(五)
「彩子ぉ、彩子ぉっ!?」
承香殿に入り、妹を探す。
といってもむやみやたらと歩き回るわけにはいかない。ここの主はあくまで女御さま。彩子はその添え物。
なので、最初は承香殿の昼の間、女御が御簾内に座って、紀命婦と彩子が侍る場所を訪れたんだが、そこには誰もいなかった。
なら、雷鳴壺と同じで、三人して塗籠にでもこもったのかのかと思ったけど、そこにも誰もいない。外の見える廂の間にいるわけないだろうけど……それでも北、西、南、東と、彩子のいそうなところを早足で見て回る。――が、いない。
(どこに行ったんだ?)
アイツが、彩子が雷の鳴ってる最中に出かけるなんて思えない。それも、承香殿のなかのどこかにいるのならともかく、外に出るだなんて。
「――彩子?」
情報を求めて、彩子にあてがわれた室、曹司へと顔を出す。もしここに彩子がいたなら、「女の子の部屋を勝手に覗くだなんて!!」って物の一つも飛んできそうだけど。
シンとした曹司。
飛んでくるような物もなければ、投げる主もいない。曹司は、恐ろしいほど静まり返っていた。
(どこかに逃げ込んだのか?)
こんな人気のない承香殿じゃなく、隣の尚侍とかが暮らす、綾綺殿とか温明殿に身を寄せた? それも女御さまを伴って?
怖い雷、みんなで過ごせば怖くない?
気持ちはわからないでもないけど、女御さままであちらに足を運んだりするか? それぐらいなら、「怖いからこっちへ来て頂戴」って命じるのが普通。女御も尚侍も「帝に奉仕する者」って意味では同じだけど、その格、身分は全く違う。
尚侍は、バリキャリの秘書で、お手つきされることもワンチャンあるかもしれない女性で、女御は、お手つきされるっていうか、そもそも子を産むことが絶対の「嫁」っていう立場。だから、こちらから「一緒にいて」と行くのはおかし――。
「なんだ、あれ」
グルっとまわった承香殿の廂の間。
その北の廂で、オレの足が止まる。
「麗景殿――か?」
暗く垂れ込めた曇り空に、白いなにかがユラユラうごめく。いくつも、いくつも。バタバタと風に叩かれるような音。白いものから幾筋もの糸のようなものが麗景殿の屋根に向かって伝っている。
「凧――?」
和凧ではない、どっちかというとカイト。
なんであんなもんが麗景殿に? というか、こんな雷の鳴ってる時に凧?
――ってまさか!?
「成海どの!!」
ザアッと降り出した雨。そのなかを走ってくる忠高と――え? ちょっ……。
「尾張、女御はどこにいる」
萎烏帽子、直垂、括袴。足には脛巾に草履。どこからどう見ても「雑色」なんだけど……。
「しゅ、主上っ!?」
何度も目をこする。帝のそっくりさん雑色とかじゃねえよな。オレの目がおかしくなったわけじゃねえよな。
「尾張、女御はどこだ」
声までそっくりさんなんているはずねえよな。
「尾張」
こんな雑色のくせに上から目線なヤツって、やっぱ主……。
バリバリ、ドォン――。
「うわっ!!」
光ると同時に落ちた雷。数える間もなかった。一面が真っ白に染まる。
雷平気なオレでも、さすがにビビる。
「忠高!! あの凧を射落としてくれ!!」
「は?」
「彩子も女御もここにはいない!!」
もしかして、もしかするとだけど、彼女たちはあの麗景殿の中だ。
どうしてそこにいるのかはわからねえ。どうして凧が揚がってるのかもわかんねえ。
だけど。
「こんな時の凧揚げはすっげえヤバいんだって!!」
言うなり、麗景殿に向かって走り出す。
あそこにいるって確証はない。けど、けど――。
全身が総毛立つ。ケツのあたりから、ビリビリと電気のようなものが走る。悪い予感が止まらねえ。
ヒュンッ――。
雨の中、風を切る音が空に向かって放たれる。
矢。
そう認識出来たのは、矢がオレの体スレスレを飛んでいったから。
「た~だ~た~か~!!」
もうちょっとでオレが射抜かれるところだっただろうが――って、え? 主上?
ふり返ったそこで弓に矢をつがえていたのは、なんと雑色主上。忠高はその横で、弓を奪われ、諫めることもできずにオロオロしてた。
「あ、当たったらどうしてくれるんですか」
「当たらぬように避けるのがお主の役目だろう」
そんな無茶な。
「それより、あれはすべて射落としたほうがよいのか?」
「あ、はい。すべて。すべて落としてください」
主上、忠高から弓を奪うだけのことはあるらしく、その腕はなかなか。さっきの矢だって、オレには当たらず(当然)、ちゃんと凧を射落としている。
「そこなる武士!!」
帝が矢をつがえながら命じる。
「中将と仲間を呼んでまいれ!!」
言いながら二射目を放つ。――が。
バリバリ、ドドーンッ!!
