(二)
六条河原院の所有者は、今関白。
もし、あの百鬼夜行が、誰かの仕組んだことだったとして。その土地、屋敷の所有者なら、やる理由まではわからないけど、簡単に実行することができただろう。そして口封じのため、捕らえた者たちを殺害するのも、関白の権力を持ってすれば容易いことだ。
宴の松原の人魂も、その権力と財力なら材料を揃えやすいだろうし、飛ばす人手も集めやすい。
オレが人魂も鬼も看破したことぐらい、その立場なら、噂レベルのことでも簡単に情報入手出来たに違いない。
どこまで相手がこっちのことを知ってるのかは不明だが、おそらく、「雅顕の近辺、承香殿の女房、もしくはその周辺に転生者がいる」「その転生者が百鬼夜行という、自分たちの思惑を阻害した」ぐらいには思われている。
阻害した覚えはねえんだけどな。
でもまあ、そんなこんなで理由をつけて、オレをおびき寄せるために、雅顕を宴に呼びつけた。「百鬼夜行を倒した勇ある者を労いたい」とかなんとか言って、「珍しい藻塩焼きを披露してしんぜよう」とか誘えば完璧だ。
雅顕の立場なら、叔父関白の誘いを断ることなどできないし、「どのように鬼を捕らえたのか聴きたいものよ」とか言っとけば、雅顕はオレを連れて行くのは必定。もし、雅顕が行くのを渋るようであれば、それこそ雅顕が懸想してるっていう女房を呼んどいて、お酌の一つでもさせれば、このバカ公達は喜んで敵のもとに出かけていく。
オレを連れて。
オレだって、主である雅顕が連れて行くって言い出したら、よほどの理由を作り出さない限り、その命令に従うしかない。
ってことで、ガラガラと護送車のような牛車に押し込められ、雅顕とともにたどり着いた、大きな屋敷。河原院にまさるとも劣らない、豪華過ぎる屋敷。
「よく来た、中将」
「本日は、お招きいただき、誠にありがとうございます、叔父上」
「なにを、なにを。我が甥なのだから、そうかしこまらずともよい」
恰幅のいい、五十代ぐらいのオッサンが、両手を広げて雅顕を受け入れる。
(これが関白どのか)
見たことないわけじゃねえけど、面と向かって顔を見るのは初めて。関白が清涼殿を訪れた時とかに、その足のあたりは見たことあるけど、顔を合わせるのは初。だって、清涼殿じゃあ、オレ、恐れ多いってことで平伏しっぱなしだし。それも、ちょろっとその場に居合わせるだけで、すぐに下がらなきゃいけねえ身分だし。
オレと関白。
ギリ殿上の従六位上の蔵人と、殿上なんて顔パスで入れるもんねの従一位の関白の差なんて、こんなもん。身分の壁は恐ろしく分厚くて、乗り越えるには高くそびえ立ちすぎている。オレに、ご尊顔を拝するなんてまず無理。
なんだけど。
「おお、そこなる者が、鬼を退治した勇ある者か」
「わたくしは、何も。すべて、中将どのの差配が素晴らしかったため、成し得たことかと」
「そう謙遜するでない。主も今宵はゆっくり楽しんで行け」
「ありがとうございます」
オレまでにこやかに迎え入れた関白。威厳ありそうな容姿なのに、笑うと人懐っこい印象が生まれる。
案内された宴の場所は、庭に面した寝殿の南の廂だった。
庭には、すでに大きな釜が据えられ、グラグラと中で海水が煮立っている。辺りに漂う強烈な汐の匂い。ってか磯臭え。正直、そこまで好きじゃねえんだけど……。
「おお、風情あるよい香りがいたしますね、叔父上」
そ、そうなのか。オレには臭い「匂い」だけど、都のヤツには風情ある「香り」なのか。
匂いと香り。混同されやすい表現だけど、そこにある好嫌の感情は真逆の立ち位置。
そんな匂い(香り)を嗅ぎながら、座る簀子の縁。そこにはすでにたくさんの客がいた。年齢もさまざま、身分もさまざまな招待客。
(このなかに、転生者が?)
