(三)
「それより。お前、わざわざ呼び出して、なんか話があったんだろ?」
忠高が用意してくれた、水に浸した布を額にあてる。瓜激突の額にそれはとても気持ちいい。たんこぶ、出来てないといいんだけど。
今回の承香殿訪問は、こっちがご機嫌伺いに赴いたのではなく、彩子から「来て欲しい」と頼まれてのもの。だから、やっつけ仕事的に瓜しか持ってこれなかった。市で瓜売りが、瓜売りに出て瓜売れず、瓜売りながら帰る瓜売りがかわいそうで、瓜一つ買い求めたもの。(早口言葉かな?)
あまり冷えてない瓜だけど、切り分けようとしたら、「それがしが」と忠高が小刀片手に瓜を持ってった。あ、オレを見習うってのは、そういうこともしてくれるわけね。ほったかされて、投げられても、つき従って尽くしてくれるアレみたいに。至れり尽くせり。
「あのね、兄さま。わたし、わかっちゃったかもしれないのよ」
「なにが?」
「帝と女御さまのこと!!」
え?
一瞬、誰かに聞かれてないか心配になったけど、ここにいるのは彩子とオレと、あと忠高。まあ、この三人なら聞かれても問題ないか。忠高って、いかにも武士って感じで口硬そうだし。というか貴人の警固にあたるのが武士なんだから、そこでどんな話を聞いても守秘義務を遵守出来なければ武士として採用されない。その武力だけでなく、口の硬さも武士の必要案件。
「女御さまってさ、いっつも黙って座っていらっしゃるんだけどさ、どうしてなんでそう座ってるのか、わかっちゃったのよね~」
「もったいぶってないで、ちゃんと話せよ」
フフンと鼻を鳴らした彩子に抗議。
「いい? 兄さま。女御さまはずっと南向いて座ってるの。向かって右にわたし、左に紀命婦さまを座らせてね」
紀命婦は、もともと先の関白家で女御にお仕えしていた乳母だったのだけど、女御入内にあたり、そのまま付いてきた忠義者のおばさん。女御にしてみれば、小さい頃からそばにいてくれるお母さん的存在。
「ちょっと……珍しいな」
女御さまと対面した時、その右手にいる席の者は、左手の者より格上ということになる。
座席というのは、基本、左側が上座。
だから、左に紀命婦、右に彩子なのは正しいようにも思えるけど、それは“女御に対面した人から見た図”。
こういうのは、場で一番偉い人からの見方が基準になるので、女御さまから見て左側、つまり、向かい合ったこちらから見たら右が上座ということになる。こちらから見れば“右側”でも、女御さまから見たら“左側”。ちょっとややこしい。
そして、その上座、女御の左手側に彩子が座って、右手側に紀命婦が座っている。
紀命婦は夫が紀伊の“介”。尾張と紀伊はともに上国で差はないけど、オレたちの親父どのは尾張国の“守”。守、介、掾、目という四等官に照らし合わせたら、オレたちの親父どののほうが上。
そういう背景にある身分から新米の彩子を上座に座らせたのか? でも、普通の女房と命婦では命婦のほうが上だし。勤める年季を考えたら、紀命婦が上座に座ってるほうが違和感ない。
「でね。なんていうのかさ、いっつも紀命婦さまの方を見て座っていらっしゃるのよ」
「新参者のお前なんか見たくないって意思表示なんじゃないのか?」
「兄さま、ケンカ売ってる? 買うわよ?」
「すまん」
買わないで。
とっさに腕で頭を防御。二度目の瓜はくらいたくない。
そばで瓜を剥く忠高の速度が上がった。一口大に切り分ければ、瓜も投げられまい。
まあ、彩子の顔なんか見たくないっていうのなら、そもそも彩子をそばに侍らせなきゃいいだけで。
女御さま付きの女房であっても四六時中そばに侍らなきゃいけない理由はない。今だって、こうして自由に離れてきている。
だとしたら、彩子の方に顔を向けない理由は……。
「――脇息をご自身の左側に置くからじゃないのか?」
「え? 脇息? そういえば脇息って……、あ!! 言われてみれば、脇息はいつも左側においていらっしゃるわ!! でも、兄さま、そんなの、よくわかったわね」
キョトンから、思案。そして発見、驚き。彩子の表情がコロコロ変わった。
「脇息を自分のどちら側に置くかは、その時の気分次第かもしれないが、右手で扇を持つなどする場合、体の左側に脇息を置くことが多いだろ。もたれている側の手は使いにくい。右利きなら自然と左側に脇息を置く。利き手を自由に扱うために左に脇息を置くってぐらいの推測はつくさ」
そして左により掛かるように座ると、自然と体は左に崩れ、均衡を保つために視線というか、頭は右を向く。だから、自分の右側、紀命婦の側を見るのは、左にある脇息にもたれたせいだとの推測なんだけど。
「あーでも、女御さま、左で扇を持たれるわよ? 筆もお箸も左で持たれるし」
「え?」
利き手を脇息で不自由にしてるってことか?
