(四)
「昨日は兄さまがこちらに来なかったじゃない?」
「ああ、すまん」
昨日はぶっ倒れてたから、参内できなかった。
「それは別にいいんだけど。わたしが寂しがってるって思われたんでしょうね。女御さまのほうからいろんなことを話しかけてくださったのよ」
「そ、それは……」
なんて珍しい。雪が……、いや大雪でも降りそうなぐらい珍しい。
「話しかけて下さる前に、ものすっごく逡巡してらしたわよ。何ていうのかな、『こう話しかけてみよう!!』って思い定めたのに、『ああ、でもやっぱり……』みたいなかんじ? こっちに身を乗り出してきたかと思うと、次の瞬間には引っ込んでるっていうのか」
あー、なんとなくわかる。前へ出かけて後ろに戻る。コミュ障のよくある動作だ。甲羅から出ようかどうか悩む亀のような動き。
「まあ、あまりに見てられないからこっちから声をかけようか、そう思ったときよ。女御さまが『大丈夫?』って声をかけてくださったの」
何が「大丈夫?」なのか。そこで彩子が、「は? 大丈夫ですけど?」って返したら、「そう……」で終わってしまう、そういうパターン。子どもと意思疎通出来てない親が、「最近どうだ?」と訊いて、「普通」って返され、「そうか」で話の糸口ぶっちょん切られるのと同じ。
そこに至るまでにいっぱい考えてるんだろうけど、その考えがわからないから問いかけられた側としても、どう返したらいいのかがわからない。
「でね、ちょうど紀命婦さまもいらっしゃらないし、せっかくだしって、わたしもいろんなことを訊いてみたのよ。女御さまは帝のことをどう思ってらっしゃるのかって」
ブホッ。
ななな、なんてド直球な質問を。
なんにも口にしてないのに、むせたわ。
暑さではない原因の汗が冷たく背中を流れ落ちる。
「そしたら女御さま、耳まで真っ赤になさってさ。うつむいて下唇噛んじゃったりして。直接はお教えいただけなかったけど、全身から答えが溢れてたわよ。『大好き』って。見てるこっちまで赤くなっちゃった」
御簾越しにしか見たことない女御。あの雅顕と同母兄妹なんだから、似ているだろうって仮定して。雅顕は、彩子が憧れるぐらいイケメンなんだから、その妹も同じように美人なんだって想像して。雅顕が浮かべるような柔和な笑顔をその顔に貼り付けて……。すまん。想像力に限界が来た。ってかベースに雅顕を持ってきたせいで、それの女性形に「ニコッ」ってさせたら、想像力が破壊された。気持ちわり。
でも、それだけ帝のことを想い慕っているってことは想像できた。
「それからね、あまりに話が弾んじゃって楽しくなってきたから、折り紙をやったのよ」
「お、おう。折り紙」
「ほら、尾張にいた頃に、兄さまが教えてくれたじゃない。“ヒコーキ”とかいう折り方」
「お、おおう。教えたな。確かに」
折り方だけじゃない。どうやって折ったら遠くまで飛ばせるか。飛ばし方のコツもしっかり伝授した。
というか、どこをどうやったら恋バナが紙飛行機に繋がるんだ? 女子トーク、恐るべし。
「わたしが折った“ヒコーキ”、女御さまがいたくお気に召したみたいで。女御さまもお折りになって飛ばしたの。とても楽しんでいらしたわ。お声を上げて笑っていらしたもの」
「おおおう」
にょ、女御さまが。
雅顕ベースに想像する女御の顔で、楽しむ……、笑う……。想像力の天元突破。
どう返事したらいいのかわからん。
「でね。それを女御さまが、戻っていらした紀命婦に向けて飛ばしたの。飛ばした“ヒコーキ”の先がコツンって命婦さまに直撃したのよ。命婦さま、すっごい悲鳴を上げていらしたわ」
「おおう」
そりゃあ、驚くだろうな。
なんかわかんねえ変な物体が飛んできてぶつかったんだもん。悲鳴ですんだのは幸い。下手すりゃそのまま気絶ってのもありうる。
「命婦さまはすっごく怒っていらしたけど、女御さまはそれすらも笑っていらして。ああ、もちろんこのことは他言無用って、女御さまが命婦さまに命じてくださったわ」
口止めしてくれたのなら……まあ。それに紀命婦だって、自分がひっくり返りそうになった出来事を言いふらしたりしないだろう。恥になるし。
「それでね、女御さまって本当は楽しいことがお好きな、とってもよくお笑いになる方なんじゃないかって思ったの。ほら、尾張にもいたじゃない。千種って、すっごく引っ込み思案の女童」
「ああ、いたな。お前付きの女童だったよな」
彩子に付いていた千種。オレが知ってる千種は、彩子じゃなくて、こっちが姫なんじゃないかってぐらい静かで大人しい子だった。親父どのも、彩子が千種のように大人しかったらって何度か嘆いてた。彩子が都に上る際に退下して、里の男と所帯を持つとか言っていた。
「あの子もね、本当は、ものすっごく喋る子なのよ」
「へえ……」
それは知らなかった。
「ただ、喋りたいこと、言いたいことがいっぱいいっぱいありすぎて、それでどれから喋ったらいいかわかんなくなって、それで結局考えてたことの最後、尻尾ぐらいしか出てこないんだって言ってたの。瓶子にいっぱい入れた水を一気に注ごうとしたときみたいに、口のところでつっかえちゃうって嘆いてたの」
「面白いたとえだな」
「でね、もしかしたら女御さまも千種と同じなんじゃないかって思ったの。話したいこと、言いたいことはいっぱいあるけど、上手く言葉にできなくて、考えたことの尻尾しか言えなくなってるんじゃないかって」
だとしたら、オレに対面したときの「アナタが、尾張の。……そう」も、「……そう」の部分は、その尻尾だったってわけか? いっぱいいっぱい考えて、その末尾しかでなかっただけで、いろんなことを思っていた?
「女御さまってさ、とても整ったお顔立ちだから、つい黙っていると『怖い』って思っちゃうけど、本当は、すっごく初心で、愛らしくてお美しいのよ。それで思っちゃったの。このお優しくて美しいくて、とんでもなく不器用な方の恋の行方を見届けたいって。できることなら恋が叶うようにお手伝いして差し上げたいって」
「彩子……」
「女御さまの恋が上手くいうかどうかなんてわかんない。女御さまが願われても、帝はそうじゃないかもしれない。でも、出来ることなら最後まで見届けたいの。応援したいの」
だから、今はどこにも行かない。ここにとどまる。
彩子の意志の強そうな目が、オレを見る。
「……わかった。なら、オレもここにいるわ」
「ありがとう、兄さま」
「お前は一度言い出したら、絶対曲げないからな。仕方ないからつき合ってやるよ」
大きくため息を吐き出し、頭を掻く。
「ただし。絶対危険なことに首を突っ込むんじゃないぞ。何をするにしても、必ずオレに相談しろ。いいな? でないと、尾張の親父どのが心配のあまり生霊になって化けて出てくるからな」
「うん」
うれしそうに笑う彩子。
まったく。お目付け役も楽じゃねえや。