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アスクレピオスに聞き糺せ  作者: 冴樂 紅


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第13話

 日付が変わる頃、祐毅(ゆうき)は店のトイレにいた。ようやく一人になれた鏡の前で表情筋(ひょうじょうきん)(ほぐ)し、ふうーっと長い息を吐く。鏡に映るのは(まぶた)が重く下がった目と横一文字(よこいちもんじ)の唇。癒しや活力を得て帰っていく客とは対極の、無気力な顔だった。

 内面(うちづら)外面(そとづら)のギャップが心身に与える影響は大きい。つまらないと感じた時間を笑顔で(つくろ)った反動が、彼の精神と体力を疲弊(ひへい)させる。

 だが、この顔のまま店内に出ていくわけにはいかないと、再び口角を上げる。ホステスやボーイは、プロとして一生懸命客を夢見心地(ゆめみごこち)にさせている。嘘でも笑顔で帰ることが、せめてもの礼儀であり、流儀というもの。という建前の裏に、退屈だったという本心を隠して、祐毅は店内への扉を開いた。


 広い店内には数えるほどの女性と、同じ服装をした十数名の男性達だけ。先程まで、椅子にふんぞり返っていたスーツ姿の男がたくさんいたはずなのに、今は店じまいに(いそ)しむシャキッとしたボーイ達しか目に入らなかった。祐毅が座っていたテーブルも、グラスを片付けているボーイのみ。崇志(たかし)は既に店を出たようだった。


「あ、来た来た。祐毅くーん、お父さんもう帰っちゃったよ」


 180cm余りある祐毅の視界の下に見切れる金色。彼が目線を下げた先には、上目遣いをしたレイラが立っていた。


「そうですか。支払いは?」

「もう済んでるよ。いいお父さんだね」


 レイラの無垢(むく)な言葉の一つ一つが、祐毅の口角を1mmずつ下げさせる。このまま彼女と話しているといつか感情が爆発すると感じたのか、ありがとうございますと返事をして店外へ続くドアを目指す。


「お見送りするから、一緒に行こ?」


 自然な素振りで祐毅の腕に己の腕を(から)め、体をピッタリと寄せて隣を歩き始めるレイラ。祐毅は、振り(ほど)きたい衝動(しょうどう)を地上に出るまでなんとか(こら)えた。


 日付が変わってしまった現在の歩道、行き交う人は来た時よりも(まば)ら。ビル側にぽつりぽつりと陣を取り、ホステスとの別れを惜しむ客。中には、共に歩き出して夜の街に飲まれていく男女もいた。


「祐毅君は、アフター行かないの?」

「行きませんよ」


 反射で返事をする祐毅に、レイラは腕にグッと力を入れた。連れて行けと言いたげな行動だが、祐毅は決してレイラに視線を向けなかった。そんな祐毅の耳に、レイラは背伸びをして小声で話しかける。


「お父さんはサキちゃんとアフター行ったよ?たぶんホテルに」

「え?」


 レイラの突飛(とっぴ)な発言で、自動的に彼女に顔が向く。真っ直ぐな目をした彼女の表情から、嘘を感じ取れなかった祐毅は、停止した思考を再起動させようとこめかみを強めに押す。


「にわかには信じがたい話です。二人は店を出たばかりでしょうに、なぜホテルへ行ったとわかるんですか?」


 祐毅の質問に、レイラは不敵(ふてき)に笑う。


「二人がホテルに入って行くところ、前に見たから」


 レイラの言葉の後、祐毅はしばし考えに(ふけ)る。(あご)に手をあて、時折トントンと指で叩く。眼前(がんぜん)でレイラが手を振っても、視界に入っていないかのように無反応だった彼が口を動かしたのは30秒後。


