいい奴いるのか?」


 祐毅は、ふっふっふっ、と何かを企んでいる。その種明かしには、溜めを作らなかった。


「それを探すのが、さっちゃんの仕事だよ」


 祐毅の言葉が理解できなかったのか、一瞬間ができる。


「はあぁぁ!?俺?」


 耳を(つんざ)くような怒声が、祐毅の耳に響く。目をギュッと閉じ、イヤホンから顔を背けながらも、一瞬の後、ヘラヘラと笑った。


「こういう難易度高そうな人探し、好きでしょ?ORとANDを駆使して、最適な人材を見つけてほしい」


 何人見つかるかなぁ、言葉と声色から薄情さが滲み出る男の耳に、舌打ちと大きなため息が聞こえた。


「そんな簡単じゃねぇっての。でも、やってやるよ。報酬が不味かったらただじゃおかねぇからな」


 祐毅の口角が上がる。颯毅の性格、そして何を要求されるのかを理解して、彼はこの話を持ち掛けたのだ。


「前に食べたいって言っていたパティスリーのケーキ、今度買っていくよ」


 チョコだモンブランだと(まく)し立てる声をスルーして、コーヒーカップを片付ける祐毅は話を続けた。


「捨てられる命なんだ。勿体ないからもっと拾わないとね。リサイクル、リサイクル」


 今にもスキップしだしそうな、揚々とした雰囲気でカップを洗い終わると、ジャケットを羽織った。入口に向かって歩みを進めると、近づくにつれて眩しさに目を細める。午前6時ともなれば陽は昇り、ガラス戸から差し込む光は、クリーム色の廊下を朝焼け色に染めていた。


「残りは結果が出たら携帯に送っておいて。それじゃあ行ってきます」


 あぁ、と軽い返事が聞こえたため、電話を切ろうとしたが、言葉が続いた。


「朝飯食って、ちゃんと薬飲めよ」

「ぷっ……はーい、ママ」


 誰がママだ、捨て台詞が聞こえたと思ったら、先に電話を切られた。やれやれと一息ついて、イヤホンを外すと、入口を出て鍵をかける。外に停めてある黒のSUV車に乗り込むと、祐毅は昇り始めたばかりの太陽に向かって車を走らせた。


 自殺で捨てられる命を拾い、失われゆく患者の命を繋ぎ止める。なぜ祐毅はこの考えに至り、罪を犯してまで行動するのか。その原点は彼の幼少期にあった


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