関白自身がそうなのか。それともここに居並ぶ公達の一人がそうなのか。
パッと見で「転生者」特別がつく身振りがあるわけでも、特徴があるわけでもない。だから、逆にどこの誰ベエがいるのか、それを覚えておく。(記憶力全開)
オレの席は雅顕の連れ、それも百鬼夜行を倒した勇ある者ってことで、意外と上座に設けられた。まんま、雅顕の隣。四位頭中将の隣に座すのは六位蔵人としては破格の待遇。それも頭中将雅顕は、関白の甥、その血筋に連なる者なんだから、どんだけ特別なんだか推して知るべし。
そんな雅顕の隣から、並ぶ公達をチェックしていく。
兵部卿の宮、権中納言。このあたりの公達は、帝や雅顕の近くにいれば、自然と目に入ってくる、一方的な顔なじみ。関白の隣に座すのは右近少将。オレと似た歳で、こちらも何度か帝のそばで見かけている。後は黒々髪の少納言のおっさん、少納言と足して二で割ったらちょうどいい髪の大納言のじじい。名は体を表すの文字通り(?)馬面の左馬寮頭。他にも、誰か知らん入道。確か身分はたいしたことないけど、歌の名手だってヤツ。
あと他にも何人かいるけど……スマン、オレだって全員顔見知りじゃねえからわかんねえ。雅顕ならみんな知ってるんだろうな。さっきから酒を重ねつつ、誰かと談笑してるし。
明るく燈台に照らされた廂の宴。その影のような庭で。白い水干姿の男達が、煮える釜に乾かした藻を入れる。海水で藻を煮る? そうすると、ただの海水塩に藻の成分も溶け込んで、“藻塩”が出来上がる。普通の海水を煮詰めただけで作った塩とは違う“藻塩”。けど。
(臭い……)
乾燥わかめとかの匂いの苦手なオレには、正直臭い。
けど雅な連中はこれが良いらしくて、談笑しながら酒を嗜む。隣の雅顕も同じ。
(鼻がイカれてんのかな)
普段、荷葉だ黒方だなんだってお香を焚きしめてばっか入るから、鼻が麻痺してんのかも。
藻塩はこのあと、火を止め一晩藻をつけ置く。それから藻を取り出して、海水を煮詰めていく。水分があらかた無くなるまで、塩というか、ベタッとした白い土の塊のようなものが出来上がってきたら釜から下ろし、あとは天日と風で乾かしていく。完全に乾いてしまえば、藻塩の完成。
そんなところで、上座から声がかかった。
「今宵の宴を祝して、歌を奉じてもらいたい」
言い出したのはもちろん、屋敷の主、関白。
最初に詠ったのは、隣に座す関白の息子、右近少将。卒なく、海を題材にした歌を詠む。
次は雅顕。もしかしてまた「代詠み、ヨロ!!」って来るかと思ったんだけど、意外なことにそれはなかった。ちゃんと雅顕もそれらしい海を題材にした歌を詠む。
右近少将と頭中将。
どちらの歌にも感嘆の声が上がる。
「良い歌だな」
関白が満足そうな感想を漏らす。
「恐れ入ります」
どちらも恐縮した謝辞。
雅顕の後は、宴に並ぶ公達たちからの歌。いつの間にかお題は「海」になっていたらしく、「磯」だの「汐」だの「干潟」だの、それっぽい言葉が詠み込まれる。雅顕と少将が海をネタに詠んだせいだろう。
歌が詠まれるたび、「おお~」っと心の底からの感嘆と、「おお」とどう判じたらいいのか微妙な声が上がる。(失笑でないのがせめてもの救い)
「では次。そこなる蔵人、詠んでみせよ」
回ってきた順番。ってか、オレも詠むのか?
こんな場に連れ出されただけでも迷惑なのに、歌も要求されるのか。
「どのような歌でもよい。聴かせよ」
一瞬戸惑っていると、関白から声がかかる。隣の雅顕も促すようにうなずく。
いや、オレ、自分が歌を詠むなどおこがましい――とか、歌なんて詠めませんねん――で戸惑ってるわけじゃねえからな?
ってことで。コホン。
「ふるさとの 浦に漕ぎゆく 海士人の 行くへも知らず 卯月彼はたれ」
故郷の、浦を漁師の船が漕いでいく。その行方もわからないぐらい霞がかってる、四月の夕暮れ。ちょっと季節はズレてるけど、そこは気にしない。重要なのは、季節に合わせた情感じゃない。
重要なのはそこに含んだ折句。今回、オレが作ったのは、冒頭の文字の羅列に意味があるパターン。
ふ、う、あ、ゆ、う。
Who are You.
お前も誰やねん。
「黄昏」「誰そ彼」でもいい夕方の表現を、わざわざ彼は誰と詠んだのは、意味を重ねたかったから。
こちらに転生者がいるかも?って疑惑から、何か仕掛けてくるなら、オレに仕掛けろ。彩子に文を送ったりして、アイツを巻き込むな。ぶつけるなら、このオレにしろ。
そういう意味をふんだんに盛り込んでの歌。
さあ、この歌を聞いて、どうする転生者。用心深く、周囲の反応を見る。
「ふむ。なかなかに良い歌だな」
口を開いたのは関白。
「そちの故郷は海に近いのか?」
「はい。藻塩を見ると懐かしく思い出されます」
ここは嘘じゃない。藻塩は尾張にいた時、よく見た光景だ。
「故郷はどこじゃ」
「尾張国でございます。父が尾張国国司を勤めておりますゆえ」
「なるほどな」
顎に手をあて思案する関白。
当たり障りのない会話をするけど、腹の中で今、何を考えている?
「では、ワシも一首詠むとするかの」
軽く関白が喉を整える。聴く側となった公達たちが居住まいをただす。
「こぬ人を まつほの浦の 夕凪に 焼くやもしほの 身もこがれつつ」
「――え?」
今、なんて?
――こぬ人を まつほの浦の 夕凪に 焼くやもしほの 身もこがれつつ
藻塩を焼くと、恋に身を焦がすとかけた歌。一見すると、ただの恋歌だけど。
(関白が転生者なのか?)
戦慄が走った。