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アスクレピオスに聞き糺せ  作者: 冴樂 紅


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第19話

 ホステス達のインタビューを終えた翌日から、祐毅(ゆうき)は早速調査を開始した。

 彼女達の証言を思い出し、苛立(いらだ)ちを(つの)らせ、深呼吸で乱れた心を(いさ)める。そのサイクルを3度繰り返し、ようやく無心を得た彼は、とある診療科(しんりょうか)のカルテを調べていた。人が(まば)らな夜の医局。祐毅がデスクで担当科以外のカルテを見ていても、誰も気づきはしない。


 調査するにあたり、祐毅は持ち得る情報を事前に整理していた。

 崇志(たかし)が銀座ディオサに来店する頻度は、6年前から変わらず月2回。そのうち決まって1回は、理事会が開催された日に来店していた。アフターに行くのはこの時だけで、次は約3週間後に来店し、酒を楽しんで帰っていくという。

 彼女達はそれぞれ、1年前と3年前まで崇志と関係を持っていた。どうして寝たのか、という問いに、ただ金が欲しかったと証言している。金が必要でホステスになり、金と引き換えに枕営業に手を出したと。


 あとは探偵のように、得られた情報から仮説を立て、立証していくだけ。

 祐毅がカルテを調べているのは、とある薬の処方記録を確認するため。カルテは電子化されているため、時間もかからず、かつデスクでこっそりと調べることができる。検索欄に薬品名を数種類打ち込み、出てきた結果を1件ずつ確認していく。カルテの保管期間は5年だが、訴訟(そしょう)のリスクを考慮(こうりょ)して20年以上のカルテが保管されている。出てきた膨大(ぼうだい)な検索結果から、直近6年だけを見ようと、最近のカルテから調べていく。だが、ものの1・2年分を見たところで、祐毅の手は止まる。そして、自らのスマートフォンを操作しだした。


卯野木(うのき)……いた」


 スマートフォンの画面に表示されたのは、何かを表す階層構造(かいそうこうぞう)。崇志の名前を頂点として、その下に木の根のように広がる線といくつもの長方形。ピンクや黄色などで色塗りされた長方形には、名前と何かを表す言葉が書かれ、画面の右端に色の説明が記載されている。

 これは銀座ディオサに来店する、病院関係者の相関図(そうかんず)。祐毅とレイラが協力して作り上げたものだ。レイラが独立してからは、彼女と親しかったボーイから情報を受け取り、できるだけ最新状態を維持している。長方形には名前と来店頻度、色塗りは担当ホステスを示すものだ。

 祐毅が探していた人物は、卯野木(うのき)玄馬(はるま)という医者。相関図に名前は記載されているが、来店頻度には、"20XX.XX_初来店"と書かれ、色はグレーで塗りつぶされていた。これは誰も指名しておらず、1度しか来店していないということ。レイラやボーイが見逃してしまった可能性もあるが、初来店が5年も前の日付であれば、疑う余地はない。

 祐毅は卯野木から繋がる人物を探す。彼の下に線は無く、上から伸びてきている線は1本しかなかった。その人物は、祐毅も良く知る人物だった。


武蔵(むさし)先生とどういう繋がりがあるんだ?」


 卯野木から上に辿った先には、武蔵(むさし)秀男(ひでお)と名が記されていた。彼は昔、レイラを指名していた男で、彼女を病院で見つけた時には、嬉しそうに駆け寄ってきていた。今でも銀座ディオサに通っており、来店頻度は”週1回"と記載されている。

 武蔵は、院内では知らぬ人がいないほどの女好き。薬剤部(やくざいぶ)の部長で、部下の女性に手を出したという(うわさ)が過去に数回、祐毅の耳に入ってきた。しかし、なぜか噂はいつの間にか消え、知らぬ間に被害を訴えた女性が消えるというミステリー。祐毅がこっそり人事情報を調べると、系列病院に異動したり、退職したりしていることがわかった。

 なぜ武蔵にお(とが)めがないのか。それは彼が理事長の大学の後輩で、忠僕(ちゅうぼく)だから。昔は銀座ディオサに二人で来店するほど仲が良く、独立したレイラを追わずに通い続けるのも、理事長への忠誠心からだろう。


 祐毅は、視点を一度卯野木に戻し、カルテを見返す。

 彼が担当する患者のうち、一人だけ毎月受診している者がいる。時間は決まって深夜、彼が夜勤の時。彼の科の特徴を考えれば、急患はさして珍しいことではないのだが、処方されている薬が薬だけに、(あや)しい匂いしかしない。それに深夜であれば、夜勤担当しか薬剤部にはおらず、処方箋(しょほうせん)の受け渡しも薬の出庫も誰にも見られずに対応できる。


