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アスクレピオスに聞き糺せ  作者: 冴樂 紅


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第17話

 数日後、祐毅(ゆうき)は、銀座ディオサを訪れた。


「祐毅君、いらっしゃい。今日もウーロン茶でいい?」

「はい、お願いします。あの、今日はこれを渡したくて」


 テーブルで久々の対面を果たした二人。レイラは以前と変わらぬ接客態度だが、祐毅はいつも以上に真面目な顔をして、紙袋を渡す。それは、高級宝飾(ほうしょく)ブランドの紙袋だった。


「あら、プレゼント?ありがとう!」


 ウーロン茶をサッと祐毅に渡すと、紙袋を開くレイラ。その中身を見て、笑顔は驚きへと変わる。

 紙袋の中には、真っ白な箱とネイビーの巾着袋。箱はプレゼントだが巾着袋は、レイラが渡したきりになっていた弁当箱だ。


「わざわざ持ってきてくれたの?」

「借りたものを返すのは当然です。箱の方は、いつも通りに」


 いつも通り、これは売却して資金にしろと言う指示。プレゼントと弁当箱、どちらが来店理由かは定かではないが、レイラにはどちらでも良いらしい。真っ先に巾着袋に手を伸ばし、中身を確認すると、微笑(ほほえ)みを浮かべた。


「ありがとう。前のもだったけど、わざわざ洗ってくれたのね」

「作っていただいたので、最低限洗って返すくらいはしないと、僕の気が済みません」


 彼が弁当を食す時に考えた礼儀作法(れいぎさほう)。これには完食することの他に、洗って返却することも含まれていた。祐毅の真面目さは、これで終わらない。


「本当に美味しかったです。なぜか(なつ)かしい味がしました。料理がお上手なんですね」

「高校生の時から、家族のご飯もお弁当も、私が作っていたの。母が病気になっちゃってね。それで栄養のある食材とか、食べちゃダメな食品とか、よく調べてたわ。祐毅君の好みがわからなかったから、食べちゃダメな食品だけ調べて、あとは作れるものを詰め込んだの。無理に食べさせちゃってごめんね」


 数日空いて怒りは(おさ)まったのか、レイラは自分の行動を(かえり)みていた。苦笑(くしょう)する彼女を見て、祐毅は数日前の反省を思い出す。


「僕の方こそ、レイラさんの親切をぞんざいに扱ってしまい、すみませんでした。支えたい、その気持ちだけで十分だったのに、僕の体調を気遣(きづか)って行動してくれた。それに対して、あまりに不誠実(ふせいじつ)な行動をとったと反省しています」


 座位(ざい)のままだが、頭を下げて謝罪する祐毅。頭を上げてと、レイラはすぐに彼の肩を軽く押し上げる。背を(ただ)した祐毅は、微笑みを返して話を続けた。


「もしレイラさんが、まだ僕を気遣ってくれるのであれば、今後何をするかは二人で相談してから実行しませんか?もちろん、無理にサポートしてほしいというわけではありません。栄養バランスは考えて食事をしているので、違う方面でできることが見つかればという形で」


 レイラの想いを()み、双方が納得できる形で協力していくという折衷案(せっちゅうあん)。これにはレイラも深く(うなず)き、合意のサインを送る。


「そうね、食事は気を付けているなら、睡眠の方に気を配った方がいいかしら?ちなみに、普段はどんな食事を取っているの?」

完璧飯(かんぺきめし)、って知ってますか?」


 祐毅から出たワードに、レイラは首を横に振る。祐毅はスマートフォンでそのワードを検索した。


「完璧飯とは、人体に必要な全ての栄養素がバランスよく含まれていて、味も美味しく、かつ熱湯や電子レンジで簡単に調理ができる、忙しい人類の味方です。味のバリエーションも豊富で、()きがこない点も素晴らしい。これに加えて、野菜ジュースも飲んでいるので、食事に関しては問題ないんです」