「どこのホテルに行ったか、教えてもらえますか?」

「いいけど、アフターに行くってことでいい?」


 首を(かし)げるレイラを見て、目線を下げて黙る祐毅。小さくため息をつくと、目で歩道の先を見据えた。


「いいですよ、行きましょう。二人が行ったホテルに」


 祐毅の誘いにパッと顔を明るくさせたレイラは、もちろん、と勢いよく頷くと、キョロキョロと周りを探す。


「あ、ママー。祐毅君とアフター行ってきまーす」


 元気よく小夜(さよ)に手を振り、承諾の返事を聞くと、グイッと祐毅の腕を引っ張った。


「行こ行こ。こっちだよ」


 引かれるがまま歩き始めた祐毅だが、すぐにレイラの半歩先を歩いてリードし始める。


「少し急ぎましょうか。本当にあの二人がホテルに入るのか、確認したいので」

「もー、そんなに早くホテルに行きたいの?かーわーいーい」


 高身長ゆえの脚の長さでぐんぐん進んでいく祐毅に、高いヒールながらも小走りでなんとかついていくレイラだった。


 急ぎ足で歩くこと十数分。人気のない裏路地に入ると、祐毅は暗闇で目を()らす。所どころ(とも)る店の照明に照らされて、数メートル先に並んで歩く二つのシルエットを見つけたからだ。

 (あいだ)を空けて並んで進む二つのシルエット。身長差があり、高い方は片手をズボンのポケットに入れ、低い方は膝上あたりでスカートの(すそ)をはためかせている。祐毅は、高い方の歩き方に着目した。


「いました。ばれないように、距離を取って静かに歩きましょう」

「ふふ。なんか探偵みたい」


 楽し気なレイラとは反対に、祐毅は神妙(しんみょう)面持(おもも)ちで前を見据(みす)える。

 暗い裏路地は、隠れ家のように看板の目立たないホテルが点在している。店を知るレイラがいるとは言え、入店の瞬間を自身の目で確認したい祐毅は、目線を()らすわけにはいかなかった。


 二人が歩く姿を見ること数十歩。道中のホテルを無視し続けた二人は、ある場所で滑らかに曲がって消える。会話していた様子は見られなかった二人が、示し合わせたかのように建物へと入っていった。


「ホテルに入りましたね。急ぎましょう」


 突然早歩きになる祐毅に、つんのめりながらも笑顔でついていくレイラ。建物の入り口にたどり着くと、先に入った二人に見つからず、かつ、二人が見える位置に陣取(じんど)る。


「前もこのホテルだったよ」

「そのようですね。入店も息ぴったりでしたし、随分手慣(てな)れているようです」


 祐毅達が追いついた時、二人は部屋の写真が並ぶ壁の前でちょうど足を止めた。そこから部屋を選ぶまでは(わず)か数秒で、もう部屋へと向かい始めた。


「嫌かもしれませんが、一緒に入っていただけませんか?」


 祐毅は(まゆ)を八の字にしてレイラを見る。レイラは、目をキョトンとさせて祐毅を見つめ返した。


「もちろん。そのために来たんでしょう?」


 何を今更(いまさら)と言わんばかりに、祐毅の腕を引っ張ってレイラは店内へと歩き始めた。


 部屋へ向かいながら、祐毅は尾行中に(いだ)いていた疑問をレイラに投げかける。


「どうして二人がホテルに行くところを尾行したのですか?」

「ん?あぁ、サキちゃんはね、半年くらい前に入店した子なの。まだ指名をもらってないヘルプなのに、二か月前くらいからブランド物のバックとか急に持ち始めてさ。で、ヘルプで入ったテーブルの太客(ふときゃく)からお金貰ってるのかなって思って、アフターをつけてみたら理事長先生とここに入っていった」

