(四)
「どうしたの、兄さま」
筆と紙を用意してくれた彩子。桃を食べ食べ、訊ねてくる。
「いやな、ちょっと気になったんだよ」
言いながらその紙に、先程聞いた和歌を記していく。
帝が詠まれた歌。
青雲の 出づる山の辺 雫にぞ 照る日注ぎて 瑠璃となるぬる
(青い雲の沸き立つような奥山にある雫にこそ、日の光は注いで、雫は瑠璃のように光る)
女御が返された歌。
我が背子に 絶えぬ言の葉 葛の葉に 印して告らむ 百重に二十重に
(わたくしの夫に、絶えることのない言葉、思いを葛の木の葉に印して伝えましょう。何度でも)
「なあ、もしお前が『山』を引き出したいとして、和歌を詠むなら、その枕に何を使う?」
「え? わたし?」
そうお前。
キョトンとする彩子にうなずいて促す。
「えっと、えーっと、そうねえ……、『あしひきの』……かしら」
「そうだよな。山の雫、つまり冥界にある魂をと言いたいのなら、『青雲の 出づる山の辺』なんてしなくてもさ、『あしひきの 山の深草葉 置く雫』とかでもいいんだよ。あと『白玉』とか『水晶』でもいいのに、わざわざ『瑠璃』としてる」
「瑠璃のように美しく輝くって意味なんじゃないの?」
いっぱい愛されて。
「それなら、最初の『雫』も『白玉』でいいじゃないか。白玉が瑠璃になるほうが、より儚く美しく感じられれる。雫じゃ、ちょっと力不足なんだよな」
白玉なら、葉っぱの上のとかにポツンと載って美しそうだけど、雫だとピッチョンと、どこかに跳ねて飛び散ってしまいそう。
「それに、こっちの女御の歌。お前も『我が背子』を古くさいって言ったけど、実際、そうなんだよな。『背の君に』でもいいのに、『我が背子に』。というかこんな直球で『アナタ』なんて詠むヤツ、今どき珍しすぎるだろ」
「あ、それそれ!! それ、わたしも思った!!」
彩子が身を乗り出す。
「あと、この『百重二十重に』もおかしい。『十重に二十重に』なら理解できるけど、『百』の後に『二十』は、下手くその極みだぞ」
「だよね、だよね!!」
彩子激しく同意。
「なんていうのかさ、下手は下手なりにこだわってます!! わたくし、これだけのひねりができるだけの才覚がありますのよ~って自慢しようとして、そのまま胸反らしすぎてひっくり返っちゃってるっていうのか。そんなのだから、帝に寵愛いただけないのよ~って笑っちゃいそうになるっていうのかさ~」
「――ちょっと待て、彩子」
「あ、ゴメンナサイ。言い過ぎた?」
いくらなんでも。こんな誰もこないだろう、東の廂でも。バカにしすぎちゃダメでしょ――?
「違う。“ひねり”だよ、ひ、ね、り!!」
「は?」
彩子の声がひねられた。
「いいか、彩子。よく見ろよ」
言いながら、和歌を記した紙を見せる。
青雲の
出づる山の辺
雫にぞ
照る日注ぎて
瑠璃となるぬる
と。
我が背子に
絶えぬ言の葉
葛の葉に
印して告らむ
百重に二十重に
の二首。
「これがどうしたの?」
彩子が問うた。
「これを仮名にして、最初の一語だけ読み出してみろ」
あおくもの
いづるやまのへ
しずくにぞ
てるひそそぎて
るりとなりぬる
「――え?」
わがせこへ
たへぬことのは
くずのはに
しるしてのらむ
ももへはたへに
「ええっ!? ちょ、ちょちょちょっ、にっ、兄さまっ!?」
目ん玉真ん丸彩子。食べかけの桃がポロリと落ちた。
――あいしてる。
――わたくしも。
「……折句だ。和歌の最初の言葉だけを読むと別の意味が浮かび上がる、そういう和歌だ」
折句。
五、七、五、七、七で構成される和歌。その和歌自体に持たせたものとは別の意味を含ませる高等技術。
この二首は最初の文字だったけど、「いろはにほへと ちるぬるをわか……」のいろは歌のように、その末尾を並べると「とかなくてしす(咎なくて死す)」みたいなおっそろしい暗号が浮かび上がる――なんてものもある。
「ねえ、帝と女御さまって……」
「ああ、確信はないけど、もしかして、もしかすると、そういうこと……なのかも」
タラリと汗が背中を伝う。
すっごいお宝を掘り当てた――というより、とんでもないものを引き当てた気分。
おかしな和歌だと思った部分が、これを作るために必要だったのだと、意味あることだったのだと説明がつく。ついてしまう。
「女御さまって、亡き麗景殿の女御さまを弑したって噂、あったわよね?」
「ああ」
「帝は、亡くなられた麗景殿さまを慕っておられるって噂もあったわよね?」
「ああ」
「だから、女御さまを嫌っておいでで、承香殿にお越しいただくこともなくって。お越しいただいたとしても、一刻ニラメッコしただけで、言葉も交さず帰られたのよね?」
「ああ、そうだよ、そうだよな?」
訊ねられてもオレにもわからん。オレが訊きたいぐらいだ。
嫌ってたから、滅多に足を運ばなかった。嫌ってたから相対しても何も喋らず、見合っただけだった――見合った? 見つめ合っていた――? 語れない想いを込めて、熱く見つめ合っていた――?
「どうなってるの、これ。帝と女御さまって、愛し合っていらっしゃるの?」
彩子の疑問に答えられる者はここにはいない。