 検索した画像を見せながら、自信満々に自身の食生活を語る。そんな祐毅を、(あき)れた目で見つめる女性は疑問を投げかける。


「ねぇ。食事はその完璧飯ってやつしか食べてないの?」

「はい。三食これです」


 どうだ、と言いたげにニンマリと笑い、ついでに野菜ジュースも検索し始める祐毅に、レイラは寂しげな声をかける。


「祐毅君。食事をするのは好き?」


 検索する手が止まる。答えはYes or Noの簡単な質問であるはずなのに、なぜか思考も止まる。だが、それが答えなのだと、祐毅は顔を上げた。


「考えたこともありません。食事をせずに生きていけるなら、きっと僕は何も口にしない。でも、食べなければ死んでしまう。生きるために仕方なく、です。食事をする時間があるなら、医者として時間を使いたい。実際、お湯を沸かす間や食べている時も、論文を読んだり、症例(しょうれい)を調べたりしています。時間は有効に使わないと」


 祐毅は無機質(むきしつ)な声で、食事に対する持論(じろん)()べた。医者としての性分(しょうぶん)からか、大病(たいびょう)を乗り越えた経験からか、困っている人を救うために時間を(つい)やしたい彼の想いの結果が、今の食生活に繋がっている。

 そんな彼を見て、レイラは悲しげな目をしながらも、口元には微笑みを浮かべる。


「食事ってね、人によっては(いや)しの時間なの。仕事を頑張ったご褒美(ほうび)に美味しいものを食べたり、嫌なことがあった時には好きなものを食べて忘れたりする。誰かと一緒に食事をして、美味しさを分かち合ったり、ついでに愚痴(ぐち)を話してストレスを発散(はっさん)したりもするわ。それに、様々な料理が色とりどりの小鉢(こばち)に盛り付けられた定食とか、綺麗な焼き目の付いたお肉とか、見た目も美味しそうだし、いい香りもする。食事は、空腹を満たすだけじゃなくて、五感でも癒しを感じる時間だと、私は考えてるわ」


 レイラの食事に対する持論。祐毅の持論を否定するわけでもなく、自分の考えを押し付けるわけでもない語り口。祐毅は(あご)に手を当てながら、ぼうっとした視線で静かに聞いていた。


「常に患者さんのことを考えて行動してるのは、医者としてとても素晴らしいことだと思う。けど、ずーっと医者でいるのも大変じゃない?精神的にも肉体的にも疲れて、いつか倒れちゃうわ。だから、もう少し自分を大事にして、医者でなくなる時間も必要だと思うの」

「医者でなくなる時間?」


 今まで表情もなく話を聞いていた祐毅が、その言葉にだけは眉をひそめた。少々ピリついた雰囲気(ふんいき)(はな)つ祐毅を、(さと)すように話は続く。


廻神(えがみ)先生じゃなくて、祐毅君の時間を持ってほしいの。簡単に言うとプライベートな時間ね。医者として常に糸を張るんじゃなくて、廻神祐毅(えがみゆうき)として糸を(ゆる)める時間を作って欲しい。メリハリをつけた方が、医者である時に集中して患者さんのために働けると思うの。休息も、より医者として働くために必要ってこと」


 社会人としての経験が長い、レイラの的確なアドバイス。医者としてまだ1年も働いていない祐毅には、その考え方が新鮮だった。もっとも、少年時代に人生設計を考え始めた彼には、自分のプライベートなど学生時代からあってないようなものだった。