「違和感を抱いたということですか。でも、尾行までする必要はありますか?」


 祐毅の返答にムッとした顔をして、うちの店は枕営業禁止だから、と答えるレイラ。


「ちゃんとルールを守ってお客様に恋をさせないとね。ママに告げ口したけど、信じてもらえないのよ」


 レイラの持論では、ホステスは客に恋をさせる商売だと言う。その考えは、祐毅には全く理解できないようで、恋ねぇ、と(あざけ)るように呟いた。


 部屋には入ると、祐毅はレイラの腕を優しく(ほど)く。


「疲れたでしょう。あなたはベッドでゆっくり休んでください。僕はソファーでいいので」


 レイラを入口付近に置き去りにして、祐毅はソファーへとスタスタ歩く。ぼーっと立ち尽くす彼女に背を向け、ソファーに(かばん)を置くと、見えないように何かを取り出す。


「え?ちょっと待って。しないの?」


 立ち尽くしたまま、祐毅の背中に問いかけると、平然とした顔がレイラに向けられた。


「何をですか?」


 暫くそのまま見つめ合う二人。相手が本気でわかっていないと察した方が、先に口を開いた。


「男女が一緒にホテルに入ったら、することって一つでしょ?」


 あぁ、とようやく意味を理解した祐毅は、鼻で笑う。そして、質問のラリーに終止符を打ちにいった。


「しませんよ。枕営業禁止って言ってたじゃないですか」


 話は終わり、と言いたげに顔をソファー側に戻す。だが、そんな態度も正論も気に食わなかったレイラは、話を終わりにしなかった。祐毅にズンズンと近づき、そっと彼の背中に体を寄せる。


「営業なんかじゃない。お客様とホステスじゃなく、今だけ男と女として……」

「いえ、僕にそういうつもりはないです。入店前にその点を明確化しなかったことは謝ります」


 しおらしい声で誘うも、淡白な否定が返される。その後も、後ろから抱き締めたり、甘い声で呼びかけたり、試行錯誤を繰り返すレイラだが、祐毅から色よい返事が来ることはなかった。そんな態度に痺れを切らしたレイラが、大きな背中をポカポカと拳で叩く。


「もう!私が()いても良いって言ってるのよ!それでも男!?」

「男にだって断る権利はあります」


 祐毅の回答は、それ以上の答えはないほどの正論。ここまで言う彼の気が今更変わるはずはないのに、散々誘い続けたレイラにも、(ゆず)れない何かがあった。大男(おおおとこ)の体を力の限りを()くして振り返らせる。


「ちゃんと私を見て言い……って何してるの?」


 振り向かされた祐毅は、耳から黒いケーブルを伸ばし、そのケーブルは手に持つトランシーバーのようなものに繋がっていた。刹那(せつな)に困った顔を見せた祐毅は、あなたには関係ないと背を向けようとする。だが、レイラの手の方が早かった。彼からケーブルとトランシーバーを奪い取ると、イヤホンヘッドを自分の耳に差し込む。


「これって、理事長先生の声?」


 レイラが耳に入ってきた音を自身の脳で解析した結果、崇志の声と断定された。提示された結果に、祐毅は深くため息をつく。


「なにこれ?盗聴」

「そうですよ。それが何か?」


 隠すことは諦め、開き直った態度でイヤホンを取り返そうとする祐毅。しかし、体格差を活かしたレイラの動きに翻弄(ほんろう)される。


「えー、こういうの趣味なの?人のを聞くと興奮するタイプ?」

「あんなジジイの行為を聞いて興奮するわけないでしょ!その受信機を返してください!」

「あはは!ジジイなんて、意外と口が悪いのね」


 蝶のようにひらりひらりと祐毅の手を交わし続けるレイラ。じゃれ合いを楽しむ彼女は、何かを(ひらめ)いたようにベッドへと流れていく。奪い取ったものをベッドに置くと、その上に仰向(あおむ)けとなり、自らを(たて)とした。


「どういうつもりですか?」


 ベッドの脇に立ち、レイラの顔を覗き込む祐毅。怒った彼の表情を楽しむようにじっくりと見つめ、そして余裕たっぷりに笑う。


「気持ちよくしてくれたら、ちゃんと返してあげる」


 提示された条件に、またそれかと、長息(ちょうそく)をもらす祐毅。


「いいじゃない、1回だけ。楽しみましょうよ」


 見つめ合いか、睨み合いか。目線で会話をするように、互いに相手の目だけを見る。(まばた)きのための瞼だけが動く膠着(こうちゃく)状態を破ったのは、二度目の諦めを決めた方だった。


「あー、もう!わかりましたよ!」


 天を(あお)いで大きく叫ぶ彼は、ジャケットを脱いでソファーへと投げ捨てた。ワイシャツの(そで)を折りながら、舌打ちをしたり、暴言を呟いたり、覚悟が整うまで怒りを吐き出す。

 そして、大きく深呼吸すると、ようやく覚悟ができたのか、レイラに(おお)い被さるようにしてベッドに上がる。彼女を見下ろす祐毅の視線には、冷たさが混じっていた。


「約束はちゃんと守ってくださいね」

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