(一)
さてさて。
彩子のご機嫌を取るにはどうしたものか。
文机に頬杖ついて、持った筆をフニフニ動かしながら考える。
また瓜か桃でも持っていくか? それとも早物の柑子、ああ、枇杷も悪くないな。それか葡萄を取り寄せるか? でも葡萄はなあ。甲斐国からのお取り寄せになるから、ちょっと遠いんだよなあ。持ってくる間に傷む可能性もあるしなあ。
いっそのこと傷むことのない布とかにするか? 桜色とか紅梅色とかアイツに似合いそうだけど、「季節が違う!!」って怒られそうだしなあ。似合うのならいつの季節に何を着てもいいような気がするけど、それだと「風雅のわからない朴念仁!!」って叱られるし。薫物もそうなんだよなあ。組み合わせ、配分によってはさ、「臭っ!!」って思ったりするんだけど、「そこが風雅ってものなの!!」って言われるし。アイツだってその匂いのすごさに、エッホエホむせてるってのにさ。
「――わり。尾張。尾張の!!」
なんだよ、人が考え事してる時に、うっさ……うわっ!!
「ご、極臈どの……」
目の前に現れた真っ白ノッペリ顔に驚くオレ。再び。
フンスと鼻を鳴らして、背を反らせる極臈。
不満が鼻息だけでなく、全身から漏れい出てる。すっげえ偉そうな態度。
前にもこんなことがあったな。
「『極臈どの』ではないわ。お主、頼んだ仕事は終わっておるでおじゃ――るのか、なんじゃ」
ペラッとそのノッペリ顔の前に、「ンッ」と出来上がってる奏上書を突きつけてやる。ほら、これで文句ねえだろ。
「出来上がっておるなら、早く言わぬでおじゃるか」
結局文句は言うのかよ。
まあ、最後の抵抗、虚勢っぽい文句だけどさ。
「それより、仕事が終わっておるのなら、表に出るでおじゃる」
なんで?
「お主に会いたいと申す者が待っておるのじゃ」
「は? オレに?」
それまで向けることのなかった視線を、初めておじゃる麻呂に向けた。
* * * *
「忙しい所、お呼びだていたし申し訳ない」
直角カックーンな頭の下げ方。ピシッと伸びた背筋のまま、腰で折り曲げた姿。
待っていたのは、あの宴の松原で一緒になった武士、源 忠高だった。
それも、このクソ暑いなか、日陰なんかで涼みながら立つのではなく、オレが出てくるまで、その階の前で直立不動。からの最敬礼。……軍人かな?
「いや、いいけど」
その硬すぎる挨拶に、どう対処したらいいかわからなくって、頭を掻く。こういう相手に「うむ」とか言って鷹揚に構えられるような性分じゃないんだよな、オレ。一度ぐらい「大儀である」とか言ってみたいけど、たぶん、そういう場にあっても、「あ、ども」ってペコペコしそう。
「で、話ってなに?」
階は日差しがガンガン当たって暑いので、さりげなく、そこからつづく縁の簀子に誘導。そこに腰掛け、相手も座るように促すけど――拒否。地面に片膝ついて跪いちゃったよ。
「蔵人どのに、恥を忍んでお願いしたきぎがござる」
ぎ? あ、「儀」か。お願いしたいことって意味ね。
あまり滅多に使わない古臭い言い方だから、変換に少し時間がかかったわ。
「あの宴の松原で蔵人どのが見せた豪胆さ。立ち向かう胆力。人魂を人の仕業と見抜く知力。武士として倣うべきと思い、こうして参上つかまつった」
そ、そうでござったか。ってか胆力?
「いや、オレ、そこまで立派なヤツじゃねえけど」
見抜けたのはまあ、たまたまだし? 本音を言ってしまえば、けっこうビビってたし?
「どっちかって言うと、あれを射落とすことのできた、アンタのほうがスゴイと思うけど?」
暗闇でフヨフヨ飛んでるだけだったとしても、ヒョウフッと弓を射て撃ち落とすことのできる腕は流石だと思うぜ?
多分、オレなら射たところで、松の木に当たったりとか大外れをかますだけだもん。
「弓や刀などは、日頃から鍛錬していればなんとかなるもの。されど、生まれ持った胆力などは、鍛えてもどうにも身につきませぬ」
いやあ、そんなことない。そんなことないぞ。
オレ、親父どのに引き取られてから、日頃鍛錬させられたけど、サッパリ全く身につかなくって、なんとかなんてならなかったもん。蔵人って、いざとなれば帝をお守りすることもある立場だけど、オレ武芸はヘッポコだから、多分盾ぐらいの使い道しかないと思う。
だから、素直に一射であれを射落としたコイツのほうがスゴイって思うんだけどなあ。
「中将どのと棟梁からは許しを得ております。ですので、どうかおそばに侍らせていただき、ぜひその胆力を身につける技を会得させていただけたらと、こちらに参りました次第」
「え? 中将どのに許可もらったの?」
あの雅顕に?