ってなると、ますます「彩子の顔なんて見たくない説」が有力になってくるんだけど?
「それでね、脇息の右左かどうかは知らないけど、女御さまって、紀命婦さまがいてもいなくても、ジッとそっちを見ていらっしゃるのよ」
ってことは「彩子の顔なんか見たくない説」確定か?
「でさ、なんでそっちばっかり見てるんだろってわたし、考えたのよ」
ほうほう。
「ねえ、兄さま。承香殿の南西には何があると思う?」
承香殿の南西?
南は仁寿殿、内宴、相撲、蹴鞠などの催し物を執り行う場所。西は滝口所で忠高のような武士の詰め所。その二つの間、斜めに向かうと――。
「……清涼殿、か」
「そう!! そうなのよ!! 帝のおわす清涼殿!! 女御さまの視線の先って、紀命婦じゃなくって、その先にある清涼殿に行き着くのよ!!」
ってことは女御さまはずっと清涼殿を見ているってことか? 帝のいる方向を?
「でね、あの和歌の謎なんだけど。もしかして、もしかしたら女御さまと帝って、相当想い合ってるじゃないかって思ったのよ」
「いやいや、想い合ってるのなら普通に帝がこちらにお渡りになるはずだろ?」
なんかときめきウットリし始めた彩子の思考に水を差す。
帝がここに来ちゃいけない理由なんてないんだし。
そりゃあ、今関白に遠慮して子作りできないってのなら多少はわかるけど。でもそれなら、雅顕の身分を関白に対抗できるぐらい昇格させて、懐妊した女御の後ろ盾にすればいいわけだし。そうすりゃ雅顕の、左大臣家の失地回復にもなるわけで。藤壷の女御は、彩子と同い年の姫だから、さきに年配のこっちで子供ができちゃいましたホホホのホで問題解決。
「って考えたらさ、普通に体の向き的にそっちを見ていただけなんじゃねえの?」
それか、彩子の顔なんか見たくない説。
「やっぱまだまだだな、お前の推理は」
ちょうど忠高が剥き終えた瓜を器に載せたので、それを一切れ口にする。
よく冷やしてないので、温くて甘い瓜。彩子の説と同じ。
「んもう!! 兄さまのイジワル」
彩子も瓜を口にする。
「そんな切ない系恋愛小説みたいなこと、あるわけないだろ」
笑い、もう一切れ瓜を手にする。――が。
「いや待て、待てよ」
「兄さま?」
首を傾げる彩子を放置。
女御が清涼殿を見つめていた?
なら、帝は何を見ていた?
かつて、オレが雅顕に従ってここから帰っていった時、帝は清涼殿の東の廂まで出てきていた。暑いから、気分転換に廂まで出てきて風にでもあたってる、庭でも眺めているのかと思ったけど――。
「なあ、彩子。女御さまの薫物はなんだ?」
この季節、多く好まれるのは「荷葉」だけど。
「女御さまの薫物? 女御さまは花の香りを好まれるわ。薫物はあまりお好きじゃないらしいの」
「じゃあ、この季節の香りは?」
夏の花。香る草花の一番多い季節だが。
「……? 橘だけど?」
五月まつ 花橘の 香を嗅げば――。
「彩子、その推理、当たってるかもしれねえ」