(五)
「で? 兄さまはその場でひっくり返っちゃったわけ?」
彩子の呆れたような声に、身を小さくして座るオレ。「所在ない」ってのは、こういうのを指す言葉なんだろうなあ。
「情けない」を載せて吐き出された彩子のため息に、身がドンドン小さくなってく気がする。
「まあ、そう言わないでやってくれ彩子どの。あれは本当に恐ろしい怪異であった」
雅顕の助け舟。
「そこの検非違使のおかげだろう。彼が経を詠んでくれたおかげで、我々も助かったのだ」
雅顕の視線の先、庭先に立っているのは、史人。褒められ気恥ずかしいのか、照れて頭を掻いた。
いつもの承香殿の東の廂とその庭。
そこに集まったのは、百鬼夜行を見たオレたち。雅顕曰く「ここ以外、意見を交わす場所がないから。申し訳ないね、彩子どの。お邪魔するよ」 もちろん彩子は「いえ、お気になさらず♡」 お前、雅顕に頼まれて仕方なくってのもあるだろうけど、本心、百鬼夜行がどんなのだったか聞きたくて仕方ねえんだろ。だから、御簾内に隠れたりしないで、普通に出てきている。
そんな場に集ったのは、オレと彩子、雅顕、晴継、忠高、そして史人。オレと彩子、雅顕は板間に腰掛けるが、残りの三人は庭に立つ。ともに百鬼夜行を見た間柄であっても、殿上人とそうでない者の線引きはされる。正直、めんどくせえ。
「……あれは、怪異などではない」
それまでずっと黙していた陰陽師、晴継が言った。
「あれは人だ」
え?
「そうなのかい? 安倍どの」
場を代表したように雅顕が問いかける。
「この世に魑魅魍魎などおらぬ。ましてや怨霊など」
え? そうなの?
そっち系のことを生業にしてるヤツの言葉は説得力あるな。
「恨みを残して死んだ者が怨霊となるのであれば、この世は怨霊で溢れかえっておろう。神代から今日まで、どれほどの者が死んだと思っておるのだ」
いや、まあそうなんだけど。
「恨みつらみだなんだとぬかし、残っている者がおるのなら、輪廻の輪に乗るよう殴ってやろう。サッサと輪に乗り、生まれ変わって再びこの世を楽しみに来いとな」
殴って? そこは「キエーッ!!」とかそういう呪術的なもんじゃなくって、拳っていう物理なの?
「怨霊だ、祟りだと申すのは、その死者に対して後ろ暗いところがある者だけだ。怨霊はその心にあるやましさが生み出す。そういうものだ」
饒舌に持論を語った陰陽師。
まあ、一理あるよな。今までにどれだけの人が死んだと思ってるんだ。恨みを残して死んだ者が怨霊になるのなら、今頃世の中に怨霊は溢れまくって、生きてるこっちが窒息しそう。フワフワギュウギュウ飛び回ってひしめき合う怨霊。
――ってあれ?
「どうしたの、兄さま」
フワフワ飛び回る怨霊?
いや、足のない幽霊ってのは、のちの時代の絵師が描いたから出来上がったもので、それまでは怨霊にも足があるって思われてたわけだから、慣例に従った怨霊に足があってもおかしくないんだけど――。
「アイツら、影が……あっ……た」
おぼろげな記憶をたどる。
ボッロボロの牛車の周り、飛び交う不気味な炎。その炎に照らされた異形のヤツラ。お面や獣頭、そこから続く水干をまとった体……、地面へと伸びた足。その足元には、うっすらだけど影が出来上がっていた。
「ってことは、アイツら生きてんのか?」
誰かが百鬼夜行に扮してる? なんのため? なんのためにあんな不気味な呪言を唱え……。
「どんぐりころころどんぶり……こ?」
あの超不気味な呪言。低い声でものすごくゆっくり変な節回しで唱えるから呪言に聞こえたけど。
ドォングゥウリィ、コォロコォロォ、ド~ンブウゥゥリィィコォオォ~
どーんぐり ころころ どーんぶりこー
「……お池にハマってさあたいへん?」
ドジョウ、出てくるのか? あの呪言。
となると、あの百鬼夜行は、誰かのイタズラ? 宴の松原の人魂みたいに、誰かが仕掛けたやつ?
でも、そうなると、誰がそんなことを? 脅かし、怯えさせる理由は?