 ここでシナリオは大体見えてくるのだが、祐毅はすぐに当事者へ突撃(とつげき)するような男ではない。念のため5年前まで(さかのぼ)ってカルテを確認し、患者の個人情報と受診日時をいくつかメモして、この日は帰宅した。



 二日後の夕方、祐毅は病院の時間外受付に立ち寄った。


(まさ)さん、ご無沙汰(ぶさた)してます」


 腰を曲げ、受付窓から中を(のぞ)くと、一人の老人がポカンとした顔で彼を見つめる。だが、(しばら)くすると目を大きく見開いて、嬉しそうにガラス窓をスライドさせた。


「もしかして、坊ちゃんですか!?」

「あはは。もう坊ちゃんなんて歳じゃないですよ。祐毅です、本当にご無沙汰してます」


 開いた小さな窓から顔を合わせ、ペコペコと頭を下げ合って挨拶(あいさつ)()わす。

 老人の名は、沼辺(ぬまべ)禎柾(さだまさ)神明(しんめい)大学病院で長年警備員をしている。その昔、工事現場で大怪我をした際に後遺症(こういしょう)が残り、現場には戻れないと(なげ)いていたところを祐毅の祖父・明禎(あきさだ)に拾われた。以来、40年以上この病院で警備員として働いている。祐毅が幼少期に世話になった人物の一人である。


「これ、差し入れです」


 祐毅が受付のカウンターに紙袋を置く。すると、沼辺の目尻は大きく下がる。


「懐かしいですね!このどら焼き。よく(あき)さんが買ってきてくれたやつだ」


 明さん、とは明禎の事。二人は柾・明さんと呼び合うほど、仲が良かった。


「お好きでしたよね?どうぞ、召し上がってください」

「いいんですかい?じゃあ遠慮なく。あ、狭い部屋ですけど、良かったら一緒に食べませんか?まだ忙しくなる時間じゃないんで」


 長年の感なのか、この時間は警備業務に余裕があるらしい。とは言っても相手は勤務中。祐毅が遠慮がちに再確認するが、どうぞと笑顔で誘われた。


「ありがとうございます。じゃあ、お邪魔させてもらいます」


 一度沼辺の視界から消え、祐毅は自動ドアから院内に入った。

 祐毅がここを通るのは、幼少期以来。懐かしさを感じながらも、どこか気持ちが落ち着かなかった。

 自動ドアを通って数歩で左折(させつ)すると、すぐ左手に扉が見えた。扉は内側から開かれ、沼辺がどうぞと招き入れる。

 祐毅が少し頭を下げて入室すると、そこは3畳ほどの警備室。デスクチェアが2脚並び、正面の壁には古びた本棚が備え付けられている。ガラス窓から一段下がったカウンターにはノートとパソコン、そして、モニターが置かれていた。

 祐毅の視線が、少時(しょうじ)モニターを(とら)える。15インチのモニターは、画面を分割して4つの映像が映し出されていた。


「いやー、ずいぶん大きくなりましたね」


 その声で祐毅は、前方斜め下に視線を戻す。昔はこんなだったのにと、自身の腰辺りに手で線を引く沼辺を見て、ニコッと笑った。


「ここまで成長したのは、柾さんの協力あってこそです」


 私は何もと笑いながら、沼辺へ祐毅に着座(ちゃくざ)(うなが)す。空いているデスクチェアに腰かけると、祐毅は改めて紙袋を差し出した。どうもと腰低く紙袋を受け取った沼辺は、早速箱を取り出して中身を確認する。一つ手に取り、祐毅にも一つ選ぶように箱を傾け、互いに一つずつ食べ始めると、沼辺が話し始めた。


「それにしても、優秀なお医者さんになられて。理事にもなったんですもんね」


 どうやら沼辺は、祐毅のことを気にかけていたらしい。凄いですねと、満足そうな顔でうんうん頷く彼に、祐毅は頭を下げた。


「ご挨拶に来るのが遅くなって、本当にすみません。医者になった時に挨拶に来たかったのですが、何分忙しくて……」


 謝意(しゃい)を示す祐毅。沼辺はすぐに、いいんですと手をぶんぶんと横に振る。


「明さんが生きてたら、(ほこ)らしかったでしょうね。こんなに大きく、立派に育って」


 その言葉に、祐毅の胸は一気に熱くなる。唇を噛みしめ、どら焼きを持たない手は強く拳を握った。だが、少し時間が経つと、いつもの微笑みが顔に戻ってくる。


「僕はまだまだ若造(わかぞう)です。それに、祖父は生きていたら90歳を越えているので、健在(けんざい)かどうか……」

「いやいや、明さん元気な人だったから、きっと100歳越えても生きてたと思いますよ」


 二人の間に、はっはっと大笑(おおわら)いが起こる。そうかもしれない、と頷く祐毅は、まるで子供のように無邪気(むじゃき)に笑っていた。

 祐毅にとって沼辺は、祖父を語れる(わず)かな人物。彼と話す時間は祖父を思い出すささやかな時間なのだろう。彼がそこで抱く感情は、平穏(へいおん)敬愛(けいあい)。そしてその裏で沸々(ふつふつ)とわく、僅かばかりの憎悪(ぞうお)

