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「睡蓮!」
すべてを覆い隠すような強い風の隙間から、ふと聞きなれた声が聞こえた気がして睡蓮は顔を上げた。
目の前を、銀色の羽衣が舞ったように見えた。なんだろう、と睡蓮は何度も目を瞬かせる。
「え……?」
羽衣の正体は、髪だった。
睡蓮の目の前に、美しい銀髪の男性がいた。
「睡蓮さま。よかった、無事でしたか」
男性はなぜかホッとしたような顔をして、睡蓮の名前を呼ぶ。が、睡蓮は知らない男性だ。
だれだろう、と考えて、ふと声に聞き覚えがあることに気付いた。
この声は……。
「もしかして……桔梗、さん?」
「……あぁ、この顔を見せたのは初めてだったか」
驚く睡蓮を見て、仮面を外していることを思い出したのか、桔梗は顔に手を持っていく。
再び睡蓮を見て、桔梗はいつもしているように胸に手を添えて頭を下げた。
「桔梗ですよ、睡蓮さま」
初めて見る桔梗の圧倒的な容姿に呆然とする睡蓮を、桔梗は優しく抱き寄せた。
「あ……あの、桔梗さん? 私、今とても大切な用事があって……」
「大切な用事? 妖狐との密会がですか? 夫としては、それはちょっといただけないんですが」
「……夫?」
どういう意味? と、睡蓮は、困惑して桔梗を見る。桔梗は言う。
「俺の本当の名は、龍桜院楪と言います。正真正銘、あなたの夫ですよ」
「え……?」
睡蓮は目を見開き、桔梗を見た。
「桔梗さんが……楪さま……?」
突然の告白に呆然とする睡蓮に、楪はゆったりとした口調で言う。
「ずっと黙っていてすみません。実はずっと、桔梗として睡蓮さまのことを探らせてもらっていたんです」
「探るって、なにを……」
「離縁したいと言われたとき、睡蓮さまがなにか企んでいるのではないかと疑ったんです」
「企む?」
睡蓮はきょとんとした顔をした。楪はバツが悪そうに睡蓮から目を逸らす。
「俺は今まで、ひとを一切信用しませんでした。失礼な話ですが、花嫁であるあなたのことも、初めから信用していなかった。あなたからの手紙は一度も読んだことがなかったし、差し入れもすべて桃李からのものだと思っていました。たぶん、あなたからの差し入れだと言われたら俺は迷わず処分しただろうから、桃李はあえて伝えなかったのだと思います」
「……そうでしたか」
睡蓮はかすかに微笑んだ。
毎月楪へ送っていた手紙。返事が来ないことは仕方ないと思っていた。けれど、読んでもいなかった、と言われたのはさすがにショックだった。
楪は俯いてしまった睡蓮の顔へ手を伸ばすが、触れる直前でやめた。
「……離縁したあと、桃李からあなたの手紙を渡されました。桃李はあなたのことをとても信頼していて、俺にあなたを連れ戻しに行けとうるさく言いました。でも、俺はあなたの手紙を読んでもなお信用しきれなくて、桔梗と名を偽って探りにきました」
「…………そうでしたか」
本音を言えば、涙が出そうになるくらいに悲しかった。睡蓮なりに、楪のことはまっすぐ思ってきたつもりだったから。
でも、同時に……。
睡蓮の脳裏に、ひとりの青年の顔が浮かぶ。




