(五)
“誰がコマドリ殺したの? 「それは私」とスズメが言った――”
麗景殿の女御が他殺であったのなら、「それは私」と言ったスズメは誰なのか。
噂通りであるなら、スズメは承香殿の女御となる。承香殿の女御がスズメなら、殺されたコマドリ、麗景殿の女御を愛していた帝が承香殿の女御を愛するはずがない。それこそ噂通りに承香殿の女御を嫌うだろう。腹の子まで殺されているのだから、激しく憎んでいるかもしれない。そこに愛情が生まれるわけがない。
じゃあ、最初っから帝は承香殿の女御を愛しておられたのか? 麗景殿の女御の死はあくまで自然死。承香殿を愛しながら麗景殿にも通って、先にあっちに子がデキただけ? そしてその子と母親が亡くなっただけのこと?
それならそれで、普通に承香殿と愛し合っていてもいいんじゃね? 麗景殿が亡くなってすぐにそういうこと――はさすがに不謹慎かもしれないけどさ、あれから五年は経ってるんだし。麗景殿の妹藤壷が入内してくるまでになってるんだから、今、相思相愛溺愛中でも問題ないじゃん。
関白の権勢への対抗馬なら雅顕がいる。遠慮することも、隠す必要もゼロってことだ。
だったら何故?
「あー、だーっ!!」
こんがらがった頭を掻きむしる。
オレ、こういうの考えるの苦手!! 苦手なんだよ!! 頭んなか、ゴチャゴチャしてくる!!
「これ、尾張!! 尾張の!!」
なんだよ、うっさいな……って、あ、おじゃる麻呂。
「主上の更衣の勤め、今日はお主の番じゃぞ?」
「え、あ……」
うっかりしてた。
「まったく。しっかりせい」
「ほれ」と、衣の入った蒔絵の箱を持たされる。衣はすべて、当たり前だけど絹!! そして何かしらの刺繍つき。うーん、豪華。そして重い。
帝はこの世の最高位におられる方だから、基本、自分のことも自分ではやらない。
着替え、給仕、身だしなみの手入れ。すべて誰かが奉仕する。
その点は、女御も一緒。彩子の、女房の仕事も、女御のそばに座ってることではなく、こういった身の回りのお世話が主体。
これ以外にも、主が筆を持つなら、墨をすったり紙を選びやすく用意したり、衣に薫物をくゆらせたり。時には、「香炉峰の雪、いかならん」って言われたらススッと御簾を上げてみせたりする機転、知恵も必要。
「失礼仕る」
おじゃる麻呂に続きオレも御簾内に入る。
そこに立っていたのは、朝議から戻ったばかりの帝。一礼して帝に近づくと、その衣をおじゃる麻呂が脱がせていく。
平緒、袍、下襲、表袴、大口袴、衵……ってええーい、多いな。下襲は後ろがズルズル長いし。おじゃる麻呂が剥いだそれを受け取っていくんだけど、形が複雑な上に絹だから重いし、多いしかなり面倒。
ほとんどを剥き終えたら、今度はオレが持ってきたもので着せ替え。単に指貫、狩衣姿。これが帝の普段着。これで頭に立鳥帽子を被れば着替え完了。
これがもっとくだけた、例えば就寝前となると、単に袿を羽織っただけという、女性の長袴を脱いだのと同じ格好になる。
「――尾張、どうした?」
一瞬、緒を結ぶオレの手が止まっていたらしい。不審に思った帝が声をかけてきた。
「あ、いえ。申し訳ありません」
さすがに。さすがに言えない。
――アンタ、誰が好きなのさ?
なんて訊けるわけがない。そんなことしたら、おじゃる麻呂に後頭部引っつかまれて、床に額を叩きつけられる。こうしておそばで仕えされてもらってるけど、その身分は半端なく隔たっている。
――吾が小衣、紐解くは誰。
緒を結んでいたからだろうか。なんとなくそんな言葉が浮かび上がる。オレの衣の紐を解かせる貴女は誰? 衣の紐を解いて、そういうことをする相手は誰?
「尾張だけだぞ? 余の紐を解くのは」
へ? み、帝?
「想い人に贈る歌でも考えておったのか?」
え? へ? は?
ってか、オレ、口にして喋ってましたか?
驚くオレ。笑う帝。そして苦虫を十匹ぐらい噛み潰した顔のおじゃる麻呂。あ、これお小言一刻以上案件だわ。メッチャ嫌味とお叱りくらうやつ。
「余が紐解いたのは、そなたたちの前だけだ。他の誰の前でも解いたことないわ」
え、いや、ちょっと。そんな彩子が聞いたら喜びそうな男色案件に、オレを巻き込まないでくださいよ。
カラカラと笑い去ってゆく帝、御簾の外で聞いていたんだろう。控えていた五位蔵人の方々が笑いだし寸前の顔をしていた。
「お~わ~り~のぉおぉ~」
そんな帝を見送ったオレの背中に不穏な空気が押し寄せる。あ、おじゃる麻呂から怒りの蜃気楼、湯気が揺らめいてら。
「お主、主上の御前であのようなことを!!」
最近のお主はたるんでおる。フラフラしてきたかと思えばあのような失言。主上は笑ってくださったから良いものの。尾張の者は、恥じらいというものがないのか。
おじゃる麻呂の説教。
うんうん。わかってるからさ、自分でもヤベえって思ったからさ。一刻は我慢できそうにないから、早送りしてもらいたいけど、ダメか? 下げてる頭、首が痛いんだけど。
「『吾が小衣、紐解くは誰』なぞ、直接的すぎるでおじゃる。雅さの欠片もないでおじゃる」
説教はなぜか和歌の添削になった。多分、叱る材料が尽きたんだと思う。けど。
(それ、和歌でもなんでもねえから)
心の内でツッコむ。
なんか和歌の下句っぽいけど、そうじゃないし。たまたまの七、七調なだけだし。
だってオレ、そんな下紐解いてパコパコする相手なんていねえし。
彩子の言うような、「パコパコバコバコ」する相手。「下紐を解く」だけで雅さがないと叱られるのなら、「パコパコ」はどうなるんだろ。おじゃる麻呂、泡拭いて卒倒しそうだな。
……って、あれ?
“余が紐解いたのは、そなたたちの前だけだ。他の誰の前でも解いたことないわ”
笑いながら帝が言ってた台詞。
誰の前でも解いたことない?
ってことは、誰とも「パコパコ」したことない?
いやでも、麗景殿の女御はご懐妊なさってたわけで。……って、あれ?
処女懐胎? いやバカな。
ただの、帝がオレをからかって言っただけ? ん?
「……おい。聞いておるのか、尾張の!!」
あー、もううるさい。人がせっかく真面目に考えようとしてるのに。
てめえのその麻呂眉、押したら早送りとか一時停止なったりしないかな。ホント、ウザい。