 二人の笑いが落ち着いたところで、祐毅は真剣な眼差しで沼辺を見つめた。


「柾さん、今日はお願いがあってここに来ました」


 改まった祐毅の姿勢を見て、沼辺も姿勢を正す。(ひざ)を突き合わせ、なんでしょうと沼辺が問いかけると、祐毅はある一点を指差す。


「監視カメラの映像を見せてほしいんです」


 祐毅が指を差したのはモニター。そこには、自動ドア側から映された院内通路、駐車場から時間外受付に(いた)るまでの道路、そして時間外受付窓口が上部と警備室側から映し出されていた。


「これをですか?一体どうして……」


 同じようにモニターを指差す沼辺は渋い顔を見せた。それもそうだ。警察ならまだしも、警備員ですらない祐毅に、監視カメラの映像をおいそれとは見せられない。


「お願いします。柾さんにしか頼めないんです。(いく)つかの日時の映像を確認させてほしいんです」


 祐毅は膝に(ひたい)がつくほど頭を下げた。沼辺は咄嗟(とっさ)に祐毅に手を伸ばすが、彼には触れずに手を止める。そして、暫くその状態で考えると、伸ばした手をゆっくりと握り、椅子を回して祐毅に背を向けた。


「いつの映像が見たいんですかい?」


 祐毅はバッと顔を上げる。その視線の先では、沼辺がパソコンを操作していた。


「いいんですか?」


 頼んでおきながら問いかけるのもおかしいが、心の中で確率を五分(ごぶ)と予想していた祐毅は本音を()らす。沼辺は振り向かずにパソコンを操作し続けた。


「私ももう80歳になります。いつまで働けるかわからない。坊ちゃんへの協力が、明さんへの最後の恩返しかもしれない。いつ人が来るかわかりませんが、それまででしたら……」

 沼辺はスッと自身の目の前から、祐毅がいる側にパソコンをずらす。画面にはフォルダが開かれており、日付が名前になっているファイルがいくつも入っていた。

 祐毅は椅子を転がして沼辺の隣に移動する。


「柾さん、ありがとうございます。僕の方こそ、お世話になった柾さんを困らせるような真似(まね)をしてすみません」


 再び深々と頭を下げる祐毅の肩に、沼辺はそっと手を添える。


「何か理由があるんでしょう?ちゃちゃっと調べちゃってくださいな」


 ゆっくりと顔を上げた祐毅ににっこりと笑いかけ、沼辺は操作方法を教える。彼は理由を聞くことなく、祐毅が映像を確認している間も、一緒に見ることはしなかった。ただ静かに、急患や他の警備員が来ないか受付の外を見て、職務を(まっと)うする。

 パソコンにデータで保存されているのは1年分。他の映像は、メディアで保管しているという。さすがにメディアまで調べている時間はないため、祐毅は12か月分のみを調べた。


 カルテに記載されていた日時が深夜と言うこともあり、診察日とその前日の映像を確認する。早送り、早戻し、ときどきスロー再生。それを繰り返し、人の出入りを徹底的に調べた。そうして分かった事実。救急車で運ばれてきた急患が映っている映像も数日あったのだが、どの月の映像を確認しても、カルテの日時にそれ以外の急患は映っていなかった。同じ患者が毎月受診しているのであれば、同じ顔が映像にも映っているはずなのだが、人っ子一人(ひとっこひとり)通っていないのだ。

 この事態も、祐毅の想定には入っている。病院に来ていないというのであれば、オンライン診療を受けたという可能性も残っている。それならば映像に映っていないのも当然。むしろ、映っていないという事実が確認できただけで十分な成果である。


「柾さん、ありがとうございました」


 祐毅は全てのファイルを閉じ、パソコンを沼辺の目の前に返す。


「調べものは見つかりましたかい?」

「はい。ばっちりです。助かりました」


 ペコっと頭を下げ、椅子から立ち上がると、改めて礼をした。


「また来ます。今度は、祖父の話をしに」

「もちろん。いつでも待ってますよ」


 沼辺も椅子から立ち上がり、姿勢を正して祐毅に礼をする。じゃあ、と軽く手を上げて扉を出た祐毅は、受付窓越しに再度挨拶を交わすと、スッと表情を消した。

 卯野木、もしくは武蔵がどこまであくどい手を使っているかはわからない。だが、必ず理事長の悪行を(あば)いて見せる。そのために、まずは卯野木を追い詰めなくては。

 知人との再会の余韻(よいん)など忘れ、祐毅は、次の一手を打ちに車を走らせた。

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