(一)
そして迎えた夜。
先日と同じ空き家に集合。
集合……なんっ、だけどっ!!
「なあ、なんでストレッチしてるんだよ」
隣に立つ晴継に問いかける。
「“すとれっち”とは?」
「お前のやってることだよ。尾張の言葉でそういうのを“ストレッチ”って言うんだ」
「なるほど」
納得しながらも、屈伸だの軽い跳躍だのをやめない晴継。ここに来てからずっとやっている。
「調伏には力、腕力が必要だからな」
は?
「呪力とか霊力じゃなく?」
「そういうのが必要なこともあろうが、そもそも怨霊だ死霊などというものはこの世に存在せぬ」
「え、そうなの?」
お化けなんてないさ、お化けなんて嘘さ。
「呪いだ怨霊などというものは、後ろ暗い事情を抱える者のみが見る幻影だ。見えるはずもなければ、何かをしでかすこともない」
本業にそう言われると、なんか安心するっていうのかなんていうのか。怖いの苦手な忠高に後でコッソリ教えてやろう。陰陽師がこんなこと言ってたぜって。
「稀にこの世に残る者もあるが……」
え? 稀にでも「いたり」するのか?
「そういう未練を残した者は、殴ってでも輪廻の輪に乗せてやろう。恨みだ呪いだと言う暇があるなら、トットと輪廻の輪に乗って生まれ直してこいと叱りつける」
体を動かしながらも、息を切らさず、淡々と話す晴継。話し終えると、握った拳にハーッと息を吹きかけた。
「結局は、殴るのかよ」
「それが一番手っ取り早い」
なんじゃそりゃ。
夜中迎えに来たりしたら、コイツに殴られ、輪に乗せられるのか。
「なあ、輪廻の輪って乗っかったほうがいいもんなのか? 乗ると良いことがあったりするのか?」
「知らぬ。乗る以前のことを覚えておらぬからな」
なるほど。まあ、普通はそうだよな。
「ってか、そういうお化け的なもんってホントにいるのか?」
「まったくおらぬのでは、そもそも陰陽師などという職が成り立たぬ」
な、なるほど。忠高に話すのは止めにしよう。そうしよう。
「よお、成海。準備はできたか?」
「史人か」
やけに明るい声とともに現れたのは、腰にいくつかの縄と石の分銅をぶら下げた史人。
「これ、すげえいい武器だな。遠くからでも敵を捕まえられる」
言いながら、史人が腰のそれを取り外す。縄の真ん中あたりを持って、軽く石をぶつけ、鳴らしてみせる。
「ほう。どれ」
晴継が興味深そうに手を出すと、史人が分銅を手渡した。
「投げるだけで敵をお縄にできるんだ」
何故か自慢げに史人が説明する。
「このまま殴りつけることもできそうだな」
石の片方を持って、ヒュンヒュンと縄を回し始めた晴継。――って、ちょっ、こんな狭い家の中で振り回すな!! あぶねえ!!
「作ったのはお主か?」
「ああ、まあ。尾張にはこういう武器があるんだよ」
ウソだけど。
「これで百鬼どもをとっ捕まえて、河原にいるアイツらが安心して暮らせるようにしてやるんだ」
アイツら? ああ、あの市にいた浮浪児たちか。今は、百鬼に怯えて暮らしているって言ってたもんな。
二カッと笑う史人。屈託のない、人好きのする笑顔だ。
「うむ。捕らえた百鬼どもは我が調伏してしんぜよう」
パンパンと、右の拳で左の手のひらを殴る晴継。調伏って……、“殴る”と同義なのかよ。
「なんか、変わったていうか、面白え陰陽師だな」
コソッと史人が言う。
武闘派陰陽師、晴継。
明法家なのに、座ってることが苦手な史人。
武士なのに、お化けが苦手な忠高。
女房なのに、たおやかさの欠片もない彩子。
オレのまわりって、なんでこう変わった奴ばっかりなんだろうな。こういう地位、立場、職務に就いてるならこうなんじゃないの?っていう常識をぶち破ってくる。
でもまあ、飽きないからいいや。面白すぎる。
「……そろそろだよ」
オレたちに雅顕が声をかける。
この場の総指揮官は一番身分の高い雅顕。
チリ~ン、チリ~ン……。
誰もいなかった六条大路に鈴の音が不気味に響く。
入り日の残照すらない暗い大路に浮かび上がる不気味な一行。