視界が真っ白に染まる。上から押しつぶしたような音がビリビリと肌に伝わる。
「すげえ近――っ!!」
とっさに閉じたまぶた。開けたそこに、燃え上がる麗景殿の屋根が見えた。
「彩子っ!!」
「薫子っ!!」
オレと帝が同時に叫んで、同時に走り出す。
雨にぬかるむ地面。雨で重くなった衣。降りしきる雨。
ええい、全部、うっとおしいわ!!
「彩子!! どこだ、彩子!!」
廂の間から飛び込む麗景殿。
シュッとカッコよく欄干を飛び越えたいけど、それは無理で、ちょっと無様に転がり昇殿。
「兄さまっ!? 兄さま!! ここよ、ここ!!」
麗景殿は広い。
だけど、その奥から聞こえたのは間違いなく彩子の声。
「彩子!!」
ダンダンと叩く音。
それは、麗景殿の塗籠の中から響く。
「なんだよこれ!!」
「出られないの!! 助けて、兄さま!!」
塗籠の手前、唐櫃、二階棚、火桶。とにかくなんだかわかんねえ、クッソ重そうなものが、塗籠の戸の前にこれでもかと積み上げられている。
「どけるぞ、尾張」
帝とともに、そのバリケードのような物々を動かしていく。
「待ってろよ、彩子!!」
掴む唐櫃をうおりゃあっ!! と力任せに投げ飛ばす。火桶だってぶん投げる。
貴重な品、高価な品がなんて知らねえ。早くしねえと、彩子がっ!!
「火の回りが早い。急げ」
同じように掴んだものをぶん投げたのは帝。投げられた二階棚。おお。帝、意外とワイルド。
「鍵が――」
すべてを取り払った先、塗籠の戸にはご丁寧に錠がさしてあった。
「クソッ!!」
燃えた凧から伝った火が、廂の間にまで押し寄せている。火の回りが早い。もしかしたら、油でも撒かれてるのかもしれない。
「壊すぞ」
言うなり、戸に体当たりを始めた帝。オレも息を合わせ、二人でタックル。
ドォン。ドオォン。――ドガァン。
「彩子!!」
「薫子!!」
戸を打ち破ったのも同時なら、塗籠に飛び込んだのも同時だった。
「兄さま!!」
対して返事は一つ、彩子のものだけ。
「薫子!!」
「大丈夫です。少し気を失われただけで」
塗籠の床に倒れる女御。介抱するように寄り添う紀命婦。
「しゅ……じょ……」
微かに目を開けた女御が、手をのばす。
「薫子!!」
感極まったような帝の声。その震える手を掴むと、そのまま女御の体を抱き寄せる。
「無事で……よかった」
かすれるように絞り出された思い。力強く女御を抱きしめる腕。熱い抱擁。
――帝と女御さまって、愛し合っていらっしゃるの?
かつて感じた問いの答えを見た気がした。
「逃げましょう、帝」
その胸キュンなシーンは、もうちょっと続けさせてやりてえけど、今は火事のど真ん中。そんなことしてたら、みんなでマックロクロスケ、炭化する。
「そうだな。ついて参れ」
女御を抱き上げ、スックと立ち上がった帝。おお。これが「お姫様抱っこ」ってやつか。
女御と帝。絵になる二人に紀命婦が付き従う。
わずかに遅れ、残ったのはオレと彩子。
オレも彩子を「お姫様抱っこ」したほうがいいのか? でもオレたち血は繋がってねえけど兄妹だし?
「袿を脱げ」
「は? 兄さま、なにを」
「それじゃあ動きにくいだろ」
「脱げ」って言っても変態じゃねえからな。万が一火の粉が飛んで燃えたら一大事だからな。そういう意味での「脱げ」だからな。
「かわりにこれを被ってろ」
ビッタビタに濡れた自分の直衣を脱いで、彩子に被せる。オレは抱っこなんてできねえから、かわりにこれで火の粉を防げ。雨に濡れてグッショリだから、ある程度火を防いでくれるだろう。
「行くぞ」
「あ、待って兄さま!!」
飛び出しかけた塗籠に戻る彩子。
「何やってん――、あぶねえっ!!」
ガラガラと崩れた塗籠の一角。
「――彩子、大丈夫か?」
とっさに身を挺してかばったけれど。
「う、うん。わたしは大丈夫」
「なら、このまま抱えてく。しっかり掴まってろ!!」
言うなり、火の回り始めた塗籠から飛び出す。
兄妹でお姫様抱っこだなんて、恥ずかしすぎるじゃねえかあっ!! 誰かに見られたら、恥ずかしさで憤死する自信あるわ!!
そんなことを思いながら廂の間を走り抜ける。
バチバチと音を立てて燃える麗景殿。
走るオレの首に、彩子がギュッと腕を回した。