「息抜き、ですか……」


 休息と言われても、睡眠以外に何をすべきか。考えたところで、今までの人生経験から思いつくものなど何もない。悲しいかな祐毅は、レイラのアドバイスを待つしかなかった。

 迷子の子供のような目線に、レイラは優しく微笑みかける。


「例えば、お昼だけでも完璧飯じゃないものを食べてみたら?祐毅君、好きな食べ物はある?」


 迷子の子供は、この質問にさらに迷子になった。


「実家を出てからほぼ完璧飯生活なので、好きな食べ物?昔、何を食べていたか……」


 記憶の海に(おぼ)れ始めた彼に、クスクスと笑うレイラはアドバイスを続けた。


「じゃあ、まずは好きな食べ物を探してみましょ?あの病院、食堂あったわよね?毎日違うものを食べてみたら、自分の好みがわかるかも」

「なるほど」


 記憶の海から()い上がってきた祐毅は、朝日に照らされたような清々(すがすが)しい顔をしていた。


「体も大事にしてほしいから、ちゃんと栄養バランスも考えてね。ラーメンとかカレーとかを食べる時はサラダも一緒に食べるとか。そうだ!その写真、毎日私に送って?」


 頭のノートにアドバイスを書き()めていく祐毅は、写真を送ると書こうとしてペンを止める。なぜ、と問いかけると、相変わらずクスクスと彼女は笑う。


「二人で相談して決めたんだから、ちゃんと守られているか確認しないとね。それに、不足している栄養素がないかは多少アドバイスできるし、どういう味が好みだったか、誰かに話した方が覚えられるものよ」


 自分から相談しようと持ち掛けた手前、撤回は出来ない。何か抜け穴はないかと、苦い顔をしながら対抗トークを考える。


「医者の僕にアドバイスですか?」

「その医者がワーカーホリックだから、アドバイスしてるのー。医者の不養生(ふようじょう)って知らないの?」

「いや、完璧なバランスの食事はとっていますが……」

「体だけじゃなくて、心にも気を配りなさいって言ってるの。人のアドバイスは素直に聞くものよ?」


 ああ言えばこう言うが続き、先に手を上げたのは祐毅だった。もう説教(せっきょう)()()りだと、はい、と短く返事をする。そして話を、数日前から(いだ)き続けていた疑問に差し替えた。


「一つ聞きたいのですが、この店の客にうちの医者は多いですか?」


 レイラは頬に手を当て、(くう)を見ながら(しば)し考える。


「そうね、結構いるわね。理事長先生が連れてきた人もいれば、その人達が別な人を連れてきて……私が接客してるあの病院のお医者さんだと、週に2人くらいは来てるかしら」

「ねずみ(こう)ですか?まったく、あの人はどれだけこの店に入れ込んでるんだ。しかし、そうなると今日も誰か来ているのかもしれませんね。早く病院関係者の顔と名前を全員覚えないと」


 キョロキョロと、他のテーブルをざっと見回す。祐毅の行動を不思議に思って見返してくる客もいたが、目が合っても表情を変える客は一人もいなかった。どうやら、祐毅を知る者はいないらしく、また、祐毅が知る者もいないらしい。


「レイラさん、僕から一つお願いがあります。この店に来る病院関係者をリストアップしてもらえませんか?誰がどのくらいの頻度で来店しているのか、誰が誰を連れてきたのか、どのホステスを指名するのかなど、人の繋がりが知りたいんです」

「病院関係者全員を接客してるわけじゃないから、できる範囲でいいなら。何かに使うの?」

「できる範囲で構いません。今すぐというわけではありませんが、このデータは大いに役立つと思います。理事長の過去の罪も、未来で起こす悪行(あくぎょう)も、協力者がいるかも知れない。それを(あぶ)り出すために必要です。それに、理事長側の人間を取り込むことにも使えます。相手が既婚者であれば、なおのこと(おど)しに使える」


 フッフッフッと意地の悪い笑いを見せ、その他の使用方法を指折(ゆびお)り数えながら(つぶや)く。そんな薄気味悪(うすきみわる)い祐毅を、レイラは温かい目で見守った。


「役に立つなら、頑張ってみるわ」


 何とか二人の協力関係は(こじ)れずに済み、むしろ互いへの信頼が少し増した今日この頃。だが、祐毅がこの日こっそり確認したある事実から、再び二人の関係に亀裂(きれつ)が走る。

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