(四)
夕刻。
オレと雅顕を乗せた牛車が、六条大路にたどり着く。牛車。まるで咎人運びの護送車のよう。
「あれ? 成海じゃん」
「史人か」
その六条大路にある簡素な家の前で、オレたちを待っていたのは史人だった。
「なんだ、知り合いか?」
「ええ、まあ」
「河原院のこと、一番詳しい者をと別当どのに頼んでおいたのだが。知り合いなら心安かろう」
よかったな。
そう雅顕は言うけど。
全然“心安く”ねえよぉぉぉっ。
史人だから心配とか不安……とかじゃない。
ここに漂う空気っていうか、雰囲気がすでに心ザワザワ。
普通、この時刻なら、家路を急ぐ人で通りはせわしなくごった返しているはずなのに、人? そんなのオレたちしかおりませんけど? 状態。
そこに、どっかの屋根の上からカラスの「カァ」。マジでなんか出そうな雰囲気。
「こちらへ」
警固としてついてきた忠高。すでに手配してあったんだろう。彼が案内したのは、六条大路にある簡素な空き家。
河原院は、その大路を挟んだ反対側にある。「お向かいさん」というと、なんか微笑ましいが、相手は元左大臣宅。東は鴨川沿いから始まって、西は萬里小路、北は六条坊門小路までという、とんでもなく広大な敷地をお持ち。邸宅を囲う築地は延々と続く。メッチャ豪邸。この空き家が何軒、いや何十軒入るんだろうってぐらいデカい。
この家の人達は夜な夜な現れる百鬼夜行を恐れて、親戚の家に身を寄せているらしい。この家だけじゃない。河原院の周りに暮らす人々は、すでにここを逃げ出している。
まあ、そうだよなあ。
ここで「どれどれ、見てみよう」なんて酔狂なことを考えるのは、雅顕と彩子ぐらいだろうなあ。
こういう空き家に忍び込んでく盗人とか、浮浪者もなかにはいるのかもしれないが、ソイツらだって、毎夜現れるという百鬼夜行には怯えている。
チリ~ン、チリ~ンと鳴らされる鈴。地の底から湧き上がってくるような、おどろおどろしい呪言。異形の者たち。その周りを飛び交う青や緑の炎。
「それで、ソイツらが河原院の周囲を歩き始めると、中から怪しげな音と煙が上がるんです」
そう説明するのは、史人。
オレたちよりずっと身分上、先の関白の息子である雅顕の手前、史人は神妙な面持ちで真面目に語り続けている。
自分が知っていることを誰かに話せるのがうれしいのか、さっきから、その状況を身振り手振りつきで説明してくれてるんだけど――。だからって、その蝋燭を前に低い声で語るのやめろ。頼むから、話し終えても蝋燭の火を吹き消すなよ?
薄暗い家の中、そのやんちゃそうな顔に、下から蝋燭の光が当たって、深い陰影がこさえられると――不気味。
「それで? 夜行が現れるのは、いつのことなのだ?」
冷静に問いかけたのは、検非違使の隣に敷いた円座に腰をおろした陰陽師。空き家のなかでオレたちを待っていた、雅顕が調達した人物。安倍晴継という。見た目、オレと近い年齢みたいだが、怯えた顔ひとつしない。淡々と質問するだけ。さすが本業。
「えっと……、ほぼ毎日、戌の刻だ。その時刻になると必ず現れる」
え? そんな夜更け早々?
水無月、六月の戌の刻っていったら、日没から一刻も経ってない。
日没あたりのことを「逢魔が時」とも言うけど、そんな早くからご出勤してたわけか?
「ふむ。なるほど」
陰陽師が顎に手を当て思案する。
「古来、水無月の百鬼夜行は巳の日に現れると聞く。それも、夜がかなり更けた子の刻。戌の刻では道理に合わぬ」
そうなの? 百鬼夜行って、そんな定刻出勤なの?
百鬼夜行。
真夜中に、妖怪、鬼などが行列を作って歩いているという怪談話。
大勢で火を灯し、音を立てて群れをなして歩いてくる。これに出くわすと命を取られるとか、お経を縫い込んだ服を着ていた、あるいは呪文、経を唱えて難を逃れたとか。
現れる日にちや場所もある程度決まってたり、決まってなかったり。身分ある方はその行列に気づきやすく、牛飼い童などは気づかないこともあるとかないとか。
「おや。来たようだね」
通りに面して設けられた小さな蔀戸。それを薄く開けて外を眺めていた雅顕が言った。
チリ~ン。チリ~ン。
風に乗って鈴の音が暗い大路に響く。心なしか、生温かい風も吹いてきた(ような)。
「来たか」
家にいた全員に緊張が走る。
頭中将、雅顕。滝口の武士、忠高。陰陽師、晴継。検非違使、史人。そして俺、六位蔵人、成海。
相手に見つからないように、史人が手にした蝋燭の火をフッと吹き消した。同時に家の中が一気に闇に染まる。
ギャアア、ヤメロ!! やめてくれえっ!!