「なあ史人。あの百鬼夜行が出てくると、最終、どうなるんだっけ?」
「出てくると? あの屋敷を何周かグルグル回るんだ。そうして、最後は屋敷のなかから白い煙が上がる。闇夜でもハッキリわかる不気味な白い煙のような塊らしい。源左大臣の魂だとか言われてるけど」
「だから、死霊などおらぬというのに」
史人の言葉に憮然とする晴継。
白い煙。恐ろしい噂。姿。逃げ出す周囲の人々。
「――もしかしたら、もしかしたらだけど、その屋敷のなかで何かよからぬことが行われているのかもしれない」
* * * *
オレの推論はこうだ。
まず、あの河原院でよからぬことをしようとしている連中がいるとする。なぜそこを使おうとしたのか。もともといい噂のない河原院だ。人の目は少ない。
そこに、何をしようと企んでいるのか知らないが、目的のため、さらに人を寄せ付けないようにするため、百鬼夜行を行って周囲を怯えさせた。網代車も異形の随身も、ちょっとボロいのを集めたらいい。あとは、宴の松原の人魂みたいなのを大量に用意すれば完成。百鬼夜行のいっちょ出来上がり。肝試しの要領だ。
「あの時、すっげえ臭い匂いも漂ってきましたが、あれもその演出だと思います」
「ふむ。ではあの網代車に乗っていたのは曽祖父どのではないのだな」
「おそらくは。安倍どのの意見をお借りすればの話ですが」
怨霊などこの世におらぬ。それが前提だけど。
「でも、なんでそんなことをわざわざ?」
「おそらく、河原院のなかを誰にも詮索されたくなかったんだろうな」
「どうして?」
「そこまではオレにもわかんねえよ」
史人の問いに答える。
「けど、あそこまでするんだ。ロクなことじゃないことだけは確かだな」
「なるほど。では、確かめる必要があるな」
雅顕が言い出した。
相手が怨霊でも魑魅魍魎でもなければ恐れることはない。
武士でも検非違使でも率いて中に踏み込めば――。
「今宵も行くぞ、成海」
「え? なんでそこでオレなんですか?」
「お主が申したのであろう? あれは怨霊ではないと」
いや、そりゃ言いましたけどね? そっから先の捕り物は六位蔵人の管轄外でしょ。怨霊でなければ、忠高だって戦えるし、史人だって頑張るだろうから、それでいいじゃん。
「言い出したからにはその責を負わねばな」
うえっ!?
「そうよ、兄さま。今度こそ、ぶっ倒れたりしないで、ちゃんとお役に立ってきてよね」
うええっ!?
「でないと、わたしが代わりに行っちゃうわよ?」
うえええっ!?
「おや、勇ましいのだね彩子どのは」
なんて雅顕が感心したけど。
「それほどでもありませんわ」
彩子がポッと頬を赤らめたけど。
「すげえ。かっけえ」
史人が目を真ん丸にして、忠高が尊敬の目で彩子を見始めたけど。
「それはダメ!! 絶対ダメ!! 何が何でもダメ!! オレが行くから、彩子はここで留守番してろ!! いいな!!」
でないと、親父どのが泣いて泣いて泣きすぎて、涙の海に溺れてしまう。
* * * *
石を集める。
なるべく同じ重さの石を二つ。
承香殿の庭は草一つ余計なものが生えていないぐらいキレイにととのえられているけど、それでも端に行けば石ぐらい落ちている。
手のひらに収まる程度の大きさ。それでいて同じ重さの石となると、なかなか難しい。
あっちの石、こっちの石を拾っては、両手でそれぞれ持って近似値を探す。
「何してるの? 兄さま」
彩子が問う。
「夜の支度をしてるんだよ」
「夜?」
「百鬼を捕まえる武器を作るんだ」
「武器?」
今度は史人が首を傾げた。
雅顕の命で、百鬼夜行を捕えるのは、今日の夜と決められた。
忠高は雅顕ん家の武士団を連れてくる。雅顕は、検非違使別当のところに、放免たちを借り受けに行った。
晴継は「支度をしてくる」とだけ残して帰っていった。怨霊じゃないなら陰陽師は不要なのでは? という疑問に、「怨霊でないからぶん殴る準備をする」んだそうで。……ぶん殴る?