「はい。同じ摂関家に仕えるもの同士、切磋琢磨することは良いことだと」
雅顕め~~っ!!
何勝手に許可出してんだよ!! いやそりゃあさ、滝口の武士って、それぞれの家の武士団から弓箭に優れた者を出仕させてるんだから、オレとコイツは似たような立場、アイツの家の被雇用者なんだけどさ。だからって、切磋琢磨ってなんだよ。お前、面倒くさいからこっちに丸投げしたんじゃねえよな?
「主上の御身を守り参らせるためにも、ぜひ、ご教示いただきたく」
「あー、わかった、わかった」
だからその尊敬語か謙譲語か、わけわかんねえ喋りやめろ。
「ちょっと耳貸せ。秘訣は大声で言いにくい」
忠高を手招き。一瞬ためらったものの、忠高がオレの近くに耳を寄せる。そこに軽く丸めた手を当てて秘密のお話し。
「いいか。胆力の秘訣はだな――フッ」
「ななな、くっ、蔵人どのっ!?」
息を吹きかけられた耳を押さえ、飛び退る忠高。汗ダラダラの目を白黒。
「ハハハッ!!」
あーおもしれえ。イタズラ成功!!
「強くなる秘訣なんてあったら、オレが知りてえよ」
たまたまそういう知識を持っていただけのことだし。弓引くだけの膂力もないし。
今のところそういう修羅場に遭ってないからなんとかなってるだけで、いざって時は戦えないヘッポコ野郎だもん。
「そばにいてなんか得るものがあるっていうのなら、話し相手程度ってことで、別に近くにいてもいいけどさ。頼むからその堅っ苦しい話し方はやめてほしいんだけど」
「しかし、それがしと蔵人どのでは身分が……」
「それだよ、それ!! “蔵人どの”ってのが堅苦しいんだよ」
ビシッと忠高を指差す。
「そもそもさ、この蔵人所で“蔵人どの”はヘンだろ。ここにあとどれだけの蔵人がいると思ってんだ」
六位蔵人は六人。その上の五位蔵人で三人。オレより下の非蔵人で六人。他にも雑色、出納なんかもいるから、その中で「蔵人どの!!」と呼ばれても、「どの蔵人でおじゃるか?」ってことになる。
「では、“尾張どの”とお呼びしたほうが?」
「あー、それ却下」
ボリボリと頭を掻く。
「好きじゃないんだよ。その“尾張”って呼ばれ方。なんか“終わり”、終わってるって言われてるみたいでさ」
「お前はもう終わっている」
帝がそう呼ぶのに文句は言えないから我慢してるけど、それ以外のところからの“尾張”呼びはあんまり好きじゃない。
「死んでいる」じゃないだけましだけど、「終わっている」もうれしくない。
尾張はその昔、神話の時代にスサノオノミコトだったかがヤマタノオロチを倒して、その尻尾を割って取り出した剣、草薙の剣が奉納されている熱田の宮があるから、「尾を割った」で「尾張」だって説と、昔の大和を中心とした世界で、その統治の及ぶ端っこ「終わり」から「尾張」になったって説があって。尻尾からならまあかっこいいけど、最果ての地だからってなると、「やーい田舎者~」って言われてるみたいでいただけない。草薙の剣からなら「尾張」じゃなくて、「草薙国」でも「御剣国」でもいいような気がするし。
閑話休題。
「まあ、そんなとこだから、普通に“成海”でいいよ。オレ、そもそも身分がどうこうってのも好きじゃねえし。お前のが年上なんだからさ、名前で呼んでくれたほうが気が楽」
オレのその辺の事情(?)を知ってる雅顕なんかは、普通に“成海”呼びだし。呼び捨てだし。
「では……」
忠高が居住まいを正す。
「成海……どの」
いや、その“どの”もいらねえんだけどなあ。
そこはお硬い武士どの。譲れない部分なんだろうな。精一杯の譲歩をみせた、「……どの」だもん。今だって、言われたからそう呼んでみたものの、本当にそれでいいのか迷ってます!!って顔してるし。
「ま、いっか。こっちも気楽に“忠高”って呼び捨てさせてもらうから。いつでも“どの”抜きにしていいぜ」
硬っ苦しいのは性に合わねえ。