こんなの百物語まんまじゃねえかあぁっ!!
それだけで背中ゾワゾワ、ピリピリする。
チリ~ン、チリ~ン……。
生温かい風に乗って響く鈴の音。百鬼夜行の一行だ。
暗い、月明かりがかすかに届くだけの世界を、ゆっくりのったりと列を組んで歩いていく。
ドォングゥウリィ、コォロコォロォ、ド~ンブウゥゥリィィコォオォ~
抑揚のあるようなないような、よくわからない呪言。
「聞いたことない呪いだな」
声をひそめ、晴継が言った。
小さな蔀戸を薄く開け、その行列を観察する。
闇にフワリフワリと漂う、青や緑の炎。紫や赤なんて炎もある。それが明滅したり、浮かび上がったり。
炎を従えた行列は、人型の二足歩行ではあるものの、獣のような毛むくじゃらだったり、顔によくわからない模様の書かれたお面みたいなのをつけていたり。
とにかく不気味。
そして何より気持ち悪いのが――。
ギイッ、ガタリ。ゴトン、ギギィ……ッ。
錆びた鉄をこすったような音。妖という随身を従え現れた網代車っぽいやつ。中から真っ白な光が漏れてて、それが全体を浮かび上がらせるんだけど、中からシュウシュウと蛇の出すような気持ち悪い音がする。
サッサと歩いてってくれぇと思うんだけど、その動きはとっても緩慢で、ギギッ、ゴトンっと車軸をきしませるだけで遅々として進まない。
「あれが、河原院の周りを夜が明けるまで回り続けるんだ」
史人が説明した。
「ふむ。なるほど」
蔀戸の隙間から観察しているのは、雅顕、晴継、そして頑張ってるオレ。忠高は、その隣、背を壁に預けて外の気配を探ってる――ようにみえて、コイツ、絶対外を見ようとしない。
説明をし終えた史人は、懐から出したお経を握りしめて、少しだけ奥に引っ込んだ。
その上……。
「ナウボバギャバテイ、タレイロキャ……えっと、ハラチビシシュダヤ、ボウ……ボウ……」
「ボウダヤ、バギャテイ、だ」
「そだ。ボウタヤ、バギャテイ。タニャタ、オン、ビシュ……ビシュ……ダヤ、えっと……」
「ビシュダヤ、ビシュダヤ、サマサマサマンタ、ババシャソハラン、ダギャガナウ、サハバンバ、ビシュデイ」
あやふやな史人の経を淡々と晴継が補う。「尊勝仏頂仏母陀羅尼」とかいうありがたいお経で、これさえ唱えていれば、百鬼夜行に遭っても難を逃れるらしいけど。
その効果、たどたどしすぎて、かなり不明。
ってか、史人お前、百鬼夜行を捕まえるんじゃなかったのかよ。百鬼のかわりに御札を握りしめて何やってんだよ――とは言わない。言いたいけど言わない。
そんなこと言って「じゃあ、俺が召し捕ってやるから、ここまで追い立ててくれ」みたいなトンチで返されたら困るし。お経を唱えたくなる気持ちは充分共感できるし。オレだって出来ることなら回れ右で逃げ出したい。
ドォングゥウリィ、コォロコォロォ、ド~ンブウゥゥリィィコォオォ~
チリ~ン、チリ~ン。
ギイッ、ガタリ。ゴトン、ギギィ……ッ。
音。光。匂い。姿。
味覚以外の五感すべてで、無理やり恐怖を味合わされてるような感覚。いや、味覚も恐怖から口腔をおかしな味にされたせいで、クッソ苦く感じられる。唾を飲み込みたくても、舌が喉の奥に貼り付いて上手くいかない。超怖え。
その上。
「ソォコォニィオルハ、ダァレジャァ~~」
地の底から響くようなしわがれた声。ピタリと立ち止まった行列。いっせいにこちらを見た百鬼がニタァッと笑う。お面や獣の顔で笑ったかどうかなんてわかんないはずなのに、オレの頭は「笑った」と認識した。
ダメだ、これ。怖い。怖すぎる……。