で、承香殿の東の廂に残ったのが、オレと彩子と史人。
史人は決行までやることがないのと、初めて入った内裏に興奮しているのか、そのままここに留まっていた。
「縄の両端にな、同じ重さの石を括り付けるんだよ」
縄の長さは扱い手の技量にもよるけど、オレが準備した縄は、広げた両手よりやや短いぐらいのもの。その両端に、拾った石をシッカリと括り付ける。
「でな、この縄の真ん中あたりを持って、こう、振り回して――」
ブンブンブンブン、ブッ――。
「飛んだ!!」
遠心力に任せて飛んでいく縄と石。
ガッ。
「あ、あれ?」
標的にした木にバシーンッ!!と当たるものの……。
「巻き付かねえ……」
木にぶつかって、ボトッと落ちたそれ。
「巻き付くもんなのか?」
「あ、ああ。本当なら、木にグルグルって巻き付く、そうなるはずなんだけど」
ガックリしながら拾いに行く。キレイに飛んだから、重さは均等に出来たはずなんだけど。
オレが投げたのは、投擲。分銅鎖。微塵……みたいなもの。
シッカリ振り回したことで生まれた遠心力と錘の重さで縄が広がった状態で回転しながら飛んでいき、標的にぶつかると、そのまま足とかそういうのに絡みつく武器。もちろん、錘の部分が敵にぶつかって攻撃を加えるのもアリ。そういう捕縛道具……なんだけど。
錘の重さ、均等じゃないのかな?
「ちょっと貸してみろよ」
持ち上げ、重さを吟味してたそれを、言われるままに史人に渡す。
「こんなかんじか?」
史人が、ブンブンと頭上で振り回し、投げ飛ばす。
バシーンッ。グルグルグル……。
「あ、あれ?」
「なんだ、キレイに絡まるじゃねえか」
松の根本にグルグルッと巻き付いたそれ。
「ねえ、次はわたしに投げさせて」
巻き取って戻ってきた史人から、彩子が受け取る。
いや、いくらなんでも彩子にはむ――。
「えーいっ!!」
バシーンッ。グルグルグル……。
「やたっ!! 成功!!」
うれしそうな彩子。史人が「おおー」っと感嘆の声を上げる。
「じゃあ、オレももう一回」
二人が成功したのに、オレだけ失敗って割に合わ――。
ビターン。ズルズルズル……。
「あ、あれ?」
「兄さま、下手くそ」
木の根元に転がったそれに、彩子がため息をついた。
「やっぱ今日の夜、こっちの子に来てもらったほうが良かったんじゃね?」
史人の言葉がドスッとオレに刺さる。
二人にできて、オレに出来ないってことは、武器のデキが悪いのではなく、悪いのはオレの腕?
「昔っから兄さまって、こういう武芸みたいなこと不得意なのよねえ」
「うるさい。オレは頭脳労働専門なの」
こうやって武器を考えることは出来ても、それを扱うのは管轄外。
「じゃあ、兄さま、もっと武器っぽいの作ってよ」
「え?」
「これから荒事になるんでしょ? だったら武器があったら安心じゃない」
「いやまあそうなんだけど……」
だからって、彩子に「武器を作れ」って言われるのも……。
「ほら、兄さまが書いてくれた本にもあったじゃない。捕り物するときに持ってるヤツ。『御用だ、御用だ』って乗り込む時に持つアレよ、アレ」
「十手か」
「そう、それ!!」
彩子が手を叩いて目を輝かせる。
「捕り物にはアレは必携じゃないの?」
御用だ、御用だ!! 神妙にお縄につけーい?
「ダメ。あれは作らない」
あれはあくまで物語の中でのもの。
「なんで?」
「あのな。あれは刀を持つことの許されない身分の者が使うもんなの」
「そうなの?」
「そうなの」
十手はその形状から、突く、打つなどの攻撃、短棒術の武具として使うことが出来る。関節などを打つ、敵の攻撃を薙ぎ払うなども行える。色々な手、方法で使えるので“十手”。
「相手の刀から身を守ることも出来るけどさ。その場合、持ち手近くの鈎で刀を受け止めるんだぜ? 失敗したら、こっちのお手々がスッパリだ」
十手を持つ手のギリギリに迫る刀身。受け止めたとしてもかなりの冷や汗もの。受け止めた衝撃で、十手が壊れたら……。十手ごとお手々真っ二つ。ギャアア。
「それに決行は今日の夜なんだから、今から鍛冶師に頼んでも間に合わねえよ」
間に合ったとしても、こっちの十手を扱う技量が間に合わない。
「じゃあ、手裏剣は? それかクナイ」
「どっちも同じ。ってかなんで彩子がやる気満々なんだよ」
「だって、面白そうなんだもん」
「面白そうって……、お前なあ」
遊びに行くんじゃねえんだぞ?
「なあ、やっぱそこの姉ちゃんに来てもらったほうが良かったんじゃね?」
史人が素直な感想を吐いた。
「そうだよなあ。彩子って、性別間違えて生まれたよなあ」
オレより行動的。オレより武闘派。
「ヒドい兄さま!!」
「あだっ!!」
ブンッと唸りを上げて飛んできた扇がオレの額に命中。
「おおー」
史人、拍手。
彩子、扇を武器にして投げていいのは、将軍様だけ……だぞ。
投げられたオレは悪代官……なのか?