第11話
一時間後。ようやくインタビューは終わりを迎えた。
二人をドア前まで見送りながら、謝礼です、と祐毅は封筒を手渡す。
「今日のこと、誰にも話さないでいただけますか?できれば一生、最低一年は」
陽気な応諾が返って来ると、改めて礼を告げ、ドアを閉めようとする。
「お兄さんって、理事長先生に似てるよね?もしかして……」
今日初めて彼女達から投げかけられた質問。祐毅は笑顔を絶やさぬまま、質問が終わる前に回答した。
「理事長は、僕のただの上司です」
言い終えると同時にドアを閉める。刹那だが、祐毅の動きも思考も、その場で一時止まる。頭の中では、最後に言われた言葉が反響していた。
部屋の奥では、颯毅は機材を、レイラはテーブルを片づけていた。俯き加減で戻ってきた祐毅には、誰も気づきはしない。
「あのクソジジイ!!」
二人が祐毅に気づいたのは、怒声と鈍い音が立て続けに部屋に響いた時だった。鈍い音は、祐毅が蹴り飛ばした丸椅子が壁にぶつかった音。一体何が起こったのか、状況判断のため無意識に動いた二人の視線は、床を転げる丸椅子へと向く。すぐに丸椅子の動きが止まると、自然と祐毅に視線を移し、そして彼の様子に驚愕した。
祐毅はこめかみに青筋を立て、歯を食いしばって立っていた。肘を曲げて震える拳を見つめる様子は、やり場のない怒りの治め方を探しているようにも見えた。
常に微笑みを絶やさない祐毅が鬼の形相を見せている。付き合いの長い颯毅ですら初めて見る表情に、驚きのあまり身動きが取れない。
三人の中で一番先に動いたのはレイラだった。接客業ゆえの対応力か、祐毅の傍に駆け寄ると、拳をそっと両手で包む。すると、鬼の変化が解けたかのように、祐毅は素の表情へと戻った。
「祐毅君、落ち着いて?座って休みましょうか」
微笑むレイラの導きに従い、近くの長椅子に腰を下ろす。祐毅の怒りが多少落ち着いたと判断したレイラは、手つかずの飲み物が入ったグラスを持ってきた。
「これをゆっくり飲んでね?気持ちが落ち着くから」
既に室温に近くなってしまったが、冷たい飲み物で彼の熱が冷めるようにと、手に握らせる。祐毅は、渡されたウーロン茶を暫く見つめ、ゴクゴクと飲み始めた。あっという間に空になったグラスをゆっくりとテーブルに置くと、ふうっと一息吐く。
祐毅が両手で顔を覆うと、その場は時が止まったかのように静まり返った。レイラと颯毅は、祐毅の次の動向を静かに見守る。
その視線に気づいたのか、それとも静かな空気に耐えかねたのか、祐毅はぱっと顔を上げた。
「いやー、すみませんでした。いきなり大声を出してしまって」
表情も、声の調子も、普段の祐毅と何も変わらない男がそこにはいた。スッと立ち上がり、自分が蹴り飛ばした丸椅子を立て直したり、当たった壁に傷がないか確認したり、仕草まで二人の知る祐毅そのもの。顔を覆った時に、見えない仮面でも付けたかのように、彼の怒りは微笑みの裏に隠れてしまった。
「お前でも怒鳴るんだな。初めて見たわ」
「いやー、僕もびっくり。あんな大きい声が出るなんて」
いつもの調子で話しかける颯毅に、祐毅はあははと笑って返した。まるで遠い過去に起こった出来事のように、先程の怒声を俯瞰で語る。
そんな二人のやり取りを、レイラは眉をひそめながら見ているしかなかった。
「じゃあ、顔の隠しと音声の加工だけしたら連絡するわ。どう編集するかは、一緒に見ながらやった方が早えだろうし」
「わかった。じゃあ宜しくね」
颯毅は機材の片づけを終えると、カメラバッグを持って足早に部屋を出た。
「僕達も帰りましょう。家まで送りましょうか?車で来ているので」
「……ええ。お願いするわ」
車へ乗り込んでからも、レイラは眉間に皴を寄せたままだった。祐毅が振る世間話で、車内の空気が重くならない様に調整されているのだが、彼女の不安は顔から離れない。
「ねえ、大丈夫なの?」
話が途切れた間を狙って、意を決したレイラが話しかける。
「大丈夫ですよ。追加調査は必要ですけど、計画通りに……」
「そうじゃなくて!」
レイラが出した大きな声に驚き、ハンドル操作がわずかに乱れる。すぐに安全な運転に戻した祐毅は、横目を向けて話の続きを待った。
「どうして我慢するの?もっと怒鳴ったり、誰かに愚痴を言ったり、そうやって気持ちを発散しないと苦しいじゃない」
レイラは体ごと祐毅に向けて訴えた。感情の我慢、つまりストレスはあらゆる病気を生む。その先まで心配したレイラの発言。祐毅はこれを微笑みで返した。
「さっき椅子を蹴って発散したので、大丈夫ですよ」
レイラは咄嗟に反論しようと口を開く。だが、一度口を閉じ、何かを考え始めた。
「この後、予定はあるの?うちに寄って、お茶でも飲んでゆっくりしたら、少しはリラックスできると思うの」
「すみません。この後は救急往診の予定があって」
そう、とここでレイラは諦めて体を前方に向ける。祐毅の言葉に決して嘘はないが、距離を置かれていると悟ったからだ。寂し気な顔をし、だがそれが祐毅に見えない様に車窓を眺める。そこからは、レイラの雰囲気を察してか、あえて祐毅は沈黙を破らなかった。
環境音以外の音が車内に流れたのは、レイラが住むマンションの前で車が停車した時だった。
「レイラさん。初めて会った日に、僕が言ったことわざを覚えてますか?」
「え?あぁ、確か馬が何とかって」
シートベルトを外している最中に振られた話題に、戸惑いながらも過去の記憶を早回しして、レイラがあることわざの一部分だけを回答する。祐毅はクスッと笑い、小さく頷いた。
「噛む馬はしまいまで噛む。あの人は昔から何も変わっていない。それどころか、むしろ悪化している。きっと病気なんですよ」
祐毅は、視線を前方に向けたまま、遠い目をしてレイラに出会った日のことを思い返し始めた。




