(一)
「で? 答えは見つかったの? 兄さま」
いつものようにいつもの東の廂。
誰のいないことをいいことに、御簾内から出てきた彩子が問うた。
――承香殿の女御と帝は想い合ってる仲なのかどうなのかの件。
先日の交された和歌に折りこまれた意味は「あいしてる」と「わたくしも」だけど、若自体の意味は「余は、亡くなった麗景殿だけを愛してる。お前ではない」「愛してもらえない恨みをどれだけでもお伝えしますわよ」。
折句が正しいのだとしたら、なぜ、対面した時にイチャイチャしない?
見つめ合って見つめ合って、どうかするとにらみ合って? 過ごした二人。帝は滅多に承香殿を訪れようとしないし、承香殿も訪いを求めるような和歌を帝に寄越したりしない。ずっと座ってるだけ。
女御が先の関白の娘、ようするに、落ち目な家の姫だから?
今関白に遠慮してる?
確かに、今をときめく関白の娘藤壷をないがしろにしたら、さすがにマズいかもしれないけど、そうじゃなきゃ治天の君、帝なんだから、堂々と愛し合ったらいいんじゃね?
愛し合って、キャッキャウフフがダメだったとしても、せめて和歌ぐらい、「好きだよ、愛してる~」ぐらい堂々と詠ったらいいと思うんだけどな。
落ち目とはいえ、承香殿の女御には、頭中将藤原雅顕っていう頼りにな……るかどうか怪しいけど、とりあえず兄っていう後ろ盾はいるわけだし。キャッキャウフフして、万一懐妊したって、それは先の関白家が復活するキッカケになるだけで、特に問題らしい問題はない。それこそ、そこを足がかりにして、雅顕が出世して、今の関白を倒せばいいわけで。
「なあ、彩子はどう思う?」
「ちょっ、兄さま。わたしに振らないでよ。そういうの考えるのは兄さまの仕事でしょ?」
「オレかよ」
「帝のおそばに侍っているんだもん。なんか手がかりはなかったの?」
「……侍るって。人を男色みたいに言うなよ」
というか、お前だって女御さまのそばに「侍って」るだろが。そっちに手がかりはないのかよ。
「まあ、こういうのはそう簡単に答えが見つかるもんじゃないからな。ゆっくり探していけばいいさ」
「あ、兄さま、逃げた。ズルい」
「いや、逃げたんじゃなくって判断する材料が少ないんだよ。もう少し考える材料をくれ」
「……わかった。そういうことにしてあげる」
むくれかけた彩子の頬が平常に戻った。やれやれ。
「その代わりと言っちゃあなんだが、ホレ。持ってきてやったぞ」
「え? 兄さま、これって……」
「最新作だ。お前の好きな御老公の漫遊記」
「今日は御老公はどこを旅するの?」
「三河。悪徳受領を……ってここから先は読んでのお楽しみだ」
懐から取り出した書を彩子に渡す。
今日の彩子へのご進物は、桃でも瓜でもなく、一冊の書。オレが書いたもの。
「わたし、この連作物語、好きなのよね~。ただの旅する老人だと思っていたら、なんと上皇様で、お供の二人とともに悪い奴らをバッタバッタやっつけてさ~。最後の『控えい、控えおろう。このお方をどなたと心得る』ってあの辺り、すっごいスカッとするのよ~。キタキタキタ~ッて、ワクワクしちゃう」
あ~、早く読みたい。
書を抱きしめた彩子の頬が緩んだ。
「そりゃあよかった」
そこまで喜んでもらえたら、書いたこっちもやりがいがあるというもの。
まあその物語、オレの完全創作じゃないけどな。
「あと、うだつの上がらない京職の三男坊が実は帝だったってアレも好きよ。都を騒がす悪党を一刀両断!! ってね。市の娘なんかまで助けてくださって。実は帝だったってときめくじゃない」
うん。それもオレの完全創作じゃないけどな。
「ねえ、兄さま。この書って女御さまにお見せし――」
「ダメ」
遮るように拒絶。
「見せたりしたら、次から絶対書いてこないからな? お前が女房勤めだなんて退屈だろうからって書いてきただけなんだからな? もし万が一、誰かに見せたってなったら、二度と書かないからな?」
「うう。わかった」
彩子の顔を指差し。なるべく強気の釘刺し。
「でも、でもさ。もったいないな~って思うのよ。こんな面白い物語をわたしが読んで終わりにするだなんて」
釘を刺しても諦めない彩子。指に鼻を押し付けてきそうな勢い。
「どうして兄さま、そこまで頑なに見せることを嫌がるの?」
「……男が物語を書いてるだなんて、女々しすぎて、知られたくないんだよ。日記ならともかく、物語は女性の書くものだろ?」
顔をしかめ、ガリガリと頭を掻きながら答える。
一般的に、自分の子孫に世の出来事を伝えるため、男性は日記という名の記録を残す。女性は、自分たちで回し読みして楽しむために物語を書く。
「わたしが書きましたー、どうでしょうってのもダメ?」
「ダメ」
「わたしが書いたことにして、承香殿に帝にお越しいただくキッカケにするのも?」
「ダメ」
次々に即答拒否。
「そりゃ、こんな物語書く女房がおりましてよ。知的な場所ですわよ? ってして帝を呼び寄せることは可能かもしれないけどさ。それで、オレが書いたってことがバレたらどうすんだよ。オレ、帝にお仕えし続ける自信ねえぞ? 恥ずかしすぎて憤死するわ」
物語を書いたのがオレだってバレて。「へえ、お前、そんなの書くんだ」なんて思われてるなか帝にお仕えする――ダメだ。考えるだけで悶絶死しそう。恥ずかしさで燃えて塵になるわ。
そりゃあ帝ホイホイをするには、知的な女房がいるっていうのも一つの手だけどさ。彩子にそこまでの才はないし、オレとしてもその物語を世に広められるのは、いろんな意味で困るんだ。
「ってことで、それも読み終えたらちゃんと返してもらうからな?」
「わかったわよぉ。兄さまのケチ」
「お前に書いて見せるだけでも最大の譲歩なんだからな」
以前は書くのではなく、物語を話して聞かせてたんだが、さすがに女房となった彩子に聞かせるには時間が足りない。今もこうして承香殿を訪れているけど、なるべく早く帰らないとあのおじゃる麻呂が何かとうるさい。
「次に来た時に返してもらうから。それまでに読んでおけよ」
言いながら立ち上がる。が。
「おや、成海。もう退出するのかい?」
――げっ。
「ち、中将どの」
軽やかにかかった声。同時に御簾の向こうに姿を隠した彩子。その素早さ、やはり神業。
「悪いが、彩子どの。少し成海を借り受けたいのだが、いいだろうか」
「どうぞ、ふつつかな兄ですが、それでもお役に立つのであれば」
こら、彩子。またまた人を物かなんかみたいに、勝手に貸し出しすな。
「ありがとう」
そして、雅顕!! 勝手に人の貸借契約成立させるな。
「で? 次は何なんですか?」
和歌? それとも?
「今宵、成海と共に過ごしたいと思うのだが、――どうだろう」
え? は? 今、なんと?
今宵? 共に? 過ごす? オレが? 雅顕と?
え? へ? それって、つまり? だだだ、男色? 男色なのかっ?
「きゃあっ!! 萌えるわっ!!」
……御簾内から、とんでもなく黄色い声が上がった。(マジでやめて)