「では、手筈通りに」
その言葉に、緊張が走る。
忠高が連れてきた武士団。史人の仲間の検非違使たち。そして、陰陽師晴継、頭中将雅顕。おまけの六位蔵人のオレ。
ゴクリ。
鳴らした喉の音がやけに大きく聞こえた。
* * * *
すげえ。
すげえ、すげえ、すげえ、すげえ。
オレの頭ん中は「すげえ」で埋め尽くされる。
現れた百鬼夜行に先陣きって突進していったのは、なんと晴継。「オン、ナンタラカンタラ、ソワカ!!」とかではなく、物理ぶん殴り、蹴り飛ばし。
陰陽師に遅れてはならじと、続く武士団。晴継が殴ったことで、百鬼夜行が体ある者、つまりは、剣で倒せる相手だとわかったからか、武士団の気勢も上がる。
「捕らえよ!!」
雅顕の号令に、検非違使たちが「おう!!」と飛び出していく。
武士団に斬られ、怯え戸惑う百鬼夜行に検非違使が突進。
中には、ここを逃げ出そうとする百鬼もいるが――。
「おりゃあっ!!」
史人が分銅を振り回してはぶん投げ、百鬼たちを捕まえていく。
縛られてもまだ暴れる百鬼たち。
「恐れるな!! これは人魂ではない!! 斬り落とせ!!」
忠高が人魂に怯む武士を鼓舞し、率先して矢で灯籠を射落とす。
(やるなあ)
悲鳴、絶叫、怒号、罵声。
六条大路に土煙と、争う音が入り交じる。といってもほぼ一方的に攻撃を加えているだけで、百鬼のほうは、逃げ出そうとするか、捕まらないように暴れ、抵抗するだけだった。
「中将どの!! 進まれよ!!」
晴継が言う。あんだけ暴れ回ってるのに、息一つ乱れてない。
「行け、成海!! ここは任せろ!!」
史人が叫ぶ。こっちはかなり興奮気味。
「任せた!!」
それだけ言って、オレと雅顕、それと護衛に忠高と数人の武士が河原院へと突入する。
オレたちの目的は、百鬼夜行を倒すことじゃない。
百鬼夜行が守ろうとした河原院の中を捜査すること。
――百鬼が河原院を取り巻くように練り歩くのは、中に見られたくない、近寄られては困るものがあるから。
そう推論した。
百鬼夜行なんていうおどろおどろしいものを持ち出せば、誰も近寄らない。そう考えたのだろう。
――百鬼夜行が練り歩いた後には、河原院のなかから白い煙が上がる。
百鬼たちが誰も近づけたくなかった理由と煙は関連がある。
百鬼がマジの怨霊でないのなら、その煙も怪異じゃない。そう思って突進したんだけど。
「――ウッ!!」
目の前に広がる光景に、思わず袖で顔を隠す。
荒れ果て、うら寂れた河原院の庭。その庭に並ぶ、三つの壺。
そして、その手前に転がる流民らしいみすぼらしい男たち。
「これは……ヒドいな」
同じように袖で口元を隠した雅顕が言った。
転がる男たちは、ピクリとも動かない。死んでるからだ。
それも、もがき苦しんだ末に、苦悶の表情で転がっている。胸元を身に着けていた服を引き裂いてしまうほど掻きむしった死体。目を限界まで見開き、口から溢れた吐瀉物にまみれた死体。
どれも、安らかな死を迎えられなかった姿。
「ま、待て。近づく……な」
どうにか吐き気をこらえて、武士たちを制する。
漂う卵の腐ったような、硫黄の匂い。よくわからない刺激の強い、目がチカチカしてくる空気。
「できれば、風上に……立て。吸い込むな」
この匂い、空気。絶対良くないやつだ。
因果関係とか、見ただけじゃわかんねえけど、もしかしたら転がってる死体はこの匂い、空気にやられたのかもしれない。
(あの壺の中身が原因なのか?)
わからない。
けど、あの壺を中心に死体が転がってるのだから、そう見るのが妥当だろう。
庭に並ぶ三つの素焼きの壺。
周囲には白い鳥の羽が散らばる。
――この世に、鬼や魍魎などおらぬ。怨霊だ死霊などというものは、後ろ暗いところのある者が生み出す幻影にすぎぬ。
なあ、晴継さんよ。
アンタ、そう言ったよな。
稀に残ってる怨霊もいるかもだけど、基本、そういうのは幻だって。
けど、けどさ。
だとしたらさ。
あの壺から感じる異様なまでも禍々しさはなんだと思う?